リアルな美大法人企画室長の日常を
カテゴリー:教育実習について
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教育実習の思い出18
今年度中にこの話を終わらせないと(笑)
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最後の挨拶をしゃべろうとしたら、学級委員長が急に「みんな、起立!」と号令をかけ、挨拶をはじめました。
ほとんどはありきたりの挨拶で「ふむふむ」と聞き流してたら(おいっ)、最後にこんなセリフを言われたんです。
「手羽先生、立派な先生になってください」
えっ。。。
言葉につまりました。素直に「はい」といえない自分がいる。
確かに先生になりたくてこの場にいるのだけど・・だけど・・・「絶対になりたい」という信念を持ってるわけではない。そんな自分に対して「立派な先生になってください」と素直な気持ちで言ってくれたんです。
何かみんなを裏切っているような気持ちになって・・・私、大泣きしちゃいました・・・。
よく最終日で泣いちゃう教育実習生がいるでしょ?あれです(笑)
ほとんどの方は辛かった日々を思い出して泣くものなんでしょうけど、私はこんな気持ちの自分を「先生の卵」として扱ってくれたみんなに申し訳なくなってしまって。周りがひいちゃうぐらいの大泣きでした。
今でも悔やまれるのは、彼らに「ごめんねごめんね」としか言えず、ほとんど何も挨拶ができないまま教室を去ってしまったことです。ちゃんと「ありがとう」といえればよかった。職員室に帰っても泣いて泣いて30分ぐらい泣いてました。
音量子さんからコメントをもらった、「ナゼ教師にならなかったのか?」には理由が3つあります。
1つ目。
表面上は「先生になるのが夢」と言いながら、心の奥では「でも違う道もいいよなー」と思ってたのがわかってしまったこと。これは生徒を裏切ってもいるけど、自分に対しても裏切ってる行為。だから多分あんなに泣いてしまったのではないだろうか。
「こんな気持ちでみんなの人生を左右させてしまう教師になっちゃいけない」。
今となると「そこまで思い込む必要は・・・」とわかるのだけど(笑)、当時、青春真っ盛りの手羽はそう決めちゃったんですね。ちょうど教育実習のあたりが人生の中で一番多感な時期だったようです。
2つ目は、特別学級での彼女との出会い。
ひらがなや算数は勉強しないと覚えませんが、美術は勉強しなくても人それぞれの良さを出すことができる。「個性」を唯一許されているのが「美術」。でも、現状では人それぞれの良さを消しているのも、中学や高校の「美術」かもしれない。
それに気がつかせてくれたのが特別学級での時間でした。
「美術の面白さ」「なぜ美術が必要なのか?」を「美術」でみんなにもっともっと伝えたいけど、それを中学や高校のあの少ない時間数で伝えるには限界がある。
現状を見てると「美術の時間数が減る」→「ゆっくり制作ができない」→「現場教師は短時間でできる作業でなんとか乗り切る」→「そんな美術ってやる必要あるの?」→「美術っていらないんじゃない?」→「美術の時間数が減る」の悪循環に入ってるようにも思います。じゃ、どうしたらいいんだろう。
で、当時の自分の考えた結論が
「教師になるよりも、作家や美術教師を育てたり、サポートする側の仕事について、数10年後、『美術』を変えることができたらいいなー」
だった・・というわけです。
これで教育実習の思い出シリーズは終わりです。
教育実習に行く人はさすがにもう実習希望校に挨拶が終わったかな?
頑張って先生をやってきてね。
「ナゼ教師にならなかったのか」の3つ目の理由は今度書きます。
(おっ、まだ引っ張る)
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そしてとうとう授業発表日。
ずっと考えた結果、全く違う授業内容に差し替えました。
指導書と資料も一晩で全部作り変え。完全徹夜。
後ろに用意したイスに美術の先生3人とヨコちゃんが座って見ています。
結果はどうだったかというと・・・ボロボロでしたね(笑)
黒板に貼り付けるマグネット資料にマグネットを付け忘れてたり、時間配分を完全に間違って、時間が余るところと時間が足りないところが発生したり。なんとか強引にまとめた感じで自己採点するなら30点ぐらい。
でも、ワークショップのようなことをやったんです。簡単に書くと、たたみかけるように絵を描かせるというもの。昨日の夜、ひらめいて、ぶっつけ本番でやってみました。でもなぜかうまくいきそうな自信はあったんです。
