リアルなムサビ親(母)の日常を
2013年03月のアーカイブ
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2013年3月31日。終了。
今日で平成24年度が終わりですね。
今日、長女の引っ越しが終わりました。
ムサビつながりのお友達に手伝ってもらって、レンタカー借りて、ムサビの友達から不要になった冷蔵庫と洗濯機も譲り受けて、新居に荷物を運び入れ。
私は新居の方で、到着を待ちました。
窓越しに次々と運び入れ、あっと言う間に終了。
待っている間に、スマホでムサビ日記もチェックしていました。
次々にエントリーがアップされて。
手羽さんのお話も良くわかりました。
色々な人が見ているということ、色々な考え方があるということ。
非公式とは言え、「ムサビ」という看板背負ってるわけだし。
ステマではなけど、ステマに近い部分もある。
それでもこれだけの人数で10年も続いてきたというのは、すごく価値があると思う。
どれも、リアルな日常を、リアルタイムに書いているからこそ、今しか書けない内容なわけだし。
少しずつ時代が移り変わって、ブログよりもtwitterやFBになってきて、だからこそ、これまでのアーカイブは貴重な財産だな、と思う。
twitterやFBでは、こんな風に残せないから。
この先、まだまだtwitterやFBに取って替わるものが出てくるのかもしれないけど。
この10年と言う一つの時代に、ムサビや美大に関わった人たちの、リアルな記録。
泣いたり、笑ったり、感動したり・・・。
色々なことを共有することもできた。
そういう貴重な場を作り上げてくれた、手羽さんや竹林さん、そしてライターの皆さん、コメンターの皆さん。
皆さんに感謝。
卒業式の日、
「私はもうこの場所に来ることもないのだな」
と思ったけど、皆さんの日記を読むうちに、
「そうか、うちの娘は卒業したけど、まだ残っているライターさんたちがいっぱいいるんだ。オーキャンや芸祭に、見に来るのもありなんだ!」
と、今頃気づきました。
そう気づいたら、ちょっと元気になりましたw
魔法学校から去って、社会へと巣だって行く娘を頼もしく思いつつも、寂しさを感じていたアホ親ですw
娘がムサビに入ってくれて良かった。
ムサビ日記に加われたのも。
皆さんと交流ができたのも。
今年度は今日で終わるけど、
明日から新年度が始まる。
(あたりMAU〜♪)
ムサビ日記は終わっても、きっとこのご縁は繋がっていると思いたいのです。
学生の皆さんの、今後のご活躍も期待してMAU。
またどこかでお会いしましょう。
研修とか引っ越しとか
もう後が無いので、少しでも来年以降の方々の参考になるような日記を。
実は、長女は卒業式に出られないかもしれないという事態に陥っていたのです。
その知らせを受けた時に、私は
「本人が卒業式に出られないのに、親だけ出席するのは、ありかな?」
と本気で考えたりしていました。
何が起こったのかというと、内定者研修合宿が卒業式前日からの日程になってしまったのです。
それでも、やっぱり卒業式に出られないっていうのは残念すぎる!
と思っていたところ、同期の入社予定の友人(ムサビ生)が会社に連絡してくれて、なんと卒業式に出席してから翌日に合宿に合流すれば良いと、会社側が配慮してくれたというわけです!
おお!やったね!
