›September 21, 2010

ダメ人間の心情



お久しゅう。おきなまろです。

はい。ばてばて。現在進行形で。
前回の更新が多摩美と造形大のオープンキャンパスか。
あの日は特に暑かった。あの後もずっと暑かった。そして今までずっと。


もう無理だ。
と言いながら、まだ生きている自分を不思議に思う。
しかし、普通に生きている周囲の人たちを見ると、もっと不思議に思う。
別の生命体なんだとつくづく思う。

気合い?
気合いは私がもっとも得意とするところ。気合いでなんとかなるならとっくにしてるんだけどなあ。


暑さで人間としての部分がどんどんだめになってゆく日々はせつない。
何をどう努力すれば暑さに強くなれるのか、全くもって不明なまま、
何もかも諦め、何もしていないと、思春期のごとく自分のことばかり考え、また気が沈み、
あ、そういえば洗濯物を干したままだった、ああ動けない、と気が沈み、
おそろしいループだ。


しかし、このループは不思議な副産物をもたらす。
体調が悪くて神経過敏になっている時は、ただただ外部から五感に受けるすべてのものが苦痛だが、
第六感的なものも過敏になる。
これはわりと、私の場合は良い方向に働く。
今年の夏は、憔悴しきっているのに、ある流れに流されるまま流れたら、
不思議なことに、あ、こっちだと感じるものがあり、そこで人生が変わるほどの発見と出会いがあり、
そのせいでよけい体力は落ちるのに精神的な部分だけどんどんと前進するという、不思議な経験。


やはり物事は多角的に考えるべきだ。
表面的な行動や現われる事象と、人間の心や空気の流れというものは、
かならずしも誰にでも一致するというわけではないのだ。


何を言っているのか、文章がよくわからなくなってきた。


とある大学の教授がテレビで言っていた、というのを又聞きしたこと。
人間は、たえず新陳代謝によって細胞が入れ替わっていくから、2週間前の私と今の私は全然別人である。と。

そんな感じだ。
一気に変わらないから気付かないだけ。
確実に、人は変わってゆく。
私も、この夏がすぎて、別人になったんだ。


どうもこうも、良いも悪いも、判断する気力は残っていない。
今この瞬間も、生命維持のために僅かでも尽力しているだけで自分をほめたいと思うほどだるい。
ただ、明日は今日とまた違う自分になる、そう思えば、
ひたすら守るものも、目指す里程も、今考えてどうこうなるものではない。
それならば、明日も生きていることを目標に、今日を生きればいい。


そう思って、とても清々しく、良い意味で、諦め切った夏。
まだ、終わらない夏。


明日また、会おう。

Posted by okina at 11:45 PM | Comments [1] | Trackbacks [0]