2006年07月24日
収拾のつかなくなる私
ムサビ通信の絵画の教科書を読んでいると絵画教室に行きたくなり、映像の教科書を読むと本格的に写真を始めたくなり、というか始めつつあるけれど、過去の写真家が何をどのように撮ろうとしたのか手持ちの本で調べていると、入江泰吉という奈良や飛鳥の風景を撮った写真家の本に万葉の歌に関する言及があって、そういえば万葉集についてよく知らなかったなと思って、Amazonで久松潜一『万葉秀歌(一)〜(五)』(講談社学術文庫)を取り寄せて読み始めていて、いったいこのまま自分の興味に素直に従って行動して行くとどのようなことになるのか自分でも分からなくなる。
仕事のことであれば新しいテクノロジーやビジネスが出て来ても、今までの知識や経験を用いて理解をし検討することが出来るけれど、美術については全く蓄積がないのでこのように発散していくのだな、ということに気がついた。
入江や土門の本を読んでいて、この二人は仏像を数多く撮影しているけれど、その写真を見て「そういえば、佛教大学にも通信制があったな」と考えている自分はもうヤバい。
音量子さん、こんばんは。
「収拾のつかなくなる私」まさに、私もこのパターンに陥ることが多々あります。レポートのために資料集めをしているときに、特にひどく発生します・・・。おかげでデザイン史のレポート1通書くのに、2ヶ月かかった上手元に10冊もの本が残りました。
お互い気をつけましょう☆
キョウコさん、おはようございます。
どの科目をどこまで深く学習するかは難しい問題ですよね。突き詰めて行けばどこまでも突き詰めて行けますし。
卒業資格を目指すと言うのが目的でないのであれば、自ら深みにはまってしまうのもそれはそれで悪いことではないと思います。また、そのように自由に深く掘り下げて学習することは社会人であればこそできることではないかと思います。
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