›2006年07月28日

眠らなくなる薬

最近は一日中とある技術について調べていて、困ったことに技術文書には強力な催眠作用があるらしく、とくに昼過ぎ、自分では目をしっかり開いて文書を読んでいるつもりでも、いつの間にか端末の前で意識を失っていて、いい大人が恥ずかしいなと思う。


研修のときでも技術系のものは講義が多いから午後は睡魔との闘いとなるけれど、ビジネス系だとロールプレイングがあったりして「あなたには困った部下がいます。ロリコンで変態です。性格が悪い上に嘘つきで、夏にはいつも腋の下から強烈な臭気を発しています。ある朝、その部下が遅刻をして来ました。また、どうも酒気を帯びているようです。このときあなたはどのように対応」などとやっていると、当然のことながら眠っている場合ではない。


そろそろ夏スクーリングも始まることだし、どなたか目を開けているためのいい方法を知りませんか?



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›2006年07月27日

大和しうるはし

JR東海のWebページ「うましうるわし奈良」のページを見てみると、デザインも内容も落ち着いていて、ターゲットとしている年代も高そうで、ニューヨークやパリに飽きたおじさんおばさんを東海道新幹線に乗せようしているように思う。


奈良のキャンペーンのタイトルは言わずもがなと思うけれど、『日本書紀』のヤマトタケルノミコトの歌「大和は 国のまほろば 畳づく 青垣 山こもれる 大和しうるはし」や、万葉集巻頭にある舒明天皇の歌「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登りたち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」から取っていると思うけれど、どちらの歌も好きな歌だ。


今年の初夏には薬師寺を用いたCMが流れていたようで、近鉄の西ノ京駅を降りるとなんとなく廃都を思わせる雰囲気で、僕が薬師寺唐招提寺を歩いたのは10年前だけど、その後に駅もきれいになり国内旅行者も増えたから、この辺りもすこしは観光地らしい町並みにでもなったろうか。



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›2006年07月24日

収拾のつかなくなる私

ムサビ通信の絵画の教科書を読んでいると絵画教室に行きたくなり、映像の教科書を読むと本格的に写真を始めたくなり、というか始めつつあるけれど、過去の写真家が何をどのように撮ろうとしたのか手持ちの本で調べていると、入江泰吉という奈良や飛鳥の風景を撮った写真家の本に万葉の歌に関する言及があって、そういえば万葉集についてよく知らなかったなと思って、Amazonで久松潜一『万葉秀歌(一)〜(五)』(講談社学術文庫)を取り寄せて読み始めていて、いったいこのまま自分の興味に素直に従って行動して行くとどのようなことになるのか自分でも分からなくなる。


仕事のことであれば新しいテクノロジーやビジネスが出て来ても、今までの知識や経験を用いて理解をし検討することが出来るけれど、美術については全く蓄積がないのでこのように発散していくのだな、ということに気がついた。


入江や土門の本を読んでいて、この二人は仏像を数多く撮影しているけれど、その写真を見て「そういえば、佛教大学にも通信制があったな」と考えている自分はもうヤバい。




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›2006年07月22日

名前の記憶

会員制のスポーツクラブに行って、一度しか会ったことがないはずのフロントの人が、自分の名前を覚えていて驚くことがある。客商売とはいえ、閉店後に客の顔と名前を一致させる特訓でも行っているのだろうか。


夜、店に入ってソファに座ると、ひらひらしたドレスを着た女性が隣に座ってお酒を注いでくれるクラブでも、客の名前をしっかりと覚えている。ある観光地のクラブに10ヶ月後また行ってみたら、お酒を持って来た店のママが「音量子さん、お久しぶりね」と言ったのには驚いた。そう言われるまで、いつ誰と来たかは何も言っていない。
「良く覚えているね」と言ったら、ママは「これが仕事ですもの」とのこと。


人の名前を覚えるのはビジネスの世界で決定的に重要で、どのような世の中になっても、合理性や効率性が追求されても、最後のところは人と人とのつながりと信頼関係がものを言う。
とは言うものの、僕は人の名前を覚えるのが苦手で困ることも少なくない。今度、飲屋のおねえさんに人の名前を覚える秘訣を聞いてみようか。




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›2006年07月21日

車内マナーはどうですか

今日、小田急線に乗ったら隣に座っているOLの人が傘を押し付けてきたので「濡れるから傘を押し付けるの止めてくれないか」と言ったら、「押し付けてなーいー」と言って携帯電話をかちゃかちゃしているので、そのセンスの悪い花柄の傘を蹴っ飛ばしてあげた。


僕の見たところ、団塊の世代のおじさんと20歳代半ばの女性のマナーが際立って悪いようで、団塊の世代のおじさんはあと1、2年もすれば朝夕の通勤電車からいなくなるので我慢するとして、20歳代半ばの女性はまだまだ通勤電車で一緒になる上に、遠くない将来に強力なマナー最低おばさんになるだろうから、そんなことを考えただけでも気分が暗澹となる。


若者や子供のマナーがどうこうと言う人がいるけれど、子供は大人の真似をしているだけで、大人がきちんとすれば子供もきちんとするわけで、そういったことを考えてみても自分自身反省をしなければならないと思う。




