›2006年04月29日
学生証など
今日、Web通信教育トップページを見たら、「学習計画を見直す必要が生じています!」との表示が出た。新年度早々、スクーリングの抽選に漏れたらしい。
スクーリングの日程と会社の拳法部の箱根合宿が重なっていたから、これで合宿に参加することが出来るようになった。優雅に美術を勉強するより拳法の修行をして強くなれと神様が言っているのだ、と思うことにする。
午後、新年度の学生証が届いた。去年のものをあらためて見ると、ずいぶんと疲れた顔をしている。カラー写真だからかなまなましい。裁断して、ゴミ箱に捨てた。
今年度は白黒写真にした。ちょっと若返ったように見える。ラミネートを貼ってから、住所を記入し忘れたことに気がついた。
›2006年04月28日
造形研究コースNF
新学期が始まって2006年度のnet forumに、いくつか教科のフォーラムが立ち上がっている。コースごとにもフォーラムがあって、造形研究コースのnet forumにはまだ誰も書き込んでいないけれど、お知らせの欄に去年の書き込みからピックアップされて貼付けられてある。内容は、卒論、英語の勉強、健康管理、学術用語、参考書のことなど。
個人情報保護の観点からか個人名は伏せられているけれど、本文の中には消し忘れたものがいくつかあって、そのなかに僕の名前もあったりする。
他の学科で、すでに盛り上がっているところはあるのだろうか。絵画コースなどは人数が多いから、書き込みも多そうだ。とりあえず、僕自身は音量子ブログを盛り上げることに専念しよう。
›2006年04月24日
まぐろのカルパッチョがとまらない
根岸線の最寄りの駅近くの気になった飲屋に入ったけれど、軽めのジャズのボーカルがかかっていてメニューにマグロのカルパッチョがあって、いい大人が入る店ではないなと思った。
月曜日の夜だからか、客は僕と、しょぼくれた団塊のおじさんだけで、何かつまらない人生を噛み締めているようだけれど、一人で飲屋に入ってカウンターの前に立ち並ぶ梅酒の瓶を眺めているだけだから、とりたてて有益であるわけでもない。
飯田橋に何を食っても旨い店があって、そこには梅酒を始め果実酒が大口の瓶につけてあるのがカウンターに並んでいる。子供の頃、ひとの宿題も写せなかったような実直そうな旦那さんと、それより七つか八つくらい上の若い頃は行くとこまで行ったと思える、その頃ははっと思うくらいきれいだったろう女将さんの店で、もうずいぶんそこには行っていないことを思い出した。
›2006年04月23日
採用面接
先週、会社の人と話をしていたら、日曜日に新卒の採用面接を担当させられたとのことで、「昨日は8人の大学生と面接しましたよ」「1人40分」「人事が何人落としてくださいって、最初にノルマを決めるんですよ」「落とす、と決めたら時間いっぱいまで面接を続けてください、って人事に言われた」。なまなましい話だけれど、彼は最後にこう付け加えた。「オレに人の人生、決められないよ」。
この人に面接させられた大学生はかわいそうだと思う。人の人生を決める覚悟がなければ、最初から面接担当の話を受けなければよいのだ。
最近は新卒採用の時期が早まっているようで、早く決まれば4年の卒業研究に専念できるわけだから、悪いことではないと思う。
僕のころは、5月から7月にかけてが山場だったと思う。蒸し暑い中、慣れないスーツ姿で都内を歩き回ったことを思い出す。
›2006年04月21日
拳法部総会
今日は会社の拳法部の総会があって、横浜で飲んだ。総会といっても殴り合うわけではなくて、去年の部活動報告と今年度の活動予定を居酒屋で手短にやって、あとはビールを飲みながらヨタ話をするだけ。
