「やっぱり美大に出すだけでも勇気いるのよ、親の立場も。」
一昨日、別件で母に電話をしその用事が済んだ後、明日から推薦入試が始まる、そういえば、もうあれから4年ぐらい経つね、と話していたとき母から言われた言葉だ。
この一言を聞いたとき、美術方面に進むことを決心した頃のことを思い出した。
ちょうど中学から高校に進学する狭間の頃だ。
僕は中学校に上がるとき、ある私立中学を受験し進学した。
というのはその当時の夢が理工学系に進んで宇宙科学方面の職に就きたかったからだ。
そこでなるべく数学系の勉強を早めにしておきたかったという気持ちがあり中学受験した。
両親もそのことに関して何も言わず送り出してくれた。むしろ率先して、というような感じだったと思う。
そして高校の進路を正式に決めるとき、中学3年生の今頃だったと思う、僕はどうするか迷っていた。
中学2年生になった年、高校に美術系の学科が新設された。
そのときまで全く美術系に進学するという気持ちはなかったのだが、その学科が新設されてから徐々に気になり始めた。
これは全くの推測だが、美大生には小中学校などで絵が上手いとか、絵を描いて賞をもらって褒められていた経験などから、それがきっかけとなって美術(美大)を目指したという人は多いかと思う(もちろんこの逆の立場であった美大生もいるだろうが、とりあえず今回は"割合的に"という意味で読んでいただきたい)。
正直、僕も最初のきっかけはその通りで、小中学生での美術の時間は絵が上手いねと褒められたりして悦に入っていて、また先月書いた日記にもあるとおりその頃は3DCGを触り始めたときでもあったから、美術方面に進むのもありだなーとか結構適当な感じで思っていた。
そして中学3年生になり、正式に進路をどこにするか決めなければいけない時期が来た。
簡単に言えば高校のどの学科を選ぶのか、という話。
ある意味中学受験者の特権なのだろうが、高校のどの学科に進むのかをどれでも自由に選択できるこの進学のエスカレーター制度、当事者にとってはちょっとでも悩むと結構大変なものだった。今思えば相当贅沢な悩みだったけど…。
上に書いたとおり、理工学系(以下理数系)に進みたかったし、同じくらい美術系もいいなとも思っていたこともあり非常に悩んでいた。
しかし、進路決定の期限はただ迫ってくるだけだ。とにかくまず自分で答えを出さなければならない。
当前のことだが進路の決定には最終的に両親の許諾(判断と言うべきか)が必要だったので理数系、美術系、その2つのどちらに転ぼうとも理由をしっかり両親に話しておきたかった。
決して安くはない高校の学費を出すのは親だ。
理数系と美術系、この2つの進路のそれぞれの将来を考えても、所詮、当時中学生の僕にはどうなるのか具体的に想像できるわけが無かった。
そこでそれぞれ進みたいと真剣に思い始めたきっかけを思い返すことにした。過去から探ってみようというわけだ。
2、3日ぐらいだっただろうか、何がきっかけだったかなとあれこれ振り返ってみると、実は両方とも同じものがきっかけで真剣に考え始めたということが分かった。
それは僕が小学校6年生ぐらい(もう10年以上前!)に公開された映画で、宇宙を題材にしたものだった。
ではなぜそれが2つの進路を考えるきっかけとなったのかというと、
・理数系を目指すきっかけは、その映画ではNASAの研究員・技術職員が格好良く描かれていて、それに憧れたこと
・美術系を目指すきっかけは、その映画の特殊効果(VFX)がすごく印象に残っていて、そういうものが作れたら格好良いなと憧れていたこと(これが中学時代3DCGに興味を持ったきっかけでもある)
という映画の中で表現されていた者と、表現する者それぞれに僕は憧れを抱いたからだった。
果たして自分はどちらが本質的なきっかけなのだろうか、またそこから悩んだ。
でも、このときはすぐ答えが出た。
両方ともその映画がきっかけとなってるのであり、「映画の世界」で生まれたものだ。
ならば映画の方面に進むのが本質的なのではないか。
この答えに行き着いたとき、美術系に進路をとろうと心に決めた。
当時の自分ではこれ以上掘り下げることはできなかった。
でも根本の答えは出せたと感じた。
実はここからが大変だった。
両親が美術系への進路を取ることに反対したからだ。担任の先生も否定的だった。
特に父は進路関係の書類提出期限の前夜まで反対していた。
結果的には父を何とか説得することができた。
具体的に何と言って説得できたのかは覚えていないのだが、その時僕は父が、低く小さな声だったが、「…いいよ」と言ってくれただけでうれしく、正直それさえ聞ければ、どんな言葉で説得できたかはどうでもよかった。
今振り返ってみれば、大学への進路がムサビに決まるまで父は相当不安だったのだと思う。
美術という領域がいったい社会にも個人にもどんな利益をもたらすのか、具体的に感じられる生活の場面が少なく、どういった職があるのか、また能力・実力主義的な場でもあるため絶対的に「努力すれば何とかなるという世界ではないこと」を分かっていたからこそ最後まで反対していたのだろう。
もしかすると、そういう世界でもやっていけるのか、僕を計っていたのかもしれない。
でも、僕にとってはもうだいぶ前の話だから、どういう意図だったのか今分かっても仕方がないことだが。
今日で2010年度入学の推薦入試は終わった。
受験生はそれぞれ色々な気持ちを抱いて合否の発表を待っているのかもしれないが、まずは親に自分の目指す大学に受験させてくれたことへの感謝を述べると良いと思う。
自分の志望する大学を受験できる、いや受験させてくれるということは、親が責任を持って子をその大学に行かせるという公なる意思表示でもあるのだ。
それは授業料を4年間払うとか生活費を出すとかお金に関することもそうだが、
何より子がそこで更に成長することを信じて送りだすことでもあるのだ。
特に現在の経済・社会情勢を考えれば自分の子が美術系大学へ進学することを今許すこと自体、相当勇気の要ったことだと思う。
もちろん成長するかどうかは大学によるのではなく自分次第である。
大学というのは成長する場を設けているに過ぎない。
説教くさい文章になって申し訳ないが、その自分が成長することを一番信じてくれているのは親であり、また親が信じてくれているからこそ受験できる、ということを受験生にお伝えしたいのだ。
母の何気ない一言は、自分の土台が何であるかを改めて気づかされた言葉だった。