実はここ2ヶ月ほどテレビを全く見ていません。
テレビ自体を持っていないとかいう訳ではないのですが、このところ全く電源を入れていません(というかコンセント抜いてます)。
また、壁から出ているアンテナ線も抜いています。
なぜ、ここまでしているのかというと特に大した理由はなく単純に
『テレビって自分の生活に必要なんだろうか』
というある日部屋の掃除をしているときに浮かんだ疑問からです。
それからテレビなしで生活しているんですが、
「結局、テレビぐらいでは大して自分の生活って変わらないんだな」
というのが現在の結論です。
まぁ、そういう結論に達してしまったのは、テレビをまだ見れる環境にしていたときの僕の生活サイクルの中に「何曜日の何時のあの番組は見る」というようなプログラムが全く組み込まれていなかったのが大きいのだろうと思っていますが…。
あ、それと情報を仕入れるのにインターネットを使っているのも主な原因ですね。
よくニュースとか、気になった情報はインターネットで知るとかいうのを聞きますが(←よく聞かないかもしれないけれど…)、それよりも大きいのはそのニュースや(特に気になっていないものも含めた)情報の中の自分が気になったコトバを即座に検索できることなんです。
ニュースの中に知らないコトバが出てきてもその場ですぐ検索できるので、よほど新しい、もしくは難しい、珍しい単語でない限りは検索すればそのコトバの意味は見つかります。
そして検索したコトバの意味の中にわからない単語があればさらに検索をして、またわからないコトバが出てきたときは検索して…、ということが簡単にできるので元(ソース)の情報の内容にどれだけの価値があるのかというのをある程度知ることができます。
しかし、副作用的な弊害もあって自分が検索して得た情報が本当に正しいのかどうかの判断が難しいこともあること、ソースに関する音や静止画像、動画像を見つけるのは難しいことなどがあります。
このあたりを補ってくれるのがテレビなのかなと。
でも、テレビに映っている画から得られる情報ってほんの一部なんだということも意識しておかなければなりませんが…。
ま、なんでもそうですが利用するときの副作用は付きものなので、そのデメリットをいかに小さくしていくのかユーザ側の責任かもしれません。
※もちろん、ソースの作者側ができる限り副作用がないように努めるのは言うまでもありません。
というわけで、テレビを見なくなってからこういう風に考えるように変化しました。