リアルな美大法人企画室長の日常を
« 五美大展について | メイン | 表現者について »
Search
受験の思い出1
書くと言って書いてませんでした。
TOPバッターの造形大入試も始まりましたしぼちぼちと。
手羽の受験の思い出1(古すぎて参考にならない)
高3直前までサッカー部に所属していましたが、部活をやめて絵画研究所に入りました。(高3から美術系予備校に通い出す人は多いようです)
よくa-bitさんが書いてたけど、「周りから『漫画やイラストがうまいねー』と言われ続けて『じゃ美大にでも入ろうかな?」と調子にのった」一人。(自分のことを書かれてるようでドキドキして読んでました)
「美術系予備校」なんて響きのでっかいところではなく、「アベ塾」と呼ばれてる福岡の田舎の小さな画塾です。
そんな小さな画塾でも、自分より上手な人が沢山いることに気がついて・・・これもよくあるパターンですね。
「美術系予備校に行かなくちゃいけないのか?」という問題については後日ゆっくり書きますが、自分のレベルを知る上で、小中高で習った「美術」と全然違うことを感じる上でも「1日体験講習」等で近所の研究所に一度足を運んでみるのは悪いことではないでしょう。
さて、入試。
まず、造形大さんの彫刻を受験しました。
現在の造形さんが新キャンパスなのはご存知ですか?私の頃は「元八王子町」にあったんです。(遺跡が出てきちゃって、1993年に現キャンパスへ完全移転)
旧造形大キャンパスでは受験生が入りきれなかったのか、1次の学科試験(以前は1次が学科、2次がデッサン試験)は拓殖大学さん(だったと記憶してるのですが違ってたらごめんなさい)が会場でした。「うわー、立派な校舎だなー。さすが大学。こんなところで勉強できたらいいなー」と感動したものです。1次合格して、2次実技試験会場の造形大キャンパスに向かうと、八王子より更に向こうの高尾だか高尾山口だかの中央線の果ての駅から更にバスに揺られて30分以上。バスの中で「あ、見て見て。通学路に多摩御陵がある・・」と友達にしゃべりかけた記憶が今でも鮮明に残っています。
キャンパスは山腹にありました。施設もかなり窮屈。
無事に合格できたのですが、正直「あそこに行くのはヤダ・・・」と思いました。。
ここまで書けるのは、現在の造形大キャンパスが学生さんがいうほど田舎じゃないからです(笑)
そして磯崎新氏設計の現造形大キャンパス。造形広場から眺める景色は私の好きな美大風景のひとつですね。
今の造形さんの立地なら「行ってもよかったなー」と思ってますよ。ほんとに。
このあたりも後日ゆっくりと。
根がド田舎モンなので、せっかく東京に来たのに実家より田舎の大学に行くのが嫌だったんです。やっぱり友達に自慢したいじゃないですか。「東京のナウいところに住んでるんだよ」と。
ムサビ近辺が都会かっていうと全然違うんですが、実家よりは開けているので(笑)
続く
受験って思い出として書いたり、誰かに
話したりできる経験。
そういうふうに自分の中に
残るっていうのはどうしてなんだろうか。
自分からやろうって思って
やるからかな。
投稿者 tamapi : 2008年08月08日 20:11