リアルな美大法人企画室長の日常を
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しりとりブログ 「企画」
ども、法人企画室長の手羽です。
・・・自己紹介しただけで、あっさりクリアしてしまった。。
つーかね。手羽にそんな甘いボールはいりません。
もっと、こう、刺激的な、脇をえぐるようなきわどいボールが欲しいんじゃ。
でも、お言葉に甘えて(あっさり)。
法人企画室に異動になって、早2ヶ月。
「ところで手羽ちゃん、法人企画室って何するところなの?」とよく先生に聞かれます。
私もまだよくわかっていません・・・。
理事長や学長の秘書業務だったり、ムサビの未来を小さなところから大きなところまで考えたり、そんなことをやってます。
80周年事業も管轄は私の部署で、これから徐々に80周年の話を書いていくことになるでしょうね。
ちなみに募金も私の部署が担当です。皆さん、募金してくだ(以下略)
サイン入りムサビ日記を差し上げる代わりに募金をしてもらうっていうのは・・・あ、いらない?そうですか・・・。
ところで新入生の皆さんに分厚い青い本「武蔵野美術大学60周年誌」が入学後に送られてきてると思います。
60周年誌とは、その名のとおり、60周年の時に作ったかなりしっかりした年誌です。
当然といえば当然なんですが、記憶ではなく記録を元に作っているので、タマビの創立経緯を知りたい場合は、タマビの周年誌より実はムサビの60周年誌を見た方がしっかり書かれてたりします(笑)
もしお手元に60周年誌があれば、ぜひムサビとタマビが分裂する時期のところを見てください。
これがね。歴史として面白いんですよ。
今じゃ一応日本を代表する美大のムサビとタマビだけど、当時はそういうことがあったのかと。
ムサビとしても混乱期で、お金がなくて吉祥寺校にうどん工場が突然できたり・・・なんて話も。
70周年誌は作ってないので、今のところ60周年誌が最新版のムサビの歴史が書かれた公式本。
だから、年表には映像学科のことは「映像学科を作りました」としか書いてないし、デ情やゲイブンにいたっては存在すらしません。
現在、80周年にむけて80周年誌を作成中です。
なんで突然こういう話を書き出したかっていうと・・・・実は80周年誌も私の所管なんです。
大学史資料室も私の担当でして・・・。
なんかね。勉強しなくちゃいけない幅が広すぎて、何からとっかかればいいのかがわからなくて。
だから何にもやってなくて。
なんて言い訳できるのは高校生までで、それでもね。大人はやらなくちゃいけないんですよ。
と、グチを書きたくてこの日記を書いたんじゃなかった。
何が言いたいかって言うと。
80周年誌を出版するのが株式会社武蔵野美術大学出版局で、編集担当がハムコさんなんですわ。
ここに手羽ハムコンビが復活。
いいのかなー。この二人に80周年誌なんて担当させて。
武蔵野美術大学出版局とハムコさんを知らないムサビ日記初心者の方はこの日記をご覧ください。
■手羽日記 04/17 -初パスモ-
(うわ、懐かしい・・・)
80周年誌に手羽註とか入れちゃおうかなー。
勝手に「手羽とムサビの思い出★」みたいなエッセーを4ページぐらい寄稿しちゃおうかなー。
「2008年ムサビ日記2発売 売り切れ店続出」って存在しない歴史を年表に書き込んじゃおうかなあ。
だって、手羽が責任者なんだもん。それぐらいの権力はあるよね。
え?ないの?
手羽は所管なだけで編集権はない?あ、そうですか・・・。
では、次のお題は「ハム」で。
ハムフェアはNG。
『武蔵野美術大学60周年誌』、読ませていただきました。
面白いのは、
(1)「帝国美術学校」と「多摩帝国美術学校」に分裂した頃のこと
(2)4年制大学になったのが1960年代前半だったこと
(3)1960年代後半の学生運動による、大学全体の「混乱」「動揺」に関する詳細な記述
などです。以上3点のなかでも、(3)はすばらしいです。大抵の大学が、「内輪の恥」を外部にさらすことを嫌う傾向が強いのに、ムサビ60周年誌を編集した方々は、事実をありのままに記述しようという姿勢を貫いておられることに感銘しました。お手許に『60周年誌』がある方は是非、熟読されることをおすすめいたします。(え?このあたりは手羽室長のセリフですって?)
投稿者 ムサビファン : 2008年08月23日 20:06