›2007年06月30日
課題にかかる時間
今までを振り返ってみて課題にかかる時間を計算してみると、僕の場合、1課題に大体1ヶ月かかっている。当方勤め人だから課題にかける時間は週末しか取れなくて、それも土日いっぱい時間が使えるわけではなくて、一人暮らしゆえ家事をしなければならず近所付き合いもある。
通勤時間と食事時間は教科書や参考書を読んだり、科目試験準備に使う。
祝日があると課題が進みそうだけれど、僕は普段できない用事をしたり、遊びに行ったりもするから、ほとんど捗らない。
時間もお金も限られているわけだから手堅く行かなくてはならないけど、最近は造形文化科目の「物理」の教科書を読んでいて、記述に疑義が出てくると大学の時の教科書を読み返し、数式の部分で分からないことがあると、何かいい数学の本がないかとAmazonで探していて我に返ったりする。
そういえば、Amazonで『ムサビ日記』を検索してもまだヒットしないなあ。本を読んだ人がどんな感想を書いてくれるか楽しみにしているのだけど。
›2007年06月29日
ムサビ通信の夏
打合せでちょっと目を離したすきに、開発用の機械が自席に何台も置かれていた。もっと仕事をしろということか。
これから暑い夏が始まるというのに、熱を発する機械が増えてうんざりした。既に机の上にある、DELLのワークステーションやVAIOのデスクトップやVAIOのラップトップ2台やiBookをどかすか寄せないと、これらの機械が置けないわけで、今日も暑いのにご苦労なことだと思った。
僕が夏のスクーリングに出席したのは英語IIIの1科目で、しかも午前中だけだったけれど暑さにはこたえた。昼、ホールで食事をしてから、図書館で3時間ほど調べものをして帰宅する3日間だったけど、ちょっとだけ学生の気分になった。
夏は懇親会が開かれるけど、できれば出席したほうが良いと思う。自分が所属する以外の学科の雰囲気はまた違うし、そこに所属する学生の雰囲気もまた違って面白い。
とは言え、通信にお酒を飲みながら親しく話す友人はまだいないので、小一時間ビールを飲んでからそこを出て、荻窪のスナックに飲みに行ってしまった。
›2007年06月26日
「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」
東京国立近代美術館「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」を観た。
「知られざる全貌」とはちょっと大げさで、たとえば展覧会と同名の写真集"De qui s'agit-il?"を見れば、カルティエ=ブレッソンの全貌をそれなりに知ることができる。
写真家本人も述べているように構図が重要で、いわゆる古典とよばれている作品は構図の面白さに依っているように思う。しかし、その後いろんな人がまねをしてしまったようで、今見ると新鮮さに欠けるけれど、発表した当時は人々に驚きを与えたろう。
日本をテーマにした作品がいくつかあって、大徳寺大仙院の写真は、庇と建物で庭園が縦長に切り取られたもので、ちょっと日本人には思いつかない構図と思った。同じようにユニークなのは団十郎の葬儀の写真で、喪服のすすり泣く女性群像がアップで撮られていること。キャパが撮った写真、戦死したイタリア人少年を嘆く女性群像を思い起こした。
›2007年06月25日
『What is Art?』
英語I・IIの教科書、Rosemary Davidsonの『What is Art?』(Oxford University Press)は良い本と思う。もともとは中学生か高校生向けの美術読本だろうか。むずかしい理屈から入らずに、そもそも物はどう見えるのかとか、人々の生活における美術への関わり方とか、画家はどうやって絵を描くのかとか、芸術家はどうやって生活しているのかとか、高尚にもならず卑近にもならず楽しい解説書となっている。
高校生の頃、芸大出の美術教師の言葉が記憶に残っていて「ダヴィンチの絵画も、大江健三郎の小説も、なんとかの舞台も、すべて芸術は構成である。」そんなこ難しいことを言うから、美術が好きになれないのだ。
中学生か高校生の頃、この本に出会っていれば自分の志向も変わったろうと思う。僕が美術に興味を持ったのは、30歳を過ぎてからだった。
›2007年06月24日
さびしいおねえさん作戦
野良の子猫が早々と裏のおばあさんに取り入ってしまって、このままだと左隣のおばさんに可愛がられ裏のおばあさんに可愛がられて、その中間点の僕の庭はまた猫のトイレになってしまう。
