June 21, 2006
オープンキャンパスの裏側〔3〕「まっしぐら」
インフォメーションでは、学科ピンポイントで場所を聞かれることも度々ある。
この企画はどこの教室ですか?というような質問ではなくて、
学校入ってずっとまっすぐ進んで、パンフも読まずにいきなり
○○学科どこかってインフォメーションで尋ねちゃった感じの。
ホスト側としては、もったいないなーと思うわけである。
もちろん、視デはどこですか?という人に、油も見たら?とは言わないけれど、
なんかもうちょっとさあ、せっかくなんだからさあ、、、。
と思うのは、今だからか。
きっと高校生当時の私だったらやっぱり、同じように視野が狭かったろう。
なんかあっちこっちでいろいろやってるけど、目がまわっちゃうから
とりあえず行きたいとこに行かなきゃ、みたいな感じか。
でももしかしたら、その視野の狭さは、若者にとって大事なものかもしれない。
あっちこっち見て、悩んで悩んで迷いに迷ってしまうより、
その狭さを原動力に、えいっ、と人生の方向を決める選択をしてしまう力。
川幅が狭くなると、水流が速くなるみたいに。
ホースの口をつぶして持つと、勢いよく水が出るように。
後になって、なぜあの時に今の場所を選択したか、あまりリアルに覚えていないのも
そのせいかもしれない。
とにかくまっしぐら。
私は周りをよく見ないと言われる。
物理的に、よく見てないから、物にぶつかったり、人に気付かなかったりするのである。
最近視力が落ちたことも関係しているのかも。
今日は特に、視界がぼやけていた。霧のせい?そんなことないよなあ。疲れ?
目的の物とか方向は、一応見えている(と思っている)のだけど、
その途中に入ってくる人影が実は知り合いだったとしても、
3メートルくらいに近づいてからでないと、気付かなくて、
今日も見覚えのあるシルエットと、なびく前髪の人影が近づいてきたら、
その影が5メートルくらいのところでにこっと笑ったから、
ああ、おはよう、と確信して声を出せたわけで。
ほんと、どうなんだろう、この微妙な視力。
いまさら万年眼鏡生活を始めるのは難しそう。いまだに時々眼鏡で酔うし。
なんかこう、視野の狭いエネルギーみたいなメリットを、
物理的な視力の問題に置き換えて正当化する方法がないかな。
まっしぐらな生活。どうかな。
okina_maro@hotmail.com
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