リアルな美大法人企画室長の日常を
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壮絶!美大生バトル小説ブログ9
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壮絶!美大生バトル
「めちゃくちゃアートな運命- Most and Ultimate -」
9枚目。
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これまでの話:: 1枚目 | 2枚目 | 3枚目| 4枚目| 5枚目| 6枚目|7枚目|8枚目
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「『武の蔵の野』と『武蔵野』がダブルミーニングになってたなんて・・・・」
「これも冷静に考えればわかることなのよ。『帝国美術学校』から校名変更するとしたらあなたならどんな名前をつける?」
「そうだね・・・うーん・・・『日本美術大学』とかせめて日本の首都名である『東京美術大学』かな・・・」
「でしょ?名前を変える時って意味合い的に同等以上、もしくはそれを代表するような名前をつけるのが普通じゃない?」
「そりゃそうでしょ。現状より小さいものを表すような名前にすることなんてありえないよ。見栄もあるしね。千葉にあっても東京●●ってつけてるところもあるぐらいだし」
「でもムサビは『帝国』から『武蔵野』って規模的にはすんごく小さい名前に変えてるわけ」
「あ・・・」
「普通だったらそんなことするわけない。これがあえてバトルフィールドを表す『武蔵野』という言葉を使った証なのよ」
「でも、あえて『武蔵野』にしなくても・・・」
「そうそう。これには面白い話があってね。80年前のバトルは勝利した者しか地上に戻ることは許されなかったの。勝てないことは死を意味してたわ」
「か、かなり厳しすぎる話だね」
「バトルに勝てない人間は美術界にいらない。ムサビの強い意志がそこにあったのかもしれないわね。そして、80年前のバトルが終わった後にそれをよく思わないグループが6年後にムサビを飛び出しの。『もっと多く戦えるようにするべきだ。多く自分を磨けるようにするべきだ!』・・ってね」
「うんうん」
「・・・・まだ気がつかない?」
「へえ。今の話にも何か含まれてるの?」
「多くを磨く。つまりそのグループが作ったのが多摩帝国美術学校、のちの多摩美術大学なのよ。」
「ちょ、ちょっと待ってよ。多くを磨くじゃ『多磨』でしょ。タマビは『多摩』だから、それはムリヤリすぎるよ」
「あら、知らなかった?9世紀に書かれた「倭名類聚鈔」には、多摩地方のことは「国府在多磨郡」と書かれてて、そこから『多摩』と漢字が変わったんだって。『多摩』はもともと『多磨』からきてるのよ」
「へえ・・・」
「タマビが『多摩帝国美術学校』とつけたことから、『バトルフィールドへの嫌味かい!じゃそっちがそうくるなら本家バトルフィールドを意味する名前をあえてつけてやる!』というわけで帝国美術学校は『武蔵野美術学校』、のちの武蔵野美術大学に名前を変えたってわけ」
「昔からそうとうムサビとタマビは仲が悪かったんだね。嫌味で学校名をつけて、その嫌味返しで学校名を変えちゃうなんて・・・」
「バトルフィールドがらみのタマビ話だともう一つあるのよ」
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[参考]多摩川流域リバーミュージアム::多摩川誌
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この話はフィックションです。登場する人物・団体・呼称などは実在のものとはいっさい関係ありません。
ちなみに名古屋造形大ブログのプチ子さんはこの話を読んで、ハンター×ハンターを読み出したそうです(実話)
はい。実話です。
面白いマンガを紹介していただきありがとうございます。
ハチクロも面白かったです。
泣きました。
で、話は変わりますが美大ブログのバナー。
写真はないんですか?
なんか美大芸大っぽいリンクボタンを作ってくださると助かります。
絵の具?筆?パレット?鉛筆?石膏像?
プチ子はサバオ写真でもいいですよ〜。
投稿者 プチ子 : 2007年11月06日 17:01