ワ・タ・シの作品たちよ!! の巻

自分の作品を作る

たったこれだけのために どうしてこうも悩まねばいかんのだろうか


美大生の永遠のテーマにきゅっきゅぽんもドップリとはまりこんでいる


ひとくちに自分の作品というが なんだかその“自分の”という部分に
ヒッジョーーに大きな壁をきゅっきゅぽんは感じてならない


自分の作品を作るとはいったいどういうことか

自分の表現したいことを 作品の中にさらけ出すこと


とまあ このような教科書的文句で答えを出してみたが
この “さらけだす”ということが きゅっきゅぽんにとっては
ヒッジョーーーーーに大きな壁でありますのだ

だって かっちょわるい作品なんてえ 思われたかないのである


まあ 表現したいことはするにしても
やっぱりどこか体裁をととのえていたい

すごいのをつくるひとだなんて思われたいっ


だから いつも 無意識的になにかこう 「体裁ととのえベラ」みたいなもんが
きゅっきゅぽんのツムジあたりから にゅるっとでてきて
どこかで なにかをセーヴしているような 

そんな感覚に襲われるときがある

しかし やっかいなことに作っているときにそれに
気づくことはない


しかも きゅっきゅぽんの場合は第三者に指摘されないと
なっかなかそれに気づくことができない


そうしてそれに気づいたときに もんのすんごおく恥ずかしくなって
穴を掘って入り込んだあとに 穴を漬け物石かなんかで
塞いでもらいたい心持ちになる


ほんとうに 作品作りというのは 閉じようとする自分のトビラを
こじ開ける作業であるかのように思える

しかしながら 世の中にはその作業をひょうひょうとやってのける人間もいる


人からなんと言われようが スッパパーンと裸になって
「どや!」と している作品もある


そういう作品を見ると きゅっきゅぽんなんかは
「うわあ こんなの見せちゃうのか」 なーんて心のどこかで思っていたりするが
しかしながらまたどこかで その姿をうらやましく思っている


体裁なんか気にせずに かっちょわるい自分をさらしているところが
ものすんごくかっちょよくて うらやましさに胸が痛んでしまうのだ

だから 自分の作品をつくる・・・

これに真摯に向き合う美大生は 
本当にすごい 修行僧みたいなものだと まっしろなエスキス帳の前に
座禅を組んで ウムウムとひとり納得するきゅっきゅぽんであった・・・・

投稿者:kkp : 2011年11月19日 03:10

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コメント: ワ・タ・シの作品たちよ!! の巻

きゅっきゅさま、こんばんは。

自分の内面を明らかにするのが表現・・言ってしまえばそうですね。

仕事で資料作るのも、ある意味頭の中を明らかにするわけで、

ただ、いろいろな制約やら約束事やらに自分の理解をかぶせて出力ですからね。
納得していないことも、よくわからないことも、「ほんとは反対だけど」って気分も全部入れ込んで体裁を整えます。

>体裁なんか気にせずに かっちょわるい自分をさらしているところが
ものすんごくかっちょよくて うらやましさに胸が痛んでしまうのだ

だから 自分の作品をつくる・・・


そう、だからこそ、自分の作品作るの、頑張って!

投稿者 yukihaha : 2011年11月19日 17:19

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