玄関のそばでじゃれ合っていた子猫の一匹をひっ捕え、家の前をさびしいおねえさんが通るのを待った。おねえさんが通る直前に、ひょいっと子猫をはなす。そうすればおねえさんは、「あら子猫がいるわ。ほらほらこちらへいらっしゃい。さびしかったでしょ」とでも言って、自分の家へ連れ帰ってくれるかもしれないから。
でも自分が短気だということを忘れていた。いらいらしながら待っていても、さびしいおねえさんは全く通らない上に、汗だくだくで歩いてくるおじさんや、人を人と思わない大通り沿いの鮨屋の若い衆、自分の車以外には何も興味がない近所のおにいさんしか通らない。
作戦を変更しよう。
›2007年06月23日
チビ
朝起きたら子猫が二匹、庭を跳ね回っていた。人が見たらかわいいと思うのだろうけれど、成長して悪さをすることを考えると、気分が重くなった。
庭に出て一匹の首根っこを捕まえて顔をまじまじと見る。ひねこびた目をしていて本当にかわいくない。もう一匹もつらまえて見たけれどかわいくない。後ろから見ると子猫らしいかわいらしさはある。
そばで母猫が怒っているので見ると、おまえはチビではないか。2年前、近所のおねえさんたちの人気をさらい、一身に愛情をそそがれたお前も大人になったのか。
音量子はお前がうらやましかったのだぞ。
›2007年06月22日
おれに教科書を読ませろ
気合いを入れて通信の教科書を読み始めたら、とたんに仕事が忙しくなった。人生はこういうものだと思う。
最近あまり残業をしていなかったから、働きが悪いと思われいていくつもテーマを持たされた、ということは部長さんからの話で分かった。
社員食堂で夕食をとってから、夜はあーでもないこーでもないといつ終わるか果てしのない会議が始まる。これはもう我慢比べで、疲れた顔を見せたら負けになる。
疲れつつも帰りの電車の中で教科書を読み、居酒屋で軽く飲んで帰ったりするけど、不思議とこんなときこそ勉強の成果があがったりする。
›2007年06月20日
子猫の季節
今朝、玄関を出たら、子猫が自転車の陰にかくれてふるえている。それを見て、また子猫の跳ね回る季節になったかと思った。
毎年繰り返されることだけど、左隣りの家に野良猫が子猫を生む。その家のおばさんが子猫をかわいがる。少し大きくなると、自宅の庭にやって来て飛び跳ねる。だんだん行動範囲が広がってきて、裏のおばあさんの家に出入りするようになりさらに可愛がられる。
昼間は自宅の庭で遊んで、糞尿をしてからおばあさんの家に帰るようになる。その量は神経に障るほどで、週末は後始末に時間を使い忍耐をさせられるのだ。夏になり、秋になって冬になって年があらたまって、成長した猫は春から初夏くらいに何処かへと去ってしまい、束の間の平和が訪れるのだ。
子猫の顔を覗き込むと可愛くない。近所の野良猫はなぜかひねた目をしていて、その遺伝もあって、子猫なんだから少しは可愛らしい感じがするはずだけど、本当に可愛くない。首根っこをつかまえて、ちょっと遠い公園に捨てに行こうかという衝動に駆られた。
誰か野良猫に糞尿をさせない方法をおしえてくださーい!
›2007年06月19日
造形文化科目「物理学」
物理学の教科書、アインシュタイン、インフェルト、石原純訳『物理学はいかに創られたか 上・下』(岩波新書)の上巻をとりあえず読んでみた。数式の入っていない本を選んだのは、美大生に対する配慮と思う。だけど数式のない科学の本を読むのは、ガス欠の車に乗るのと同じようなものかな。なぜなら科学は定量的な学問だから。
とは言え、名著として世評の高いこの本にめぐり合えたのは嬉しい。高校の物理では最初、慣性の法則を習うと思うけれど、多くの学生は教師の説明に分かったような分からないような感慨を覚えるのではないだろうか。本書では、ガリレオ・ガリレイが純粋な思考実験からこの法則を導き出したことを説く。物理学科卒でありながら、僕はこれをニュートンの洞察と誤って記憶していた。
分かりやすい本だけに、やっぱり数式が少しはあってもよかったのではないかと思う。定量的なものを文章であらわすのはまだるっこしいし、また微積分法は、紙や火薬や車輪と同じくらい人類の偉大な発明品と思うから。
物理学はいかに創られたか?初期の観念から相対性理論及び量子論への思想の発展 (上巻) | |
アインシュタイン インフェルト 石原 純 おすすめ平均 高校時代に出会いたかった本 観念の世界と現象の世界との関係 物理学はいかに創られたか知る一冊! ノーベル物理学賞・小柴昌俊氏が物理学に目覚める契機を与えた好著(上巻) 物理学は、「人は自由な創作をする存在である」ことを示している Amazonで詳しく見る by G-Tools |