そして、これが自分でいうのもなんだけど予想以上に成功して、・・・あの子が楽しそうにしてたってだけなんですけどね(笑)
あの子の笑顔が見れただけでもう満足。「教育実習の成果発表」としては失格なんだけど。
おじいちゃん先生は終わると何も言わずに教室を出て行きました。
すると・・・、
教育大の先生がかけよってきて、「あ、あの子が授業中に自分から手を動かして絵を描いてたのよ。こんなこと初めて!!」と職員室までの廊下で泣き出したんです。「ちょ、ちょっと。ここで泣かれると私が泣かせたみたいで、『指導女性教員をいじめる教育実習生』とかってみんなに思われちゃうじゃないですか!(汗)」と急いで職員室に。
どうやら私のペースに釣られて、どんどん絵を描いてたそうです。直線も引けない子が。
「デザインとは何か?」の答えは結局わからなかったけど、あの子をはじめ美術の楽しさをちょっとでも感じてもらえたのなら、それでいいか・・・。
そんな気持ちでその日は久しぶりにぐっすりと寝ました。
いよいよ教育実習最終日。
他の教育実習生と打ち上げの話をしながら、最後のショートホームルームへ。
「学校の裏山でたばこの吸殻が見つかったそうです」とかいつも通りのホームルームを終わらせる。ホームルームを担当してたクラスは朝と帰り、それと掃除時間ぐらいしか交流がなかったので、そんなに思い入れはなかったんです。
「このまま簡単に済ませて、打ち上げ会場のカラオケボックスに向かうべ」と最後の挨拶をしゃべろうとしたら、学級委員長が急に「みんな、起立!」と号令をかけ、挨拶をはじめました。
続く。
次回いよいよ最終回。
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すんごい久しぶり・・・。
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さて、帰って明日使う素材でも作るべか。
でも、どうしても気になっていたのは特別学級のあの子のことでした。彼女にはどんな説明をすればいいんだろう。
あっ!考えてみれば、家にその答えを知ってそうな人がいるじゃん。
うちの母親。前にも書きましたが、養護学校で勤めてたんです。
夕食後、母に聞きました。
「これこれこういう子がいて、線さえ引いてくれないんだよ。こういう場合ってどうしたらいいの?」
彼女の答えはすぐに返ってきました。
「そういう場合は、点と点だけ描いて『ここを結んでごらん』ってやるのよ」
「・・・・でもそれじゃ、自分の意思で引いてないでしょ?自分の気持ちいい線を引くのが目的でもあるんだから」
「それが出来る子と出来ない子がいるの」
「えっ・・・」
「彼女にとって、点と点を結ぶことが今の限界なら、それでいいじゃない。それができないんだったら、うっすら線を描いてあげて、『この上をなぞってごらん』ってやる。もし点と点を結べたら、『よくできたねー』と最大に誉めてあげる」
「で、でもそれじゃ中学の美術教育として・・・」
「彼女が今必要なのは中学の美術教育じゃないの!」
半分泣きそうになりました・・。ここは我慢だ。
「・・色を塗らせるには?」
「パレットに絵の具を出して、画面にちょっと色をつけて『この部分はこの色に塗ってごらん』とやればいい」
「で、で、でも、寒色暖色の授業なんだよ?それじゃ塗り絵じゃん。自分が『さむい〜』と感じた色を自由に塗って欲しいんだけど・・・」
「『自由に』と言いながら、実は自由じゃないのが彼女達にとって足かせになるの。『自由に描かせたい』っていうのなら、彼女の好きな絵を描かせてあげればいいじゃない」
「い、いやいや、それじゃ授業がなりたたな・・・・」
そこで雷が落ちるようなショックで気がつきました。
特別学級で見た絵は、自由に自分の描きたい絵を描いたから、素敵な絵だったんだ。
もし、「このテーマで描きなさい。条件はこれです」と指導して描かせたら、あんな絵は描けない。まず筆が止まってしまうだろうし、興味が沸かないだろう。
でも・・・美大ならともかく、中学の美術で毎回「描きたいものを描きなさい」というわけにはいかない。それは授業じゃない。
でも・・・「自由に」といいながら自由に描かせていない今の授業形式だと、もっと面白い絵が描ける可能性をなくしてるのかもしれない・・・。
続く。
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研究授業前日。
研究授業はあの思い出のクラスで行います。
教室後方に折りたたみイスを数脚持ってきて、他の先生や実習生が見れるように準備。
そして明日持ってきて欲しい道具を生徒さんに説明。「君らが道具を忘れると、私が困っちゃうんだからね!」ぐらいの勢いで(笑)
よし、準備万端!
