2012年11月のアーカイブ

そつせい

作業している。

二年の冬は、たしか鍛金をしていたな、この時期。
そのときはまだ卒制なんて完全に他人事でした。

いまでも卒業制作やってるのがなんだか不思議な気持ち。
工房にいられるのもあと二週間かと思うと早いな。
まあまだ年明けに什器制作とかいろいろあるから二週間ってわけじゃないんだけど。

やだなあと思ってたのはさすがにふっきれました。
いまひたすら無心で作業してます。

が、無心というか
思考停止しているような気もして、それはそれでまずいのかもなって。
どうなんだろうな。

そうそう。
そういえば、豊饒の海は地元の図書館で借りてたんですが読み終わらないうちに
返却期限が来てしまったので朝の通学電車のおともは童話物語にかわりました。
乗り換えが多く、継続して電車乗ってる時間が長くて10分なので
豊饒の海は遅々として進まなかったなあ。
童話物語は文章がやさしいのでいい具合にさくさく進む。

デッサンなんて嫌いだ

そろそろ受験も本番が近づいてきて
予備校はぴりぴりしだしているころなんじゃないか、と思う。

わたしは受験生時代、デッサンが嫌いで、苦手だった。

……んだけど、最近はまたデッサンやりたいなあ、という気持ちがある。
できないからもうちょっと続けたい、というのが本音。
なんという心境の変化だろう!
受験が絡まなければ本来デッサンは楽しいことなのかもしれない、
とさえ思いはじめているのでずいぶん考えが変わった。

何度か受験関連のエントリにも書いてますが、わたしは美大受験の対策を始めたのが遅く、
高校3年のGW開けからでした。それ以前に美術関係のことは何もやっていません。

……これが何を意味しているかと言うと、すなわち底辺からのスタートですね。
わたしがいた予備校は規模が大きく、講評のたびに上手い人順にデッサンが並べられ、
その教室の中でのカーストが明確にされます。このシステムに覚えがある人多いんじゃないかな。

で、みんながすでにある程度できる状態のところにど素人が入っていったのでそりゃもう、
下段のすみ(=教室内で一番低評価)が定位置みたいになってました。
それもあってデッサンが嫌いだったんですね。
みんなと比べてできないし、できないからみじめな気持ちになるしで。

まさに「なんでこんな簡単なこともできないの?」状態でした。
形も取れない、パースの概念もわからない、質感を追うなんてまずそんなレベルじゃない。
本当にモチーフ見て描いてる?と長い間わりと半笑いな感じで言われ続け、
悔しくてたまらなかったのを今でも覚えています。(そしてけっこう根に持ってる)

今あらためて、デッサンで学んだことは何だったのだろう、と振り返ってみると、
描写力だとか、そういう直接的な力の外にあるものなのではないか、と思います。
もちろん描写力も大事なんだけどね。わたしデッサン力なくて大学入ってから
困ったことがかなりあるので。デッサン力あるに越したことはないです。

受験生時代、私だけでなく受かった人は誰もがやっていただろうと思いますが、
限られた時間で上達していくためにはただがむしゃらに描くだけではなく、

・自分には何が出来て何が出来ないのか
・出来ないことはなぜ出来ないのか。技術の問題なのかそれとも気持ちの問題なのか
・できるようになるにはどういうことをすればいいか
・今回の課題ではどういう点に気をつけて、
 制限時間内にどういうことが達成できてどういうことが達成できなかったのか
・また、その達成できなかったことの原因は何か。時間不足なのか技術不足なのか

などなど、数々の「できること」「できないこと」を点検してたと思うんですね。
デッサンをはじめとする受験勉強で学んだのは、何が出来ないのかを自分なりに明確にして、
それをひとつひとつ克服していく方法なのではないか、と思う。

できないことの点検は、受験(つまり、他人との比較と時間の制限)
が絡むから苦しいのであって、そういうことの範疇外でやるのなら、
『できるようになった』という達成感が味わえるので案外、というか、かなり楽しい。
わたしがdisられようと睡眠時間が削られようと課題が犠牲になろうと(←これは反省した方がいい)
しつこく小説書いてるのもそういう理由です。