元々、内定が出てからずっと研修に通っていたようです。
実際の仕事も振られるようになったり。
その普段の研修とはまた違った内容で、合宿という研修。(内容は聞いてないのでわからないけど)
卒業式の翌日に都内某駅に7時に集合して行ったようです。
だから卒業式後の謝恩会でも、あまり飲まないようにしようと言っていました。
さらに、入社までに仕上げる課題も出されたそうで。
きゅっきゅちゃんも謝恩会後からモーレツなお仕事モードになったようだし。
学校の課題も大変だったのでしょうけど、仕事となるとまた格段と切羽詰まった感じになりますね。
学校の課題なら自分の単位がどうなるか?ってくらいのことですが、仕事となれば自分だけのことじゃ済まなくなるわけだし。
社会に出るってこと、社会人になるってことは、学生時代とは全く違う責任を負うってことで。
当たり前のことだけど、ムサビタイムなんていうのは、ムサビの卒業式と同時に卒業しなくちゃいけないわけで。
引っ越しの準備と研修と課題と、更に他のことも同時進行でこなさなくちゃいけなくて、本当に大変そう。
でも友達が手伝いに来てくれるとか、冷蔵庫や洗濯機をムサビの友達に譲ってもらえることになったとか、ムサビの友達に助けてもらいながら、自分で色々と手配して、当日の動きのタイムテーブルを作って送ってくれました。
だんだんと親の出番が少なくなってるなあ。
足りないところを補うくらいの動きです。
引っ越し当日、私は新居の方に直行して、娘たちが荷物と一緒に到着するのを待つのみ。
何しろ、3月末日の引っ越し。
翌日が入社式。
来年以降卒業、就職する皆さん。
もしも研修と卒業式がかぶっちゃったら、会社に相談してみて下さい。
言ってみなくちゃわからないからね。
引っ越しも、ギリギリでもきっと何とかなる。
(本当はもう少し余裕があると良いけどw)
持つべきものは友。
お互いに助け合って、ひと肌脱いでくれる友達って、本当に貴重でありがたいです。
ムサビでの出会いに、感謝。
お題に答えて
いよいよ3月もあと3日ですか!
あれもこれも書いておきたいなあ、と思いつつなんだか毎日バタバタ忙しくて時期を逃してる感じ。
うっかりするとそのまま3月が終わってしまいそうな勢いなので、ここらへんでお題に答えておきますね。
日記の思い出
ムサビ日記の方は、読み始めたのは、やはり娘の受験の頃。
現役の時に補欠合格したので、情報収集の一つとして読んだってところでしょうか。
毎年そういう人が多いんじゃないかな?
浪人中はそれほど熱心に読んだ記憶はないかも。
やっぱり合格して入学が決まってからの方が本格的に読み始めたような・・・。
娘が入学して最初のオーキャンで、コミタク君のところでコメントしたように、くじ引きであっさりとムサビ日記が当たってしまい、くじに外れた人みんなに配ってるんだと思い込んでいましたw
後で考えたら、全員に無料配布なんてことしませんよね・・・?
この時はまだまさか後に私がライターになるとは思ってもいませんでした。
さて、ムサビ日記自体の思い出というと、私にとってのムサビ日記は、手羽さんよりも竹林さんなのです。
ムサビ日記での更新は、竹林さんの方が多かったし、親分としての手羽さんよりも竹林さんの日記にコメントする方が多かったなあ。
だから、アフロツアーはちょっとうらやましかったw
親日記の方は、まさに共感するようなこともあったり、離れて暮らしている我が家と違って、自宅から通っているムサビ生のお子さんの様子が親目線でつづられているというのがすごく楽しかったし、楽しみでした。
何度かコメントしているうちにだんだんお友達になったような気もしてきて・・・。
そして今では本当にリアルにお友達になってるって、すごいこと!
学生さんの方は、やっぱりきゅっきゅちゃんが娘と同学年だったこともあってずっと読むのを楽しみにしていました。
惹きつけられる文面に、ただ者じゃないぞ!と思って見ていました。
あと、印象に残ってるのは、ペロリさんのシ―ワールドの大きな画像!
あれはきれいだったわ!迫力!
あれ以来、私の中でペロリさん=シーワールド(シャチ)という公式が出来上がってしまったのでしたw
もちろん日記合宿とか手羽先のお店とかファイナルイヤーのスペシャル企画も、すっごく楽しかったのは言うまでもありませんが、実は私的に何が一番楽しみで、印象に残っているかっていうと、美大日記の方の
美大生たちの「今」もリアルタイムで興味ありましたが、「卒業生の今」がすっごく興味深かった!
