›2008年06月29日

電線がない...


昨日、家を出て近くの大通り沿いを歩いていると、なんとなく空が明るい。見上げてみると電線が撤去されていた。あればじゃまなような気がするし、ないと何となくさびしい。
黒澤明の『生きる』の最後の場面では、電柱電線越しに見える夕焼け空が観客の印象をより深くしている、と思う。


この通り沿いの電線を埋設する工事が始まったのは何年前だろうか、始まるときは近所の風景がすっきりしていいなあと思っていたけれど、いつまで経っても終わらないので、すっかり忘れていた。


家から出てその通りとは反対側に歩いて別の大通りに出ると、こちらは引っ越した時にすでに電線は埋設されていて、沿道は緑が整備されていて、『建築マップ横浜・鎌倉』になんとかアベニューとして紹介されている、というと高級住宅地に住んでいるようだけど、そんなことはなくて普通の昔ながらの日本の街だ。


沿道ではこれから電柱を撤去する工事と、歩道と植栽の工事を始めるはずで、そうするとまたうるさくばたばたするのであろうなあ。


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›2008年06月27日

今、話しかけていいですか?

今所属している部署の庶務の女性は、僕の席に来て仕事の話をする前にわざわざ「今、話しかけていいですか?」と断る。話しかける相手が高尚な技術的問題に頭を悩ませていると思っているのだろうか、ちなみに僕は夏の京都奈良旅行で頭が一杯なのである。


気軽に行ける場所でないから、なるべく効率よく回りたいと思う。でも、夏は気候が厳しいからたくさんまわるとへとへとになってしまう。せっかくの旅行なのだから、楽しく余裕を持って見て回りたい。
とはいえ集中して見ているだけでも案外と疲れるもので、今月初旬の旅行で法隆寺に行ってじっくりと見て回ったら、それだけでへとへとになってしまった。


なんとなく訪れてそこにある美術品になんとなく感心して、という観光の仕方は卒業したと思っている。今回見て回るのも2度目3度目のところ、ムサビ通信で勉強した成果を踏まえてあらためてじっくりと眺めてみたい。


夏の京都奈良の暑さは尋常ではなくて風があっても熱風で息が詰まるほど、こんな中を歩き回るとビールが飲みたくなるんだよなあ。午前中回ったら、昼はビールを飲んでホテルで昼寝をして、それからまた出掛けようか。でもそうすると午後の暑気の中へ出たくなくなるよなあ... などと悩みは尽きないから仕事中話かけてもらいたくないのである。


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›2008年06月25日

夏の京都奈良は暑くて大変じゃよ。

今月、京都・奈良へ行ったけど、見落とした所がいくつかあるので夏にまた行こうと計画をたてた。ネットの予約サイトで京都のホテルを探したけれど、自分の日程に合った日は空きがなかった。


しようがないので奈良のホテルを予約した。京都は金がないと面白くない街であるとすれば、奈良は金があってもなくても面白くない街、つまり無駄遣いをしない。大体買うものが何もないから。飲み屋にしたっていいところはない(とはいえ一軒だけ安くて肴の旨い居酒屋を知っている、ここにたどり着くまでにどれだけ年月がかかったか)。


だから奈良ではいいホテルに泊まって、夜は部屋で関西ローカル番組をみながらゆっくりビールを飲むのが良い。ということで最初は奈良ホテルに泊まろうと思ったけれど、空きはあったもののいつの間にかべらぼうに料金が高くなっている。また以前は宿泊のみで予約できたのに、今は朝食の茶粥セットを付けなければ予約できない。


たしかに本館の食堂はいい雰囲気で歴史もあって一度は食事をとるのもいいけれど、またあの「茶粥セット」は有名で要予約のものだけれど、大して旨いものではない。
同じく本館の「ザ・バー」は好きなバーだけど、バーテンダーによって飲み物やサービスの質が大きく異なってくるようだ。


京都奈良は最近オフシーズンでも宿泊料金が高くなった上に、予約が取りにくくなっている。これは日本人の目が古都に向いたというだけでなく、海外からの観光客が増えたことが大きく影響していると思う。


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›2008年06月23日

サンマー麺、とうっ!


