2008年07月08日
西洋美術史I 第2課題
だいぶ前に書いたレポート。
唯一神を信じるユダヤ教、イスラム教、キリスト教は偶像崇拝を禁じているが、何を偶像と見なすかは宗教によって見解が分かれる。キリスト教では、礼拝対象を像の表現するものと見なすことで、この矛盾を乗り切った。
普通の平信者は、たとえ文字が読めても、聖書を読むことを禁じられていた(堀田善衛「路上の人」新潮社)中世にあって、道徳、教育、価値観を支配した教会が、美術制作の指導的役割を果たした(前田正明監修「西洋美術史」武蔵野美術大学出版局)のは当然と言えよう。
I 初期キリスト教時代
キリスト教においては、唯一絶対である神ではなく人が作った像を拝むことは、偶像崇拝として禁じている(出エジプト記)。しかし、初期キリスト教徒は偶像否定の立場を取りながらも、ギリシャ・ローマ美術の遺産を引き継ぎながら、キリスト教美術の基礎を作った。ローマ市周辺に遺るカタコンベ(共同地下墓所)には、壁画や石棺などの初期キリスト教時代の美術遺産がある。
偶像否定の立場からキリストを直接図像で表現することを避けて、魚や子羊で示したり、タイポロジーの手法が用いられたりした。つまり、聖像否定の立場から徐々に図像学(イコノグラフィー)が確立していく(前田正明監修「西洋美術史」)ことになった。
313年のキリスト教寛容令後に建てられた聖堂は素朴なレンガ積みであるが、内部は大理石やモザイクで飾られていた。ラヴェンナのガラ・プラチディア霊廟のモザイク壁画「善き羊飼い」は、羊飼いの姿で表現されたキリストであり、十字架を象った杖を手に持ち、威厳をもって絵の中心に佇んでいる。羊は衆生であり、右手で優しげに羊の首を撫でている。
II ビザンティン
ヘレニズムと古代ローマの伝統を基礎に、小アジアの影響を受けながらビザンティン美術は発展した。宮廷の荘厳さや装飾を取り入れる一方、精神的霊的世界の可視化を追求している。
前期においては、ローマ帝国の国教としてキリスト教が伝播して行く過程で聖像が数多く制作されたと推測されるが、730年ビザンティン帝国の皇帝レオ3世が聖像を禁止したことから、イコノデュロス(聖像肯定派)とイコノクラスト(聖像破壊論者)の対立が始まり、その後約100年は聖像表現の発達は見られなくなり、また多くの遺品も失われてしまったと考えられる。
その後のイコノクラスムへの反動から様々な図像表現が生まれるが、ビザンティン美術の最後の輝きを示したパレオロゴス朝におけるカリエ・ジャミ、これはビザンティン美術において人間性表現の頂点をなしている(H.W.Janson、A.F.Janson 「History of Art: The Western Tradition」Prentice Hall)。その壁画の「アナスタシス」は、キリストが地獄に堕ちたものを救い出す場面を描いている。中心に描かれたキリストは、足を踏ん張り力を込めてアダムとイブを棺から引き上げようとしている。われわれがステレオタイプ的なイメージとして持っている「奇跡」とは異なっている。
III 西洋中世初期
4世紀後半より始まったゲルマン民族の大移動は、ヨーロッパ各地に王国を打ち立てるに至り、その後の旧西ローマ帝国との融和の過程からキリスト教化し、独自のキリスト教美術を生み出すに至った。
メロヴィング朝に仕えていたカロリング家が次第に実権を握り、カール大帝とその後継者の時代、8〜9世紀に発展したカロリング朝美術は、カール大帝の古典復興の意思を反映し、ここにおいて古代ギリシャ・ローマ文化とキリスト教が融合したと言われている。その後のオットー朝は、カール大帝の遺志を引き継ぎ、この時代の美術はそれに加えて初期キリスト教時代への関心やビザンティン美術の影響が見られる。
この時代の代表的写本彩飾画「オットー3世の福音書」には、中心にルカが描かれ、膝には福音書を置き、頭上には雄牛、預言者、天使が描かれてそこから光がそそいでいる。足下には、子羊が泉から水を飲んでいる。各図像が、キリスト教の主題を端的に表している。
IV ロマネスク
11世紀に入ると、ヨーロッパにおける侵略と破壊の時代が終わり、社会が再建設の方向に向かう。その過程で教会や修道院の再建や新たな建築が始まり、聖堂建築や彫刻、フレスコ壁画が発展した。
この時代の彫刻は、聖堂建築と密接に結びつき、聖フォワ修道院の「最後の審判」や、サン・ティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂の「栄光の扉口」のように、壁面や柱に浮き彫りで表現された。
V ゴシック
12世紀後半、ヨーロッパにおける都市の成立・発展に伴い、聖職者や封建領主だけではなく、裕福な平信徒や大学の知識人が文化の担い手として登場してきた。その影響もあり、美術は現実世界に目を向けた自然主義的な様式が生み出されることとなった。
ゴシック建築は、窓を大きく明けて光を取り込み、さらにステンド・グラスよって聖堂内が神秘的な光で満たされるようになった。また、円柱人像から丸彫り彫刻へと古典時代に戻り、その表情も自然主義的な特徴を持っている。
シャルトル大聖堂の聖人像にみられるように、像は必ずしも等間隔で並んでいるというわけではなく、背の高さも均一ではない。姿勢も自然で、表情も柔和である。
この像の質の高さは写実から来るのではなく、均衡のとれた造形による穏やかさにある「History of Art」。
otoryoshi@gmail.com
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