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›2006年07月19日

きん也のばか

仕事帰りに横浜の地元の鮨屋に寄ってみると、かなり酔っぱらった宮澤ミッシェルのような男がいて、入ってくる客ごとにhugをしようとするたちの悪いチンピラだったけれど、店の年季の入ったおばさんにたしなめられていて、そんなことも気にしているのかしていないのか「きんちゃん、まだ結婚していないの。まだ童貞なんだよう」と泣いていたと思ったら、つけ台につばを吐いて寝てしまった。


僕は東京都中野区出身だけれど、同じ小学校の2、3年上にきん也という少年がいて、その学区内ではバカと言えばきん也だったし、きん也と言えば馬鹿だった。
小学校の二つ三つ上の学年だったから何かしら話す機会もあったろうか、ただ馬鹿っぽい顔とNHKの堀尾アナウンサーのようなすくいようのないことを平気でしゃべる少年ということはよく覚えている。


その頃は珠算塾というアナクロニックなものが流行っていて、きん也と会うことがあるのは夕方

この項、つづく。




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›2006年07月16日

祭りの準備

8月5日、6日は地元の夏祭りで、準備を手伝うのがいやだから、当日は未曾有の台風でも来てくれないかなと真剣に思っていたりする。
祭りの会場となる路地で、早くも近所のおばさん(というか、おばあさん)が段取りの打ち合わせをしている。とは言うものの、いざ準備に取りかかると全く段取りが出来ていなくて、いい大人が右往左往することになるのだ。


浅草生まれで浅草育ちの仕事仲間が、「最近ひとが集まらなくて、三社祭の神輿もバイトに担がせているんですよ」と言うから、「じゃあ、やめちゃえよ」と無責任なことを言っておいたけれど、世に名の知られた祭りでも空洞化してしまっているのだなと、あらためて認識した。


その一方で、祇園祭の賑わいはニュースで見てもかなりのもので、歴史から言っても日本の他の祭りと格が違うけれど、この祭りについては今までいろいろ語られていて、京都人の情熱や金のかけ方は桁外れのものであるようだ。




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›2006年07月15日

舞妓さん写真

夕方くらいになると、祇園白川あたりにカメラを持ったおじさんがそわそわきょろきょろしているけれど、その時間帯に舞妓さんの写真を撮ろうとするのはど素人で、夜の10時台か11時台、観光客どころか人通りがほとんど絶えた頃、宴席から宴席へ回る舞妓さんや芸妓さんを何組も見ることが出来る。


じろじろ見るつもりはないけれど、すれ違い様にぷいっ、というかつーんというか、過ぎ去って行くのがなんとも可愛らしい。
もう一つTipを言っておけば、京都人が酒を飲むのは週末の夜だから、日曜や平日に舞妓さんを見るチャンスはあまりない。


京都の知っているスナックで舞妓さんを呼ぶことが出来るのだけれど、お茶屋で遊ぶわけではないからサラリーマンにも手が届く範囲らしいのだけれど、玉代を気にしてちょっとだけ呼ぶのもみみっちくて、何事も経験と思いながらまだ一度も呼んだことがない。



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›2006年07月14日

舞妓さん「こわおした」

京都新聞のWebページを見ていたら、上七軒の舞妓さんが防災訓練を行っている写真が載っていて、ちゃんと鬘をつけた上に浴衣姿で恐る恐る消火器を操作している。
こんなときはすっぴんにスウェット姿でよいと思うけれど、記者のインタビューに京言葉で答えていてなぜかほほ笑ましい。


横浜に住んでいるけれど、京都新聞を取りたいと思っていて郵送なら1日遅れくらいで届くことは知っているけれど、できれば日経と神奈川新聞と京都新聞を取りたいのだけれど、勉強をする時間がなくなってしまうのでWeb版で我慢している。


学生で親元から離れていて、費用の問題から新聞を取らない人がいるかも知れないけれど、あれだけの情報量であの価格だから、少し無理をしても何かしら取ったほうが良いと思う、と自分のことを棚にあげて言ってしまう。



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›2006年07月10日

夏祭り

蒸し暑くてだるいなと思っていたら、町内会の副会長のおばさんから夏祭りの手伝いを頼まれて、ますますだるくなった。
祭りの日は、朝から晩までこき使われる上に、近所のバツイチのおばさんから色目を遣われたりして何かと悩ましい週末となる。


「音量子さん、今年は本祭りですから8月6日、7日の2日間ですよ」と言われて、例年の祭りと本祭りとの違いは良く分からないけれど、とりあえず例年の2倍疲れることになるだろうということは分かった。


この町内には大きなマンションがあり、人口の多くはそこの住人が占めていて、また夏祭りの時期は帰省なり旅行なりでマンションの人の多くはいなくなってしまうから、祭りの存在意義に疑問を投げかけたくなるのだけれど、かつての海の保養地でもあり漁師町でもあったこの町内の祭りの日程を変更するつもりはさらさらないようだ。