授業指導案は昨日書いてアベ先生に渡してました。結局「デザインとは?」の本当の答えがわかんなくて、先日とほぼ同じ授業をやることに。
帰りのショートホームルームが終わって、職員室のアベ先生のところへ。
「ほら、手羽の授業指導案を返すよ。これでいいんじゃない?」
「ありがとうございます。じゃ、明日よろしくお願いします」
「ところで手羽さー」
「へ?なんでしょ?」
「最後に中学生のための授業のコツを一つ教えてあげるよ」
「え?そんなのがあるんっすか?」
「それはな・・」
「うちのケンタと話すように話せばいいんだよ」
「うちのケンタ」とはアベ先生の子供さん・ケンタ君で当時小学1年生(笑)
「け、ケンタくん・・ですか?!」
こういうことなんです。
どうしても頭の中に「中学1年生ならこれぐらいのことはわかるだろう。なぜなら自分の時はわかってたから」というイメージがあります。
でも、本当は知らず知らずのうちに「この年ならこれぐらい知ってた」と思い込んでいるだけであって、自分達が中学1年の時もそんなもん、っていうか、実は知らないことの方が多かったはずなのです。これはゆとり教育の影響とかではなく、自分もわかってなかったはずなんだけど、時がたって勘違いをしてるだけ。
ちょうどいいのは、自分のイメージより3,4歳若く見積もること。
つまり中学1年生に説明する場合は、自分の思い描く小学3,4年生ぐらいへ話すように説明すると伝わる、というわけなのです。
アベ先生に教わったこのコツは今の仕事にも役立ってて、高校説明会の時も中学生に説明するつもりで単語などは気をつけています。
相談会で「○○学科は今年、電通に4人内定を出したんだよ」と自慢説明された先生がいたのですが、皆さんが高校生の頃・・・つまり本当は中学生の頃・・・「電通」なんて単語を理解してました?単語は聞いたことがあるかもしれないけど、広告代理店がどういう仕事をやってるのか知ってた人はいないはずです。
でも「高校生だって電通ぐらい知ってるでしょ。俺は知ってた。」と年をとった人ほど勘違いしちゃうんですね。いい例です。
私の経験上、「キュレーター」「ワークショップ」「ポートフォリオ」は高校生には無理です。伝わりません。「エディトリアルデザイン」「ファインアート」なんてよほど美術に興味を持たない限り知るはずもない(笑)
「プレゼンテーション」「インターフェイス」も実は微妙なラインです。「コラボレーション」はようやく浸透してきたかな・・ぐらい。
多分外来語定着度調査で使用率30未満の単語は高校生には厳しい単語なんじゃないでしょうか。
でも全て平気で(ムサビも含め)募集要項や大学案内・学科パンフレット・WEBには出てくる単語なんですよね・・・。
「誰のために作ってる大学案内なんだろう。きっと自己満足で作ってるんだろうな」と思うことも。
ちなみに「ユニバーサルデザイン」という単語は知ってる子が多いようです。
続く。
ほぼ1ヶ月ぶりの連載でしたね。
今週中にこの話を書くと約束してたので。
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研究授業も近づいてきます。
研究授業はこの前実施した授業と同じ内容でやるつもりだったのに、おじいちゃん先生にあそこまで言われて同じことはやれない。でも「デザインとは?」の答えのどこが違うのかがわからない。もったいぶらないで教えてくれればいいのに・・。
そんな悩みを抱えながら教育実習生としての日程が過ぎていきます。
教育実習を引き受けてくれたアベ先生は3年生のクラスを受け持っていたので、私もホームルーム・ショートホームルームは3年生のクラスを担当していました。ほんとは担当クラスで授業をやるのがベストなのですが、3年生はレコードジャケット制作に既に入ってて(まだ「レコードジャケット」でも大丈夫だった時代なのです・・)、あまり教えることがなかったからだとか。(とアベ先生に言われた)
今回の実習生で唯一、担当クラスで授業を行っていない人間で、どんどん周りの実習生が生徒さんと仲良くなっていくのが心の底からうらやましかった・・・。
今日は初めて自分のクラスで美術の授業。・・・といっても、自習の見張り役ですが。
担当クラス生徒との交流は朝と帰る時、それと掃除時間しかなかったので、それでもかなり嬉しかったもんです。
時代は変わっても、生徒さんが描くテーマって同じですね。アニメ好きな子はアニメを描いてるし、音楽が好きな子はミュージシャンの顔を描いてるし(B'zを描いてる子が多かった。そういう時代です)、ブラスバンドをやってる子は楽器を描いてるし、サッカー好きな子は好きなチームのユニフォームを描いたりしてる。
元写真もなく町並みを描こうとしてる子がいる。おおお。建物のパースが狂いまくりじゃん・・・。
「透視図法って知ってる?」と聞くと、「知らない」という答え。中3のこの時期じゃ1点透視とか2点透視ってやらないんだっけ?
フライングかもしれないけど、黒板で透視図法の描き方を見せると、「すげーー」という声がクラスからあがる。え?すごいと思ってくれた?それとも、バカにしてる?どっち?
どっちかわからなかったけど(笑)、その後は生徒さんから「先生、ここどうすればいいんですかー」と質問が出てくるようになりました。
うん。大丈夫だ。自信を持て。
手羽のデザイン論は間違ってない。
手羽はやればできる子なんだ。
(と言われてる子は、やらない子なのだけど)
そういえば、このレコードジャケット制作でメガゾーン23(知らない人は周りのアニメ好きな大人に聞いてください)を描いて、参考作品に選ばれて、いい気になって「ちょっと美大でも行ってみようかな・・」と初めて思った時だったかも。そのラフデザインを描いたスケッチブックは今でも大事に取ってあります。
いよいよ明後日は研究授業だ。
続く
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美術実習生の歓迎会。
メンバーは私とヨコちゃん、そして美術担当教員の3名。
小さな居酒屋でした。
アベ先生は、高3の時からお世話になってる先生でもあるので、その人と一緒にお酒を飲めるっていうのは格別でした。教育大出身の先生からは「手羽さんは教え方がうまい」とほめてくれて、今日の授業もうまくいったし、余計に今日はビールがうまい(笑)
一次会も終わるころ、無口なおじいちゃん先生が「手羽、もう一軒行くぞ」と言い出しました。一応ムサビ彫刻の先輩でもあるし、ヨコちゃんと一緒に2次会のスナックへ。
そこでおじいちゃん先生がこう口にしました。
「お前らはデザインがわかっていない」
はあ?意味がわかりません。
自分なりに前準備もちゃんとできてたし、今日の授業は生徒の反応もよかった。かなり成功した授業だと思うのだけど。あ、そうか。おじいちゃんのアレね。「今時の若いもんは・・」な話なわけね。知ってます。こういう時は話半分に聞けばいいのさ。
「『デザインとは?』の答えがアレで正解だと思ってるわけか?」
いや、完全な正解ではないことぐらいわかってるけど、9割ぐらい合ってるでしょ?何が違うのよ。生徒も理解してたじゃん。ヨコちゃんと時々反論しながらも、おじいちゃん先生の話をずっと聞かされました。
このおじいちゃん先生の言葉を理解したのは、教育実習が終わってからでした。
「デザイン」とは何か?
