2009年07月のアーカイブ

中島敦(2)

一ヶ月以上日記を書かずにいたら、はい、
キッチリ、ログイン名すら忘れてしまい、
「あれぇ?おかしいなぁ?えーと」(カチャカチャカチャ、カタン)
「ありゃりゃ?!」(カチャカチャカチャ、カタン)

・・・こりゃ、親日記メンバーから、抹消されたかな?
(カチャカチャカチャ、カタン)

・・・で、しばらくキーボードをカチャカチャやってたら、ふと思い出しました、ログイン名。
で、なんとかログインできました。よかった、よかった。
それでは、皆さん、いづれまた・・・

じゃなくて、中島敦ですよ。中島さん!
夕べ、風呂上りの寝床で、一丁『山月記』読んでから寝よう、などとふと思い、読みました、『山月記』。
およそ40年ぶりでしょうか。はじめて読んだのは、高校生のころで、国語の教科書に載っていたものです。

当時、私のいた高校の国語教師N先生は、現代語?でいう「ハイテンション」な人で、
「君ら、キョーヨーのある人間になるためには、岩波新書を読みなさい」
「岩波新書を一週間に一冊読めば、三年間で150冊読める」
「ボクぁ、岩波新書を百冊も読んだことのない人間をキョーヨージンとは認めない」
・・・右も左もよくわからない生徒に向かって、こんな風な説教を垂れていました。

そのN先生、
「キョーヨーのある文章とは、どういうものか、知りたかったら中島敦の小説を読みなさい」

・・・というわけで、読みました私も。
一生懸命国語辞典や漢和辞典などをひっくり返しながら。

ムリ。
ムズイ。
なんじゃいな、この書き出し。
日本語じゃねぇー。え?中国語?漢文?センセー!これ現代文じゃないです!
「ムサビズキ、おまえ、さっきからうるさいんだよ。黙読しろ!モクドク!」

で、ギャーギャー騒ぎながら読みました、『山月記』。
センセー、ワカリマセーン!
何が悲しくて、役人の男が虎になって、草むらに隠れて、旧友を食べたいという欲望を抑えながら、旧友と会話できるのか?

(以下、N先生と私の会話)
N「キミは、トコトン読解力が無いなぁ」
ム「え?」
N「え?じゃないよ、キミ。キーワードは羞恥心だよ。シューチシン」
ム「ああ、ツルノタケシやカミチユースケやサトダマイ?ですか?」
N「そっちかい!だめだこりゃ!」

ところで、この『山月記』の主人公、作者自身すなわち中島敦と重なる部分が多すぎると思ったのは、私だけですか?

みなさん、ぜひ中島敦に関するコメントをお寄せください。お待ちしてます。
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