July 23, 2008

涙そしてありがとう



『スラムダンク』の最終巻を初めて読み、マジ泣きしたのは電車の中でした。

わかってくれるよね?

しょうがないっしょ?


左手はそえるだけ…




私は電車が苦手だ。
持病のパニック障害の影響が大きい。
一時は、隣の駅までも乗る事ができず、つうか家から出ることもままならない時期もあった。
自分はもうこのまま死ぬんじゃないだろうか、と何度も思った。
大学2年の夏のことだった。それから一気に私の生活に障害が多発した。
遠出はできないし、外食もだめ、歯医者や美容室もだめ、エレベーターや地下道もだめ、人ごみもだめ。
疲労は大敵、ちょっとでも暑くてモワッとしてると、すぐ発作を起こす。いやはや、大変だったなあ。
ゆーーーっくりよくなっていくのだけど、やっぱりゆっくりなもんで、
4年生のオープンキャンパスで、9号館地下で卒制企画公開プレゼンをする時は、緊張と地下会場という恐怖に、
当日の朝、家で発狂寸前で泣きましたわ。すっかりプレゼン慣れしてしまった今ではなつかしい思い出。


ただ、ほぼ回復し日常生活におおかた支障がなくなった今でも、電車はどうも苦手で、
混んだ電車には絶対乗らないし、駅をたくさん飛ばす急行も却下。地下鉄は避ける。大江戸線は一生乗らないと決めた。
通勤時は、すいた車両の位置を研究しまくり。時々やんなって途中下車して休憩することもある。
そんなわけで、「電車」というのは、私にとって、なんというか、妙な象徴的存在なのである。


今日は、月に1度かよっている、石神井にあるクリニックへ行く日だった。
(電車に乗れない病気の治療に電車に乗って行くというのは、主治医の転院についてった為に起こった矛盾)
会計を済ませクリニックを出ようとした時、ふと目に入った小冊子の背表紙が、
とてもきれいなひまわりだったので、ご自由にお持ちくださいだったこともあり、そのままバッグの中へ。
帰りの電車内で取り出してよく見ると、それは、家族のためのパニック障害サポートブックだった。
巻末に、パニック障害の娘を持つ父親(50)の体験談が載っていた。


「こんな病気になって、悔しい」と、娘は唇を噛んで泣いた。

「私の存在は迷惑なんでしょ」と家族にあたることもあった。

「電車に1駅乗ってみる」ホームで電車を待つ娘は小刻みに震えていた。
 今まで娘は独りで、こんな恐怖と戦っていたのか。

 隣の駅まで乗り、電車を降りると、顔は青白く、冷や汗をかいている。
「やっぱり私、だめだね、こんなんじゃ」
「何言ってるんだ、ちゃんと乗れてたじゃないか。父さんびっくりしたぞ」


内容としては、ベタだと言えるものなのだけども、読んでいるとなぜか、
7年前の自分の気持ちや思いがどんどんよみがえってきて、加えて同時に今の冷静な気持ちで
家族目線の文章を読むと、当時の家族や自分の周囲の人の気持ちはこんなだったのかとか思って、
どんどんと涙があふれ出てきた。
電車内なのに!
むり。止まらない!!!

よりによって、苦手なはずの急行電車だけどガラガラだったから勢いで乗っちゃったんよ。
恥ずかしいからって次の駅ですぐ降りるとかできないんよ。
iPodシャッフルは、そんな私のピンチな状態を全く察することなく、
めっちゃ明るい、あややの曲を奏でているよ。
トロピカル恋してる☆ はしゃいじゃ〜ってよいのかな〜っ!? ってこのやろう。
はしゃいでる場合じゃないっての!
いくらガラガラといえど、そこそこ周りに人はいるっちゅーの。
ずるずるーっと泣く私… なんという景色…
聞こえるのはトロピカル… なんてこったい。
人生2度目の、電車内マジ泣きである…
やっちまったぜ。



その冊子の内容だが、私はそこそこの病歴なもんだから、病気の説明についての部分は知っていることばかりだけれど、
家族目線だけあってやたらと、理解し安心させてあげて下さいとか一緒にいてあげて下さいとかいう内容なわけであった。
ふーん。

私は、ちょっと珍しい例の患者らしい。
普通は、1人で家にいられないとか、誰かと一緒じゃないと乗り物に乗れないとかいうのが一般的症状なのだが、
私の場合は逆。誰かがいると、気を使っちゃってだめ。
電車も誰かと一緒だと、一瞬のフットワークで降りたりできないとか、人を巻き込めないとか思うからプレッシャーなわけ。
発作の兆候を感じたら、家族の前であろうとも姿を隠し、落ち着くまで1人でいる。
そりゃ、もちろん心細い。つらさがピークの時は、その辺の人にでもしがみつきたくなる。
でも、結局、知っている人に発作を起こした姿を見られないようにしてるし。実際見られてない。

あ、そういえば1度だけ、人前で発作を起こしたことがあった。3年前の入試の仕事の時だ。
あの時は、理解ある仲間がそばにいてくれて、今日は電車で家に帰れないだろうと察してくれて、
近くに住む友人に連絡してくれて、泊めてもらえるようにしてくれたんだったなあ。
もうとにかくあの時はみんなに申し訳なくて恥ずかしくて仕方なかったのだけれど、
今思えば、別にそんなにこだわることじゃない。人に頼ることは、決していけないことじゃない。
むしろ、「大丈夫だから」とか大丈夫じゃない顔して言ってる方が、迷惑だろって感じだよね。
「申し訳ない」じゃなくて、「ありがとう」でいいんだよね。


私は、ほんとにわがままで気まぐれで気が短くてどうしようもないめんどくさい人間であるわりには、
すごく人に恵まれているんだこれが。みんなよくしてくれるの。本当に本当に幸せなことだと思う。
肩肘はってないで、もっと周りを頼って、ちゃんとありがとうって言おう。


こないだ、私が一番つらかった頃をよく知ってる大学時代の友人と、
夏休みにでもおちついたらどっかでのもう、って話になった。
「最近調子どう? ○○ちゃんが楽なように場所とか設定しよう。考えといて。」と気遣ってくれたメールに、
「大丈夫!最近はもうずいぶんあちこち行けるようになってるから!」と、返したなあ。
いちいち気をつかってでも、私に会いたいと思ってくれるなんて、嬉しい限りなのに、
なんかやっぱり私はいつも、強情っぱりの見栄っぱりだ。

でも、次にいよいよ場所を決める時になったら、
やっぱりうちの近くがいいな、って言おう。
それで、来てくれてありがとう、会えて嬉しい、って、ちゃんと言えばいいんだ。


okina_maro@hotmail.com



引用(部分):『家族のためのパニック障害サポートブック』ファイザー株式会社 2007年5月 より

Posted by okina at July 23, 2008 01:08 AM
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