単純な線に置き換えること?イラストを描くこと?
違うんです。あくまでもそれは結果論であって・・・これ以上はあえて書きませんが、興味を持った方はぜひ調べてみてください。
そしてこれは、「美術大学でデザインを勉強する意義とは何か?」の答えでもあります。少なくともムサビとタマビはこの考え方だと思います。
「中学生にどこまで本当の『デザイン』を教えるか」という問題もありますが、あそこまで断定して教える必要はなかった。教育大学出身の先生が「赤=暖色」と断定で教えていて、それをバカにしてたけど、自分も同類だった。
自分の無知のために嘘を生徒に教えてしまったのです。
この授業を体験した生徒達はずっと「デザイン=特徴を見つけ出し線を単純化すること」と思い続けてしまうのだろうか。
この時に「先生」という職業の怖さを感じました。
続く。
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授業当日。
授業のタイトルは「植物をデザインしよう」。
家から野菜や果物を持ってくるもよし、学校に生えてる葉っぱや草を引っこ抜いて持ってくるもよし。
それをモチーフとして平面構成する授業。
その冒頭で「デザインとは?」に触れることにしました。
私とヨコちゃんは「デザインとは?」の質問にこういう結論を出したのです。
デザインとは・・・
特徴を抜き出し
単純化させることである。
こういう見解からなんです。
たとえば、トイレのマーク。女性や男性の体の特徴を抜き出して単純化した結果があれです。
動物園でオリの前に出てる動物のピクトグラムだってそう。
デザインされたものっていうのは、すべてその特徴を見つけ出し、線を簡単にしたものなんですね。
まずは植物や果物の特徴を見つける。
そしてアウトラインを含めた線を単純化させる。どんどん単純化させる。そして最後に色を塗る。
授業内容はこんな感じでした。
家からリンゴを持ってきた生徒には、「リンゴだってミカンや梨にはない特徴があるよね。そこを見つけるんだよ」と指導。どこでもあるような葉っぱを持ってきた生徒にも「これだって、ほらココ。特徴があるじゃん。このアウトライン・・じゃなくて、輪郭線・・じゃなくて、(なんて言えばいいんだっけ・・)・・外側の形の線とか葉脈の特徴をよーく見つけるるんだよ」と説明。
つい口をすべらして、「同じ木の葉っぱだって、一枚一枚違うよね。これは虫が食った後があるし」とその場で思いついた言葉で説明すると、一人の生徒が葉っぱに自分の名前を書いて「ほら。これでこの葉っぱと同じものがないから、これが葉っぱの特徴だよね」と言ってきました。
よせばいいのに「そ、そうだね・・」と答えてしまい、その子は線を単純化して色を塗る作業の段階でも、画面の葉っぱの中には自分の名前が入ってました。
「ま、それもデザインなんだよな・・」と自分で無理やり納得させて授業は終了。
生徒は楽しそうにやってましたね。
その間、おじいちゃん先生はずっと後ろで聞いてました。
どうだ、まいったか。いつまでも古い美術教育を教えてるあんたにはできない授業だろう。ははははは。
そして、夜の実習生歓迎会へ突入。今日のビールはうまいだろうなあ。
続く。
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翌週。
おじいちゃん先生の代わりに授業を担当することになりました。
美術は各クラス週に1回しかありません。担当クラスだけで実習をやっても、2週間の教育実習期間では回数が少なすぎるんですね。なので他の先生のクラスで教えることもあるんです。
演目は「デザインについて」と先週末言い渡されました。今週行われる研究授業(他教員や教育実習生を招いて公開する授業)も同じテーマでやることになってたので、予行練習の意味合いもあります。
そして先週末、もうひとつ言われてたことがあります。
その授業日の夜に美術担当による実習生歓迎会を開いていただけるそうです。おじいちゃん先生が出張に行ってて、伸び伸びになってたんです。ありがたやありがたや。
ところで・・・。
ムサビで4年間勉強してるといっても、専門は彫刻。
「デザインとは?」というテーマをちゃんと考えたことが正直ありませんでした。
考えてみると、大学の教職単位に関する授業って「教育原理」や「教育心理」といった概念的なものや「美術教育の歴史」は教わるのですが、「美術をどう教えるか?」といった内容のものってあんまりないんですよね(今はあるかもしれないし、私が聞いてなかっただけかもしれないけど)
教職を取っているファイン系学生がやらなくちゃいけない実技「共通デザイン」も、「デザイン系の授業を経験してみよう」的なものであって、「デザインとは?」を考えるような内容でもありません。
まずは「デザインってなんなんだろう?」と自分が考えるところからスタート。
図書館で本を借りたり、ヨコちゃんと話し合ったり。彫刻出身の自分達にとって、いつか見つめあわないといけないテーマでもあるので、かなり真剣に話し合いました。ま、彫刻学科2人が「デザインについて」を考えたところで、「友達はこんな感じのことやってた」ぐらいの知識しか出てこなかったんですけどね。当時はインターネットもなかったし(笑)
それでも自分達なりに考えて考えて、そして簡単なキーワードを発見することに成功。
「これなら中学1年でもわかるだろう」。そう確信して、黒板に貼り付けるマグネット教材や指導案を作成。
見てろよ。年寄りにはできない授業ってやつを、最新の「デザイン」ってやつを教えちゃる!