だから今、デッサンもっかいやりたいなあ、と思ってる。
いまやったらたぶん楽しいんじゃないかな。デッサンも着彩も模刻も。

平行していた三年間

前回の続き。

大学生活と平行して小説を書いていた三年間の変遷について。

わたしは大学一年の11月で小説を書きはじめた、と言いましたが、
それまでに一万字を越えるような文章は書いたことがありませんでしたし、
物語を完結させたこともありませんでした。
(短い物はむかーしちょいちょい書いていたのですが、完結させていないのでノーカン)
そういう状況からの出発だったことを書き留めておきます。

三年間でどういう変遷を辿ったのかというと、おおまかにわければ
一年目で紙や印刷所など、手探りで『本』を作ることを勉強して、
二年目で創作をするにあたり資料を参照して知識を結びつけていくことの面白さに気がついて、
三年目でもっと面白いものを書くにはどうしたら、という根本的なことに目がいきました。
違うな、やっと根本的なことに目を向ける余裕ができた、と言った方が正しいかもしれない。

今年で丸々三年なので、四年目に入りました。
三年間で25作くらい、一つあたりムラはあるものの2〜5万字くらい書いてるので
概算すると50万字くらい書いている計算になる。

で、この50万字がどういう数字かというと、早い人なら一年間で書いて然るべき文字数なんですね。
毎日書くことが習慣化している人ならそれくらい軽く行きます。
他に文字数の比較を出すと、文庫本が一冊で10〜20万字くらい。
なので、私が書いてる物は長い物でも短編の域を出ませんし、手も遅いです。
まだまだ長編を御しきる力がない、というのが現状です。
ちなみに一般大の卒論が1〜4万字くらい、ムサビの課題レポートは1〜3千字くらいです。

しかしながら、書き始めた当初は1万字書いてヒィヒィ言ってたのが、
今では5万字くらいまではなんとか書けるようになりました。
すこーしずつ、ですが上限をのばせてます。
これはいろんなことを試行錯誤した結果できるようになったことです。

もちろんその文字数に見合った内容の濃さであるのか、とか
無駄な言い回しをして文字数を水増ししているだけではないのか、とか
点検すべきところはたくさんあるんですがひとまず横に置いとくとして。

途中でこんなこともできないの?とdisられてクソックソッて思うことは何度もありましたし、
実際初心者の抱える悩み、これができない、ということは出来る人からしてみれば
まさに「なんでそんな簡単なこともできないの?」であることが多いので、
そう言ってる本人はあんまり悪気がないんだろうなというのがわかるからまた腹が立つというか。
それでもやめなかったのはやっぱり好きだからなんだろうなあ、と思います。
何をやるにしても必ずそういう類いのことは言われると思うので、続けようとするのなら
どうにか折り合いをつけて乗り越えていくしかないのだろうな。
(そんで、実際自分ができるようになってくるとたいがい
なんでこんな簡単なことができなかったんだろうって感想を抱くし。自転車とかまさにそれ)

前のエントリでやっとスタートラインに立てたかな、と書いたのは、
三年続けてやっと面白いというのはどういうことかと根本的なところに目を向ける余裕ができ、
自分の区切りの中で小説と呼べるくらいの文字数が書けるようになってきたからです。
投稿などをしているわけではないです。

デッサンなどの受験勉強が一年で一応のゴールに辿り着けたことを鑑みると、
ずいぶん時間がかかってるなあと思います。指導してくださる先生がいるかどうかや、
一日のなかで割いてた時間も全然違うので単純比較するのも難しいですし、
受験も補欠合格なのでちゃんと基準に達してるわけではないんですが。

こういう感じで学校の課題と平行して自主制作をしてきました。
課題がだいぶ犠牲になってる感はあるんですが、その代わりに得た物もあって。
印刷用のデータを作ることや、紙の選定、印刷所の見積もりの取り方だとか発注の仕方、
そういうのはかなり手慣れました。おかげで展示のフライヤー作るのが楽です。笑

それから最近よく○○を読了しましたと書いているのは、
ひとつは社会人になってしまったら今以上にインプットの時間を取れなくなるだろうと思ったのと、
あと学生のうちはアマゾンで一般書籍(つまりは漫画以外の本全般!)が10%オフで買えるのと。
その二つの理由からわりと焦って本を読み漁っているからです。

何かをアウトプットするにはインプットが圧倒的に足りてないです。
そういう状態で続けるとたぶんしんどくなって辞めるだろうな、というのが予想できるので、
あんまり考えないようにはしてるんですがけっこう怖いものがあり。
ハアもっと勉強したいな……

