›2006年01月31日

英語の勉強

通信課題は来年度にまわすことにして、2月末まで時間ができたので英語の勉強をすることにした。英語の美術書が読めるようになることを目指す「英語I」を履修したけれど、もちろんこれだけでは足りないので、何冊か英語の美術本を購入した。


多くの美術史教科書の粉本になっていると思われるJansonの"Histroy Of Art"、たぶん美術史の本の中で世界で一番読まれているGombrichの"The Story of Art"を購入した。Jansonの本は正統的な美術史の本で、Gombrichのものは著者の趣味が色濃く反映されている。
また、今年度は「東洋美術史」を履修登録したけれど、結局は課題に取り組まなかったので、Thames & HudsonのWorld of Artシリーズから東洋美術の本を何冊か注文した(こちらは未着)。
すみからすみまで読んでいる時間はないので、図版を見て興味を持ったときには本文を参照する、といったかんじで目を通している。


語学の勉強は集中してやったほうが良いと思い、会社の英会話教室に登録した。生徒は四人で、最近のニュース(例えば、BSEとかライブドアとか)をテーマにして議論をするのだけれど、先週はほとんど雑談で終わった。教師のW.Cはスティングを太らしたような外見で、酒が好きなカナダ人だ。来週は宴会で授業に出席できないと言うと、W.Cは「じゃあ、我々も次回のレッスンは居酒屋でやろう」と言った。

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›2006年01月29日

『チャイナタウン』

映画『オリバー・ツイスト』のコマーシャルを見て、恥ずかしいことにディケンズの作品は一度も読んだことがないのだけれど、監督がロマン・ポランスキーというところにちょっとひかれた。


ロマン・ポランスキーにはハードボイルドの傑作といわれる『チャイナタウン』がある。主人公の私立探偵(ジャック・ニコルソン)は愛人調査を依頼され、密会現場をそつなく撮影するが、男は殺される。私立探偵はさらに調査をすすめるが、背景には巨額の汚職と、さらにおぞましい事実を見ることになる。


この頃の映画は、『真夜中のカーボーイ』とか『カッコーの巣の上で』など、暗いテーマを取り上げる作品が多いけれど、最後のところでヒューマニズムで押しとどめている。
これが80年代後半から90年代になると、もう身も蓋もなくなる作品が多くなっていくように思う。

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›2006年01月28日

『鏑木清方随筆集』

本屋で『鏑木清方随筆集』を見つけて、画家のエッセイ集とは珍しいと思い購入した。四季折々の風物が綴られていて、若い頃の東京下町の花見、横浜金沢八景に暮らしていた時の庭木の丹精、雨が屋根や樋を伝う音の風趣などについて語られている。正月の項では、最近は合理的になってしまって三が日を過ぎるとせわしないというところは、今でも通用して面白い。


日本画についても若干触れられていて、僕なりに強引に解釈すると、洋画は精神性や抽象性を目指したが、日本画は自然、風情、趣を大切にする、というところだろうか。


巻末の書籍案内を見ると、『小出楢重随筆集』が載っていた。本屋で見つけることがあったら、手に取ってみよう。

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›2006年01月26日

科目試験の準備

今年度の科目試験が終わって、今年度やりきれなかったことは来年度にまわしてしまおうと思ったら、急に目の前に自由な時間が広がった。


先週末は雪の残る寒い中を鷹の台に行ったけれど、試験会場に行く度に耳にするのは、美術史の単位が取りにくいということで、参考になるかならないか分かりませんが、僕の試験準備について書いてみます。


1. 教科書を良く読む
試験までに教科書を最低二回は精読する。机に向かっている時間は取れないので、通勤時や食事をしながら、居酒屋でビールを飲みながら教科書を良く読む。この時、個々の事項を記憶するのではなく、時代背景や作品に影響を及ぼした社会経済状況、および特定の様式の後世への影響、といったところを注意して読む。
また、図版を良く見る。材料、様式、表現の特徴などをよく見る。


2. 試験当日
試験当日は重要事項を集中的に記憶する。重要なところとは、教科書の記述が多く費やされているところ、傑作、後世に影響を与えた作品、流派、様式など。
自宅から鷹の台までは時間がかかるので、電車の中で記憶し、試験会場には最低一時間前までに着いて控え室で記憶し、試験場に入っても教科書をしまえというまで記憶する。