続く。
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そして次の日。
この中学には専任美術教員が3名いて、2名はムサビ卒、1名は某教育大学出身、というムサビ系な学校(笑)
ムサビ卒の一人は既に出てきたアベ先生(油絵卒)で、もう1人は彫刻出身の「おじいちゃん」といってもいい感じのちょっと怖めな方でした。
今日は教育大出身の先生の授業を見学。
やはり1年生でこれから寒色暖色の説明に入るところ。
そこで私は信じられないものを見てしまいました。
黒板に
「赤=暖色」
「青=寒色」
と大きく書いたのです。
ちょ、ちょっと待ってよ。「赤っぽい色=暖色」「青系=寒色」とかなら(今悩んでいるところでもあるけど)まだわかるのですが、「赤=暖色」ってどうなの?
国語や数学と同レベルに、「1+1=2」のように美術を教えているイメージ。でもこういう感覚的なものに対して「それ以外は間違い!」と断定的に説明しちゃっていいの?
「赤=暖色」も「赤っぽい色=暖色」もそんなに大きな違いはないかもしれません。
でも、当時の悩んでいる私にとって、これは大きな違いだと感じたんです。
あいまいさの中に本当の美術の面白さがあると思っていたので、こういう授業で美術を好きな人が生まれてくるのか疑問でした。
美術大学を目指してる、もしくは目指した人の1番の理由は「小さな頃から絵が好きだった」だと思いますが、「中学・高校の美術の先生(もしくは美術の授業)が好きだった。」という理由の人も少なからずいるんじゃないでしょうか。
私がそうでして、中学の美術の先生が考え方や身のこなし、服装が他教科の先生と違って(アウトロー的な感じ?)、「やっぱり東京の美大ってええなあー」と思い、美術の先生になりたくて東京の美大に進学した一人です。
こういうことがありました。
美術のテストで、時間が余ったから答案用紙の隙間に自分の得意なイラストを描いて出したら、「もう少しうまく描けるはず」というコメントと一緒に「-1」と赤文字で書かれてました。そしてその横に先生の描いたイラストも。(これがまたうまかった・・・)
イラストや「-1」とほんとに書いちゃうところなんか、「ああ、東京の美大の人はシャレがわかるんだなあ」と子供心に思ったものだし(東京と美大が関係してるかどうかはわかりませんが幼心にそう思ったの)、「東京の美大に行けば絵がうまくなるんだなあ」と思ったものです(絵がうまいから東京の美大に行けるんだけど、当時はそう思ったの)
このご時世じゃ、こういうことを先生がやったら怒っちゃうお母様方続出でしょうけどね(笑)
自分は生徒に美術の楽しさを発見してもらいたい。
そういう授業をやりたいし、そういう先生になりたい。
続く。
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彼らの絵をみてびっくり。
形や色の使い方に迷いがない。素直に感じたもの、感じた線を描いている。線や色が強い。
正直なことを描くと、それまで「障害者が描いた絵だからって、まるで天使が描いた絵のようにほめちぎるのはどうか。同レベルに扱うべきだ」と思ってる人間でした。
でも、少なくとも同学年が描く絵と比べて、あきらかに絵の元気さや自由さはこっちの方が上なんです。
彼らは絵が描けないんじゃない。
そこでハっと気がつきました。
昨日の子を「寒色暖色が理解できない」と切り捨ててしまったけど、それは本当なのだろうか。
もしかすると、赤っぽい色を見て冷たく感じる子もいるんじゃないだろうか。
青っぽい色から暖かさを感じる子がいてもいいはず。
でも、そう感じたとしても、「青っぽい色=寒色」と教わるから、そういうもんだと信じ込んでいるんじゃないだろうか。
彼女は「理解できなかったから、寒色暖色をごちゃ混ぜにした」のではなく、あの色、あの組み合わせから「冷たさ」を感じていたのであれば・・・。
自分は何かすごく大変なこと、彼女の美術に対する素直な心を犯してしまったような気持ちでいっぱいになって・・・何年かぶりに泣きました。
続く。
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特別学級。
恥ずかしながら初めて聞く名称でした。
身もふたもない説明をするならば、特別学級とは
小学校・中学校・高等学校において、心身に障害のある児童・生徒のために特別に設けられた学級のことです。(「特殊学級」の方が一般的かもしれませんが、この時は「特別学級」と呼んでいましたのでこのままで)
先生によると、美術や音楽の時間だけは普通のクラスに混ざって授業を受けており、あえて私に知らせずに、どう感じたか知りたかったのだとか。
「どうでしたか?」
「でも、確かに理解はしていないかなーとは感じましたが、見た目は全く同じで他の子よりおとなしいってぐらいのことしか」
「手羽さんならあの子にどういう指導をしますか?」
直線を引けない子に、寒色暖色を理解できない子にどう美術を指導すればいいのか。
