2009年09月25日

会津八一と早稲田の美術史学

早稲田大学の美術史研究室ホームページを見ると、会津八一が早稲田における美術史研究の方法論を築いたとあり、会津は歌人と思っていたから意外だった。


奈良のいくつかの寺には会津八一の歌碑があり、字はうまいものの歌はたいしたものではないので、目障りであるなとずっと思っていた。


酒井先生は早稲田で美術史学を学んだと聞く、ということは元をたどれば会津八一(や安藤更正)の系譜に繋がるわけか。
20代のときの影響は強くてその後も残るもので、酒井先生は何年も留年して7年だか8年だか大学にいたそうだから、その刷り込みは還暦を過ぎても弱まるどころか強くなっているんじゃなかろうか。


僕が卒論のテーマにしている和辻哲郎は、早稲田の美術史学者たちからはかなり嫌われいるようで、酒井先生の言葉を信じれば戦後、和辻の『古寺巡礼』は悪書だから読むな、と言われていたそうだ。


先生が編纂した教科書をあらためて見ると確かに早稲田関係者が多い。スクーリングに呼ぶゲストもそうであったな。
先生は今年で定年だから、通信の芸術文化学科の学風もそれから変わっていくのだろうか。

Posted by phonon at 2009年09月25日 22:12
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