›2005年12月31日
来年もよろしくお願いします
年もおしせまってから世の中は景気が良いということになって来て、それと同じ時期に転職とか離婚とかいう話がまわりからちらほらと聞こえて来た。人は景気が良くなると、新たな道に向かって歩き始めるのだろうか。
仕事納めの週は、朝の通勤時間の混雑がぐっと緩和されるけど、今年はそれほどすいているという感じがしなかった。みな忙しいのだろうか。
飲屋もずいぶんと盛況だったようで、夜遅く仕事の帰りを急いでる時に、小間物を広げている人を何人か見た。
禿げて脂ぎったおじさんは、電信柱につかまりながら「うぉっえーーー」と絶叫しているし、若いおねえさんは、顔を隠して「ぉぅ」と戻している...
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音量子ブログを読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。来年はもう少し課題や美術の話を増やすつもりです。よろしくお願いします。
›2005年12月29日
卒業生インターネットサービス
今日ポストを見たら、ムサビ通信の他に母校から「卒業生のインターネットサービスのご案内」というのが来ていて、ただで一生涯通用するメールアドレスをくれてやるからさっさと登録しろ、という内容だった。
素直に登録して同窓生を検索してみると、まだまだ登録者は少なかったが、そのなかに中学高校大学と一緒だったMの名前が出て来た。Mは在学中から事業をやっており、僕より一年先に大学へ入学したけど卒業したのは僕より一年後だった。卒業以来、会う機会はない。
メールを出したら、早速返事が返って来て、中学高校の仲間で新年会をやる、先生も呼んでいるから来るか?、ということだった。
中学高校時代はあまり良い生徒とは言えなかったから、先生と会うのは懐かしいというよりはおっかないな、という気持ちが先にたった。出席するかどうか悩んでいる。
›2005年12月25日
来年の計画
ムサビ日記の日付を見て、今日もクリスマスなのだなと思ってみる。勤め先は29日までなのだけれど、多くの人がクリスマスに合わせて仕事納めにしてしまう。今週出社するのは2割くらいだろう。僕は28日まで出社する。この時期が、製品やテクノロジーについて自分なりに考える貴重な時間となる。
また、この時期には個人的な計画も考える。仕事の波とスクーリング日程が重ならないように慎重に計画を立てよう。既に来年度のスクーリング日程が発表されているのがうれしい。
とは言うものの、慎重に計画を立てても実際に出席できるかどうかは、仕事の関係で直前までびくびくしている。だから、三日間だけれどきちんとやりおおせた時のよろこびは小さくない。
›2005年12月24日
年の暮れ
ムサビコムの日付を見て今日はクリスマスなのだなと思ってみる。といっても、これから掃除洗濯をし、夕方から課題の勉強をし、疲れたらビールを飲もうと思っているから、普段の週末と何も変わることはない。
毎日淡々と生活したいと思っている自分からすると、クリスマス歳末正月と世の中からビッグイベントを押し付けられるのは苦手で、生活に変化をつけるのなら自分でつけたい(ワガママ)と思っているから、この時期はどうしても苦手だ。
とは言うものの、一年ごとに区切りをつけるのは良いことと思っていて、今年のことは忘年会で忘れてしまったから、来年は何をしようかなと考える。4年になって、課題をこなしスクーリングに出席しムサビコムを書いていると思うが、もう一つステップアップしたいとも考える。
›2005年12月21日
中瓶
ここ二週間くらい忙しくてゆっくり酒を飲むことができなくて、仕事帰りに中華料理屋でビールを1本飲むくらいの生活を続けていたら、体の調子が良くなった。
最寄りの駅に午前1時までやっている中華料理屋が二軒あって、どちらもビールを頼むと中瓶が出てくる。この一本を飲んで家に帰って寝ようという気分のときに、中瓶というのはさびしい。
酒の量が減って体の調子が良くなったのは良いけれど、頭の回転が早くなったとか感性が鋭くなったということはない。どちらかと言えば鈍くなったような気がする。なかなかうまく行かないものだ。
›2005年12月17日
三井記念美術館
美術を学ぶのであれば、多くの実物を見ることが重要なのは言うまでもないけれど、課題をこなすのに忙しくて、去年と比べてあまり美術館に足を運んでいないことに気がついた。
今日は、三井記念美術館「三井家伝世の名宝」展を見に行った。東西線の日本橋駅で降りて、日本橋方向に向かう。日本橋を渡るときに、自分はこの橋を歩いてわたるのは初めてではないかと思った。車では何度か通っているが、歩いて渡ったことが思い出せない。
三越本店の前でライオン像を撫でる。お約束だ。ライオン像が二つあるのに初めて気がついた。やはり、この辺をぶらぶら歩くのは今日が初めてだったか。
美術館は三井本館の7Fにある。調度や装飾は、館の建築当時の雰囲気を意識して作られているようだ。
