›January 12, 2008

ドラマ版ハチクロ開始によせて


いろんな人に、ドラマ版ハチクロ第1話の感想を聞いたが、
私の周囲の人は、漫画版の好き度が高いほど、否定的な回答が多い。
確かに、ずいぶん漫画や映画の雰囲気とは違うと思う。
ただ、漫画・アニメ・映画ときて、4度目となると、忠実に再現しただけじゃ
きっと視聴者(とくにハチクロファン)に飽きられてしまうのではないか。
だから可能なかぎり、イメージを意図的に変えている気がする。


平成の20年間(正確には19年間と思うけど)の代表的ドラマを一挙に特集した
フジテレビの番組を見た。
ドラマっ子の私にはどれも懐かしく、非常に楽しめたのだけど、
ふと思った。

最近のドラマは必ずハッピーエンド。
または、必ず泣けるか感動するお決まりラストである。


昔のドラマは、主要登場人物が途中でいきなり死んだりとかしてた。
『振り返れば奴がいる』なんて、ラストに主人公が殺されちゃったり。
私がかなり好きだった『東京ラブストーリー』だって、
せつない終わり方だった。よくわからないやりきれなさが後に残るラスト。


それに比べ、今のドラマは最後が必ずきちんと話が終わる。
視聴者が妥協しなければいけない感情は、一切生じないように作られている。
見る側が無意識に「こうなってほしい」という形を軸に物語が進んでゆき、
きちんと腑に落ちて、全部のテーマや出来事に区切りがついて、終わり、というかんじ。
それをつまらんとか言いたいわけじゃない。
見ている自分は、それですっきり見てるわけだし。


きっとこの現象は、時代が現れているのだろう。
バブルの頃は、人々の心にも余裕があって、いろんなものを受け入れる器があって、
だからドラマも挑戦的なものが多かったのだろうと思う。
今は逆。なんとなくキュウキュウした世の中で、ストレスがたまっている時に、
平穏な日常としてテレビのボタンを押して流れてくるものには、
ゆるいものを求めているのだと思う。
「花ざかりの君たちへ」を見ているときに、それを強く感じた。
この底抜けの明るさ。あり得ない設定。現実とかけ離れた世界を、
批判するのは簡単だけれども、実際多くの人がそれを物語として
楽しめているのは事実だし、そこにリアリティーを追求する必要はないように思う。


一時代前のドラマは、身近な現実プラスちょっとした非現実の刺激、というものだった。
今は、超非現実。現実と完璧に分割して楽しむもの。
だから漫画が原作のものが多いのだろうと思う。
だから逆に、ある意味、視聴者側の「ドラマの設定」を受け入れる器は、
昔よりも大きくなったんだとも言えるかもしれない。

私は漫画っ子でもあるので、漫画「ハチクロ」を意識してドラマ版を見ていた前半は、
なんとなくしっくりこない感覚だったが、30分くらいして、その世界に慣れた。
ありえないハチクロ美大設定をたのしんじゃえと思った。
「この話はフィクションです。多少の事は大目にみてください」と
ことわり書きが入ったイケメンパラダイスと同じような感覚で、見るのがいいと思う。





本来の私の意固地な性格なら、漫画の雰囲気や実際の美大環境との違いを
気にしまくって指摘しまくっていたと思うのだけれど、
ハチクロを見る前に、ちょうど年末年始に私がはまっていたドラマは、
『ライアーゲーム』でして。
連ドラは夜中だったし、主人公の役者2人がどうかと思って見てなかったけど、
何気なく再放送見たら、近年まれに見るおもしろさだったんでして。
まあこれがとんでもない非現実でして。
頭の中は非現実モード全開です。
だからハチクロも比較的すんなり受け入れられたんだと思う。


okina_maro@hotmail.com

Posted by okina at 02:46 PM | Comments [0] | Trackbacks [0]

›January 07, 2008

家族


押入れの片付けをしていたら、昔のカセットテープがたくさん出てきた。
音楽のものに混じって、私と妹が幼い頃の声が録音されたテープも10本ほど出てきた。
自分の、生まれて1週間くらいの時の泣き声(なんか死にそうにか細い声)とか、
ちょっとしゃべりだして両親と話してたり歌ってたりとか、
妹が生まれて泣いてるそばで、私は親戚と遊んでたりとか、
妹がしゃべりだして、二人できゃっきゃとうるさかったりとか。
どれも他愛のない日常の断片なのだけれど、自分にもこんな時があったことを、
ここまで直接的に感じて、すれてる大人の自分がもったいない気分になった。
自分はこんなにも家族に愛されて育ったのだと、改めて思うと涙が出た。

