November 29, 2009

サボりまくりのおきなまろ竹を食べるの巻



さて今年こそ行ってまいりました。
一連の竹プロジェクトのしめくくりとなる、公開シンポジウム「竹の造形・その未来」!!


え? 長らく更新してなかったのに久々の登場でいきなりなんだ?って??
たしかに、1ヶ月間、更新をサボタージュしていたな。その間何をしていたかって?
充実した毎日を送っていましたとも。リア充ってわけ。
インフルエンザの流行を傍目に、るんるんと秋の日々を満喫していたわけよ。

そうでもないか。
最近のおきなまろの仕事ぶりといえば、何やら考え込んでみたり、フリーズしてみたり、かと思えばいきなり資料をあさったり、
猛烈な勢いで資料を作り始めたり、しかし忽然と姿を消してみたりと、なんとも奇妙である。
周りの人たちが入試の業務でてんやわんやしている中、マイペースにイベント企画などなどと向き合う日々。
脳内作業している状態って、外から見るとサボっている姿そのものなのね。申し訳ないったらありゃしない。
美大生(特にデザイン系)がサボっているように見える時、実は頭の中は課題やプランでぐるんぐるんなんだけど、それと同じ状態。
それに加え、何気におきなまろはまだ広報入学センターの人になって1年も経ってないので、現状把握だけで結構体力を使う日々。
なんつーか、現場作業の方が向いているなと思う今日このごろなのであった。





そういうわけで、昨日は本当に仕事をサボタージュして、シンポジウムを見に行って来た。

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竹林兄さんがお休みの日なので、竹プロ続編の取材を仰せつかっているのだが、これは仕事じゃないわな。しかーし、
表向き、ムサビの腕章をつけてカメラを持っているので、取材っぽく見えてサボりに見えないという、得な部署の人間なのである。ニヤリ。


今年もますます進化して、すごいわけなんです竹プロジェクト。


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パネリストの3人。
左がジョン・ハーディー氏。
バリ島で、校舎や机椅子などすべてが竹で作られた教育施設「グリーンスクール」を主宰している方。
その様子を写真で見ただけでも、ものすごいカルチャーショック。
すべてにことごとく竹を使用した、ジャングルの中の、自給自足生活は圧巻。


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中央が柗井正澄氏。
横浜開港150周年イベントで、市民と一緒に放置林から伐採した竹を使用して、
巨大な建造物「竹の海原」を制作した方。
竹を建築材料として活用する方法を提案しているのだが、
とにかくまず、ハンパないスケールでひろがる竹の大海原がとても美しい!


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右が日詰明男氏。
黄金比などの数理を研究し、導き出した幾何学構造を竹による造形や音楽などに落とし込んで表現する作家。
今回10号館の前でやっていたワークショップでは、
ニューロ・アーキテクチャーの一部を竹のテントで作り、体感するため学生と寝泊まり生活をされていた。


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パネリストの方々の講演は、筆舌に尽くしがたい感動にあふれていた。
竹プロジェクトに関して授業等で扱うムサビの教員陣のレポートも、実に多彩。
ここに書いて写真を載せているときりがないので、シンポジウムの締めに司会の板東先生が
ずばり「なぜ竹なのですか」とパネリストに投げかけた質問が印象的だったので、そちらの答えをまとめておこう。


ハーディー氏は、今自分は60歳であり、クルミの木を植えて実がなるまでは待つ事ができない、と会場の笑いをとった。
しかしそこには深い意味が込められていて、竹の驚異的な成長に関してももちろんだが、
化石燃料などと違い、30年後に今やっていることを孫に説明する時まで、竹はそのままで在り続けられるから、という。
すべての私財を投じ、グリーンスクールや竹に人生をかけている人の言葉は、重い。

柗井氏は、日本の建築法規が厳しいこと(鉄とコンクリしか基準をクリアできない)を憂慮。
地産地消を建築で実行し、里山や竹林と、人間とが関わりを持ち、お互い蓄積してきたものをつなげていきたいという。
専門家によるこうした提唱は、素材から思わせるローテクさや原点回帰のイメージはまるでなく、
むしろ新たに発展していくものとしての可能性を強く感じさせられた。