›2007年06月18日
『ムサビ日記』(税込み1,260円)
本で皆のブログを読むと、PCで読むのとはまた違った印象があって、赤岩君のブログはPCで読むより印刷で読むほうが面白くて、tankさんのブログはPCの画面で見たほうがパンチがあるように思う。とはいえ、そのしゃれっ気は印刷したもので十分楽しく読めた。
選定されたブログは遊び心があるものの、結構まじめなものが選ばれていて、真摯に制作に取り組む学生の姿が見えてくる。本だけをみれば僕なんかも人生の諸問題に正面から向き合っているまじめなサラリーマンとなっているのだな。
通信の芸術文化学科で「編集研究」の単位を取ったけど、ハムコさんがムサビコムをどのように編集したかについて語る力は全くない。
是非、本を手に取って見てください(7月上旬に本屋に並ぶとのことです)。
›2007年06月16日
手羽イチロウ監修『ムサビ日記』(武蔵野美術大学出版局)が到着しました
普段は11時半ごろ来る郵便屋がこなくて、なんでかなーと思い、12時ごろ我慢できなくなって郵便ポストを覗いてみると、『ムサビ日記』が佐川急便(郵便ポスト可)で来てるじゃーん。
ひだまりさんの装丁は女の子らしくてかわいらしい。美術書のように格調高いデザインになると予想していたけれど。
『ムサビ日記』ポストカードが何枚も同梱されていて、これは友人知己に配って本を宣伝しろというハムコさんからの指令と解す。了解了解。
›2007年06月15日
プレゼンをした日はお酒を飲みに行くのが好きです
おく★ともさんみちくさとりこさんのブログを読むと、オープンキャンパスでプレゼンテーションをされるようで、準備も大変だろうし、高校生は丸め込むのが簡単なようでいて案外無知ゆえのどきりとするような質問をするから、なかなか大変だろうと思う。
当方は先週今週と重要なプレゼンが続き、月曜日も朝一番で大切なプレゼンがあるから、今日はその準備をしていた。
こちらは生き馬の目を平気で抜いてしまうおじさんおばさんが相手だから手強いとも言えるけれど、そういう人たちは自分の無知をさらけ出すのを極度に恐れるから、ある意味御し易いとも言える。
とは言え、プレゼンでは自分の考えていること主張したいことを誠実に話すのが一番で、変に穿ったことを言ったり必要以上に聴衆を感心させようとするとうまく行かないことが多いようだ。
›2007年06月12日
10年前もスナックで飲んでいました
とあるメルマガで、『プレイバック 1997年』という記事があって、そういえばそんなこともあったなというありきたりな感想を持ちながら読んだ。
ワールドカップ初出場を決めた試合は、最後の方になってもう見ていられなくなって、テレビを消して寝てしまった。暗い中で寝返りを打つと、近所から歓声が聞こえたので、本大会出場が決まったのだと分かった。だから、中田がキーパーに弾かせて岡野の足に当てた伝説のシュートは見ていない。
京都旅行中に、友人の家元とひょんなことから入ってしまったコスプレパブで飲んでいると、スチュワーデスの格好をした女の子が勢いよく入ってきて「ダイアナ妃が死んだのよ!」と言った。その頃から人の言うことはとりあえず信用しないことにしていたから、また下らん冗談を言ってと思いながら酒を飲み続けた。ホテルに帰ってニュースを見て、そういえば飲み屋でそんなこと誰かが言っていたなと思い出した。
今は制作に悩んでいるムサビコムのメンバーも、十年前は純真な小学生だったのだなと考えると本当に不思議だなーと思う。
›2007年06月11日
またとりとめのない話
暦に関するメールマガジンを購読していて、今日は何の日だとか、今の旬の食べ物は何かとか、そんなことが書いてあるんだけれど、6月号を見ていたら11日はハワイのカメハメハ大王の日とある。僕にとっては本当にどうでもいい日なんだけど、カメハメハ大王の読みの正確な区切りは「カ・メハメハ」だそうで、正式に読んだ方がおかしい。
造形文化科目の「物理」を履修登録していて、ちょっと反則かなとも思ったけれど物理は好きな学問で、また優を取らないと「お前、本当に物理学科を出たのかよ」と言われそうなので少々のプレッシャーはある。
なるべく楽をして単位を取りたいというのは大人になっても同じようで、英語IIIのスクーリングに出たら、帰国子女が案外と多かった。純粋に向学心から英語のスクーリングに出席した人はちょっと肩身が狭いようだった。まあ、世の中には建前と本音があるわけで、challengingな姿勢で登録する科目と、やや守りの姿勢で登録する科目とがあってもよいと思う。
