リアルな美大の日常を
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2011年08月のアーカイブ
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夏の終わりはちょっとメロウな短調で
Pが戻って行った。
天候が不安定で雨、風がひどいし(高円寺あたりの道路冠水びっくり)
地震もあるかもだし(余震のテロップの度にドキっ)
エビ狩り世界選手権もあるし(Rが出場)
というようなことで「まぁ−まだいーんじゃね?」と伸ばし伸ばしにしてましたが
「絵を描くから」
と、帰っていきました。
タイトルはタイソウですがあんまり意味はありません。
気分がちょっとメロウ。
上野の科学博物館ほどじゃないけど
近所でささやかな恐竜展があって
やっぱり行きました。
手前の模型は工業高校の生徒さんの作品だそうで(奥のティラノは違う)
ステゴサウルスの頭の部分。
ここのこが子どもの頃「ステゴサウルスの脳は梅干し大と図鑑に書いてあったよ」と言ったら
Pは「クルミ大って書いてあったよ」と言っていた。
世代格差を感じた。
こっちは全体的にお茶目な感じの模型。
インテリアとしてほしいなと思った化石2種
あれれ
また爬虫類の話題になっちまった。
お花イベントの写真はまたの機会で。
最後に身近な哺乳類代表。
こやつ、この夏はD用に購入したひんやりジェルマットをちゃっかり占領してすやすや寝ておった。
でもPがいなくなってちょっと淋しそうなもっちー。
しりとりと言えば
世の中では『しりとり』が流行ってるらしい。
片目で見つつも。
ちょっと今は抱えてることで手一杯なので余裕ナシです。
不器用なヤツだ。
ここのこ家でしりとりと言えばアレだ。アニマル満載(レアもの)シリーズだが。
そんな中でも、Dが「脊椎動物で毒性が最も強いの、何か知ってる?」
と訊いてきた。
さすが「有毒動物のひみつ」という図鑑を小学校の時10回も借りた
子の父である。
彼が見てたのは「おれたち有毒ファミリー写真特集」というサイトだった。
答えはモウドクフキヤガエル
色は黄色で5〜6センチとけっこうかわいい感じ。
毒は食べ物から合成されるのでペット!として飼われるために飼育されたのは無害なんだって。
「も」で始まる動物ひとつ覚えた。
うーこんなのばかり書いてたら
ジャスミンさん、寄ってくれなくなっちゃうかしら。
今度は被災地へのカンパのためのイベントや、大槌町へお花を送ったお話でも
書こう。
水辺に行く
夏だから涼しいところへ行こうと渓谷歩きに行きました。
どこ?
わかりにくくてすみません。
あまりにポスターが楽しかったので
帝釈峡という広島県の渓谷です。
これはザ・ニュースペーパーの福本ヒデが神石高原町の観光大使だから
のポスターなんですね。
麻生さんに掛けてある時点でちょっと古めかな。
山口県の寂地峡という渓谷がある錦町にも
横尾忠則さんがかつてデザインした秀逸なポスター群がありました。
これもいいんですよ。今度撮ってこよう。
涼しいかなと思っていったらそうでもなかった。
歩くには足場がきちんとしていてサイクリングもできちゃうほど平坦なので秋の紅葉の頃はいいかも。
神竜湖(すごい名前)での遊覧船も楽しかったです。
Dがまたオイタを。
お土産物屋さんで飼ってるオオサンショウウオを見つけ
つついて遊ぼうとしたらお店の人に
「危ないですよ、噛まれます!」とたしなめられた。
ああ
Pと二人で他人のふりをしたかった。
でも記念写真
写りが悪いですが。
やっぱり似てる
もっちーの寝そべってる姿に。
sweets事情
Pが帰省してきた。
きょうだいRはお菓子作りなどをマメにする。
夜中に起きだしてケーキ焼いたり、パイを焼いたり
ようかんやプティングなども作る。
でも今は夏、焼き菓子はちとアツい。
で
最近冷蔵庫に出現し出したのは
タピオカ!
ココナツミルク味とぷるんとした食感好きのRならではのチョイス。
でも分量を間違って作ったり、食べ切らないで
時間をおくとアレに似てくるんだな、これが。
アレとは
カエルのタマゴ。
Pは優しい(?)のか形状にこだわらず
「なかなかウマいよ」と言って
食べていた。
まったりひんやりとエスニックなお味。
哀惜
モーニングコールというものがある。
我家の場合、
「ごは〜ん」(そう聞こえる)
と切なげに鳴くもっちーの声が朝、一番に聞く一声だったりする。
ごはん.
彼の場合はおいしく確実にごはんがもらえると確信しているのだろう。
もちろんその信頼を決して裏切ってはいけないと思う。
東京へ行った時、明治大の公開講座に参加したのです。
ETVで放映されて大反響だった「ネットワークでつくる放射能汚染地図」を
作ったディレクターと調査した研究者のお二人の講演でした。
原発関連番組を作り続けるために2度人事異動を受けながらも信念を持って問題作を制作し続ける七沢潔ディレクターと自発的に放射線量の実態を調査しようとして厚労省に止められ辞職して自発的に調査を始められた木村真三博士のお話。
番組は福島での放射線量の実態、それを知りながら危険な地域に住む住民に何の積極的な通知もしていない文部科学省と政府、これまで築きあげてきた暮らしや愛する動物を見捨てなければならない住民たちの姿を描く衝撃的な内容でした。
友人が誘ってくれたこともあり
ちょうどタイミングがあったのでぜひ聴いてみたいと思ったのでした。
七沢さんのお話で特に印象に残ったのは「失われた命のつながりへの哀惜」ということ。
「飯舘村で畜産をされている方はみんなドリトル先生のようだった.
動物の言葉がわかるようだった」
と七沢さんは言われていて
愛情を込めて動物を育てていることに心を打たれたと言っていました。
今、放射性セシウムに汚染された稲わらを食べさせたために
肉牛から検出されている問題。
震災直後のあの頃は生きていくために人も必死だったでしょう。
ライフラインも断たれて人間でさえ命をつなぐのにやっとだったことと思います。
生産者も被害者です。
これを書こうかどうしようか迷ったのですが
それにもまして警戒区域となった原発から20キロ圏内。
助け出せなかった命がいっぱいある。
警戒区域となったために助からなかったそのままに
今も朽ちていくだけになっている。酷いです。
家族として愛情を受けて暮らしていた動物たち、そして畜産や養鶏であっても
「ごはん」や「水」はもらえることが当然だった。
それを待ちながら命を失っていった大勢の生きものたちへ祈りを捧げたいと思います。