リアルなムサビの日常を
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「オトギ」ができるまで
FOR MUSABI
某さんの記事を読んで、うわあああと思ったのでそれを忘れないうちに、何か書いておこうと思います。
FOR MUSABIなんて書き出しで始めるのがちょっと微妙な程度には、
いつにも増して日記っぽい動機なんだけれど。
もし、手段は問わないからなにかひとつ作品をつくってみて、と言われて、
その手段がずらっと目の前に並べられた時、あなたは何を選ぶでしょうか。
人によってそれは絵、漫画、文章、詩、音楽、歌、ダンス、立体、雑貨、その他etc...
表現手段は無数にあると思います。
なんだろうな、表現の思考パターンというか思考言語というか、なんかそういうのね。
わたしの場合はそれが文章でした。(某さんの日記から引用)
僕の場合は、これが「言葉」になります。
この日記をよく読んでくれてる人とか、普段の僕を知ってる人には「いまさら?」かもしれないですが、
まあ改めて見つめ直したいので聞いてください。
「言葉」を意識するようになったのは大学に入ってからのことです。
ただ、中学くらいから「自分の言葉で話す」ということに対してすごいプライドがあったのは覚えてます。
人前に立ってスピーチみたいなことをするのがすごい好きだったな。
当時は演劇部だったのだけれど、それで笑いをとったり「すごいねえ」と褒められるよりも、
生徒議会とかで勝手に空気を崩してスピーチしちゃったりするのが好きだったんです。
なんか、ああいう会議って「決まった受け答え」のようなものがあるじゃないですか。
そういう退屈な空気が嫌いだったんで、喧嘩を売るような答え方ばかりしてたんです。
それが意外にもうけて、ちょっとしたエンターテインメントみたいに楽しんでもらえてて。
その経験が僕の芯のようなものをつくってると今でも思うんですよね。
うん、このとき思った、
「人を感動させたい。それで自分も感動したい」
というのが僕の根っこなんだと思います。
そんな僕を二転三転させたのが高校生活です。
なんていうかほんと、「煮るなり焼くなり好きに」されたというか。わざわざ自分からされにいったというか。
高校の美術部は非常に活発でした。
文化祭で廊下や教室を2つ貸し切って、ピンクの綿でうめつくしたり、傘を天井からつるしたり。
高原の美術館でプールをつくったり。ワークショップをやったり。
全国各地の美術館を見に、旅行につれていってもらったり。
信じられないと思いますが、これは公立の高校の美術部の話です。
顧問の先生がほんとにアグレッシブで…僕はよく喧嘩しましたが良い先生でした…(余計な一言)
そんな中で、個人では油絵を描いたり、映像作品をつくったり、絵本つくったり。
いろいろやってく中で、「なんか、そこまでアートとか好きじゃないのかもなあ〜〜」とかも思うわけです。
「僕以上に絵が好きな子なんていっぱいいるんだな〜」みたいな、ありがちなこと思ったりするんですよね。
正直焦りました。アレッ、なんで美術がよかったんだっけ?と。
昔から本ばかり読んでいたし、文系の大学行ったほうがいいんじゃない?と。
でも、なんというか。
そうやって高校の部活に入って、なんだかんだで副部長になって、
なんやかんやで部長にもなって、あっという間に3年間も居てしまって、
とっくの昔に「美術」の虜になっていたんです。
僕が中学で変なスピーチをやるようになった原因は一言で言って「退屈」なんです。
毎日つまらん、行事もつまらん、こんなところ早く卒業したい、
いっそ誰かに嫌われてしまいたい、だから喧嘩を売ってやろう。
そういうくらあ〜〜い「不満」から生まれたものだったんです。
…と、着地点を見つけられないまま44分になってしまったので、
この話は明日に続けます。
オトギ