2008年07月17日
ルネッサンス・タトゥー
ムサビ通信に入学してどれくらい経った頃だったか、美術館に行ったり古都の寺社を巡ったときの感想を手帳につらつらと綴り始めた。
ぱらぱら読み返してみると、何を見たかよりどういう天候でとか美術館の周りの景観はとか、混んでいるとか空いているとか、そんなことの方が書いている分量が多い。
美術館がある場所、というのは重要なことと思うし、ゴミゴミしている所よりは開けたところにあった方が気分がいいし、といっても不便なところにあるとそれはそれで立ち寄りにくくなる。
ちょっと話は飛ぶけど、京都の魅力は寺社や活気のある街が東山、北山に抱かれて、鴨川や白川や高瀬川がゆったりと流れている、ところにあると思う。周囲の自然とそこから連想する歴史がなければ、この街が人をひきつける力は半減してしまう。
時々休みを取って京都奈良をぶらぶらできれば良いから、海外旅行に出掛けたいとは思わなかったけれど、西洋美術史を勉強してフィレンツェやローマには行きたくなった。行きたくなったからといって行動を起こすつもりもないのだけれど、ミケランジェロの「最後の審判」は実物を見てみたいと思うし、この絵が描かれているシスティーナ聖堂はどういう建物なのだろうか、と思いをめぐらす。多分、重厚で薄暗くて静謐で、そんな建物の中でミケランジェロの絵をつくづくと眺めてみたい。
優れた建築物だからこそミケランジェロも腕を揮えたのだろうと想像し、長い月日にわたって人々に感銘を与え続けたのだろうと思ってみる。
大体、あの絵が近所の銭湯にあったらと考えるといやだものな、洗い場にいるやくざが「貢の銭」の紋々を入れていたとしたらもっといやだろうなー、と酔っ払った頭で考えてみた。
otoryoshi@gmail.com
Posted by phonon at 2008年07月17日 00:06
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