美大生だけどただの人の子ペロリのリアルな日常を。ペロペロ
Search
終わるということ
今日はお世話になった方の訃報を耳にしました。
ペロリはその方に対してあまり好感をもっていませんでしたし
最後までペロリ自身のことを優先して考えていましたので
その訃報を知るまで、ペロリは色々不満を持っていた訳です。
ところがどうでしょう
お知らせが来てから、状況をちゃんと飲み込んで
とても複雑な気持ちになりました。
結構最近、その方を巡って友人とも討論になりかけたりもしていて
そこでのこの訃報に
ペロリはたいそう複雑な気持ちに駆られてしまいました。
先生という観点から見ると、やっぱり尊敬すべきところもあって
なるほどなあと言う発見も授業を受けていたころにはあった訳です。
けれどもだんだん相性が合わなくなって
その授業がなんとなく邪魔になっていくあの感じったら、もう。
ペロリの中でその方の思い出はあまりいい方の思い出ではないけれど
やっぱり知っている人の死というのは寂しい。
もうあのおなじみの場所にあの表情で立っていることはないんだな
もうあの人の体温はそこで感じられないんだな
もうあんな風なあの人だけの言葉を頂けることはないんだな
もう、文句さえも届かないんだな
人が亡くなるということは
それまでに流れていたその人に関わる時間全部プツンと止まってしまうということ
その人への思いも、もう絶対その人に直接は届かないということ
その人と新たな思い出を作って行くこともできないということ
その人の時間は止まり、自分は成長し
時が経つことでどんどんその人と自分の間の距離が広がって行くということ
気づいたら遠い記憶の中の人になっていて
カケラかけらしか思い出せなくて
すごく嬉しかったことや嫌な思いをしたことなど
断片的に強調されて思い出すようになる
思い出される人になってしまう。
それはそれで例え相手が自分にとっては微妙な存在であっても
「死」は寂しい。
一度関わりを持った人の「死」はなおさらである。
死の形にはいろいろあって
あまり人に言ったことはないけれど、
ペロリが高校生のとき、たまに選択授業がかぶるってぐらいの
隣のクラスの男子が自殺したことがあった。
一応話した事もあったし席が近かったこともあった
一応名前と顔の認識があるくらいで、同じ笑いや話題を共有して
同じ授業を同じ教室で受ける、そういう同じ体験をしていて
ある日の朝突然、彼の死を聞いた。
原因は明かされることはなかったが
そのときの気持ちを忘れない。
今日のあの瞬間と似ていた。
もっと関わっていたかった、もっと知っていたかった
近しい仲でなくても、どんなに相性がよくなくても
自分の予期せぬタイミングで
自分の関わりの輪の中から突然いなくなってしまうのは
すぐに飲み込む事は不可能だと思う。
そしてどうしようもなく切なくて寂しい。
この突然の終わりによって今はひたすらこの複雑な気持ちでいっぱいである。