東京にいたときはもやしソバが好きで中華料理屋に入れば大体これを頼んでいたけれど、横浜に転居後もやしソバを食べようと思ってもメニューにないので当惑した。
横浜にはサンマー麺というものがあって、これがもやしソバに代替するものだということに気づくまでずいぶんと時間がかかった。もやしだけでなく、にんじんとピーマンの細切りと白菜が入ったあんかけソバで、浜っ子は好んで食すようだ。また、酢をかけるのが正しいやり方と聞いたけれど、酢を好む人はサンマー麺に限らず他の中華ソバにもかけているように思う。


目黒不動前に勤めていたとき、昼はわざわざ目蒲線に乗って一つ先の武蔵小山まで行ってそこの中華料理屋で食事をすることがたびたびあった。中華ソバ類には酢と豆板醤のようなものを入れることを強く勧める張り紙があった。確かに、酸味と辛味がラーメンを引き立てた。有名な店のようだったけれど、屋号は忘れてしまった。


そんなのんびりしたサラリーマン生活をエンジョイしていたら、どうしても米国に赴任しなければならなくなって、かなり抵抗したけれど半年行くことになった。
東部の田舎町で、食事には苦労した。洋食はすぐ飽きて、もっぱら中華料理屋に通った(日本料理屋へは車で40分ほどかかるので、滅多に行かなかった)。定食はスープが選べて、卵のスープと、酸味のあるスープ(Hot and sour soupと言ったっけ)、とあともう一つあったけれど、判で押したようにHot and sour soupを頼んだ。


アメリカで食べたものでおいしいものは何もなかったけれど、帰国後この酸味のあるスープは時々思い出してまた食べたいと思った。そんなことも忘れかけ始めたころ、中華料理屋で酸辣湯というもの出し始めて、食べてみると確かに近いのだけれどやっぱり少し違うようなのだ。


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›2008年06月20日

特盛君

昼、牛丼屋に入って特盛を頼んだ。食べたらしょっぱくて、のどが渇いた上に胃がもたれた。


拳法の町道場に通っていた時、吉野家に入ったら必ず特盛と大盛を頼む人がいた。小柄で痩せていて、その頃40代後半だったと思う。奥さんに怒られて反省して、「最近は大盛と並で我慢するようにしました」と言っていたっけ。


とあるキー局にお邪魔した時に社員食堂に行って、局の人から「ここはカレーがうまくて...」というよく耳にするフレーズを聞いた。メニューに特盛があったからそれを頼んだ。「音量子さん、今日は頑張りますね。」と言われたけれど、食べてみて後悔した。
その局に出入りしている制作会社の人で必ず特盛を頼む人がいて、皆から「特盛君」と言われている人がいた。台本にもふざけて「特○盛○」と書いてあった。


初めの特盛牛丼に話を戻せば、やっと食べ終わって勘定をしているとき、肩をいからせて入って来たちんぴらが特盛を頼んだ。店の人から、「まいど!」と声をかけられていた。牛丼屋でそんなことを言われたとしたら、本当に恥ずかしいよな。


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›2008年06月19日

今回の旅、での会話


・JR奈良駅前のベンチで話しかけて来たひまそうなじいさん

「にーちゃん、わし腰を悪うしてな。病院行って来たとこなんや」
「あー、煙草忘れてしもうた。一本くれるか」
「今年は阪神やな」
「わし、若い頃プロ野球にいててん」
「わし、いくつにみえるか」
「そうやろ、若く見えるやろ。でも、もう70に手が届くねんで」

早く腰を直して元気になってください、と言って別れた。


・白川沿い、焼鳥屋の女将(何年か前まではきれいだったが、今はおばさん)

「今日も暑かったな」
「前の川に蛍がいるねんで」
「今頃かなあ、6月。蛍がいるのは」
「そんなにいーへん。一匹やったか、昨日見たのは」

昔の話になって、

「ここは昔は川沿いまで家が建ってて」
「強制疎開で道が出来たそうやけど」
「戦後、おじいさんが土地を買い増しなはって」

京都に来始めた12年前に親しくなっておけばよかった。


・縄手のスナック「B」の女の子(という話だけど絶対男と思う、いつから「B」はおかまバーになったのだ!?)

「嵯峨芸術大学出たんです」
「本当はもっといい大学行けた、と思うんですけど」
「面白かったんのは、どこかなァ。キャバクラのデザインをやってたんです」
「責任持たされて収入も良かったんですけど。店長会議に出ると皆んな怖くて、とくに怒られると。そんで、辞めてしまいました」

別の女の子の話になって、顔がてかてかしているからやつはごま油でも塗っているのかと言ったら、

「ちがいますよ、ラー油やと思います。あの人、辛いもん好きですもん」


(文中、奈良弁、京都弁があやしいのはご勘弁。当方、関東生まれの関東育ちなものゆえ)


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›2008年06月14日

ホモ串かつ

先斗町をぶらぶらしていたら新しい串かつ屋ができていて、なんとなく気になったところに前を歩いているがたいのいいおっさんが「この店、七条にもあるやつやないかァ」といって連れのキンキンラキンのおねえさんと入って行った。京都のやくざはどんな酒の飲み方をするのだろうと思って、続いてその店に入ってみた。


席に座ってメニューを見ると飲み物だけで、串は店の人が適当に揚げてどんどん出し、客はお腹がいっぱいになったらストップする、というシステムだった。前に横浜で同じような店に入ったことがあるな。


