リアルな美大法人企画室長の日常を
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世の中に問う!-2-
せっかくカテゴリも作ったんだから一回だけじゃもったいない。
なんとか育ててみせますよ。
世の中に問う!
バッサバッサと手羽が世の中の現実を斬りすてます!
第2回目はこれです。
やっぱ
音大生っていいよね。
そう思わない?
朝からずっとのだめカンタービレの再放送を見てるんですわ。
つくづくドラマにしやすいのは美大じゃなくて音大だと感じるんです。
理由は4つ。
一つ目は「オーケストラの存在」。
個が沢山集まって一つのものを作る。
美大だって芸術祭とかグループワークとか産学協同とか共同作業で打ち上げ花火的に作ることはあるけど、あんな大人数が同じポジションで複数回何かを作り上げることってないんだよね。
ほら、舞台だったら、役者がいて、裏方がいてって感じでしょ?そうじゃなくて、全員ほぼ同じ位置っていう機会。
だから、誰かがつまづいて、それを主人公達が応援したら、他の人間がそれを否定して、もっと落ち込んで、なんとかしようと主人公達が頑張って、その子がなぜつまづいてるのかに偶然気がついて、それを解決しようと主人公達がもっと頑張って、「うん、頑張る」で気持ちが盛り上がって、最後にバーンと見事に演奏しきって、最初否定してた奴らも感動しちゃう、・・・みたいな超ベタなストーリーを何回でも考えることができる。
2つ目は「個の能力」。
音大生の場合は、「譜面読めて楽器を弾ける」という共通の能力がある。
でも、美大生の場合は絵が苦手な人(美大に入って絵を描かなくなる人)もいるわけで、みんながほぼ同じ能力(以上)をもっていることが少ない。
だからこそ美大生の共同作業の場合は、「足りない部分を補い合う」という面でドラマが生まれるけど、音大生の場合は、「個々の能力を高めあう」というところに感動が生まれる。
具体的に「お前、チェロ、へたくそだなー。もっと練習しろよ」というセリフが成り立つけど、「お前、絵が下手だなー。もっとデッサンの練習しろよ」なんてセリフがありえないことでわかる。
3つ目は「わかりやすさ」。
「美大生っぽい格好」で書いたけど、「美大生らしい服装や小道具」ってのがあんまりない。
音大生なら、バイオリンケースやチェロのハードケースを持ってるだけで、「ああ、あの人は音楽をやってる人なんだなー」と一瞬で伝えることができるけど、美大生の場合はそれがないんだよね。
カルトンはいつも持ち歩くもんでもないし、アルタートケースは「っぽく」はなるけど、「美大生独特の」ってものでもないし、カメラにいたっては、美大生じゃなくても持ってるし、画集は生で常に持ち歩くものでもないし。
2と3を逆手に取るなら、美大生の場合は「キャラの多さ」で攻めることができるけどね。
普通に、フルーツポンチがやってる「アンダーグラウンドぶる男」「休日を有意義に過ごしてる風な男」「骨折してスター気取りな男」「何気ない毎日をスペシャルに感じれる風な男」なやつがいますからね
「ああー、こういう人、いそうーーー」じゃなくて、「います」から(笑)
4つ目は「発表できる場の多さ」。
例えば、写真を専攻にしてる人は、写真こそ水門撮ったり外で撮影することが多いけど、作業や展示はどこかっていうと室内ですよね。
デザインにしても、フィールドワークは屋外だとしても発表は部屋の中。
彫刻は外で展示できるけど、小道具さんがそれを作るのが大変。あるレベル以上のものを作らないと、「しょぼい・・」となって、せっかくの感動シーンが台無し。
でも、楽器の場合は、公園だろうが、砂漠だろうが、どこでも発表できる。
音は録音したものを使えばいいから、俳優さんは演奏してる振りをするだけでOK。
簡単に「海を背景にバイオリン」なんて感動のシーンも作ることができる。
「死んでしまった恋人のために指揮者が海に向かって泣きながら指揮棒を振る」なんて、かなり泣けるシーンだけど、「涙を流しながら海に向かって油絵を書くマネ」なんて「ちょ、こいつ、かなりやばいよ」と思われるし。
「海を背景にイラストレータ使ってレイアウトを作る」なんて・・・ある意味シュールだけど、ドラマにはならない。
いいなー、音大生はー。
つまり、何がいいたいかっていうと、手羽は朝からずっとテレビばっかり見てますってことです。
つーか、もう「世の中に問う!」でもなんでもないし。
やっぱりこのカテゴリは封印しよう・・・。企画倒れってことで・・・「2008個の寿司を食う」ぐらい企画倒れってことで・・・。