学生でいられるうちに。

最近考えていること

まずはお祝い!
きゅっきゅぽん本当におめでとう!
結果を残せるの本当にすごいや。

卒制をやり始める前から、ずっと考えている事があります。
将来なにをやりたいのか、とかどういうことが好きなのか、とか。

ここで明かすつもりはなかったんですが、
最近意外と自主制作のことを書いているライターさんが多いので、わたしも書いてみようと思います。
後出しという点は非常に申し訳ないのですがどうかご容赦ください。

長くなったので畳んでおきますね。

もし、手段は問わないからなにかひとつ作品をつくってみて、と言われて、
その手段がずらっと目の前に並べられた時、あなたは何を選ぶでしょうか。
人によってそれは絵、漫画、文章、詩、音楽、歌、ダンス、立体、雑貨、その他etc...
表現手段は無数にあると思います。
なんだろうな、表現の思考パターンというか思考言語というか、なんかそういうのね。
わたしの場合はそれが文章でした。

わたしは趣味で大学一年の11月頃から小説を書いています。
それで、定期的に仕上げてアマチュアのイベントで発表して売るということをしていました。
オトギさんがこのあいだのエントリに書いてらしたようなものです。

覚束ないながらも、これはお金を払って読むに値するものなのか?
ということをずっと自問しながら書いていました。
内容を書いて、印刷用の原稿を作成して印刷所に発注かけて、といった感じで
本の制作から流通、宣伝まで自分でぜんぶやっています。規模はうんと小さいけれど。
そういう事情があり、専攻に分かれた二年の後期の時点ですでに一年は活動していたわけです。
その後も課題と平行してずっと小説を書き続け、丸々三年経ち、そろそろ四年目に入ります。

金工をやってみて思ったのですが、
そしてこれはたぶん他のどの専攻を選んでもついてまわった問題なんでしょうが、
自分が持っている表現手段のなかでこのまま小説が一番にいると、
絶対卒業制作苦労するだろうな、と。ただでさえ大変な卒制がね。

なんと言ったらいいのか、自分が一等使いやすいと思っている表現手段と、
専攻しているものの不一致による齟齬が生じた状態というか。
本当は右利きなのに左手で文字を書いてるような違和感と言ってもいいかも。
立体向いてないのかな、とか考えたりしたのも、常に小説が比較対象としてあったからです。
自分の中でどうしても比べてしまうんです。文章なら、金工なら、絵なら、写真なら。

最近の金工の取り組みを何かに例えるとすると、
真っ白いキャンバスを与えられて、好きなの描いていいよって言われたはいいけど、
どうしていいのかわからずに戸惑って立ちすくむ感じ。(私は絵を描くのが非常に苦手です)
絵を描くのが得意な方は作文用紙とかに置き換えてもらえばわかりやすいかと思うんですが。

立ちすくむ感じがするのはまあ、不慣れなことをやっているので仕方ないとして、
そこへ、文章ならこういうことしたいってすぐ出てくるのにな、って
比較が入ってくるのがまずい。非常に。モチベーション的に。

まあ、そういうことでうじうじ悩んで腐っていたのが9月10月のことです。

こういうこと書いていますが、金工が楽しかった時期も確かにあります。
それは基礎実習で技術を学んでいたときです。一つ技術を覚えるたびに
この技術を使えばこういうことができるのか、って発見があってとても楽しかったんですね。
今思えばそれは金工のためのインプットだったのだろうなと思います。

話を少し戻しますが、いま卒制でしんどいなあと思っているのは、
このまま文章がいちばん使いやすい位置にいると苦しむぞ、
だからもっと金工に時間を割いた方がいい、
と三年の後期頃から自覚していたにも関わらずやらなかったからに他なりません。

それは私の落ち度であり怠慢です。これはもうほんとにね。
本来は金工のためのインプットやアウトプットに充てるべき時間のけっこうな割合を
文章に注いできてしまったので、まあうん、そうだね、
しんどいの当然だね、だってさぼってたし逃げてたもんね、って感じです。
上手くすり合せが出来ればよかったのかな、と思いますができないままここまで来てしまいました。

もともと手を動かすことは好きだったので工デを受験したんですが、
なんでこんなに立体に対して苦手意識持っちゃったんだろうな、と。
この苦手意識を払拭するにはたぶん、文章を含め一度アウトプットすることを休んで、
ひたすら技術の研鑽を積む(=インプットする)しかないんじゃないかな、という気がしています。


