リアルな美大生親の日常を、優雅に華やかに綴ります♪
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エスカレーターを飛び降りる。
手羽さんからお題をいただきましたので
キリンの受験生活を振り返ってみたいと思います。
Q1.いつ頃から美大を目指しましたか?
高校を決める時から少しは考えていたとは思うけれど(親である私たちも)
高2のときに日藝の芸祭(江古田校舎)に行ってからだと思います。
写真とデザインとで悩んでいたけれど、ここでデザイン学科に決定。
Q2.どうやって勉強しましたか?
写真学科ならば、1次が国英の2教科(足切り)2次が小論文と面接だったけれど
デザイン学科を志望したので実技試験のために
地元の美術予備校の春期講習から通いました。
月曜から土曜日まで毎日あって
****美術学院 夜間部という学生証も頂き
この学生証のおかげで学割で定期が買えた事は、経済的に助かりました。。
Q3.どうやって大学、学科を決めましたか?
ここで、ひとつの親子バトルが起きました。
それはキリンが
日藝は受験しないと決めたからです。
『別にジャスミンの母校だからって
日藝に行かなくちゃいけないわけじゃないでしょ?』
と、思われるかもしれません。
でも、ね。。
キリンの通っていたのは、日大の附属高校だったのです。
最初の方にちらっと記したように
『日藝に行くかもしれない』という選択肢も考えて附属校に入ったのに
美術予備校の面接で
『附属校だからといって日藝に行くという選択肢だけではなく、他の大学もあるんだよ』
みたいな事を言われ(多分)エスカレーターを飛び降りてしまいました。
工芸工業デザインに決めたのは、ごめんなさい。
聞いてないです。
自分で物を作り出してみたい。みたいな事を聞いたような気もしますが
このあたりは、チチキリンとも話していたかもしれません。
Q4.この時期、何をやってましたか?
美術予備校の授業は高校に比べると真面目に行ってましたw
デッサンや平面、立体構成など、たまに見せてくれました。
小論文も見せてくれました。けっこう面白い事を書いていた記憶があります。
朝の9次から夜の9時まで、毎日予備校に行っていました。
同じ目的、目標を持つ仲間と気が合ったのでしょう。
進んだ大学は奇麗にムサタマと分かれましたが、予備校の友人とは今でも仲良しです ♪ ♪
このあいだのムサタマトークでもお話しが出ていたのですが
『講評』
いつも、これを気にしていましたね。
予備校の時も、今も。。
ジャスミンも経験ありますよ。
『陳腐だ。。』と、たったひと言、ゼミの先生に言われました(涙)。
キリンは現役では望みがかなわず、浪人したのですが
学科の成績が浪人時では落ちました。なので、学科は大切だと思います。
お題を頂いて、ジャスミンが答えらる事はこのくらいかな。。。
『エスカレーターを飛び降りて、隣のビルに階段で上った男』
ムサビに合格したとき、バビがキリンをこう命名しました。
駆け上がった屋上に広がった青空に、星空に
今度はどんな梯子をかけていくのだろう。
今日みたいな暑い日には、虹を見たいな。。。。