このシリーズはずっと続けて欲しかったなあ。
だって、先のことはみんなわからないし、不安だし、いったいどんな将来が待ち受けているのか知りたい!と思うでしょ。
それが、卒業生の色々な生きる道を赤裸々に語ってくれるという企画で、自分の予想以上の多種多様な展開を紹介してもらたってことで、何だかどんなことも「あり」なんだなあと、覚悟のようなものさえできた気がするのです。
あ、もちろん親としてね。
卒業して企業に就職することだけじゃない、企業に就職したって、その後どなるかわからない、要は自分で選んで切り拓いて行ってくれれば良いんだな、と。
その自分で選択して歩いていくための力を、ムサビの4年間での色々な経験で養われているんだろうな、と。
美大生親の覚悟って、この卒業後のことも含めて必要なんだな、と思う。
一人の読者だった私が、コメントすることでちょっと関われる機会を得て、更には日記ライターの端くれに加えていただいて、すごく楽しかったです。
リアルにお会いすることもできたし。
迷った末にメンバーに手を挙げて、選考してもらえて、本当に良かったと思っています。
娘は卒業しちゃったけど、校友会のメンバーになったってことだし。
まったくムサビと縁が切れちゃったわけじゃないしね。
(そう、ザラメさんたちの後輩なわけだしw)
私がムサビに行くことは、もう無いのかなあと、卒業式の日に思ったけど。
リアルで繋がることができた親日記メンバーの皆さんとも、これからもずっとつながっていたいと思っていますw
日記メンバーに入れてくれた手羽さん、ありがとう♪
受け入れて下さった皆さん、ありがとう♪
親日記の皆さん、コメント仲間の皆さんありがとう♪
読んでくれてたかもしれない皆さんも、ありがとう♪
親世代の背負っているもの
どうも。
卒業生の親になったponchoです。
卒業式の最中、まだ卒業証書授与進行中(学長式辞前)に、母の老人ホームから着信があり、出るに出られず・・・。
少ししてまた着信。
こりゃただ事じゃないな、と感じ、会場の外に出て折り返しかけ直しました。
母の容体が相当悪く別の病院に入院するかもしれないという状況で家族の承諾が必要との連絡。
とにかくお願いして席に戻りました。
(私は駆けつけることもできず、夫ponchopooに代わりに行ってもらいました。)
親として娘の卒業式の最中。
娘として親の緊急事態に駆けつけられない。
なぜこうも色々なことが同じ時期にかさなるのか。
4年前、父が亡くなった時もそうでした。
長女の受験の最中。
父の入院。葬儀。葬儀後の諸々。
その最中に義母(ponchopooの母)が具合悪くなって、迎えに行ったり検査したり・・・。
長女のムサビ入学を控えて、実家宅の片づけやら引っ越しやら、その合間の義母の通院とか職場の年度切り替わりでの諸々のこと。
娘という立場、親という立場、嫁という立場、職場での立場。
それぞれ、同時進行で色々なことがどっと押し寄せ、でも、順番にやるしかなく。
今回も、色々なことが押し寄せています。
何とか卒業式が終わっただけでもホッとしました。
入院した時に相当悪いという話と、高齢ということもあって、色々と覚悟をしましたが、昨日の時点では顔色も良くなりつつあり、話もしっかりとできるようになり、回復の兆し。
病院通いの合間に、長女の来週の引っ越しに備えて色々と準備も。
大学入学時には、実家の家電がそのまま使えたので助かったのですが、今回は、実家に置いて行く家電もあるし、新しく買わなくてはいけないものがいくつもあり。
そういえば、私も大学卒業と同時に千葉に来て一人暮らしが始まったわけで、その時やっぱり家財道具一式親に買ってもらったんだったなあ・・・と思い出した。
引っ越し当日、娘は友達に手伝ってもらうらしい。
男の子(「子」っていうのは失礼か?)二人来てくれるというから頼もしい。
私も自分の引っ越しの時、後輩の男の子が手伝いに来てくれたっけ。
埼玉から千葉のアパートまで後輩男子が車を運転してくれたんだった。
自分が通って来た道。
ちょっと違うけど、娘も同じように社会人に向けて出発するわけだ。
そして、私の親がしてきたように、私も親としてできるだけのことをしたいと思う。
親馬鹿かもしれないし、バカ親かもしれないけど。
(バカ娘とか、バカ嫁とかもある?)
