視覚伝達デザイン学科3年生。リアルな美大の日常を。
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実家を離れて一人暮らしの大学生になると分かる話。
またしても他で書いてるブログから抜粋。
すこし個人的な話だけど、こっちのひとにも読んで欲しいかなーって話。
実家を離れて一人暮らしの大学生になると分かる話。↓
こんばんは、帰省中utoです。
今朝高速バスで地元に帰って参りました。
なんだか変な感覚。
半年ぶりですごく感無量かなとおもったら意外とすんなり順応してしまったり。
あと家族の存在。しばらくの東京での生活。その間、親がいなかったかのようだ。
身寄りが無い孤独な一人暮らしであるかのような人格でもっていた生活が長くて錯覚していた。
久しく家族と過ごす。変な感じ。そうだそう言えば私には家族がいたんだ、みたいな。
(こないだ友達と大勢で肉パーチーしたとき、
何かこういう家族みたいなの久しぶりだなぁとスゴく嬉しくなったのを覚えている。
台所で誰かが調理して、分担して運んで、リビングで皆思い思いにくつろいでいて。
それは擬似的体験だけれど、共同生活ってすばらしいと思う。)
それから意外と色んなものが変わっていない事。
食器を片付ける位置も体が覚えている。
リビングでDVDを見る時リモコンを二つとも膝に置く癖とか、そのいじり方とか、
風呂場の電気を消す時、スイッチを隠すドアをどけるのが面倒でドアの間に手を差し込んで消す自分の癖も自然に。そのまま。
不思議でもあり、面白くもある。
(もちろん、半年という月日が生んだちょっとした違和感をさみしく感じる事もあるが。)
東京にいる間、節約第一で娯楽が少なかったから、
空いている時間は映画や漫画を沢山読んだ。
そしたら、東京にいる間には湧かなかった程の創作意欲が湧いて来た。不思議だ。
東京にいる時と地元にいる時で、考え方、感じ方、行動、思考回路、放つ言葉とにかくすべてが変わってしまう。
でもそんな時、
東京にいる時は地元にあるものが足りないと思い、
地元にいる時は東京にあるものが足りないと感じる。
東京より地元が大好きだという感覚は行き過ぎると後ろ向きな気がして好きじゃない。
あまり地元にいすぎるのもなんとなく良くない気がする。
多分これから徐々に、徐々に、
東京での生活で足りないものが減ってきて、完全に近づいて来るのだろうと思う。
そうして東京での生活が標準、日常になって来て、地元での日々が非日常になる。
東京でモノを買い、何かを食べ、東京の水で体を満たし東京の空気を吸って酸化するのだ。
現に
山梨の合宿から帰って来、もう見慣れてしまった東京のプラットホームでぼんやりと電車を待っていた時、
私は、自分が 東京のひと になってしまった、と少し感じた。初めて、少し。
これからもっとそうなっていくんだと思う。
でも、東京と地元どちらが良いとかいう優劣をつけようとは思わない。
東京には東京の、地元には地元の大切なものがありつづけるだろう。それはこれからもずっとだ。
しかしそうしたら、私はどちらにいる時もどちらかを恋しく思わなければならなくなるのだろうか。
それじゃあ私の家はどこにあるんだ。
やはりいずれは東京の家か。
さみしい気もする。が、よくわからない。
同じ大学で地元が同じだった友達が一人だけ居る。
その子は「あのまま地元に居なくて良かった」と言い、理由を尋ねると
「そうしたらきっとあのままだめになってた」と言った。
よくわからなかった。そんなこと、感じた事も無かったし。
徐々にひとりだちしなきゃいけないってことか。
だとしたら、きっと今が苦しい時期なんだろうな。
でも地元の人達、ともだち、家族、親戚も絶対絶対大切にしたい。
曖昧な感覚だけど考えてみよう。
明日から色々イベントを楽しむ。
ではでは、おやすみなさーい★★