›2006年12月26日

音量子ブログ番外編 - 交通事故

週末車を運転していると、年もおしつまってせわしないせいもあるのか、かっ飛ばしている車を何台も見て、危ないなと思っていると事故現場を見た。
交通事故が起きるときは、どんなに注意をしていても起きるもので、当然のことながら自分で注意して防げる酒酔い運転とか50キロオーバーなんていうものは論外だ。


もうずいぶんと前の話になるけれど、都内で変則的な十字路を車で通り過ぎるときに、原チャリを跳ね飛ばしたことがある。そこは変則な上に人、チャリ、車の交通量が多く、危なっかしいことが分かっていたから、車を減速しつつ走行車線を通り過ぎようとすると、右折車線から車の直前に原チャリが飛び出してきた。


こうなるともうよけることはできないので、車の前部からごんという鈍い音がして、フロントガラスの右下から左上に向かって、人が「あーれー」とすっ飛んでいくのが見えた。
車を止めて被害者に駆け寄ると、足を押さえてうめいている。踏み潰さなくて良かったと思った。「今すぐ救急車を呼ぶからしっかりしてください。」と耳元で怒鳴っておいてから、公衆電話で救急車を呼んだ。


被害者のところに戻ると、もう大変な人だかりというか、野次馬をかき分けて被害者に「大丈夫ですか。」と声をかけると、見ず知らずのおじさんから「大丈夫なわけねーだろう。」と怒鳴られた。どこにも暇なおじさんというのはいるものだ。
被害者を搬送してもらった後、現場検証があってから警察署に行き、調書を取られるために廊下で待たされた。その時に、「俺の人生はもう終わったな...」と思った。


幸い被害者は軽症で、自分のほうが悪いと自ら申し出てくれて、その他の目撃証言もあったから即日解放された。
被害者と一緒に警察署を出て、ハンドルが曲がってしまった原チャリを押して、被害者のアパートまで送って行った。暑い日で、被害者のアパートでコーラをご馳走になった。何か困ったことがあったら連絡してくれと名刺を渡して、こちらからも何度か連絡したけれど、保険屋が丸く納めてくれたようで、その後なにか苦情を言われるようなことはなかった。

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›2006年12月23日

音量子ブログ番外編 - 来年の予定

12月の第2週にもなると、勤め先ではちらほらと休みに入る人が出て来て、3週目になるとそんな人ももっと増えて、クリスマスになるとほとんどの人が休みに入ってしまう。だから、来週は会社に行っても出社している人はせいぜい1、2割で、僕もその少数派のうちの1人だけれど、会議もなく電話もない1日だから、仕事もするけれども、どちらかというと今年1年を振り返ったり、来年の予定を立てたりする。


振り返ってみると今年も苦難が続いた1年で、今の勤め先に変わってからもうずいぶんと経つけれど、自分の技術が世の中に出るのはまだいい方で、製品開発をしてプロトタイプも出来て商品化まであともう一歩という時にプロジェクトがキャンセルされたり、調査検討で話がしぼんでしまったりとそんなことが多くて、技術でうっている会社なんてそんなものだよと言われればそれまでだけれど、自分の人生は常に挫折と向き合わなければならないのかと愚痴をこぼしたくもなり、売れない絵描きの気持ちはこういうものだろうかと想像してみたりもする。


とは言うものの、立ち止まっているわけにも行かないので、地道に実績を積みかさねつつ捲土重来を期しているわけで、秋山仁の言う「努力は報われず、正義は滅びる。されど戦いの日々。」が来年も始まることになるのだ。

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›2006年12月02日

音量子ブログ番外編 - ダンス

乗馬クラブの大先生が米寿で、先生が還暦ということで、品川のホテルのお祝いの会に出席した。ごく内輪のクラブの懇親会と思ったら、東日本の乗馬関係者はほとんど集まっていて、みんな上着を着ていて、当方は迷ったけれどカジュアルな服装で行ったので、肩身の狭い思いをした。


一次会は乗馬関係のうさんくさいおじさんたちの賀詞交換会みたいだったけれど、さすがは先生で二次会はバンドを呼んで、フォーマルでない楽しい会だった。


バンドの演奏がのって来たから、誰かと踊らなければならないと思うけれど、最初は誰しも遠慮がちで、大体僕とは違ってここにいるのは育ちのいいお嬢様が多いから、誘ってみても「あんたなんかいやよ、音量子なんて大っ嫌い!」と言われると思ったけど、育ちが良いということは心も寛容な人が多いようで「踊ったこと、ないのです... 音量子さんは良く踊るのですか?」などと言うから、バンドにランバダをやれとどなっておいて、ずいぶんと腰を振りまわしたから、もう頭がくらくらして何も覚えていない。

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›2006年12月01日

音量子ブログ番外編 - 試験について

年も押し詰まりつつあるから押し入れを整理していると、学生時代の日記が見つかって、読んでみると大学に入学する年の1月1日から始まっていて、ろくに受験勉強をせずに毎日のようにパチンコをしている。どこの店でいくら稼いだとかすったとか、そのようなことが詳しく書いてあっていて、驚くと同時に自分の愚かさにほとほと呆れ、うんざりとした。


時は流れて試験はいろいろ受けたけれど、一番つらかったものは今の勤め先の管理職昇進試験で、会社からお題を与えられて、試験は1月の下旬だったから、11月くらいから試験準備が始まるのだけれど、週に2回、部長さん課長さんの前でプレゼン練習をして、ぼろくそに言われるのだった。


ボロクソに言われるのは親心であって、本番の試験では、試験官の事業部長や人事部長からもっとボロクソに言われることになるから。
試験準備は部単位で行われるのが普通で、僕が所属していた部署は大体6時半頃から始まって、その時の部の受験者は4名で、練習をしているといつの間にか午後10時11時となって、僕自身は技術開発をするのが本業だから、そんな仕事の合間を縫ってプレゼンを作っていた。さらにその合間に、ムサビ通信の勉強をすることになったけれど、こちらは好きなことをやっているのだからそんなに大変とは思わなかった。


試験当日は時間に遅れると大変なことにるから、上司から追い立てられるようにオフィスを出て、僕は厚木の事業所に勤めているのだけれど、試験は品川の本社で行われて、別に本社に行っても試験官は厚木事業所の人で、なぜわざわざ遠くで試験をするのか、僕には理由が全く分からない。


試験会場の待合室に着くと、時刻が早いせいにも関わらず、思ったより人が多くいた。皆、上司からせき立てられて早く着いたのだろうなと思う。いい年をしたおじさんたちが、みな青ざめた顔をしている。


一人のおじさんが急に立ち上がって驚いたけれど、今日に準備したプレゼンを一語一句暗記していて、それを試験直前に暗唱し始めたのだった。
そんなおじさんの姿を見ていいると、朝に家を出る時に、「お父さん、頑張ってね。」と奥さん子供さんから励まされている姿を想像してみる。


とはいう僕は、パソコンの画面を見ながら今日プレゼンする話の筋を頭の中で反芻していたけれども、人から見たら、目のうつろな男がパコン画面を何となく眺めているとしかみえなかっただろうと思う。

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