こういう店は苦手だが、店員が問答無用で料理を出して来るだけあってたしかに旨い。でも、脂っこいものを6〜7本も食べればもういいやという気持ちになる。
店の人にストップをかけたら、両手を握りしめて「次はサーモンのいくらのせで、うちの一番自慢の品です... いかかでしょうか」と言って身をくねらせた。「じゃあ、それを最後にして出してみてよ」と言ったら、にっこり笑ってスキップして揚げ場に戻った。やつは絶対ホモに違いない。


大体、揚げ場でスキップするな。危ないではないか。ホモの串揚げなんてだれも食わないぞ。


そう考えてみると、ビールを持ってくるおにいさんはがっちりして色白で赤岩君のようだけれど、注意して見てみると若干なよなよ感がある。こいつもホモだな。


揚げ場にいるもう1人はメガネで色白で、強引に考えれば手羽風ホモとも言えるなあ... さっさとこの店、出よう。


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›2008年06月09日

ヨロレヒ

手羽さんのブログコメントを読んでいると、学生のお母さん方が「息子は大学の話をしてくれなくて」と書いていて、でもそんなもんだし、話す方が変だなと思う。もし、息子さんが家に帰って来て「お母さん、今日は大学でこんなことがあったの(くねっ)」と言ったら気持ち悪いし、そんなご子息は長じて「お母さん、今日は会社でこんなことがあったの(くねっくねっ)」と言うようになって大変気色悪い。


お母さん方も、息子さんが美術大学に行っているから話を聞きたいのだろうと思うし、もし哲学科に進んでいたら頼まれてもソクラテスやプラトン(くねっ)の話なんか聞きたくないだろうと思う。


とはいえ、ご父兄が学生のサイトに書き込むこと自体が、ちょっと奇妙なことに僕には思える。


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›2008年06月08日

10年後のじぶんへ

きみがこれを読むころには、もうxx才ですね。拳法をつづけて、元気でいてもらいたいものです。


さいきん、父親の具合がよくありません。とおくない将来、天に召されるとおもいます。自分の肉親が年老いてつらい思いをしているのを見るのは、悲しくてさびしいものです。


そんなことを考えていると、父親が元気で警視庁の猛者といわれていたときのことを思いだしました。でも、そんなことも遠い日々になりました。


今、ムサビ通信というところでべんきょうをしています。これが何になるのだろうか、と思ってもなににもならないでしょう。でも、べんきょうしたいからべんきょうをしているのです。
20代までは美術にまったくきょうみがなかったのに、不思議なものです。


さて、10年後の自分は一体なにに興味を持っているのだろう。


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›2008年06月03日

あなたのバリューはレベルxです

この頃、上司から個別に呼ばれてあなたの評価はこれこれです、との説明がある。ということで10日の朝、預金口座の残高をチェックする前にボーナス額が分かる、ということになる。他社でもこんなことやっているのだろうか、自分の勤め先が多数派なのか少数派なのか分からない。


来月には、また上司から個別に呼ばれてあなたの給与はこれこれです、と言われる。ついでに、今年度の業務目標を書いた紙にサインをさせられる(ただし、こんなえげつないことをさせられるのは管理職のみ)。給与額を申し渡される時、あなたの価値はこの程度です、と言われているようで落ち着かない。と同時に、部長さんから働きが悪いんではないかい、ということをやんわりと言われたりすることもある。確かに、仕事と同程度にムサビ通信に力を入れているから、こんなことにもなろうかと思うけれど、仕事ばっかりでは人生つまらないんではないかい、とも思う。


とはいえ、美大の先生に認められるより工学部の先生と仲良くなるほうが目下の自分の人生にとって有益であるのは明らかで、とは言ってももう少し長い目で見れば一時期美術の勉強に打ち込んでみるのはかけがいのないことである、とも思う。


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›2008年06月02日

学習進捗状況 08年度 6月

必修で受講しなければならないスクーリングは卒業制作のみになりっ。


卒業所要単位数(残り)
造形文化科目 0
造形総合科目 4
造形専門科目 14
造形文化+総合科目 4


[造形文化科目]

西洋美術史II
第1課題 合
第2課題 合

文学
第1課題 合
第2課題 合


[造形総合科目]

コンピュータグラフィックス
第1課題 添削中


[造形専門科目]

メディア論
第1課題 合
第2課題 合

媒体組成研究
第1課題 合
面接授業 合


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›2008年06月01日

サバオとの対話

音量子「僕は絵を描く、ということから逃げていたのかもしれない」

サバオ「...」

音「でも、ムサちゃんタマちゃんのキャラクターに応募したことが僕を変えたよ」

サバオ「...」

音「僕としても自信作が描けたと思う。何か心が吹っ切れたというか、描くことに対して物怖じする気持ちがなくなって来た」

サバオ「...」

音「武蔵野美術大学の広報課の人たちも喜んでいると思う」

サバオ「...」

音「武蔵野美術大学の教授陣も感心している思う」

サバオ「...」


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