2009年01月08日
お笑いから画壇へ
お笑いから政界へ打って出るのがはやったのは前世紀のことであったか。
お笑いで成功すると強力なもので、歌手にもなれるし俳優にもなれるし作家にもなれるし映画監督にもなれるし大概どんなものにもなれて、なれないのは天皇くらいではないかなと思う。
画家として成功した嚆矢は片岡鶴太郎であったか、先日中華料理屋で新聞を読んでいたらジミー大西画伯の展覧会のお知らせが載っていた。ここを読んで笑ったやつは画家になれない。画家は絵が売れるから画家なのである、売れないと犯罪を犯して新聞に載ると「自称」画家と書かれてしまうぞ。
ムサビやタマビを目指して勉強を重ねている諸君よ、そんなことはすぐにやめてお笑いを目指そう。などと書くと、手羽や竹林さんに怒られてしまうな。
とはいえ、鶴太郎やジミー大西の絵が後世に残るかと言うことは別の話である。
otoryoshi@gmail.com
鶴太郎さんってお笑いだったんですか!知らなかったです……
けど芸能人って名前が売れている分その後どうとでも身を振れる印象があって、最近は羨ましいなとも思います。
だってヘタクソな共感も関心も湧かない絵を描くアイドルがイラストレーター気取りできる時代ですよ…
鶴太郎さんの方がはるかに日本画(ボソ。)
作品なんて好き嫌いで判断する人が多いけれど。そんな主観的で曖昧なものは時代の気分で一発で消えてしまう、というかそれだけで判断すると大半の絵は無価値になります。
日本画の価値なんてかなり怪しいものがあるので、(はっきり言ってしまえば独創性なんてほとんど関係なく、いかに教授に気に入られるかが鍵です。というよりしばらくはその教授のコネに頼ることになります。コネも実力のうちなのでコネそのものを否定するわけではないのですが、学生時代は面白い絵を描いていたのに画壇に入ったとたんつまらない絵になる人が多いのも、ある種のレッテルと引き換えに失うものもあるので仕方ないかもしれません。画壇に関してはもっと大きな理由があるのですが、かなりブラックなので伏せます。80年代の芸術新潮あたりがその辺を「匿名座談会」で言及しているので古本屋で立ち読みするのもいいかもしれません。)ボクは正直心から好きになれないところがあります。人間的にすばらしい教授も何人かいるにはいますが、面白いことに非常勤の先生や画壇の地位が低い人にそういう人が多い気もします。もっとも絵の世界のみで生きる人はそれを覚悟しているところもあるし、それを通して苦労しているので彼らを一方的に非難するわけにも行かないのですが。
とにかく、「好き嫌い」という曖昧な判断以外のものが必要となれば「芸能界」という箔が有効に機能するのは仕方ない気もしますね。売れなきゃ「自己責任」の一言で終わりだし。
一番分かりやすい箔はフリマなどで実際に絵を売ってみて、その結果の「売り上げ」になるのでしょうか?美術のビジネスやあまりの酷さに「絵を見るのは好きだけれど、それで食うのは嫌だ」という人は結構います。
もちろん外国では論文やそれを推薦する人が「箔」になるという文化の土壌をもつ国もあります。
helveticaさん、
鶴太郎が20代の時にはかなり過激な芸をしていましたよ。
声帯模写かなんかの弟子らしいですけど、ビートたけしの弟子のようなこともしていたはずです。
ANNWNさん、
実はどのような世界にもコネのようなものはあります。師匠や先輩に引き立てられると言うのはどこでも大なり小なりあって、いい悪いが一概にいえないところが難しいですね。このシステムでだめなやつが引き上げられることもあれば、埋もれた才能が世に出るときもありますから。
また、絵のような実用品でないものが売れる売れないと言う問題は、芸術文化学科の論文として面白いテーマになりそうです。ムサビコムメンバーの誰かがやってくれないかな。
TVタレントのアーティスト化ということで、「アーティスト症候群」という本を思い出しました。
批評の面に関しては自分の能力が低すぎて判断できかねますが、
著者が藝大彫刻科を卒業しているからなのか、感情面では共感できるところもあったりなかったり。
赤岩君、
本物のアーティストだったらいいんではないですか。北野武はそうですよね。
helveticaさんが書いているようなアーティスト気取りは見苦しいですけれど。
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