その子にあわせると授業が進まない。といって、その子を置き去りに授業を進めていいのだろうか。
次の日、タイミングよくヨコちゃんと一緒に特別学級の授業に参加することになりました。(特別学級に入るのは音楽・美術の教育実習生だけで、この中学では国語や英語の教育実習生には特別学級体験はやらないんだとか)
同じ敷地にありながら、隔離された建物。
それが特別学級の部屋でした。
母が養護学校で30年教師をやっていた関係で(もう定年退職してますが)、私も養護生と接するのは他の人に比べると慣れている方だと思います。母に連れられてボランティアでキャンプに参加したり家で遊んだりしましたし。
国語の時間・・なはずなのに、私達が美術の先生だとわかると、途中からみんなで絵を描くことに。
「手羽先生も絵を描いてよ」と言われ、ドラえもんとか花とか恐竜とか描くと・・当時は絵がうまかったんです(笑)・・・、次から次に「あれかいてこれかいて」と頼まれ、しまいには体の上に2,3人乗ってきて、馬乗りの状態で折り紙をしたり。
「ふー。特別学級のお仕事も大変だなー・・」と思いながら彼らが描いた絵を見てびっくり。
続く。
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2回目の机間巡視。さっきよりちょっと難しくなってるから、最初はとまどっていたけど、どんどんみんなのピッチが上がってくる。緊張がほぐれたのか質問も出てくるようになった。うんうん、いい感じ。
え。
さっき、ボーとしてた子が今度は線さえ引いていない・・・。おかしいなあ・・。話はちゃんと聞いてるような感じだったんだけど・・・。「線を引かないの?」と聞くと、またにっこり笑う。新手な反抗期なわけ?大学生が、こういう時にどうすればいいのかはわかるはずはありません。一応声はかけましたよという証拠だけ残して通り過ぎる。でも、通り過ぎて横目で見てると、前に座ってる子がその子のスケッチブックに線を引いてあげてる。なにかおかしいなあ・・・・。
「寒色と暖色、どっちがいい?」と聞くと、「うーん・・」と悩んでいる。「じゃ、寒色にしよう。ほら、なんとなくブルブル〜と寒〜くつめた〜く感じる色ってあるでしょ?そういう色だけをまとめて塗ればいいんだよ。この青を使って描けば寒色になるから。わかった?」とパレットに青絵の具を出してあげると、「コクン」とうなずいてくれました。よかったよかった。これで「より全員への理解度を高めることができた」と報告できる。
でも、しばらくして彼女の絵を見ると、寒色系暖色系いろんな色がまざってる・・・。
こんな簡単な寒色暖色を理解できないってどういうことなんだろう。
初授業は一人の子以外は寒色暖色を理解したし、時間配分もバッチリだったので1回目にしては上出来でしょ。
先生に報告すると、「●●さんはどうでしたか?」と聞かれました。
「●●さん?」
「左側の前から3番目に座ってる女の子」
「ああ、アノ子か。やっぱり問題児なんですね。全然描いてくれなくて。いつもあんな感じなんですか?」と答えると、「あの子は特別学級の子なんです」という答えが。
へー・・・・・・って前にもその単語を聞いたような気がするけど、・・・ところで特別学級って何?
続く
教育実習の思い出6
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教育実習の思い出1
教育実習の思い出2
教育実習の思い出3
教育実習の思い出4
教育実習の思い出5
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いよいよ初授業。
寒色・暖色の話です。暖かいと感じたり、冷たいと感じたりする色相のことですね。
前回、
そのクラスは「寒色・暖色」の説明がまだだったのでと書きましたが、寒色・暖色の説明はやりやすいので、あえて教育実習生のために残してくれてたそうです。
中1といっても教育実習は6月だから、彼らは中学生になって2ヶ月しかたっていません。まだまだ幼いんですよ。
一通り説明が終わって、「先生の説明した意味、わかった?」と聞くと、みんな「は〜い」と手を挙げてくれました。「う〜ん、きゃわいい〜★」と母性本能をくすぐります。あの時は「ああ。先生になりたいなーー」と強く思いましたね。
次に「実際に色を塗ってみよう」ということで、スケッチブックに適当に丸を2個描いて、片方に寒色を、片方に暖色を塗らせることに。第1ステップ。
そして机間巡視。うん。よしよし。計画書どおりにペースが進んでる。みんなもちゃんと描けてるし、ぼちぼち次のステップにいくか・・・・・ん。一人だけ筆が動いてないなあ・・・この子やる気あるのかな?もしかして反抗期?
「どうしたの?難しかった?」と声をかけると、「にこっ」と笑って絵の具を選ぶのだけど、私が通りすぎると、絵の具を持ったままボーっとしてる。
気にはなるけど、そろそろ次のステップにいかないとまずいから先に進もう。
第1ステップでは寒色と暖色の違いをはっきりさせるための練習でした。次は色相を学ぼう!
