以前、自分が鬱病みたいな状態だったことを日記に書きましたが、その後どうやって回復したかについて書いていなかったので時間とその時の記憶がある程度残っている今、ちょっと書いてみようかなと思います。
その時受験生であった方が、もし、今受験生でないのなら、少し読んでいただきたい。
まず、結論としては「鬱から学ぶことは何もありません」。
正確に言うと、鬱の、あの虚無感と絶望感から何かを得ることはあり得ないんです。
あったとしても、それは病気にかかった本人や、それを支えてくれている周り人たちの行動による体験からくるもので、鬱という病気自体から得られるものは結局、何一つありませんでした。
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あの日記を書いてからは若干楽になっていました。
やはり、本心をそのまま外に出したこと、また日記を読んでくださった方々からコメントをいただいたことは心の中に仕舞い込んでいた何かを吐き出せたようです。
しかし、その少し楽になった状態は3日程しか保てませんでした。
日が経つにつれその気持ちも薄くなっていき、部屋の大きな鏡で"もう一人の自分"と何時間も心の中で話し合う日々がしばらく続くようになりました。
学校で友達と話している間は虚無感と絶望感しかないもう一人の自分を忘れる事が出来ましたが、いざアパートの、光のない自分の部屋に入ると、そのもう一人の自分が乗り移ってくるような感覚に毎日陥りました。帰宅するとそうなるのでその時期は意識的に話を伸ばしたりしてなるべく友達と一緒にいる時間を長くとり、アパートに自分一人だけがいる時間をできるだけ短くしていました。
そういう日々が大学が終わる12月中旬までずっと続いていました。
そして冬休み。
正直あまりうれしくなかったです。
一人になる時間が増えるのが怖かったんです。
そこで12月上旬に面接を受けたバイトに空いてしまった時間をすべて注ぎました。
中央線の終電ギリギリまでバイトして深夜に帰宅、そして起きてまたバイト先に出発という日々を続け、自分のことを考える暇を与えないぐらいに忙しく動きました。
そして年末に実家に戻りました。
そこでも別のバイトで大晦日から元旦を徹夜で仕事し(インターネット上でですけどね)また、実家のことでも忙しく動いているとだんだんと自分のことなんてどうでもよくなってきました。
そのころから"もう一人の自分"が出てくることがなくなりました。
そしてそのもう一人の自分が出てきたときに湧き出てくる、あの虚無と絶望の感覚というものがほとんど完全に記憶の中から消え去りました。そんなことあったけ?というぐらいきれいに無くなりました。
実際、今こうして書いた鬱の感覚に関することの半分は本当にそうだったか疑いを持つほどです。
ただ、こうして忘れられたのは周りの支え(特に話を聞いてくれた友達には感謝しています)によるものと、また偶然にもただ一人になりたくないから、自分から忙しくしたおかげだったと考えています。
そしてこのことから得られたのは、鬱というものは単なる悩みごとではなく、『病気である』ということです。
病気であるが故にそれが治った時は身体は元に戻っても、元の元気な状態から成長していることはほとんどないはずです。
だから、もし鬱になった時はその感覚を忘れることをした方がいいのかもしれません。
忘れるためにはどんな内容でもいいので人と話したり、無心になって作業に打ち込めるようなことをするのが適当かもしれませんね。