とはいうものの、今日は部員で定年を迎えるSさんのお祝いもあって、例年の総会よりも盛り上がることがあった。
いつか自分も、リストラされるか死ぬことがなければ定年を迎える日があるわけで、そんなことを想像してみなくても、今日この日はいろいろ考えることがあった。
飲屋は横浜駅東口の武道関係者御用達の店で、肩幅が広くてスポーツ刈りの客が多い店で、男の店員さんも女性の店員さんも目つきが鋭い。何も知らないで入って来るカップルの人たちは、ちょっと困っているようだった。
›2006年04月16日
小西甚一『古文研究法』
Amazonのページを見ていたら、おすすめに古文の学習参考書が表示された(なぜだろう?Amazonはときどきおかしな振る舞いをする)。
小西甚一『古文研究法』(洛陽社)で、非常に懐かしく思うと同時に、ずいぶんと古い本だから版を重ねていることに不思議な思いがした。学習参考書に用はないのだけれど、古文漢文はあらためて勉強して訳なしで読めるようになれればと思っていたので、これも何かの機会だろうと思って注文した。併せて漢文の学参も注文した。
届いて手に取ってみると、驚くことに奥付に検印がある。今時こんな本が残っていたのか。小西翁が一枚一枚検印を押している姿が想像された。
印刷も今では珍しい活版印刷で、特有のにじみがある。同時に買った馬場武次郎『句形整理 基礎から分かる漢文』(日栄社)も活版印刷だった。学参業界ではしぶとく凸版が生き残っているようである。酒井教授が知ったら喜ぶのではないか。
ページを触るとざらざらして、にじみがある上に活字の組み具合が粗いので読みにくい。昔はこんな本で勉強をしたり小説を読んでいたりしたのかと新めて思う。
›2006年04月13日
中野の明屋
今日、中野ブロードウェイの大型書店「明屋」に行ったが、『たのしい中央線2 特集・ムサビ世界』を見つけることが出来なかった。本当は置いてあったのかもしれないけれど、いい大人が若い書店員に「『たのしい中央線』はありますか?」などとは恥ずかしくて聞くことができない。
恥ずかしい本について聞くときには恥ずかしくない本にそっと紛れ込ませて聞く手もあるが、「『週刊東洋経済』と『会社四季報』と『株価総覧』と『たのしい中央線』はありますか?」と聞くのはもっとおかしい。
勤務先は厚木で自宅は横浜なので、近所の書店に『たのしい中央線』が置いてある可能性はまずないので、もう一生涯『たのしい中央線2 特集・ムサビ世界』のページを繰ることが出来ないと思うとちょっとさびしい。
『たのしい中央線』は架空の本で広報の手羽さんにいっぱい食わされたのだと、とりあえず思い込むことにする。
›2006年04月10日
新日曜美術館
はなになれてきたと思ったら、昨夜、司会が壇ふみに変わった。
行きつけの飲屋で、ぞんざいなおばさんの対応に慣れて来たと思ったら、そのおばさんが急にやめて新しいぞんざいなおばさんが入ってきたような心持だ。つまり、新しいおばさんに慣れるにはどれだけの時間がかかるのだろうか、ということ。
司会が変わると番組の雰囲気もがらっと変わるもので、別の番組を見ているようだ。NHKはニュースもアナウンサーが大幅に入れ替わり、テレビで新年度を感じるのもちょっとさびしいけれど、仕事仲間は相変わらずのメンツなのだからしようがない。
ムサビコムの自分の学年が4年になり、4年は二度やるつもりなので来年度はどうしてもらうのがよいのだろうかと、ずっと先のことを考えてみる。
通信の日記メンバーが僕一人になり、新年度早々ちょっとさびしい。
›2006年04月07日
音量子の一日
僕の典型的な一日。
6:00 音量子邸、富士の間にて起床。歯を磨きシャワーを浴びる
6:45 音量子邸、第1食堂にてコーヒーを飲む(残念ながら第2食堂は無い)。NHKのニュースを見て、日本人大リーガーは頑張っているなと思う