続いて写真が出てきた。
家族写真。
たぶん妹の誕生日かなにかで、家族5人が居間に集まって、
セルフタイマーで撮った写真。
私は6歳くらい。両親はとても若く、母なんて今現在の妹みたいだ。
みんな笑顔。
これ以上ないってくらいの、幸せそうな家族が写っている。
今も同じメンツで暮らしているのに、忘れている感覚。
わけもわからずまた、涙が出た。


初めて、自分の家族がほしいと思った。
今まで自分が子供を持つとか考えたこともなかった。
赤子や幼児との接点は多いのでなれているし、
驚異的に人見知りしない友人の子供と頻繁に遊んだりしてるのに、
自分が子供をほしいと本気で考えたことなどなかった。
この歳になって初めてそう思うってのは随分と遅いんだと思う。
2月、また、友人に子供が生まれる。
あちこちで、友人のところに子供が生まれている。
でも初めて今日、それをうらやましいと思った。

不思議なことに、自分を含めた「自分の家族」を見て聞いたことで、
初めて家族がほしいと思った。
きっとそれが私にとって、一番リアルな家族像だからかもしれない。
そういう家族の一員として生きてこれたことを、きっと感謝すべきなんだ。


okina_maro@hotmail.com

Posted by okina at 01:31 AM | Comments [0] | Trackbacks [0]

›January 04, 2008

寝年末年始


昨年末は、どういうわけだか妙に疲れがぬけず、母親にこき使われる以外はほとんどボーッとしていた。
冬休みに入ってから何をしていたか、あまり覚えていない。
人生について、浅く考えていた。

なんとか奮い立ち年賀状をかきあげ、やっと遊びに行ったのが年の瀬30日の地元の忘年会。
それでまた少し疲れて大晦日はボーッとすごし、気づいたら遠くで西武園の花火が鳴り、年明け。睡眠へ。
あっけなく年を越したが、忘年会でしこたま遊んで少し鬱憤が晴れたのか、新年からやっと、だんだんと
元気を取り戻しました。あけましておめでとうございます。おきなまろです。本年もどうぞよろしく。
高校サッカー、ニューイヤー駅伝、天皇杯サッカー、箱根駅伝と、いつもの年始をすごしております。


昨日は、年始の挨拶に親戚の家へ行った。
小5の従兄弟が、またでかくなっていた。きっとすぐ私を追い抜き、数年後には180くらいになるんだろう。
ああおそろしい。かわいくない。ゆるすまじ。
でもまあ、でかくても子供で、かわいいもんで、伯父に酒を飲まされた私はテンションがあがって
すっかり子供にかえり、一緒にミニラジコンで相撲。マジ勝負。お互い親指が痛くなるほど白熱。
おまえ何歳だよと言いたくなるような姿だと思われる。が、親戚連中は、私を赤子の頃から知っているし、
顔がちっとも変わらないらしいので、そんなツッコミは入れてこない。
何かの話の流れで私の年齢が出たら、そろって驚いている。おいおい。
もうおばさんじゃんとか、おいおいおいおいおい。
でもねー、私はこの従兄弟が生まれた11年前、それを見越して対策をたてた。
当時中3の私。この子が15になったら私は30だと気づき、危険を感じた。
従兄弟なのにおばさんなんて呼ぶようになったら蹴っ飛ばすぞと。
それを回避するために、「おねえちゃん」ではなく、名前で呼ばせる努力を数年。
今では見事定着!!!なので、♪私がーおばさんにーなーっても ほんとに変わらない♪

ふふふ。
でも、そんな年齢になっても、祖母はお年玉をくれる。
ばーちゃんってのは、そういうもんなんだな。
ありがとう。まじで嬉しい。
情けないんだけど、おばさんにちかいくせに、極貧だものね。


okina_maro@hotmail.com

Posted by okina at 11:56 PM | Comments [0] | Trackbacks [0]