あとは、最後まであきらめないことと、書けることは書いて空白を埋めること。ただし、記憶が曖昧なことは書かない。

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›2006年01月25日

新幹線の記憶

夜、中華料理屋でビールを飲みながら新聞を読んでいたら、オリンピックの日程が迫っているからだろうか、声の欄で東京オリンピックの特集があった。それと一緒に、同年開業の新幹線についての投書がいくつか載っていた。
母親が関西出身であったので、年に一度は新幹線に乗り、祖母をはじめ母方の親戚に会いに行った。帰りは親戚総出で新大阪駅まで見送ってもらった。


僕が小学校の低学年だったから、母親もまだ二十代の頃だったろう、車窓越しに親戚と別れてから、母は名古屋までずっと泣き通しだった。よほど東京に帰るのが嫌だったのだろう。


中学三年まで毎年関西の親戚に会いに行ったが、僕自身はそれ以来ふっつりと関西に行くことがなくなって、次に行ったのがずいぶんと大人になってからだった。
今は年に一、二度は観光で京都や奈良を訪れるけれど、親戚の方にはご無沙汰してしている。申し訳ないなと思う。

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›2006年01月24日

「造形学概論」の教科書

科目試験の準備のために、造形学概論の教科書を何度か読み返したけれど、あらためて面白い本であると思った。著者の金子助教授が本の冒頭で、「美術という現象をめぐるさまざまな叙述のありようを訪ねて歩く」と書いているように、美学者、美術史家はもちろんのこと、画家、歴史家、科学者、作家など、様々な時代、地域、立場によって書かれた叙述について考察されている。


その中であれっと思ったのが直接美術とは関係ないのだけれど、「第6章 生活からの離脱」で、1934年に日本を訪れた建築家ブルーノ・タウトが、道ばたに大人が平気でしゃがんで休息することに不思議な思いを持った、とある。


戦後もずいぶんと経って、僕の幼少の頃、バス停でおじいさんやおばあさんがしゃがみ込んで待っているのをおぼろげながら覚えている。そんな光景も記憶からなくなった頃に、若者が街中でしゃがみこむようになったけれど、最近はまた見かけなくなったような気がする。
なんでだろうなあとじっくり考える時間などないのだけれど、ちょっと心に引っ掛かったままになっている。

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›2006年01月21日

横浜は雪景色です

朝起きたら、横浜は雪景色だった。こんなに積もるのは何年ぶりだろう。
雪の時は街の汚れたものが隠されて、まわりがしーんとして、それはそれで良いものだけれど、こんなことを言うのも休日だからで、これから出社という時だったら舌打ちの一つもしたくなったろう。


子供の頃は、東京でも年に一、二度は雪が積もったけれど、とりあえず雪を手の中で固めて級友にぶつけるのがお約束だ。雪だるまも作ったけれど、雪国ほど雪が積もらないので、ごろごろ転がしているうちに雪の下の土が剥がれて、だんだらの雪だるまができるのだ。


窓の外を見てみたけれど、昼食時だからだろうか、子供が雪遊びをしている姿が見られない。

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›2006年01月11日

就職活動の思い出

ムサビ通信は無試験で広く門戸を開き、きちんと学習を行なえば卒業させてあげますよというスタンスと思うけれど、そもそも高等教育としてはこれが本来のあり方とも考える。というとことで、手羽さんの「受験の思い出」というお題には答えられないけれど、話をかえて就職活動の思い出をちょっと書いてみます。


僕は物理学科の理論系の研究室に所属していたけれど、ゼミの初日に教授は「今年は景気が悪いので勤め口はない。私は企業に知己がいないので、就職の世話はできない。君たちを、大学院に推薦するつもりもない」と言った。自分のことは自分でやれということだろうけれど、ゼミの初日の挨拶にしては厳しいものだと思った。


教授は冷たい人ではなくて、その内に暖かい人柄にふれることが幾度かあった。コンピューターメーカーから内々定をもらったので、研究室に行って推薦状を書いてくださいと言うと、教授はその場でペンを走らせて「読んで見ますか。赤面しますよ」と言った。見てみると美麗辞句が書き連ねてあって、かなりの自惚れ屋でも顔が赤くなってしまうような内容だった。教授はその場で封をして手渡してくれた。
大学院に進んだ者も教職についた者も、みな教授には何かしらの世話になった。


翌年、菓子折りを持って研究室に伺った。教授はそんなものを持ってこなくてもいいのにと言って、お茶を入れてくれた。小一時間くらい話をしたと思う。
それ以来、教授には会っていない。今も元気にしておられるだろうか。

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›2006年01月09日

走る取的

年末に格闘技の試合が放映され、年初に職場でその話題が出るのが恒例になったように思うけど、相撲出身の格闘家のふがいなさは皆にとって意外なようで、これは相撲最強神話によると思うのだけれど、この神話の出所は元をただせば筒井康隆の『走る取的』にあるように思う。


