平常であること

通信の卒制展が中止になったのは残念だが、
それよりも気になっていたのは、ソツセイの講評。

卒業の前提条件で、「講評は必ず出席」になってるけど、
地震・停電の影響で、来られない人は少なからずいるはずだし、
どうするのだろうと思っていたら、そちらも「出来るだけ出席」に変更。
鷹の台に近い人だって行くのが大変な状況の時に、
地方から慣れない東京さ出てきて、しかも混乱中の都会ときたら怖い。

そして、卒業式も中止かぁ。

本当なら、今年卒業する予定だった人間としては、
良かったのか悪かったのか、何とも言えない複雑な気分。

週末は、地震のニュースも点けていたけど、
大阪在住の友人じゃないが「阪神を思い出して、トラウマに」なりそうなので、
昨日あたりから、文字情報をメインにチェックしている。

映像の影響力って凄いものを感じる。
阪神の時の精神的混乱や、芸予地震の時のことが蘇るもんね。一瞬ゾッとなる。

だからこそ、普段どおりの場所では、普段通りの気持ちで暮らすしかないと思った。
こういう時だからこそ、平常心。
被災地への思いはいろいろあるけど、平常でいることを心がけたい。

投稿者:fuka : 2011年03月15日 10:32

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