今できること、今やらなくちゃいけないこと、目の前のことを、ただ一つ一つやるだけ。
ま、手抜きは多々あるけどねw
これぞ親の日常。
卒業式
前夜の風雨がうそのように朝から日差しの強い日でしたね。
ついにこの日がやって参りました。
(前日のことから書くと長くなりそうなので当日のことだけを時系列で書きますね)
10:20開場から逆算して、鷹の台駅に9:40に着くようにしようということで、8時くらいから着付け開始と予定を立てておきました。
それまでに朝食を食べたりシャワーを浴びたり。
着付けは、前夜のうちに一度リハーサル(笑)しておいたので、割合スムーズに行きました。
着付け終わって、家の前で記念写真撮ったりしてから、タクシーを呼び駅まで。
予定通り電車に乗って鷹の台駅に着きました。
そこから歩くと言っても玉川上水の遊歩道の向う側の舗装した道を行ったので靴が汚れることもなく、娘も袴にブーツだったので歩きやすかったようです。
正門前に到着すると、すでに門の前で記念撮影をしている人が順番待ちしていました。
それでもまだその時間は少ない方だったようで、意外とすぐに撮ることができました。
まずはこちらで。↓
そして立て看板の前で。
ここでは列で順番を待っている次の人が前の人のカメラを受け取って撮ってあげるという暗黙の了解ができていました。思いがけず娘と私のツーショットを撮ってもらえてしまいました。<ここではアップしません。自主規制w
(「デザインあ」に出てきそうな光景だな〜などと思いました。)
青い空と、卒業式バージョンのエントランス。
中に入って行くと、すでに体育館前から中央広場まで列がつながっていました。
すぐに列の後ろに並びました。
そしたら、私たちの二〜三人前くらいの位置に、なんと!きゅっきゅちゃんが!
一瞬、「あ!きゅっきゅちゃんだ!」と思ったものの、メイクをしているので違ったらどうしよ?
でも、なんとそのすんばらしい振袖の帯揚げの部分に天下の「さばおバッヂ」が!
(テーバくんじゃなかった!)
やっぱり!と思って、すぐに声をかけて写真を撮らせていただきました。
最後に直接「おめでとう」が言えて良かったわ〜!
間もなく列が動きだし、会場内に入りました。
だいたい真ん中くらいの右手の方に座りました。
始まるまでにどんどん席が埋まり、ところどころ空いている席に後から誘導されて入ったり、パイプいすが隙間なく並べられた会場は目いっぱい。最後には脇にも後ろにも二重に立ち見の方々がいました。
60秒前からのカウントダウンが始まり。(ザワザワ・・・60から始まるの?長くない?…ザワザワ・・・)
いきなりの「校歌斉唱」のアナウンスに
「え?」(ザワザワ・・・知らないよ・・・ザワザワ・・・)
そうしたら、効果を歌って下さる方々がステージ上に現れ、紹介のアナウンス。
「職員代表 手羽イチロウ」
え?(なぜか、ここではざわつかない会場・・・)
それで、「UST中継を最初から見て」と言ってたわけだ・・・
と納得。
(一応ぼかし入れましたw)
それにしても、最初から最後まですばらしいエンターテインメント。
学長さんが、(北野)たけしさんに見えたw
この自由な雰囲気。
いいなあ。
私の出身高校も、卒業式に卒業生総代の男子が羽織袴で登壇したりしたけど、それを許す雰囲気が学校側にあるっていうところが好きだったなあ。
ムサビは、もちろんそれ以上の予想を上回る色々な展開があって、この日のために学生も学校側も趣向を凝らしていて、本当に楽しめました。
泣くような場面は無いけど、きっと一生心に残る卒業式だったと思います。
式自体は1時前に終わり、その後各学科ごとに分かれての卒業証書授与。
油絵学科は1時半から開始。
学科ごとにやり方が違ったらしいけど。
(この待ち時間の間に連絡をとって、親日記仲間のここのこさんとお会いできました!お連れ合いのDさんにも!)