『走る取的』のあらすじは、主人公とその友人(空手三段)が居酒屋で飲んでいるときにふと取的と目が合ったことから始まって、場所を変えて飲んでいてもその取的がいる、真剣に逃げると取的はどこまでも追いかけて来て、最後に主人公は駅の便所の片隅で取的に殺されてしまう。同じ頃公開されたスピルバーグの『激突!』にヒントを得て書かれたと推測するけど、話の中で空手三段の友人が取的の強さに震え上がる場面から神話が作られ始めたように思う。


筒井康隆の名前をマスコミで見かけなくなったけど、流行らなくなったのだろうか。『笑うな』とか『メタモルフォセス群島』とか好きな短編集の名前はすぐ出てくるのだけれど、念のため自分の本棚を見てみると筒井康隆の本はいつの間にか整理してしまって、一冊も残っていなかった。

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›2006年01月08日

Uボート

電球が切れたので近所のYAMADA電機へ買いに行ったのだけれど、こんなところでぼやぼやしていると無駄遣いをしてしまうなと思いながら、掃除機コーナーをぶらぶらし(もっと小型でパワフルなものが欲しい)、そのそばにあるDVDコーナーを覗いてしまった。


購入したのがウルフガング・ペーターゼン監督の『Uボート』。初めて見たときには、潜水艦の中を縦横に走り回るカメラに度肝を抜かれたけれど、公開から四半世紀たった今も映像が古びていない。ただ、音楽がちょっとしょぼいのが残念だ。


他に、戦争映画のカメラワークで衝撃を受けたのがスピルバーグの『プライベートライアン』。戦闘になるとカメラが揺れる。単純なアイデアだけど、だれが考えついたのだろう。

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›2006年01月06日

仕事始め

仕事始めは落ち着いて物事に取り組もうと思ったけれど、結局朝から晩まで時間に追われることになった。このような生活を定年まで続けることになるのかと思うと(リストラされなければ)、これはなかなかつらいなあと思ったけれど、50を過ぎて定年が近づいてくると、残り時間で自分はあとどれだけの仕事ができるのかとシビアに考え始めるのだろう。このようなことは幸せなのか不幸せなのか。


限られた時間限られたお金の中からやり繰りして、自分のやりたいことをやることに喜びを感じるのは確かなことで、有り余る時間とお金が目の前にあったら、芥川龍之介の『芋粥』の主人公のように食べる前から胸がむかむかしてしまうのかなあと、とりあえず想像してみる。


とは言うものの、寒い日に吹きっさらしの中でバスを待ったり、暗い夜道をとぼとぼと帰るのはつらい。50くらいで会社勤めを辞めて自由業にでもなれたらなと思うけれど、世の中はそんなに甘くないのだ。

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›2006年01月03日

デッサン教室

父親が警視庁に在職中、過激派の学生が校舎の三階から落とした机にどつかれて脳挫傷の重症を負ったのは僕が幼少のときで、自分の初めての父親の記憶は家で寝込んでいる姿だった。


その後、熱海の温泉病院に療養のため何年か入院した。年に一度か二度くらい、父を見舞ったと思う。なかなか広い病室で、窓が海に向けて開け放たれてあって、天気の良い日は父はベランダに出て相模湾の風景をデッサンしていたようだ。スケッチブックには同じような海の風景が何枚も描かれてあった。
...というようなことを、正月に実家に帰って思い出した。


芸術文化学科は制作をしないのだけれど、デッサンくらいはできるようになりたいと思い、ネットで検索してみるが、どこが良い教室なのか分からない。
ブログを読んでいる方で良い教室をご存知の方がいましたら、ご教示ください。横浜市内で、できれば西区中区磯子区であれば自宅から近いので通いやすいです。よろしくお願いします。

Posted by phonon at 17:25 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2006年01月02日

明けましておめでとうございます

初春は美術を学んでいるものらしく過ごそうと思い、東京国立博物館に行った。雨の寒い日だったけれど、そこそこの人出だった。知らなかったが、今日は無料観覧の日だった。


五つある国立博物館は国の文化の顔なのだから、いつも無料にすればよいと思っていたけれど、独立行政法人になってしまったので、そのようなことはまず無理だろう。今日の無料観覧も企業のスポンサーがついていた。


今の目玉は長谷川等伯の「松林図屏風」。あまりにも淡白な屏風絵のせいか、あまり人気はないようだった。来ている人も、観光客が多かった模様。
「松林図屏風」展示は、1/29(日)まで。

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