「スケッチブック画面いっぱいに5本の直線を交わるように描いてください。これで面ができます。そして寒色・暖色、どっちか好きな方を決めて、寒色なら寒色系の色で面を塗り分けましょう」てな内容。
条件は一つ。絵の具を必ず2色以上混ぜること。これは48色セットの絵の具を持ってる子だと絵の具を選ぶだけで描けちゃうので、それを避けるため。より「色相」を理解してもらうためです。
まず私が黒板でやってみる。5本の線が多く交わることによって面がいっぱいできることを補足。
「さあ、みんなでやってみよう!」「は〜〜い」という返事。きゃ、きゃわいいいい★(こればっかり)
教育実習の思い出5-授業見学-
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当然ですが、いきなり授業は行わず、まずは先生の授業見学から入ります。
1年生は「線を使って色を塗り分ける」という授業をやってました。
ムサビ入試問題風に書くならば、「画面に『●cm×●cm』の矩形を書き、その中に直線●本、曲線●本、丸●個の指定された数の形を配置して平面構成しなさい」です(笑)
その塗りわけの際に「寒色・暖色」もからめて学ばせる・・というのがこの授業のポイントのようです。
このクラスは既に「寒色・暖色」の説明は先週終わってて、今日は実際に絵を描くところから。
これがすごいんですよ。独創的。とても思いつかないようなラインをみんな描くんですね。
一人ずば抜けてる子がいて、みんな幾何学的な模様を描いて色を塗っているのに対し、その子は「海と空と月」、つまり風景を表現してたんです。ちゃんと指定された形と数を使って。塗り分けもちゃんとできている。画面のバランスもいい。「こういう子が作家になったら自分の立場が危うくなる。若い芽は早くつまないと」と思ったくらいです。ほんとに(笑)
子供の柔軟な発想に本当に感動しました。
そして午後は3年生の授業を見学。
ショックでした。
みんな目が死んでるんです。絵もつまらない。何かノルマをこなしてるような感じ。1年生の時に描いたようなあの感動的な絵はどこに?この3年の間に何があったのだろうか?
うっすら疑問を感じながらも、翌日の初授業のことで頭がいっぱいで、その日はそれ以上のことは考えませんでした。
初授業は他のクラスの1年生。最終発表もそのクラスで行うことが決定。
テーマは「デザイン」にしました。そのクラスは「寒色・暖色」の説明がまだだったので、そこから入って、最終的にデザインを学ばせることに。
いろいろやりたいことはあるけど、まずはセオリーどおりにやるべか。
つづく。
教育実習の思い出4 −実習の準備-
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教育実習を経験したことがない方は「中学生や高校生相手に授業やればいいんだし、若い人と遊んだりもできるから、教育実習って楽しいだけじゃないの?」と思うことでしょう。
忘れちゃ困ります。
教育実習は塾や予備校の講師バイトではありません。自分の単位がかかった資格を取るための授業の一環なのです。
ムサビコムOBの小春さんも日記で何度か書かれてましたが、次の日の授業の準備をしなくちゃいけない。これが道具を用意するだけならいいのですが、授業計画書を作らないといけないんです。名称忘れました。実習指導案だっけ?
とにかく教育実習に行った人は「うわーーもう書きたくない」と涙するアレです(笑)
「次の日の授業はどういうポリシーのもとで行い、何を説明し、50分間をどのようなタイムテーブル(分刻み)で説明するか?そして何を注意して説明するか」という計画書を毎日1授業に対して1つ作らないといけないんです。知らなかったでしょ?
その時に覚えたのが「机間巡視」(キカンジュンシ)という言葉。他に使い道の全くない言葉(笑)
美術の時間に例えば「じゃ、色を塗ってみよう」と指示が出て生徒さんが作業に入ります。で、先生が机の間を通りながら、「ここはこうした方がいいんじゃないの?」とアドバイスをする。よくあるシーンですよね。これが机間巡視なんです。(今は「机間指導」っていうのかな?)
「ああ、こういうものにも名称があるんだなあ」とかなり強烈なインパクトだったので、忘れようにも忘れられない言葉の一つです。
他にも「板書計画」(バンショケイカク)ってのがありました。黒板に何をどのように書くかを計画したもの。
「えええ。先生ってそんなことまで事前に計画してるの?・・」と思ったものです。
先生にならなきゃ全く意味がないものだと思ってましたが、高校説明会では教育実習の時に学んだ知識が役に立つことが多いです。詳しくは後日書きます。
あ、あんまり細かく書くと他美大広報さんにも塩を送ることになるなあ・・・。触りだけ後日書きます(笑)
話を戻して。
その授業計画書を元に、当日使う小道具を作ります。黒板にマグネットで貼り付ける説明ボードとか。見本が必要だと思ったら、見本を作ったり探したり。毎日かなり遅くまでかかりました。田舎の同級生と飲むつもりだったけど全部キャンセル(笑)
私達「美術」は授業数が少ないからまだいいほうかもしれません。睡眠時間4時間ぐらいでなんとかやれてましたが、国語や数学の教育実習生は毎日徹夜状態だそうです。
そしてその日の感想(担当教員との交換日誌みたいなもの)も書かなくちゃいけません。
多分ここが一番手を抜ける部分なんでしょうけど、昔から「何か書け」と言われると2,3行では終わらせられない性格でして、手羽にとっては一番時間がかかった作業だったかも・・・。
教育実習の思い出3 -先生になること-
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教育実習の思い出2
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実習前のオリエンテーションで教職の先生からこう説明を受けました。
「皆さんの中には『資格を取るために教育実習へ行く』ぐらいの軽い気持ちの人がいるかもしれません。でも、生徒さんは『先生になるために頑張っている大学生』『先生予備軍』として接してきます。生徒さんはあなた達のことを『先生』と呼びます。皆さんもそうだったでしょう?だから生徒さんの前では『別に教師になるつもりないし』みたいなことを絶対に言わないこと。そしてそういう態度もとらないこと。「私は先生です」という気持ちで教育実習に行ってください。そうしないと生徒さんにも失礼だし、受け入れてる学校にも失礼なことになります」
私は昔から美術教師になるのが夢だったので「へー、そんな人がいるんだなー」と聞いていました。
中学生ぐらいから美術の先生になるのが夢だったんです。
もちろん「漫画家になりたい」とか「オサレなポスターデザイナーになりたい」と美大進学者誰もが考えるような職種(笑)にあこがれたりもちょっとはしましたが、基本は「美術教師」でしたね。
「両親と姉が教師」ということも少なからず関係しているとは思います。
「子供に美術の楽しさを教えたい」と、ずっっと思ってました。
少なくとも教育実習が終わるまではそう思ってました。
つづく。
教育実習の思い出2 -教育実習校へ-
教育実習の思い出1はこちら
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皆さん、覚えていますか?