証書を受け取って出て来たのは2時半過ぎ。
そしてまたまたあちこちで写真の撮り合い。
サークルに所属していなかった娘ですが、どういうつながりでそんなに友達ができたのかと思うほど、あちこちで声をかけたり掛けられたり。
卒業生同士だけでなく、お祝いに駆けつけてくれた後輩たちとも写真を撮り。
他の学科の友達のところにも行き。
(学科ごとに集合写真撮ったりしていたので、別の学科の友達が終わるのを待ってまた記念撮影)
早く帰りたかったものの、まあ最後だしね。
待ちに待たされました。
最後にそうやって娘が友達や後輩たちと楽しそうに写真を撮っているのを見ているのもまた良いなあと思ったり。
ムサビに来て、4年間色々なことがあって、一緒に過ごした仲間がいっぱいいて、充実していたんだなあというのが良くわかったし。
↓これね。
卒業生のみなさん、卒業おめでとう♪
そして、ムサビ卒業生の親となったponchoでした。
忘れ物は無いかな?
明日長女宅に一泊するために、持ち物準備したのですが、結構な荷物。
何しろ、着物と袴など一式持参するので。
着物は、成人式の時の振袖です。
それに、私の袴。
ブーツは自分で用意してあるらしい。
そのうえ、私の着替えとか、ついでに引っ越し前に近所にご挨拶回りするためのタオルとか。
(引っ越し先の分も)
キャリーケースと着物一式入れたケース。
これ持って卒業式会場には入れない?
やっぱり大きい荷物は長女宅に置いて行って、式後に一旦戻るしかないかな・・・?
式の後の、各学科ごとの卒業証書の授与(学生証と交換)が何時に終わるんだか?
順番だから早く終われば良いけど、最後の方だったら遅くなるなあ・・・。
明日は、お天気が荒れるって予報。
さらに、あさっての式当日は曇り時々雨だって?
私の大学卒業式の時も結構な土砂降りだったんだわ。
雨降って大変だったことは覚えてるけど、式の内容は覚えておらん・・・。(そんなもんか?)
ムサビの式はきっと一生忘れないようなものなんでしょうね。
(ところで、その日は学食とかやってるのかな?)
お墓参りと博物館
母の退院が18日に決まりました。
それだけ脳梗塞の症状自体が軽かったわけですが、脳梗塞よりも腎機能の低下の方が心配なので、一旦退院して腎臓の専門医に診てもらった方が良いという担当医の判断です。
18日と言えば、19日の前日。(←あたりまう〜♪)
19日の卒業式に備えて、前日から長女宅に泊まり込む計画をしているのですが、
その18日に退院ですと!
本当は、午前中仕事に行って早退して帰って、その日の夕飯とか翌日の分とか、色々と準備をしてから長女宅に向かうつもりでしたが、その間に母の退院手続きというのが挟まってしまいました。
我が家から車で片道50分程かかる病院までの往復をしてから・・・になります。
それでもとりあえず回復傾向なので良しということで、本日は予定通り実家の方のお墓参りに行って来ました。
18日と19日に行くものの、お墓参りをしている時間的余裕はなさそうなので、別の日にするしかなく、でも日曜日か春分の日のどちらかは、夫の方のお墓参りに行くことになるだろうし。
お彼岸にフライングですが(今月1日の父の命日もあったことだし)。
末娘と一緒に行き、長女とはいつもの通り駅前で待ち合わせました。
駅が全面リニューアルしていてビックリ!
母方と父方の両方のお墓参りをし、長女の引っ越しも報告し、無事任務完了。
帰りに寄ったいつものおだんごやさん。
10円値上げになってたけどw
ここのおだんごが一番美味しい!!(武蔵屋さんと言います)
この後、末娘の希望でココに向かったのですが、長女はそっちには同行せず。
「課題が大変だから無理」
ということで。
あれ?卒業単位はすでに取り終えてるのに?
課題?
・・・と思ったら、入社までの課題が出ているんだそうです。
相当数の絵を描く課題。
「今いくつ描いたの?」
と聞いたら
「200くらい」
「まだまだじゃない!あと5倍!」
卒業式もあり、謝恩会もあり、内定者研修会もあり、インターンシップもあり、引っ越しもあり、のこれから入社までの期間に、あと5倍仕上げるのか?
まあ、頑張っておくれ。
そりゃ遊びに行ってる場合じゃないね。
と、そこで長女とは別れました。
(あ、また自転車盗まれたそうです。駅前のスーパーの駐輪場に置いておいて。二度目。鍵かけてあったのに。)
さて、そして着いたところ。
↑これが、末娘の目的。
大河ドラマ大好き末娘なのでw
さらに、こんなのも常設展示の方でやっていたので、見て来ました。
これも良かった!
