リアルなムサビの日常を
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2012年11月のアーカイブ
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合図を待ってる
FOR MUSABI
なんかぼんやり作りたいものがあって、とりあえず手を動かしてるんだけど、
それが本当にその形でいいのか考えてるあいだに、
輪郭がどんどんぼやけて遠のいてしまって掴めなくなって、
そら見上げてあーあ、って言ってることのほうが多いようなその後。
何をするにも、助走のようなものが必要なんだろう。
人と挨拶するにも何か親切するにも作品つくるにも、
いきなり上手にすることは難しい。
わかっちゃいるけどもどかしい。
講義を聞いても会議をしても図書館にいてもバスに乗っても、
ただただもどかしい。
美しいものに囲まれて、ひたすら瞳を輝かせているような、そんな贅沢な時間がきっと必要なんだろう。
座っている時間が必要なんだろう。
今なのに。
今すぐ全力で走って行きたいのに。
オトギ
地獄におちる
FOR MUSABI
みなさんが、「あーこれは地獄におちるな」と思う瞬間はいつですか?
大事な約束の日に寝坊したときですか?
捨て猫を見てみぬふりをしたときですか?
卵を1日に5個も食べてしまったときですか?
僕は、母の誕生日を忘れてたことに2日後に気づいたときです………。
ウアアアアア
しかも母さんからかかってきた電話で気づくという!!
どおりで!どおりで不機嫌なわけだよ!
なんてこったい………。
はあ。
僕は愛情表現が希薄なので、大事な人の誕生日くらいはちゃんと祝いたい、
と毎年思ってるんだけど、やってしまった。
母の年齢を聞いて、あー、そろそろ親孝行とかしなくちゃ、と焦ったりして、なんかちょっとせつない気持ち。
来年はなんか素敵なものをプレゼントしたいな。自分で稼いだお金で。
オトギ
人参とタイポ
FOR MUSABI
夕飯の汁物につかう人参を切りながら、「文章を読まれるのって恥ずかしいな…」と、
しみじみと思うなどしていた。
「いまさら!?」と思われるかもしれないけど、いや、けっこうムズムズするからね!
目の前で読み上げられたときなんてたまったもんじゃない…。
納得してるものは何をされても全然恥ずかしくないけど、
ちょっと前のものとか、納得のいってないものとか、読み直すときつい。
ムサビ日記やり始めた初期の文章なんてね、まるで真夜中に書いたラブレターだよ!
(ラブレター書いたことないけど)
きょう、前期のタイポグラフィ研究αでお世話になったTAの人が大学にきて、
うんぬんかんぬんの2人で、講評をしてもらったんだ。
相変わらず容赦なくて「相変わらず容赦ないねー」「ねー」って一緒に自転車こいで帰って、
作り直す流れにスムーズになったりなどして、(2月のグループ展のときなどに…)
授業のときの雰囲気をちょっと思い出した。
TAのひとは、ほんとにタイポグラフィにこだわりがあって、いいなあ、と思う。
言い合いするのたのしい
その人がなんと!なんだかんだ言いつつ本をもらってくれたので、「よ、読んでくれるんだあ」と思って、
さっき、人参切りながら、「あー…」と思ってしまったんだ。
オトギ
銀の風
FOR MUSABI
作品提出して、ひとり図書館で書き物をしようと椅子に座った瞬間、時間が時計2周分飛んだ。
あのあとうちに友人を呼んでいっしょに徹夜してたんだけど、
やっぱり僕は徹夜するとだめだな、ということがよくわかった。何度も言ってるね。
外に出たらまるで刃物のように鋭くつめたい風がふきつけてきて、
あー、もう、ちょっとくらい優しくしてよ、と自然相手に不機嫌になったりしてさ。
東京の冬もどんどん寒さを増していくね。
「せめて雪が降ればいいのにな」と言ったら、誰も同意してくれなかったけれど、
せめて雪が降ればいいのにな。
こんな素っ気ないだけのつめたい冬はどこかさみしい。
せめて美しければいいのに。
イルミネーションよりも星が見たいし、
暖房につつまれるよりも雪やつららの冷たさにふれたい。
何度も言うけど、今回の課題はなんだか力を出し切れなくて、くやしい。
自分にうんざりしながら、でも「やりたいことしかしたくない」なんて、
投げ出すような徹底した不真面目さは持ち合わせていない。
頑張ればできるとか、時間をかければいいとか、そんなことないって喉から声が出そうになっても、
努力することでしか自分の隙間を埋められない。
とにかく今日という一日は終わって、ごはんを食べて、甘いクッキーを食べて、それで、なんとなく幸せで、
でも刃物のようなつめたい風みたいなものがまだびゅうびゅうと心には吹き荒れていて、
なんだか眠るにはもったいないから、だから、なにかつくろう。
オトギ
あの夜もこの夜も
FOR MUSABI
明日提出の…課題が…とてもしんどい…
何がしんどいかというと、創作意欲がまったくわかないのがしんどい…
はああ…
今やってるのは「形態論鵺」という必修授業の課題で、
