November 12, 2008

大掃除で得た発見



昨日、大ごちそうを食べたら、とても元気になりました。
単純なおきなまろですこんばんわ。


そろそろ期末レポートの季節である。
私もさんざん書いた記憶がある。基礎デは特に文章を書く。

先週末、実家で自分の部屋を片付けていた時、
学生時代のプリントやらなにやらがいっぱい出てきた。
レポートはデータでとってあるものが多いのだけれど、
プリント類は、意外にもきっちり分類され整理されてとってあった。
自分にとって重要な順に、学部から院まできっちりと。自分にびっくり。

それから、資料になりそうな新聞の切り抜き集とか、
院生の時に持ち歩いていたファイルも出てきた。
アイデアなどのメモがいろいろきれいに入っていて、
提出日や予定表などのプリントも入っていて、
成績表とか履修登録確認表とかまで、ちゃんとファイリングされてるの。
今は学生に対してちゃんとしろとか言ってるけど、
昔自分はどうしてたっけなあ、人に言えたことかなあ、でもまいっか仕事だし、
なんて思っていたけど、これからは堂々と言えるわ。ふっふっふ。

大学院で勉強して、一体なにを得たのだろうかとか、
まともな作品もつくらず、ほんとに何もしていなかったなあ、と
常々思っていたけれど、実はずいぶん色々考えて勉強してたという痕跡が出てきて、
なんだかとても嬉しかった。ネガティブシンキングはやめよう。


で、院の時のレポートや修了制作の要旨なんかも入ってたんで、
読み返してみたのだが、、、、、
もしもーし? おきなまろさん、、、

むずかしいよう!!!

なんだろう当時の私、こんな文章書いちゃって、ちょっと頭よさそうじゃない?


ちなみに、高校の時、受験勉強のために現代文の先生に見てもらっていた
小論文もいくつか出てきていたので、読んでみた。
あら、ちゃんと論述できてるじゃない。やるじゃない。
やっぱり私、基礎デには小論文で受かったんだな。

高校でまともな文章を書けるまでに指導をしてくださった、
福田元総理似の現代文の先生に、感謝感謝である。


まともな文章を書くようになって間もない頃のプリントもみつかった。
2000年、私が学部1年生の時の、デザイン論の文章。
デ情の長澤先生の授業で、当時まだ大した知識もない時に、とにかく書かされた。
その中に、5年後の自分はデザインに関してどのような活動をしているか、
という問いがあった。つまり2005年、今からだと3年前の自分である。

私は随分と大きなことを書いていた。
目では見えない表現や伝達手段を、知覚できる形にする活動をしていると。
それは情報過多の今日、デザインの持つ一番大きな役割ではないだろうかと。
私たちをとりまく現代社会の環境は、日々刻々と変化が著しく、たとえ5年後であっても
具体的な事は容易には想像できないが、それはその時々で、時代が教えてくれるだろうと。

ほう、逃げ腰な結びだこと。昔からこずるいね。
就職でもしてると思ってんの? ばかねえ、ロスジェネなんてまだ知らないのね。
大学院ですよ、極道ですよ、その後なんて教務補助ですよ、もう浮世に戻れませんよ。

当時の私は、その後の自分の人生をまさに言い当てていたのかもしれない。
2005年に私は大学院へ入学し、確かにそういうことを研究テーマにしていた。
そしてその研究がまったく熟さぬまま、離れることもできずに今こうしている状態。
いやだねー。
まだ18のくせに、なまいきだぞ!


ということで結局、なかなか成長できずにいるのかもしれないけれど、
私はきっと、ずっと考えていかなきゃいけないってことだなと、
なんだかすっきり納得いってしまったりしましたとさ。
逃げちゃだめだね。


okina_maro@hotmail.com

Posted by okina at November 12, 2008 06:46 PM
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コメント

修士論文要旨は広報課に保管されている「修士制作・論文集」に載ってたので読みました。
むずかしかったです・・・。

Posted by 竹林 at November 13, 2008 01:43 PM

あー!そんなの破棄していいのに!!
読んでると途中で必ず眠くなる文章ですよね。
資料や先行研究が全くない研究内容なので、ほんと大変なんです。どつぼにはまっちゃってどうしよう私。

Posted by おきなまろ at November 14, 2008 12:35 PM
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