版元の屋号を絵の中に仕込んだりという、当時の広告という側面もあったんですね〜。
構図とか今の写真の撮り方と共通するものがあったり、興味深いです。
写真撮影可っていうのも良かった。
2年前の今日の話
2年前の今日は、末娘の中学校卒業式でした。
卒業式は午前中ですから、滞りなく終わり。
卒業学年の8割以上が参加して、親子で食事会に近隣地区のホテルに移動しました。
一学年3クラス、80名ほどの学年でしたが、親子での参加だったので結構な人数でした。
某ホテルの地下のレストランで、ランチバイキング。
終了が午後3時の予定でした。
もう結構食べて、お腹いっぱい、もう入らない〜!というくらいの時間に揺れを感じました。
どんどん強くなる揺れに、近くに置いたバッグを手繰り寄せ、携帯を握りしめてテーブルの下に潜り込みました。
その時頭をよぎったのは、ちょうどその前にあったNZ地震での画像。
高いビルが崩れ落ちた画像を思い浮かべ、地下のレストランにいることがとてつもない恐怖となりました。
それでも、以前防災館で体験した震度7の地震に比べると、
「まだ、あれほどじゃない」
という気もしていました。
その後の情報で、その時のその場所では震度6弱だったと知りました。
地下の通路をずっと歩いた突き当りのレストランだったので、地上までの通路や階段の長いこと!
でも、パニックを起こすことなく、全クラスの親子が無事に地上に出ました。
外に出ると、ホテルの従業員も皆外に避難してきました。
外でクラスごとに整列して点呼を取り、全員無事を確認し、解散しました。
外に出てから、長女、バイト先の次女、自宅(ponchopoo在宅中)に電話をしたものの、つながらず。
ツイッターでは、都内も相当揺れたらしいというのはわかったものの、みんないったいどうなっているのか、まったく連絡が取れなくなっていました。
長女はその時、たまたま(自分の)家にいたそうです。
長女宅では停電しなかったため、PCが使えたので、情報を収集して、外にいる友達に色々と情報を伝達していたそうです。
我が家は、地震直後からずっと停電してしまって、道路の信号も点かず、家電も通じず。
バイト先の次女とも夜遅くなっても連絡が取れず。
(探しに行ったら、立ち入り禁止になっている建物の中の事務所前にいて救出できました!)
幸い末娘はずっと私と一緒にいたから良かったものの、連絡が取れないということが何ともどかしいものか。
車で流れるラジオのニュースが、信じられないと思いながら運転していました。
その後、携帯メールが通じない時も、Skypeは通じたというのを聞いて、急遽携帯をiPhoneに機種変し、
Skype,Twitter、ついっぷる、Echofon、HootSuite などを入れ、連絡ツールを複数準備しておくことにしました。
今では、LINEとカカオトークも入れてあります。
普段はもっぱらLINEですがw
一人暮らしの学生さんたちは、不安だったようで、ムサビ近くの友達の家にみんなで集まって過ごしたりしたようです。
ただ電車が止まってしまって、娘は自転車で行ったとか。
普段と違って、道も真っ暗になっていたらしいけど。
緊急時の連絡手段は複数持っておきましょう。
そして、離れて暮らす学生さんたちへ。
とにかく無事であることを、すぐに連絡入れて下さい。
日頃の備蓄も忘れずに。
何事もない、ごくありふれた日常がいかに貴重で大事なことかと思い知った日です。
(そして、まさに今日、私の母が緊急搬送されて脳梗塞で入院しました。何事も無かった昨日が、今日よりも貴重な日だったと実感。幸い命に別状なく、点滴で回復しつつあるようです。)
アートフリマ情報
千葉県民は知ってると思いますが、毎年GWに幕張メッセで行われる大規模フリマ。
私もずいぶん前に行ったことがあります。
まだ子供たちが小さかったときだから、最近の様子はわからないのですが
とにかく規模の大きなフリマです。
bayFM(千葉のFM局)を聞いてると必ず耳にします。
そのフリマで、手作りアートマーケットというのもやってるそうなんです。
以前行ったときに、これは無かったなあ。
五美大展とデザインあ展
やっと行ってきました。
本当は先週行きたかったんだけど、仕事が入ってしまって一週間延期しました。
朝8時前に家を出て、乃木坂駅に到着したのが10時。
ま、ムサビに行くより近いわw
すぐに日本画の作品集買いましたよ!
