2008年10月のアーカイブ

明日から芸術祭

ですね。
メイは今年は何もしないので純粋に遊びに行きます。
去年は人の展示見る暇なかったのでね...諸事情により.......
楽しみだー♪

芸祭に作品も出さずに何してんのかって言うと
相変わらず働いてます。
2店舗かけもちです。
寝ても寝ても寝足りません。

そうして働いてためたお金もすーぐに無くなっちゃうんだよね。
誰かフィルムとか印画紙とか買ってくれないかな〜。
そしたら浮いたお金でD3とかD700とか買っちゃうんだけどな〜。

そうそう、気づいたらもっぱらフィルムばっかり使ってるんですよね。
ていうのも父親が実はカメラコレクターだったことが判明したので
使えるいいカメラをどんどん試してるって感じなんですけどね。
ありがたや。

というわけでデジカメを使っていたときのように
ブログをぽんぽん更新できないのが悩み。
だってフィルムだと一度スキャンしなきゃいけないでしょ。
それが地味に時間かかるんだよね。
仕上がりもあんまりキレイじゃないし。
生活リズムの中に「スキャンの時間」というものを作るべきかね。


とかいいつつ久しぶりに更新したので良かったら覗いてください。
koyagips
不思議な花火の写真です。

レポートとか書きたくないしー

こんばんはメイです。
ダレてます。
 
最近授業のことについて書いてないなーと思ったので書いてみます。
その前に明日締め切りのレポートがあるんですけどね。
書く気が起きませんw

何のレポートかと言うと。
火曜日の写真の授業では、2週間に一度クラス全員で写真展を観に行き、
その感想・考察を1000字のレポートにして提出するんです。
かれこれ5つくらい?色んなギャラリーに行きましたね。
出不精なので、強制的に展示に連れて行かれるというこのスタイルは
かなり私の為になっていると思われます。
ま、レポートはめんどくさいんだけどね。
文章にすると自分が何考えてるか分かるようになるから書くべきだとは思うけど。
ね。

で、現在進行形の写真の課題は2つ。
一つは月曜日のモノクロ写真の授業で、バライタ紙という印画紙を使って
5枚以上の作品を提出というもの。必ずタイトルを付けなければなりません。
タイトルがね。悩みどころだよね。
ていうか撮影がまだ始まってもいないというおっちょこな状況。

バライタ紙っていうのが何者かっていうのはまだよく分からないので
気になる方は検索してみてください。
とりあえず値段は高いです。


で、もう一個は火曜日の授業の課題で(レポートだけじゃないのです)、
写真集を作るというもの。
12月に提出ということだけは決まっているのですが、
後は完全なる自由。
自由という名の荒野に放り出された私。
考えるだけで胃が痛し。

何をそんなに悩むのか自分でもよく分からないんだけどね。
テーマとかコンセプトとか、そういうものがはっきりと浮かんでこないから
辛いんだよね。
どうなることやらーー。
 
 
そんでもってCGの課題もまだ終わらせてないっていうね。
早くやればいいのは分かってるんだけどさー。
あとカラー写真は結局プリントの提出でいいのか...?

果たしてレポートを書き終えることはできるのかしら。
その前に何かやることあったんじゃなかったかしら。
新陳代謝よくなりてー。

at 23:30 | Category : 授業 | Comments (0) | Trackbacks (0)

大学にいる時間

私のアルバイト先はレストランなのですが、
キッチンで働いている社員さんの一人は大卒の方で
(大抵の方は調理の専門学校を出ています)、
料理や衛生などとはまったく関係のない分野の専攻だったそうです。

もちろん年上なのですが、フレンドリーにお話ししてくれる人なので、
この前ふと、
「大学に行った意味ってあったと思いますか?」
と聞いてみたところ、
「大学自体にはそれほど思い入れはないけど、
時間もお金もあったし、自分の好きなことが出来たと思うから
無意味だったとは思わない。行ってよかったと思う」
と答えてくれました。

本当に、自分はこんなに好きなことばっかりしてていいのだろうか、
と思うことがしばしばあります。
あーだこーだ悩んでたって、結局は自分のやりたいことのためなわけで、
お金がないとか言ってても、それは自分が欲しいものを自由に買っているからであって。
毎日何かを作って、友達と語らって、遊んで、疲れたら寝るという生活。

まさに、自分の時間を自分のために使っているということ。
それは果たしてシャカイジンになってからも同じように可能なことなのでしょうか?

母親がよく言っていた「かけがえのない4年間」という言葉の意味が、
大学生活を続けてみてようやく分かってきた気がします。
大学に行けなかった祖父が何としてでも母と叔父を大学にいれたのも、
大学を卒業した母が当然のように私と姉を進学の道へと導いたのも、
単なる見栄ではなくて、時間と言う名の大きな大きなプレゼントであったのかもしれません。
それはまた、私達が一人の人間として成長することを願ったからなのだろうと、
分かるようになってきました。
感謝しています。


高校の後輩が、専門学校か大学のどちらへ行くか迷っている、
という話をしていたので書きました。
親に相談して、もしも余裕があるのなら、あるいは自分で頑張って奨学金をもらう覚悟があるのなら、
私は大学を勧めます。参考になれば幸いです。

koyagips

at 23:44 | Category : 学校 | Comments (0) | Trackbacks (0)