入試の思い出5に登場したヨコちゃんを。
タマビに行ったヨコちゃんは同じ中学の1個上なのですが、1浪なので同じ年に教育実習へ行くことになったのです。運命のめぐり合わせってやつですね(笑)
教育実習生は他に国語・社会・英語・数学と全部で6人。そのうち5人はよく知ってる同級生。
私が通った当時は1学年12クラスありましたが、さすがに教育実習の時は8クラスに減ってました。それでもかなりのマンモス学校です。その無駄な人数を使って、10年前ぐらいにフジテレビでやってた特番「人間地上絵グランプリ」で優勝したこともあります。人が多いってことはドットが細かいってことだからよくて当たり前(笑)
「数年前から特別学級(特殊学級)も出来た」と説明を受けましたが、特別学級がなんなのかを知らなくてその場では聞き流しました。
まずは全校集会。体育館にギューギューに生徒が入っている懐かしい光景。とうとうこのシーンがきたんだなああ・・。
「今日から教育実習の先生がいらっしゃいます。」
壇上に登ると一人ずつ名前を呼ばれお辞儀をする。順番はヨコちゃんが1番手で手羽が2番手。
ヨコちゃんが無言でお辞儀をしたので、「何事も最初が肝心。ここは一発元気よく」と「よろしくお願いします!」と叫んでみました。
でも緊張で声が裏返ってしまい、教育実習が終わるまで「声の高い手羽先生」と生徒さんにいじめられる結果に。そんなキャラはないのに・・・・。
何事も最初が肝心・・・・。
つづく。
教育実習の思い出1 -教育実習とは-
本当は学生さんが教育実習に行ってる時に合わせて6月頭に書くつもりだったのですが、オープンキャンパス日記でここまでずれてしまいました。
もし「自分にとって人生のターニングポイントはなんだったか?」と聞かれたら、すぐに2つ言えます。
「ムサビに入ったこと」と「教育実習に行ったこと」です。
それぐらい教育実習は今の自分にとってかなり大きなポジションにあります。
なぜか。それをちょっと書いていきます。
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教育実習の思い出 1
教育実習とは、教職課程を取っている学生が中学や高校で現地実習を行うことです。今は介護等体験も必須ですが、私達のころは教育実習だけでよかったんですね。
だいたいは6月頭から2週間行われます。(9月ってこともありますが)
皆さんもご存知の通り、ほとんどの場合、出身校で行います。それはなぜかっていうと、教育実習って受け入れる側(つまり小中高校)からすると、授業がストップ、もしくは流れが変わってしまうので、本当はあまりやりたくないものなんですよ。しかも以前より授業時間が減ってますからね。「卒業生だから仕方ないかあ・・」と受け入れてくれることがほとんど。
最近、「母校でナーナーで実習するのはどうよ。自分とは関係ない学校で教育実習を行うべき」という声が出てきてますが、これは完全に外野の意見。受け入れる側からすると出身生徒でもない人のために大切な授業時間をつぶすのは嫌なもんなんです。
確か教育実習直前に行われるオリエンテーションでこういう説明を受けました。「相手の貴重な時間をもらって教育実習をさせてもらうのだから、ありがたく思え。」と。
中学か高校、どちらに行くか選択肢がありましたが、私は迷うことなく中学へ。
高校の美術の先生が大嫌いだったんです。理由はそれだけ(笑)
実習1年前・・半年前だったかな?・・・に先方へ「伺ってもよろしいでしょうか?」と連絡を取ります。
ちなみに教育実習校を決めるのも連絡を取るのも全て学生です。「教務課がやってくれるんじゃないの?」とこれをやり忘れる人が時々いるようで・・・。
電話をかけると、ラッキーなことに私が通っていた絵画教室の子供さん(といっても40代ですが)が美術の先生をしていて、「おおお。手羽かあ。来いや来いや!」と言ってくれてありがたかったのを覚えてます。
さ。教育実習だ!!
つづく。