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›2006年07月09日

ムサビ通信に入って変わったこと

本を熟読するようになった。最初から最後まで通読するだけでなく、章ごとにポイントを確認し、必要であればノートを取る。全部読み終わったあとに全体構成を確認し、必要であればノートを取る。これは科目の教科書や参考書に限らず、自分の興味で読む本も同様に行う。


とは言うものの、仕事で読む本や資料は膨大なので、このようなことはしない。本や資料には赤線を引っ張っておくだけ、Webで重要なものは一定期間ブックマークを保存しておく。必要なくなったら、資料もブックマークも即座に捨てる。


技術開発をしていると、同僚の中には浮かんだアイデアや関連文献を几帳面にノートに取って、開発が終わったあともメイキング・ノートとして後生大事に保存している人がいるけれど、日進月歩の技術の世界でそのようなことを僕はしない。過去は振り返らない。前進あるのみ。



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›2006年07月08日

60年代パーティ

以前、乗馬などというsnobishなスポーツをやっていて、仕事を持ちながら美術を勉強していますと言うのも人によってはかなりsnobishに取るけれども、以前所属していた乗馬クラブに1年半ぶりに顔を出してみた。皆、1年半分老けたような顔をしていて面白かったけれど、相手も僕に対して同じようなことを思っているに違いない。


ここの校長は面白い人で、

「音量子、9月初めに60年代パーティをやる」
「おじさんはクルーカットにバミューダパンツ、おばさんにはポニーテールを義務づける」
「フロアにはジュークボックスを置き、クラブの前には60年代のアメ車を並べる」
「○○××ホテルのバンドマンを知っているからそれも呼ぶ。やつらは古い曲しかできない」


「先生、もしかしてそのメンバーに僕も入っているのでしょうか。」
「決まってるだろ」


僕はそんなに年をとっていないのだけれどなあ。



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›2006年07月04日

今年は夏休みが取れるのだろうか

JR東海の「そうだ 京都、行こう」のサイトを定期的に見ていて、今は夏休み向けのキャンペーン「父さんが連れていく京都」というのをやっている。ここで三十三間堂や養源院を紹介しているけれど、「父さん、この本尊千手観音坐像の造形を見てよ。湛慶晩年の作だよ」などと小学生が言うわけはないので、素直にディズニーシーでも連れて行ってあげればいいのにと思う。


いつも賑わう三十三間堂のそばに養源院はひっそりあって、杉戸に描かれた俵屋宗達の絵があり面白いのだけれど、坊さんから見る順番を厳守させられる上に、聞いても聞かなくても良い説明を無理矢理聞かされるので、そんなこともあってかほとんど参拝客がいない。坊さんが血天井の解説をしている間は上をずっと見ていなければならず、首も疲れてしまう。


夏の京都・奈良の気候は観光客にとっても厳しいものだけれど、人が少ないからゆっくりと見学ができて、薬師寺で参拝客が僕一人だけということがあった。



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›2006年07月02日

秋山 仁

手羽さんのブログを見ていたら、数学者の秋山仁がムサビで講演をするということで、意外に思ったし懐かしくも思った。
僕が大学生の頃、通っていた大学に秋山仁が講師として「組み合わせ理論」という数学の一分野を教えに来ていて、著名な学者と聞いていたし、そのころ既にマスコミに登場していた。僕は物理学科の生徒だったけれど、秋山仁の数学科の授業に潜り込んで何度か講義を聴いた。


秋山仁はその頃バイクに凝っていたようで、リュックにヘルメットを小脇に抱えて教室に入って来た。数学者には見えないラフな姿で、長髪にバンダナ、ヒゲを生やした風貌は現在と変わらなかった。
数学の話以外で記憶に残っているもので、


成績は申告制: 「答案用紙の右上に成績申告欄を設けておくから、各自成績を申告するように。おれは優しいから落とすことはしない。ただ、Cだと思うのにAと申告しても単位はやらない。せいぜいBとしておくように」

本を読むことについて: 「本は最後まで読め。最後まで読まなければ著者が何を言いたいのか、またその本の本当の価値は分からない」


いろいろな意味で、日本の普通の数学者の枠に納まらない人だ。



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›2006年07月01日

召集令状

今朝起きて、課外授業ようこそ先輩のリリー・フランキーを見るか、『純情きらり』の再放送を見るか迷った末に、純情の方を見ることにした。
ヒロイン(宮崎あおい)が恋仲と結婚をちかうけれど、その直後に恋仲に召集令状が来てしまう。


子供の頃、戦争映画や007の映画を観て、大人になったら戦場にいったり破壊活動をしなければならないのだ、と思っていた。東西冷戦が一見あっけなく終わって、戦争は遠のいたように思えたけれど、一歩国を出るとアジアの近隣諸国は徴兵制を維持しているし、世界がきな臭くなると米国の仕事仲間から出征の連絡を受けたりする。


僕の世代は多分戦争に行かなくて済むだろうと思うけれど、今の大学生くらいの若い世代はどうだろうか。東アジアが熱くなりつつあるようで、局地的にバランスが崩れると、日本も若者の血を流さなければならなくなるのだろうか。



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