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2年前の今日の話

2年前の今日は、末娘の中学校卒業式でした。
卒業式は午前中ですから、滞りなく終わり。
卒業学年の8割以上が参加して、親子で食事会に近隣地区のホテルに移動しました。
一学年3クラス、80名ほどの学年でしたが、親子での参加だったので結構な人数でした。

某ホテルの地下のレストランで、ランチバイキング。
終了が午後3時の予定でした。

もう結構食べて、お腹いっぱい、もう入らない〜!というくらいの時間に揺れを感じました。
どんどん強くなる揺れに、近くに置いたバッグを手繰り寄せ、携帯を握りしめてテーブルの下に潜り込みました。

その時頭をよぎったのは、ちょうどその前にあったNZ地震での画像。
高いビルが崩れ落ちた画像を思い浮かべ、地下のレストランにいることがとてつもない恐怖となりました。
それでも、以前防災館で体験した震度7の地震に比べると、
「まだ、あれほどじゃない」
という気もしていました。
その後の情報で、その時のその場所では震度6弱だったと知りました。
地下の通路をずっと歩いた突き当りのレストランだったので、地上までの通路や階段の長いこと!
でも、パニックを起こすことなく、全クラスの親子が無事に地上に出ました。
外に出ると、ホテルの従業員も皆外に避難してきました。

外でクラスごとに整列して点呼を取り、全員無事を確認し、解散しました。
外に出てから、長女、バイト先の次女、自宅(ponchopoo在宅中)に電話をしたものの、つながらず。
ツイッターでは、都内も相当揺れたらしいというのはわかったものの、みんないったいどうなっているのか、まったく連絡が取れなくなっていました。

長女はその時、たまたま(自分の)家にいたそうです。
長女宅では停電しなかったため、PCが使えたので、情報を収集して、外にいる友達に色々と情報を伝達していたそうです。
我が家は、地震直後からずっと停電してしまって、道路の信号も点かず、家電も通じず。

バイト先の次女とも夜遅くなっても連絡が取れず。
(探しに行ったら、立ち入り禁止になっている建物の中の事務所前にいて救出できました!)

幸い末娘はずっと私と一緒にいたから良かったものの、連絡が取れないということが何ともどかしいものか。
車で流れるラジオのニュースが、信じられないと思いながら運転していました。

その後、携帯メールが通じない時も、Skypeは通じたというのを聞いて、急遽携帯をiPhoneに機種変し、
Skype,Twitter、ついっぷる、Echofon、HootSuite などを入れ、連絡ツールを複数準備しておくことにしました。
今では、LINEとカカオトークも入れてあります。
普段はもっぱらLINEですがw

一人暮らしの学生さんたちは、不安だったようで、ムサビ近くの友達の家にみんなで集まって過ごしたりしたようです。
ただ電車が止まってしまって、娘は自転車で行ったとか。
普段と違って、道も真っ暗になっていたらしいけど。

緊急時の連絡手段は複数持っておきましょう。
そして、離れて暮らす学生さんたちへ。
とにかく無事であることを、すぐに連絡入れて下さい。
日頃の備蓄も忘れずに。

何事もない、ごくありふれた日常がいかに貴重で大事なことかと思い知った日です。

(そして、まさに今日、私の母が緊急搬送されて脳梗塞で入院しました。何事も無かった昨日が、今日よりも貴重な日だったと実感。幸い命に別状なく、点滴で回復しつつあるようです。)

投稿者:poncho : 2013年03月11日 21:45

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コメント: 2年前の今日の話

ponchoさま、こんばんは。

お母様は、大丈夫ですか。

日本中が命の重さを考えるこの日、

去年のドラドラ様の日記のコメントに書かせていただきましたが、

父の命日でもあります。

命日だから仕事の帰りに実家に寄ろうと思っていた2年前、

仕事中にあの揺れでした。

離れて住んでいる工デ卒は、たまたま休みで自分の部屋にいたらしく、

国分寺は停電しなかったので、ずっとテレビを見ていたそうです。

デ情生は学校にいたそうで、電車が止まって友達の家に泊めてもらったそうです。

で、実家に寄ったところ、マンションはオートロックが停電で開かないのです。

非常階段から、真っ暗な廊下に入りました。

幸いに真っ暗な部屋で母は座っておりましたが、

なんだか現実を受け止めていない様子でした。

父の親戚が三陸にいて、連絡がとれない、

母の親戚は内陸ですがやはり連絡がつかない。

停電ではテレビも見られず、携帯も充電できず、

情報が怒涛のように停電あけの翌朝にやってきました。


お母様のご回復をお祈り申し上げます。

投稿者 yukihaha : 2013年03月12日 18:12

ponchoさま
おかあさまのご回復を心よりお祈りします。
2年前の3月11日、うちの母は空襲の次に怖い体験だったと
言っておりました。

投稿者 ここのこ : 2013年03月12日 22:33

>yukihahaさん、ここのこさん
ありがとうございます。
搬送された日よりも、翌日の方が言葉がはっきりしてきました。
まだ前回の骨折での入院と混同しているような発言があったり、食事も出されていなかったりですが、両手の平をグーパーしたり動かすことができるようなので、麻痺は出ていないようです。

昨日は、仕事の後に病院に直行して帰宅した後、すぐに夕飯の支度を始めたら、私の方がなんだか倒れそうになってしまったので横になって休みました。(その後で次女の迎えもあったので)

眠気と体の疲れが重なると、気持ちが弱くなるものですね。
倒れないように気をつけなければ・・・。

被災された方々の心労を考えると、その何倍、何百倍でしょうから、本当に大変なことだと想像します。
いえ、きっと想像以上で、とても想像できていないのでしょうけれど・・・。

投稿者 poncho : 2013年03月13日 20:17

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