ひっそりこっそりな美大生活記録。
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浪人時代 そのいち
高校時代〜予備校(浪人)が一緒だった友達と、
先日、予備校近くの駅で遊んできました。
「2年前の今頃は、とにかく死にたかったね・・・・」
そんなことを言いながら。
今となればいい思い出なのですけど。
でも、私にとっては過去になってしまって
忘れがちだけれど、
今、まさに悩んでいる人も
確かに存在しているのですよね。
ということで、今日は受験期の話を少ししてみたいと思います。
現役時代のことはもう結構前なので・・・
主に浪人時代の話ですね。
これはあくまで一個人、私の体験談なので、
「ふーん・・・( ´_ゝ`)」
「なにそれ・・ぷw」
ってぐらい、役に立たないかもですが、
こうやって受験生やってきた人間がいたってことを
書くことで、誰かになにか届けばいいかなと思って書いてみます。
とりあえず、今日は浪人時代の親との約束の話や、くらーい気分だった話とかを。
現役時代は多摩グラ視デ希望で、
もう、この2つしか受けないし、行きたくないという
ある意味典型的な受験生にありがちな、
そんな良くも悪くも一途だったというか、
そういう人間でした。
結局、実技、学科含め平均的に悪かったので
落ちてしまった私。
やはりあきらめきれません。
浪人したいという話を親としたときに
2つ、条件を言われました。
1つ。
浪人するのはこの1年だけ。
もし落ちたら働くこと。
それでも美大に行きたかったら、
経費(予備校代とか)のための
お金は自分で貯めて、勝手に受験しなさい。
2つ。
浪人時代の必要な生活費は自分で出すこと。
(アルバイトしてお金は稼ぐこと)
私はこの条件を飲んで、浪人することにしました。
浪人生にバイトしろとか、
どんな親だと思う人も、
もしかしたら、中にはいるかもしれませんが、
予備校にかなりの金額を払ってもらっていましたし、
家の経済状況上、色々ギリギリなこともあり、
親に申し訳なかったですし、、
自分の中では、「浪人したらバイトするのは当たり前」でした。
まぁとはいえ、特に凄くやりたかったわけでもないですが、
ある意味バイトが息抜きになった部分もあったので、やって良かったです。
あ、ちなみに秋ぐらいまでバイトはしていました。
良かったとは言いましたが、
やらなくていいなら、やらない方が一番良いと思います。
そのぶん、勉強も出来るし、絵も描けるし。
この条件で、やはり一番重かったのは、浪人は一年だけということですね。
なにがなんでも、今年中に美大に入らなくてはいけない。
これがかなりのプレッシャーでした。
なにより、中学校、高校と、
ある程度、数年先の未来が見える状況で
暮らしてきた私でしたが、
初めて、自分の一年後が想像できない、
予測不可能な、暗闇にいる状態。
楽しいことがあっても、
頭の片隅にこれがあって、楽しめない、息抜きできない。
息抜きと、頑張るときの
頭の切り替えが、どうしても出来ない人間でした。
でも今思うとこれはしょうがないことだったと思います。
自分の性格上。
「あなたは1つのことに集中しがちです」
「人より考えすぎる傾向があります」
と、教習所の適性検査でかかれたぐらいだし。
とはいえ、楽しむことは出来なくても、
逃げることはしてました、結構・・・(^^;)
(予備校自主休みしたりとか・・・)
でも、休んだり、逃げたりすることは悪いことではないと思います。
大事なのは、逃げたとしても、
それでも最終的に立ち向かっていた位置に
戻ってくることなんだと思います。
この、夏の時期に、色々うまくいかないことだらけで
すべてのことから逃げ出したくなり、
夜中に自転車で走り出したこともあったり(笑)
竹本君ばりに、自分探ししようかと・・・。
まぁ、結局散々色々思いを巡らした結果、
思い直して家に帰りましたが。(当たり前だ)
でもこうやって色々馬鹿な行動をするのも、良い経験だったかなと。
というわけで、夏期講習、悩んでいる受験生は、
自転車で走り出してみるのも良いかもしれません。
尾崎みたいに。バイクじゃないけど。
こんなことしても実技とか、
技術的な問題の何の解決策にもならないけれど、
ただひたすら自分と向き合うことで見えてくるものも
あると思うので。
つい、長文になってしまいました・・。
今度は、技術的な経験談(デッサン、色彩構成等)を
書いてみようと思います。