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納得。
『PCそのものは人間の感性や創造を刺激するような道具にはなっていない』
by 山崎和彦
日本アイ・ビー・エム株式会社
ユーザーエクスペリエンス・デザインセンター
UXデザイナー/ マネージャー /Distinguished Engineer(技術理事)
まさにそうだ、という言葉 (まぁ、この人の名刺は作るのが大変そうだけど :-)
PCの前より、ご飯食べているときや、お風呂に入っているとき、
作品を眺めているとき、手に何か画材を握っているときとかの方が
(中身の良い悪いは別として)アイデアが浮かぶことは多い。
個人的な意見ではあるが、やはりキャンバスに比べて狭い画面と
無機質なプラスチックのマウスとキーボード(とペン)
というような人の五感をほとんど刺激しない道具は
感性をなかなか刺激させないのだろう。
しかし、コンピュータはアイデアを具体的な形にしたりするのは素早くできる道具だとは思う。
さらに情報の共有化はもっともしやすい。
特に映像に関しては、たとえば作品を制作するに当たって人を集める場合
脚本や絵コンテをただ人数分印刷してみせるよりも、
簡単なビデオコンテを作ってPCやテレビや何かで見せれば
作品のイメージをつかんでもらうには一番手っ取り早い。
作者自身も、作品の最終形に近い(と言ってもだいぶ遠いけど)状態のものを見ることができるから
これから制作していくものの全体像をより具体的に把握することができるだろう。
現に、前期のデジタルドラマや、1年次の映像基礎の授業では僕はCGでPre-viz(ビデオコンテの発展型)を作り、
実際の撮影作業に入る前にメンバーと情報の共有と確認をしていた。
そして、インターネットにつながっていればたとえ地球の裏側、さらには宇宙にいようとも
作品となるデータを送ることは可能だ。
ITの進歩とそのインフラの整備によって場所と時間を気にすることはほぼなくなり(地球規模で見るとまだまだかもしれないけど)コンテンツを「配信、共有する環境」は整えられたが、
コンテンツを「制作する環境」は果たして現在整っていると言えるのだろうか。
たぶん、皆が皆、"No" と答えるだろう。
正直に言ってコンピュータで「質」の高い作品を作り上げるのはかなり敷居が高い。
制作時に技術面で壁にぶつかることはよくあることだし、
それ以前に基本技術をまともに習得するまで時間を要するからだ。
もちろん、絵画や彫刻などにおいても、そういったことは必ず起こるだろう。
作品の質(クオリティ)を上げるのは時間がかかるものなのだ。
だが、そういうクオリティの面でコンピュータは追求しやすい、つまりトライ&エラーしやすいとよく言われる。簡単にやり直せるからだ。
でも実際には、そうせざるを得ない状況をただ作り出しているだけのように思える。
この操作をするとなぜこのような結果になるのか、が見えにくい(イメージしにくい)からだ。
分かり易い例が、電源を切るときだ。
Windows XPでは[スタート]メニューから[終了オプション]、[終了]ボタンを選ばなければ電源が切れない。
なぜ電源を切るのに「スタート」と書いてあるメニューを押さなければいけないのか、
初めてWindows PCの電源を切るとき、誰もが思う疑問だろう。
本当かどうかは知らないが、電源の切り方が分からず、PC本体の電源コードをコンセントから引っこ抜いて無理矢理電源を切ってしまった人もいるらしい。
電源を切る操作は一度覚えてしまえばなんてこと無い操作の一つだが、
今改めてその操作方法を見返しても、なぜそうなったのかは分からない操作の一つでもある。
(まぁ、電源を切るための「操作のスタート」という意味かもしれないが、どうなのよそれ…)
つまり、そういうような「なぜこの操作をしなければこの結果が得られないのか」ということがつかみにくいのだ。
だから必然的にトライ&エラーを繰り返さなければ(いったん元に戻して動作を検証しなければ)、
なぜこのようになったのかが分からず、
もっと効率的にできる方法を思いついたり、見つけたりすることがなかなかできない。
そんな状況で、コンピュータでコンテンツを制作する環境が整っていると言えるのだろうか。
コンピュータの目先の便利さは確かではあるが、
「本当にそうなのか」
もう一度疑わなければいけないのかもしれない。