これで200円なんて!激安!
他の学科もぜひ作って売って欲しかったな〜!
学校ごとにハッキリとした区切りが無いので、歩いているうちに何となくさっきまでと雰囲気が違う、と思うと隣の大学スペースに入っていました。
手羽さんのようなディープな部分まではわからないのですが、素人でも何となく大学ごとの違いを感じましたね。
いくつか作品を画像でご紹介します。(注:ムサビだけではありません。ランダムで。)
お昼を館内(地下)で済ませてから、21_21へ。
すっごい風に吹き飛ばされそうになりながらの移動。
土日は混んでいるということだったので、覚悟して行ったせいか、想像していたほどでもなく。
コインの転写のところと、穴を覗くところはちょっと待ったけど。
ペロリさんの日記とかぶらないようなものだけアップしますw
デザインあ展は、卒展とかオーキャンのようだな〜と思ってしまいました。
というか、美大での学びの延長線上に、こういうのがあるんだろうな。
4年前の今日の話
3月に、なってしまいましたね。
ムサビ日記ファイナルイヤーの最終月ですね。
そういうことと、関連があるようで無いような話です。(すいません)
4年前の今日、私の実父が亡くなりました。
その前月から入院していました。
長女は一浪して、二度目の受験の真っ最中。
現役の時も、一浪の時も、受験したのはムサビと芸大だけ。
ムサビなら、私の実家宅から通えるということも大きなポイントでしたが、
「実家から通える」という点だけだったら、日芸もありだったのに、そちらは受けませんでした。
要するに、長女にとっての憧れの大学はその二校だけだったようで。
私の両親は、私が大学を卒業して千葉県に就職して自宅を出て以来、二人暮らしでした。
父が何度か脳梗塞で倒れ、そのたびに少しずつ体が不自由になり、それを介護している母の方もあちこち弱り、
長女が中3の時に、いよいよもう二人での生活は無理という状況になりました。
それまでヘルパーさんに毎日来ていただいたり、市のケアマネさんが色々と親身になって考えて下さっていたのですが、急遽千葉県内で我が家からすぐに駆けつけることができる距離の老人ホームを探し、入居してもらいました。
昭和一ケタ生まれの頑固親父が一番心配していたのが、家のこと。
それを、「大丈夫だから。」と何とか説得して転居してもらったのです。
そんないきさつもあったので、もしも長女がムサビに受かったら、その家に住むことになるということを、父は嬉しそうに聞いてくれていました。
病院からの連絡で、急いで病院に駆け付けた、4年前の今日。
すでに眠っているような状態の父に
「(長女が)ムサビに受かったよ!わかる?」
と声をかけると、パッと目を開けて、うんうんとうなづきました。
「まだ芸大の2次がこれからだけど、その結果が出るまでがんばって!」
と励ましたのですが、父にとっては、孫にあの家に住んで欲しかったのでしょう。
その1時間後くらいに、息を引き取りました。
むしろ、父が長女をムサビだけに合格させて、あの家に住まわせるように手配したんじゃないかと、密かに思っています。
長女が4年間ムサビに通えたのは、家賃の無い家に住めたことと、家財道具一式揃っていたこと。
日曜大工好きだった父が残したマニアックな工具一式も残っていたこと。(←これは長女が相当喜んでいましたw)
そして相続した部分から学費も捻出できたこと、など。
その4年間が無事に終わります。
昨日、引っ越し先のアパートの契約も無事完了しました。
契約に際しての、保証人の書類とか色々とあって、ここのところ連日バタバタしておりました。
お彼岸のお墓参りに、父に報告することにします。
(卒業式の前に行くか、後に行くか・・・?)
3月は、卒業式準備と引っ越し準備でまだまだバタバタしそうです。
とりあえず今週末は五美大展だわ。