リアルな美大親の日常を
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中島敦(2)
一ヶ月以上日記を書かずにいたら、はい、
キッチリ、ログイン名すら忘れてしまい、
「あれぇ?おかしいなぁ?えーと」(カチャカチャカチャ、カタン)
「ありゃりゃ?!」(カチャカチャカチャ、カタン)
・・・こりゃ、親日記メンバーから、抹消されたかな?
(カチャカチャカチャ、カタン)
・・・で、しばらくキーボードをカチャカチャやってたら、ふと思い出しました、ログイン名。
で、なんとかログインできました。よかった、よかった。
それでは、皆さん、いづれまた・・・
じゃなくて、中島敦ですよ。中島さん!
夕べ、風呂上りの寝床で、一丁『山月記』読んでから寝よう、などとふと思い、読みました、『山月記』。
およそ40年ぶりでしょうか。はじめて読んだのは、高校生のころで、国語の教科書に載っていたものです。
当時、私のいた高校の国語教師N先生は、現代語?でいう「ハイテンション」な人で、
「君ら、キョーヨーのある人間になるためには、岩波新書を読みなさい」
「岩波新書を一週間に一冊読めば、三年間で150冊読める」
「ボクぁ、岩波新書を百冊も読んだことのない人間をキョーヨージンとは認めない」
・・・右も左もよくわからない生徒に向かって、こんな風な説教を垂れていました。
そのN先生、
「キョーヨーのある文章とは、どういうものか、知りたかったら中島敦の小説を読みなさい」
・・・というわけで、読みました私も。
一生懸命国語辞典や漢和辞典などをひっくり返しながら。
ムリ。
ムズイ。
なんじゃいな、この書き出し。
日本語じゃねぇー。え?中国語?漢文?センセー!これ現代文じゃないです!
「ムサビズキ、おまえ、さっきからうるさいんだよ。黙読しろ!モクドク!」
で、ギャーギャー騒ぎながら読みました、『山月記』。
センセー、ワカリマセーン!
何が悲しくて、役人の男が虎になって、草むらに隠れて、旧友を食べたいという欲望を抑えながら、旧友と会話できるのか?
(以下、N先生と私の会話)
N「キミは、トコトン読解力が無いなぁ」
ム「え?」
N「え?じゃないよ、キミ。キーワードは羞恥心だよ。シューチシン」
ム「ああ、ツルノタケシやカミチユースケやサトダマイ?ですか?」
N「そっちかい!だめだこりゃ!」
ところで、この『山月記』の主人公、作者自身すなわち中島敦と重なる部分が多すぎると思ったのは、私だけですか?
みなさん、ぜひ中島敦に関するコメントをお寄せください。お待ちしてます。
コメントをお寄せくださった方は、もれなく「美大ブログサミット2010」の無料招待権がゲットできる!(はず
いつも楽しく読ませていただいてるひとりです。
感想としてはちょっと特異かもしれませんが、お許しください。
私は漢詩を自作するほど好きな法学部志望の生徒でしたから、
司法文体的なこの作品は、冒頭から数頁はとてもリズミカルに読め、
また随所で「おこつく」(うまく表記できずすみません)ので、笑いを
堪えられなかった記憶があります。
然しながら、今にして当時の社会を思料し作者の心情を忖度するに、
恰も亜細亜の盟主たらんとして、全てを傷つけずにいられなかった
この国の姿が強く想起されて已みません。
(判例はこんな感じの文言が・・・笑
投稿者 基デ親のひとり : 2009年07月02日 02:25