開館記念特別展Iは12月25日まで。来年は特別展IIがあるようだ。
›2005年12月15日
プレゼン
プレゼンの準備をして、とりあえず上位マネジメントにプレビューをしに行ったら、「お前、こんなアピールの仕方しかできないのかよ」と言われた。昨夜は遅くまでかかって、アニメーションを使ったり画像を貼っつけたりしたが、うまくいかない。
今日の朝は熱を出して起き上がれなかった。昼過ぎから会社に行って、プレゼンをよくやるひとのファイルをあらためて眺めてみた。
・背景は白地をつかっている(これは色使いの自由度を高めるためだろう)
・重要な言葉は、濃い色の小さな四角の中で白地で抜いている
・主張したいことは、薄い色の四角のなかに細い黒字で書いている。ただし、強調したいことは背景と同系の色の濃いものを使い、強調している
ということを見習って直してみると、少しは締まって見えて来た。とはいうものの、会社のなかで一番重要な「数字」およびその根拠が固まらない。今晩は鮨屋に行って赤貝やあん肝をつつきながら考えてみたが、うまくまとまらない。明日の朝も熱を出していると思う。
›2005年12月11日
年もおしせまった一日
今日は朝の9時前から町内会の宣伝カーが走り回って、これから餅つき大会を始めるから早く会館に集まれとアナウンスしていた。日曜日のこの時間では、寝ている人の方が多いと思うのだけれど、町内会の役員は人の思惑を考えないのか、あるいは餅つきのときは前日から興奮して眠れないからなのか。
昼前に車で出かけると、三カ所で買物渋滞に遭ってしまった。ボーナスが出たばかりの週末だからと思うけれど、最近はボーナスが出る前にカードで買物を済ませてしまう人も少なくないのではなかろうか。
僕自身はレンジファインダーカメラ用の望遠レンズを前月に買った。こんな高いものを買っていいのだろうかと自問しながら、買物サイトで購入ボタンをクリックしてしまった。
やっぱり、ネットショップは危ないと思う。
›2005年12月10日
翻訳担当
にせヒロコ・グレースのような人がプロジェクトに翻訳担当として入って来て、これは便利と技術文書を英訳してもらったら、これが全然だめなのだった。よく考えてみたら当たり前で、技術内容をよく理解していないときちんと翻訳はできないわけで、まず、にせヒロコ・グレースを呼んで技術についてよく説明して、出来た英文をチェックして、必要な箇所を修正すると、はじめから自分で英語で書いた方が楽なのであった。
英文を書くときに一番迷うのが冠詞で、aにするかtheにするかでずいぶんと迷う。にせヒロコは在米10年だけど、冠詞には迷うと言って複数にしてごまかしてしまう。
岩波新書のマーク・ピーターセン『日本人の英語』はいい本で、冠詞の使い方の指標を与えてくれると同時に、日本の学校における英語教育のpoorさに気づかさせてくれた。
会社の机の上に置いてあるので、今度にせヒロコに貸してあげようか。
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›2005年12月04日
「西洋美術史I」科目試験
今日は玉川上水の紅葉がきれいだった。寒くて、試験が終わったときには雨が降っていた。雪がふっているよりましと思うことにした。でも、上水わきの植栽はなんとかならないものだろうか。少しは整えたらよいの思うのだけれど。
とりあえず答案用紙を埋めた。僕なりの戦術を記すと、
・書いて書いて書きまくれ
・曖昧なことを書くな
特定の時代、作品名、様式など覚えきれないわけだから、その時代背景で知っていることは書く。中世の聖像のことであれば、旧約の偶像否定ということが前提にあるわけだから、出エジブト記だとか公会議だの、イスラムやユダヤ教の違いやらと知っていることは書く。
ゴシックのステンドグラスであれはどこの教会だったか、ノートルダム大聖堂だったかと悩むようであれば、たんに「ばら窓」と書く。
とりあえずやるべきことはやったので、横浜の鮨屋で少し飲んだ。まだ明るかったけど。雨の寒い日なので、他には客は誰もいなかった。
›2005年12月03日
古傷について
数日前より首から肩にかけての痛みがひどかったので、鍼灸院に行くとぶっとい針を二本首筋に打たれた。拳法の古傷の後遺症ですね、冷やさないでくださいと先生は言ったが、これからどんどん寒くなるのにどうやって冷やさないようにすればよいのだろうと思った。
以前勤めた会社の同僚に空手で膝を痛めた人がいて、冬になると溜まった水を抜きに行っていた。本人は慣れっこですよと言っていたが、辛くないはずがない。
困ったなぁと思いながら帰ってくると、家の前に町内会の副会長のおばさんがいた。「音量子さん、来週の餅つきで男手が足りないのよ、手伝ってくださらない」と言った。僕はなんて素晴らしいタイミングだろうと思って、いまの僕の肩の状況では餅つきには全く耐えられないことを説明した。
次の問題は、来年の夏祭りの時期にどうやって古傷を再発させるかだ。