古き良きもの

祖父の一周忌であるから 長崎ぽん家では精霊流しぶりに家族が集まり
お茶をズリズリしながら 「遺影っちゅうのはどうも輪郭が不自然だなあ」などと
話していたときであった

祖母がおもむろに棚をあけて 「古い写真があるよ」と言って なにやら
色紙のようなものの束を出してきた


それはなんと 明治初期に撮られたらしいなんとも歴史を感じさせる写真であった
多くが 時代劇に出てきそうな袴をはいた方々の集合写真であった
写真には なんだかとても偉そうな方々がフロックコートを着て
今にもなにやら条約締結みたいなのをしそうな場面もある
裏には どっしりとした書体で 日付と 写真の人物の名前があり印鑑が押してあった

「曾おじいさんの写真よ  ポン太郎(仮名)さんよ」

ポン太郎さんは濃い顔立ちでプリングルスのキャラクターのような口髭を生やして
口を「へ」の字に結んで よくわからないがめちゃくちゃ偉そうなポーズィングをとっていた


家族でさえ その写真の存在を知らず 一同はどよめいた
なんてったって 四捨五入すれば江戸時代に撮られたといっていい生写真を見るのは
生まれて初めてだったからである (上野彦馬さん撮影だったらすごいぞう!)


写真の束はポン太郎さんが小学生のときから 大人になるまでの節々で撮られたものであった
小学校卒業の集合写真では 卒業証書だろうか、小学生たちは白い紙を着物の襟にはさみ
深々と制帽をかぶっている


よくよく観察してみると、写真に写る人々は皆、カメラ目線ではなく横を向いたり 体ごとひねって
わざとナナメを向いたりしている  それが実に様になっているのである
其々が 「俺ってこの角度とポーズがいちばんカッチョイイ・・・」と思っているようである

思えば当時は写真は貴重なものであったという 写真は立派な台紙にはられ
地味ではあるが上品な装飾が施されていた


写真に写ることは一生に数回の大イベントであったのだろう
撮影に向けて 立派な衣装をそろえて 一番キマるポーズを研究して
プリングルスヒゲを 櫛で何度もすいたのであろう
どれも写真に挑む人々のハナイキが聞こえてきそうである


今や 写真なんてのは気軽に撮影して 失敗したやつはデータ消去などでき
実に便利であるが このような時代に撮影された写真のように エネルギーがひしひしと伝わる
写真はもう二度と撮ることはできないのだろうと思ってしまう

ポン太郎さんの写真束は 写真屋さんがなくなりつつある今、
本来の写真とはどういうものなのだろう・・・と考えさせるものであった


「いやしっかし こんなにたくさん 戦争でも焼けずによう残っとったねえ!」

「こんな立派なん初めて見た!」

「展覧会ば開いたら よう知らん人は入ってくるばい」

「THE ポン太郎展  ワハハ」

「お金とれるばい! ワハハ!」

いやあ なんとポン太郎の子孫の俗なことよ!
一周忌の主役(?)であるはずの祖父をさておいて 
ポン太郎さんに興味津津なぽん家のヒトコマであった

投稿者:kkp : 2010年01月09日 00:30

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コメント: 古き良きもの

きゅっきゅさま、こんにちは。
毎回の更新、楽しくて、噴出す話もあって、
電車の中で読むのは、要注意です。

古い時代の写真といえば、年末にNHKで放送していた
「坂の上の雲」にも、秋山真之さんが、広瀬さんと写真館で
記念撮影をする場面がありましたね。

>よくよく観察してみると、写真に写る人々は皆、カメラ目線ではなく横を向いたり 体ごとひねって
わざとナナメを向いたりしている  それが実に様になっているのである
其々が 「俺ってこの角度とポーズがいちばんカッチョイイ・・・」と思っているようである

ドラマのシーンでは、「自分がこんな立派な体に成長できたのは、あなたのおかげです。」と、
写真を送る相手へのメッセージをこめて、締め込み1枚で撮る、というのがありました。
写真屋さんもびっくりしていましたが、
たしかに、エネルギーが感じられる写真だったことでしょう。

>今や 写真なんてのは気軽に撮影して 失敗したやつはデータ消去などでき 実に便利であるが 
このような時代に撮影された写真のように エネルギーがひしひしと伝わる写真はもう二度と撮ることはできないのだろうと思ってしまう

誰にでも、手軽に撮れる時代だからこそ、エネルギーやメッセージをこめた写真を撮ることが、難しくもあり、
それを学ぶことを喜びとするのが、
ムサビをはじめとする、学生さんたちなのでは?

ポン家の展覧会、決まりましたら、ぜひ夕刊の展覧会場報で告知を。

投稿者 yukihaha : 2010年01月09日 11:59

みずしらず一家も、なんと!、お正月に実家に遊びに行き、ふる〜い写真を見たのでありました。それらの写真を初めて見る娘はきっとな〜んか不思議な面持ちであったと思います。
明治も始めのうちの写真は、皆さん、なぜか手を着物の袖の中に隠していたりして、「写真を撮ると、魂を吸い取られる」的な迷信が存在していたのかな〜とおもいました。
衝撃的と云うか、びっくりしたのは、みずしらずのおばあちゃん(つまり、きゅっきゅさん世代からは曾おばあさんですね)が、鎌倉の海岸で水着で写っていた事です。祖母はある伯爵の家で乳母として働いていて、そこのお嬢さんにたいそう慕われていたようでした。鎌倉の別荘にお伴した時に海水浴をしたようでした。

投稿者 みずしらず : 2010年01月09日 23:18

セピア色という色を知ったのは見たことのない(もう他界してた)
祖父の写真だったような気がします。
白いスーツを着て水兵服の幼児の父(昭和ヒトケタ生まれ)の手を引いていました。
うちはあんまりキチンと写真を撮る家系じゃなかったようでスナップ風
のしかないです。写真展はムリだな。

ご家族の愛情や良きものに囲まれて育まれたきゅっきゅさんの感性に
これからも期待!してます。

投稿者 ここのこ : 2010年01月10日 23:11

> yukihahaさん

>それを学ぶことを喜びとする

なんと! 深いお言葉ありがとうございます
そうですね  きゅっきゅはそういう意味で 優れた
環境においてもらってるんだなあと思いました

「坂の上の雲」も見てみようと思います


>みずしらずさん

それはすごいです!
そして その時代にもう水着が登場していたんですねえ
そして 何よりおばあさまの当時の姿がのこっていて曾孫さんが
見ることができたというすばらしさ・・・
当時の写真は 一枚いちまいが濃いですね

>ここのこさん 

お父様の幼いころの写真があったんですね
きゅっきゅぽんは 両親の子どもの頃の写真を見ると
とても不思議な気持ちになります

スナップ写真は 逆に当時の様子がいきいきと
写っていそうです ポン太郎さんはどうもかっこつけだったようで・・・

投稿者 きゅっきゅぽん : 2010年01月11日 01:52

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