………ここまで読んでくださった方はおわかりかと思いますが、
わたしは優秀な学生とは程遠いところにいます。
正直いまでもたまに『卒制 やりたくない』でググったりしてます(根暗)
しかしながら、もう卒業制作展のことやらスパイラルの展示のことやらでうごきはじめて、
踏ん切りをつけざるを得ない状況になっています。
小説はというと、三年続けてようやっとスタートラインに辿り着けたかな、って感じです。
投稿をしているわけではないんですが、書いた手応えとか、そういうので。

さて。
泣いても笑ってもこれが最後の制作です。がんばらなきゃな。

結婚式

明日は中学の友達の結婚式に行ってきます。

ハア。もうね、結婚式とかそういう単語が出る歳になったんだとね。
びっくりしています。中学の同級生も何人かはもう子どもいるしなあ。
学生やってるとそういうのはまだまだ先かなって思っちゃいますけど、そうでもないのだな。
せっかくなので振袖着てきますが雨なんだよな〜〜〜やーだな。
晴れるといいんだけど。
友達のウエディングドレスたのしみ**


しかしですよ、1年や2年のライターさんが公募推薦が〜
とかって書いてるとね、いまどきはそんなのがあるのか?!(((((;;.゚;ж;゚;.)))))
ってきもちになります。私が受験生だったときは工デの公募推薦なかったなあ。

そうそう。それから受験生の方は先生に言われまくってると思うし
芋子さんもエントリを書いてらっしゃいましたが、
学科はほんとに大事です。ほんとに大事ですよ!!!
以前オープンキャンパスの講演で、デ情の先生がおっしゃってましたが
学科は答えがある勉強なんだからやらなきゃ損だと。
講演の詳細はこのエントリに書いてます。
わたしも学科に救われてるクチなのでほんと学科は重要………
デッサンはともかく色彩構成の点数は正直(^o^)う〜んこ☆って感じでしたウッホホウッホ

受験生がんばれ〜〜〜魔法の粉浴びようぜ〜〜〜

あいほん

先日、携帯をiPhoneに機種変更しました。
高校入学のときに買ってもらって以来、このこで3代目です。
だいたい一台につき三年くらいは使っているので、
わりかし物持ちはいい方なんじゃないかなと思います。

iPhoneに変えてから思ったんですが、
電子書跡は思っていたほど読みづらくはないんだなあと。
好みの問題としてわたしは紙の本の方が好きなんですが、
電子書籍はかさばらないし、端末の容量が許す限り本をDLできるので
そういうところが便利ですね。
いま三島由紀夫『豊饒の海』の第一巻を本で読んでるんですが、
それと平行して青空文庫のアプリでいろいろつついてます。
作品一覧とか見てるとこんなに読める本があるのか! ってもうねー、わくわくしちゃう。


そうそうそう、それからね、最近というか夏明けごろからもうなんというか
とっても卒制やりたくない気持ちでいっぱいだったんですけど、
今日スパイラル(クラフト卒業制作の外部展の会場)の下見と金工の先生の展示見に行って
がんばろって思いました。遅いね!!!!知ってる!
けど気の持ちようってほんと大事だ。

見そびれた

ズムサタ昨日まで覚えてたのに結局見逃しました\(^o^)/

こんなことなら録画予約しておけばよかったね………
どんな感じでむさび紹介されてたんだろうなあ。

休みの間は打ち上げやったり脱出ゲーム行ったり部屋の片付けしたりしてました。
まだ汚部屋の域を出られてないんですが。あとは積読本をちょっと消化したり。

そうそう、少し前に話題になって手に入らないくらい品薄になってた
「式の前日」という漫画があったんですが、在庫が復活してたので買いました。
前評判でハードル爆上げされててどうなのかな〜と思ってたんですけど、
本当に、コミックス一冊目の新人さんとは思えない。
一度読んで、それから何ヶ月か時間をあけて
ふと思い出したときにもう一度読む、みたいな読み方したい本だなあ。

積読ありすぎて何から手を付けようかな〜ってところなんですが、
三島由紀夫の豊饒の海からいこうとおもいます。
他にも後宮小説とかぶらんこのりとか小川未明童話集に童話物語がいま積読。
たのしい(^o^) あと学校の図書館で借りて読破してるんですが、
海の都の物語の文庫版が図版とか文章が増えてるっぽいので買い揃えたいです。

at 21:00 | Category : | Comments (0) | Trackbacks (0)