日詰氏は、竹との出会いは宿命だという。たまたま造形をしようと思った時に材料を探して文房具店に行ったら、
竹ひごがあったと。なんか竹が来ちゃったと。それ以来、どうしても素材が竹になっちゃうんだと。
また、竹林の地下茎のネットワークが、中心のない、自己相似的という属性において自分の作品コンセプトと似ているそうだ。
「とりあえず、まずこれ竹でできるんじゃないかと疑ってみること」という視点を、聴衆になげかけた。


ひとつの素材について、こんなにも多くの人が多様な角度から検証し、
またいろんなことに派生、応用されていく様子が、シンポジウムという会場で身にしみるほど体感できた。
とても有意義な時間だった。

ムサビでは今後も、竹という素材のポテンシャルを追求していく。
またたくさんのおもしろいことに触れられると思うと、純粋にわくわくする。



さて、このブログのタイトルの意味でも説明しておくとしようか。
イメージとして用いた表現ではない。実際にシンポジウムで竹を食べたのである。


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このパン、竹パン。

ゲストパネリストの他にも会場には、いろんな分野で竹に関わっている方々がいらしていた。
その中のひとり(造園学の望月教授のGF!?)の方が、若竹の粉を10〜20%入れて作ったパンを焼いていて、
今回、会場に配られた。 フル回転して疲れた脳に、とりわけ染み入る、とても香りのよいパンだった。

竹は、タケノコやメンマなどで我々人間も食している、が、
日詰氏の衝撃理論がおもしろい。
パンダの消化器官にいるバクテリア(コンポストに応用する案アリ)が人間に備わったら、
生の竹を食える、と。
おもしろい。なによりも絵ヅラが…
竹林でばりばり食ってる人間…
竹取りの翁もかぐや姫に気付かずばりばり…
竹プロ最高です。






さて、ここからは個人的な内容になる。
おきなまろ、今回のパネリストのひとり、日詰明男さんのファンである。
雰囲気と喋り方が大泉洋にうっすら似ているから?いや、そういう不純な理由ではなく、
活動や造形のコンセプトに、大変興味を持っているのだ。
本文でリンクしたニューロ・アーキテクチャーのページ(日詰氏のwebサイト内)を読むだけでも、
なんというか、なんか涙がでてくるのである。感動なんだろうか。

今回の講演も、メモを取りながら前のめりで聴かせて頂いた。
一番心にガツンときた話はこれ↓
「今回のワークショップで、竹でテントを作って並べたが、実はこれの位置が私の作品だ、
 上物(うわもの)ではなく、ということを学生に言ったら、ぽかーんとしていたけど」
そう、自然界というか、この世の中に、形を持たずに存在していて気付かれていないものを見つけ出したことが作品で、
それを知覚できる状態にする手段として、竹という素材を使用しているということ。
唸ってしまう。 ある意味、私だって、ぽかーんです。


一応、私の専攻はコミュニケーションデザインで、学生時代から興味を持って研究してきたことは、
まあひとことでは言えないが無理矢理言うとしたら、無意識的に生み出されるコミュニケーションの副産物、なのだが、
もちろん簡単に形にできないし、かといって理論だけ展開したところで人に伝えることは難しいもので。
だから形にするところまで行っていて、しかも更に、
「構造体にしてみたらなぜか自立していた。力学はわからない↓(笑)」とか、

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「発見したと思って引いた図面の形が、ある日大根の葉の付け根をスパッと切った形と同じだった。
 自然界にはもともとあった形なんだ、くやしい(笑)」
という新たなつながりにまで発展していくところが、あこがれ通り超してもう、嫉妬の域である。
くそう。しかも、おきなまろにはない理数系の頭脳も持ってるし!もーー!

自分は一応ずっと今でも常に自分のテーマが視点としてあるし、日々おこる出来事やなにげない会話にも
独自の観察眼を光らせているけども、それだけじゃなくて、何かしら無理無理にでも形にしてみることが必要かなと思った。
何のためともわからないけれど、
「作ってみなければわからない。作ってみてたまたまできたものばかり。」
という日詰氏の言葉を、心の支えにしようかなと思うのでありました。


まあでもとりあえず、お仕事での脳内作業も、一区切りつけて何かしら動こう。ひとつふたつ物理的に成長したいものだ。
うーん、学生が冬休みに入ったら、今後の作業に備えて、トラックの運転の練習でもしようかな。
おきなまろ 構内X'mas暴走。 


okina_maro@hotmail.com

Posted by okina at November 29, 2009 07:58 PM
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