›2007年03月31日

新年度

大学4年生は明日から実社会に出るわけで、ムサビコムの4年は顔を知っている人が多いから、喜ばしい気持ちがすると同時にちょっとさびしい気もする。


社会人になれば新年度とはいっても制度上の会計年度が切り替わるだけで淡々と新しい年度に移行していくだけだけれど、今年は4月1日付けで会社の組織に大きな変更があり、実際に自分の仕事に直接関係のある変更だから、いろいろと考えることもあり、また自分に与り知らぬところで政治力学が働くから、それなりにストレスがある新年度への移行となった。


先日、新しい部署の結成集会のメールが届いて、結成集会といっても会社の近所の中華料理屋で飲んでよたれるだけだけれど、そういえば昨夜帰りのバスが繁華街を通ると結構な人出で、今頃は送別会歓迎会のシーズンでもあるなと思った。

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›2007年03月27日

プレゼン技法

ムサビコムを読んでいると最近は学生にプレゼンをさせるようで、将来実社会で役立つものだから有益な授業をされていると思うし、学生の立場から見ると講義や課題をこなしながらプレゼン準備をするのは大変なことだろうと思う。
僕が大学のときは、物理学実験の授業で担当のテーマを割り振られて、年度の最後に発表をさせられたくらいだった。自分の考えていること理解していることを発表してみると、聴衆(といっても同じクラスの仲間)になかなか伝わらず、「自分の話を人に分かってもらうのは難しいことだな」ということを理解するだけで終わった。


一時期、プレゼンをするのが自分の仕事なのかなと思うような毎日もあったし、プレゼンテーションスキルの重要性もよく分かっているのだけれど、プレゼン関連の研修は受けたことがない。実際、プレゼン技法の研修が企業で一般化したのは21世紀に入ってからだし、研修を受ける必要性を感じていてもなかなか時間を取ることができない。


プレゼンをする時、聴衆の数が多くなるほど緊張の度合いが高まるのは誰も同じことと思うけれど、僕の場合はその閾値が100人くらいのようで、それ以上になると数日前から「きちんと話しおおせるだろうか」と不安になる。ということで僕なりの戦術を書いてみると、

1. 最初は淡々と話を始める
最初からジョークをとばしたりしない。すべると悲惨。

2. 最初の2、3枚は自分の話すことをベタに書いてしまう
聴衆の方を見ると緊張するので、始めのほうはスクリーンを見ながら話す。

自分の調子が出てきたら、冗談を言うなり身振り手振りを加えるなりする。

3. 質問は最後にまとめてしてもらう
話の腰を折られると自分なりの調子に乗れないため。その代わり、最後に質問時間は十分に取って丁寧に答える。

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›2007年03月23日

目蒲線の衝撃

東急目蒲線でひと駅の目黒不動前に勤めていたのは、SPEEDがまだ小学生だったからずいぶん前のことで、電車は土手の上をのんびりと走っていたし、まだ東急多摩川線などという奇妙な名前に変わってもいなかった。


目黒不動前はオフィス街というよりは住宅街で、落ち着いてもの作りが出来たし、不便な所というわけでもなかったので、ここを選んだ開発担当取締役の意図は当たったとも言える。
ある朝、いつものように目黒駅で目蒲線に飛び乗ると、目の前に身長180cm超のおかまが仁王立ちになっていて思わずのけぞった。


おかまは酔っぱらっているようで、「私、こんな化け物になってしまいました」と大声で何度も繰り返す。すると、座席にすわっている何も関係のないおばさんが「そんなことないわよ、きれいよ」と応ずるのだ。
おばさんは50代半ばくらいで和服を着て上品で、おかまが「私、自衛隊に入ってこんな化け物になってしまいました」と叫ぶと、あいかわらず「そんなことないわよ、きれいよ」と応じるのだ。
おためごかしのようではなくて、同情しているようでもなく、蔑んでいるようでもなくて、素直に話しかけるおばさんの口調を思い出せるし、このような落ち着いた大人になりたいものだとつくづく思った。

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›2007年03月20日

勤務地

今まで2回転職したからいろんなところに通勤したけれど、今思い起こしてみると、


新大塚  杖をついて歩いている赤尾敏を見た。背が高かった。

練馬  若村麻由美の家族が経営しているスナックが昼間にランチをやっていて、時々行くことがあった。お母さんが若村麻由美少し似ていて、妹さんはそっくりだった。

東池袋  巣鴨プリズン跡に出来たビルに勤務していた。真夜中に一人で仕事をしていると、いつも人の気配がした。

荻窪  春木屋のラーメンは高かった。

五反田  ビルの屋上にあるネオンサインが、全国ネオン大賞の第1位に輝いた。

目黒不動前  ミッキー・カーチスがアメ車のオープンカーを乗り回し、近所の小学校にSPEEDのうちの一人(hiro?)が通っていた。

品川御殿山  近くに昼食をとるところが少なくて、いつも北品川(昔の品川宿)まで歩いた。

厚木  ここに定年まで通うことになるのだろうか...