7:30 近所をねぐらとしている野良猫に見送られながら家を出る。近くのバス停まで歩く
8:15 横浜駅で相模鉄道海老名行き急行に乗る。この電車はエキセントリックで、ほぼ中間点の二俣川までノンストップで走り、それ以降は各駅に停車して海老名まで行く。通常の通勤方向とは逆なので車内は空いている。行き帰りともに、この電車の中で教科書や参考書をひらくことになる
8:50 海老名駅で小田急に乗り換え、やや呆然としながら車窓の風景を見る。二つ目の本厚木で降りる
9:10 会社に到着。
--- 真面目に仕事 ----
17:00頃 今日は社員食堂で夕食をとるか、帰りに居酒屋に立ち寄るか、真っ直ぐ家に帰って晩酌をするか、真剣に悩む。ちょっとしたソフトウェアを設計するくらい熟考。
19:00頃 やれやれ今日も疲れたなと思いながらオフィスを出る。帰りも長い通勤時間が待っている
›2006年04月05日
『映像文化論』の教科書
美術館に行くと、奥さんに無理矢理連れてこられたようなおじさんがいて鑑賞のじゃまになるのだけれど、作品の前に仁王立ちになって「絵っていうのは分からないなァ…」とわざわざ付け加えるのを忘れない。このおじさんが詩や音楽だったら分かるのかというと、そうとも思えない。
そもそも分かる必要があるのかという問題はとりあえず置いておいて、このおじさんの分からない気持ちというものが、映像文化論の教科書の次の記述を読んで腑に落ちた。「ただ、学校で習わない事柄というのは、何かにつけ”分かったようで分からない”的な満たされない気分がついてまわるものなのである」(平木収『映像文化論』武蔵野美術大学出版局)。
絵って言うのは分からないとわざわざつぶやくのは、できれば分かりたいという気持ちと裏腹であると解釈すれば、「分からなくたっていいじゃない」という無責任なことは言えないのである。
›2006年04月02日
ボストン
京都・奈良から帰って来て、それ程もしない内に米国へ半年出張を命ぜられた。ボストンから北へ車で50分くらいのマサチューセッツ州の州境に位置する町で、寒いのはずいぶんと苦手なのだけれど、冬の一番寒いときには零下20度まで下がって、慣れない雪道運転にも苦労した。
休日はボストンまで行って、小さな日本食料品店で日本食を買い、近くの小さな日本語書籍の店をひやかすのが楽しみだった。
ボストン美術館にも行った。美術が好きというわけではなくて、そこにある日本美術のコレクションを見て「早く日本に帰りたいなあ...」と感慨にふけるのだ。
展示室には日本の仏教寺院の内部が再現してあって、暗い照明の中で仏像を展示している。なんとなくあやしい空間だった。
会員になると入場料がただになるというので、幾らか寄付をして会員になった。何回かニューズレーターが送られて来た。
日本に帰ってから、美術館に足を運ぶようになった。この頃から美術に興味を持つようになったと思う。
›2006年04月01日
京都・奈良 2
奈良に2泊した後、京都に1泊した。この時間配分は奈良の方が古いからえらい、という単純な発想によるもので、当然のことながらどちらがえらいという設問には全く意味がない。
東京を出る前から、京都の家元と飲む算段をしていた。昼間は寺町や新京極をぶらぶらして、夜に木屋町で家元と待ち合わせた。近くの居酒屋で、「寺町は、秀吉が郊外にあった寺を一カ所に集めたのが始まりで...」という家元のうんちくを聞きながら酒を飲んだ。
鴨川を渡って縄手に行き、さらに2軒で酒を飲んで店を出たら足元がふらついたけれど、酔っぱらって見る鴨川はずいぶんときれいなのだった。
木屋町や縄手では、その後10年京都に行く度に飲んでいる。なじみの店も出来てしまった。