›2007年06月10日
国宝 高松塚古墳壁画
文化庁監修『国宝 高松塚古墳壁画』(中央公論美術出版)が届いた。この本のハイライトは、当時の河合隼雄文化庁長官の名前で書かれた序言で、「幸い、30年を経ても壁画は大きな損傷あるいは褪色もなく保存されておりますが」の一節と思う。よくもいけしゃあしゃあと言ったものだと思う。図版を見ても、女子群像の損傷は明らかだし、白虎においては絵がほとんど消えている。
この本の2004年3月出版後、絵はさらに劣化してしまったけれど、現在の解体保存および今後の修復に期待してよいのだろうか。
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›2007年06月07日
創造性について
とあるメルマガを読んでいたらノーベル物理学賞受賞者の発言が引用されていて、かなり乱暴に要約すれば、「人の創造力は20歳がピークで70歳ではゼロ、せいぜい45歳くらいまで」とのこと。科学の世界ではよく言われることで、一昔前までは創造性は40歳までと言われていたけれど、最近は5歳伸びたようだ。
この話は神話なのか真実なのか、Webで探してみたけれど、「ノーベル賞受賞のきっかけとなった論文等が発表された時の受賞者の年齢等を見ると、創造性の面で高い評価を受ける研究成果は、個人差があるのは当然であるが、30歳代から40歳代前半に多く着想されていると考えられる。」(平成18年版『科学技術白書』文部科学省)、「考えられる」という弱気な発言の上に具体的なデータは示されていない。
科学から芸術に目を移せば、死にかけたおじいさんおばあさんが旺盛な創造性を発揮しているわけで、単純に何歳までという議論は説得力に欠けるし、そもそも思慮に欠けるとも言える。
卑近な例で言えば、僕がコンピューターメーカーに就職したときには「プログラマー35歳定年説」がまことしやかに囁かれた。今となってはそんな話も聞かないし、勤め先では定年間近の研究者や設計者でプログラミングをしている人は少なからずいる。
›2007年06月05日
とりとめもない話
昨日はいきつけの飲み屋でひらめの薄造りなどをちまちまとつまみながら、ビール二本と焼酎の水割りを二杯飲んだ。僕にとっての適量で、翌朝はすかっと起きられるはずが今朝はものすごくつらかった。疲れているのかなと思い、整体に行って元気を出そうと思ったけれど、こういうときに限って予約が取れないのだな。
本当に体調がすぐれないためなのか、今日は別の行きつけの飲み屋に行って、まぐろのたたきでもつまみながらビール二本と焼酎の水割りを二杯飲んでみよう。
ムサビコムはオープンキャンパスの話題で盛り上がっているけれど、メンバーの皆はどんな顔をして授業を受けたりプレゼンをしているのだろうかと興味を持った。
学ランを着て受験生のふりをして大学に入ろうとすると警備員さんに止められてしまうから、スーツを着て父兄のような顔をして大学へ覗きに行ってみようか、などと考えてみてもそんな時間の余裕はないのだな。
ハムコさんより連絡があり、「編集装丁者・田村義也の仕事」の講演会が6/6(水)午後7時より行われるとのこと。講師は酒井道夫教授。詳細はこちらをご覧ください(http://www.papyrus-i.co.jp/hon/)。
›2007年06月01日
本の装丁
『ムサビ日記』の本のデザインはどのようなものになるのだろうか。武蔵野美術大学出版局のホームページを見ても未だ画像がupされていない。装丁はひだまりさんと聞いているから、猫がモチーフになるのだろうか。
本は美しくあってほしいと思う。ムサビ通信の教科書の、タイトル文字だけのデザインというのも好きで、他の大学が同じようなことをやるとどうしようのないものが出来てきそうだけれど、美術大学ゆえかすっきりまとまったデザインになっている。
自分にとって好きなデザインの本というものを考えてみたけれど、岩波文庫、岩波新書、新潮文庫の三島由紀夫の本あたりかなあ。僕自身はすっきりしたデザインのものが好みであることがあらためて分かった。
最近は凝った装丁の本が少なくなった、コストのゆえだろうか、そんなことを酒井教授がスクーリングで話していたことを思い出す。
そんな中で、沼田元氣が『横浜お出かけガイド』とか『京都スーベニール手帖』とか凝りに凝った装丁のものを出しているけど、遊び心が見えてなかなか楽しい。