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›2007年03月18日

新卒

所属部署に何年かぶりに新卒が入るという話が部の会議であって、会議の参加者は色めき立ったけど、実際のところ勤務地である厚木の事業所は人気がなくて、また最近は面接の段階で勤務地と職種が決まってしまい、ほとんどの人が品川の本社を希望する。


周りを見回してみても新卒で厚木に来たのは関西出身者が多くて、だいたい厚木がどこにあるのか知らないから、神奈川ということで湘南というイメージを持っていたようで、実際に来てみると間近に山(丹沢山系)が見える田舎と分かってがっかりするようだ。そんなこと、あらかじめ地図を見れば分かるような気がするけれど。


田舎の上に米軍機がうるさく、犯罪が多くて人もトゲトゲしく、寒暖の差が激しいから体に悪くて、何の取り柄もない土地と言うと厚木市民に怒られてしまうけれど、春夏秋冬に見る丹沢山系はそれなりに美しく、どんなところでも一つは取り柄があるものだとも思う。

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›2007年03月17日

入社式

トモさん、鈴嵐さん、いろさん、una-pinaさん、MoMongaさん、tankさん、ひだまりさん、卒業おめでどうございます。次は、入社式ですね(鈴嵐さんの場合はどう言えばいいのだろうか。いろさんはまた入学式ですね)。


僕が最初の会社に入った年、4月1日の東京は大雪で、なれないスーツ姿で雪の中を会場に向かったことを思い出す。入社式の後はそのまま研修となって、夜、研修会場を出るとそこここに身に付いてないスーツ姿の若者が三々五々集まっていて、これから飲みにいく算段をしているのだろうけれど、初日からとばしてしまうのものなんなので、雪道に気をつけながら家に帰った。


何年も経って今の会社に移ったときに、ご丁寧にも中途採用者の入社式があった。さすが日本企業だと思った。自己紹介をして、会社の組織の説明を受けて、仕出し弁当を食べて終わりだったと記憶する。簡単に言ってしまえば経費の無駄遣いということになる。


とは言え、物事の初心に返るということは重要なことと思うし、物事を始めるにあたって心機一転することはその後の行動にいい影響を与えるとも思うし、とりあえず何となく春が来て時間が過ぎ去ってまた春が来てということの繰り返しよりはいいことのように思う。

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›2007年03月15日

卒業式

今日通勤途中で、はいからさんを何人も見かけて卒業式の季節だなと思い、ここ2、3週間忙しく不規則な生活を送ったせいもあって、そんなことにも気がつかなかった。


卒業したら、寿退社するか定年退職するか、作家になったら死ぬまで突っ走らなければならないわけで、とりあえず自分のことは棚に上げて、ごくろーさんと声もかけてみたくなる。


まあそういうことにもかかわらず、ムサビは明日卒業式ということで、卒業生のみなさんおめでとうございます。


僕のときは卒業が決まってから解放感もあってか、都内および湘南方面でずいぶんとおいたをしてしまったと記憶する。いま生きているのが不思議... ということで新生活前の大事な時期ですから、くれぐれもご自愛ください。

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›2007年03月08日

なぜ作品をつくるのですか?

取引先のテレビ局の人と話をしていたら、昨夜の番組の視聴率はこれこれで、他局の番組の視聴率は予想より良かったとか悪かったとかそんな話ばかりをするから、「局の方はいつも視聴率を気にしているんですね」と言うと、その人は「そりゃそうですよ。音量子さんの会社で言えば売り上げのようなものですから」と言われて虚をつかれた。
言われてみれば当たり前の話で、高視聴率番組の担当者は普通の会社で言えばトップセールスのようなものだろうか。そのテレビ局で最高視聴率を取っている番組のディレクターは肩で風を切って局内を歩いている(実際、廊下で跳ね飛ばされそうになった)。


とは言うものの、とある制作会社のベテランカメラマンさんと酒を飲みながら話をしていたら、「ぶっちゃけ、視聴者のことは何も考えていないんですよ。頭にあるのはライバル番組のカメラマンのことだけ」。番組作りは、金銭欲とか制作欲とかで単純に割り切れないことは分かる。


先日、局の打ち上げに同席させてもらった。安い居酒屋を借り切って制作会社の人もたくさんいて、肩肘の張らない楽しい会だった。
局の人と同じテーブルにいたから、制作会社の新人のひとたちが頻りに挨拶に来た。皆はたちそこそこで、どんなものを作りたくてこの業界に入ったのだろうかと思ったし、またこのうちの何人が激務に耐えて頭角を現すのだろうかとも思った。

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