「手」と「紙」を同時進行で進めてるんだ。
「手」は折り合いつけてやるつもりだからもういいんだけど、
「紙」が…。
「一枚の紙を変容させる」というテーマの課題で、
A3ケント紙28cm×28cmの中でどう「紙」をまるでまったく違う物質のように見せるか。
テーマはすごい基礎デらしいし、ぜったいこれはイイ課題なんだろうなあ、と
ずーーーっと思ってるけど、なあーーーーーんにも思いつかない。
立体ということと、素材が固定されているというところが、多分僕の意欲を根こそぎ奪って行ってるんだろうな。
けっこう制約が厳しくて、彫刻作品みたいにもしづらいし、かといって、
何か計算しつくしてやるのは性にあわないし
ああーーー、間に合うかなーーー。
こういう「何も思いつかないし、しかもそれを打開する力もわかない」状態になって、
何時間も何時間も机の前で顔をくしゃくしゃにしかめている時に、
「あーなんでこんなつらいことやってるんだ」と自分を疑問に思う。
そんなことを、高校生活ふくめてもう5年くらい続けてる。
僕もたいがい、ばかだなあ、と思うけど、きっとこういう瞬間だって大事なんだろうな。
と、思う事で、この夜もなんとか乗り切らないと…。
オトギ
「オトギ」ができるまで 完
FOR MUSABI
もう三連休終わるんだぁ…。
うわ、やっぱり日をまたぐと最初考えていた記事の構成をすっかり忘れてしまうな。
手羽さんってやっぱりすごいな…5つも6つもたくさん続けて書いてるときどうやってるんだろ…
僕は途中で飽きちゃうしな…(あっ)
というわけで続きなんだけど!
まあ、いきなり水をさすようなこと言うんだけどさ。
今すぐ結論らしい結論なんて出ないんだよなってことに気づいた。
そもそも僕は、「で、言葉がすきで、それでどうしたいの?」っていうのを知りたくて、
このムサビ日記っていうのを書き続けてるんだ。
…もしかしたらあと数ヶ月の間に心変わりするかもしれないしね!!HAHA
ただ、自分のことくらい信じていたいから。だから毎日続けるんだ。
僕が20年生きてて知っていることは、「つらいときに誰も助けてなんてくれない」ってことだ。
ものすごくネガティブに聞こえるかもしれないけど、ただの事実なんだ。
つらいのならそれを打開しなくてはいけない。独りでムリなら助けを求めなければいけない。
助けを求めれば援助してくれる人はたくさんいるだろう。
でもそのためには、もっとつらい思いをしなくちゃいけない。
話さないといけない。わかりやすく、相手に届くように。
それでも、面倒でも、話したいと思えたなら、その人はきっとかけがえのない人なんだ。
だから、20年をふりかえって、「あー、せちがらい世の中!」って思うけど、
感謝すべき人は山ほどいる。
そういうことを言うと、「なんか楽になった」と言われることが多くて。
それで、より多くの人にそういうことを思ってもらえたらいいな、と思ったのが、
ブログをはじめるきっかけ(のたくさんあるなかのひとつ)だしな。
毎日見てくれてる人が何人もいてくれなくたっていいんだ。
たまにふらっと来た人が、なんだ、こんな頭おかしいやつがいるんだ、
自分なんてまだまだ大丈夫だ、って、ほっとしてくれれば、それが一番いいんだ。
そういうコメントをもらう中で、僕も自分にとっての「言葉」という表現がどんな風に変化していくのかを、まだながめている。
できるだけ、デザインに寄り添う形で言葉と付き合っていけたらいいんだけどな。
はーでも、今の課題、きついな…。(涙)
オトギ
「オトギ」ができるまで 2
FOR MUSABI
昨日までのあらすじ:
某さんの記事に「うおおお」となって、自分の表現方法としての<言葉>について考え直そう!
と思って高校までをふりかえった。
美大にくると、「言葉で表現できないものを絵にしろ」とか、
「説明する前にわかるようなものをつくれ」といった、
一見言葉をないがしろにするような言葉にちょくちょく出逢います。
でも僕は「言葉」に今一番興味があって、それに関して、
タイポグラフィであったり、ブックデザインであったりを勉強したりしています。
もしかしたら脇道に逸れているように見えるのかもしれないけれど、
僕の中でほとんどのことは辻褄があっています。
基礎デザイン学科は「デザインをデザインする」、「考える」学科だからです。
知性なくしてはものなどつくれない、というのが僕の信じるデザインです。
言葉って、技術じゃないんですよね。ほんと、喋る人次第で、物語にも劇にも漫才にもなる。
僕は「プレゼン」とか「スピーチ」そのものが大好きというわけではないです。
たいてい、見ててつまらないので……。
ここで大事なのが、僕がプレゼンとかスピーチが好きになれたのは、そこで感動できたから。
感動って、きっと、美しさを含んでいるんです。
うーんなんか、きちんと言い切れないな。
もっと上手い言い回しが思いつくまで待って、明日完結させよう。
オトギ
「オトギ」ができるまで
FOR MUSABI
某さんの記事を読んで、うわあああと思ったのでそれを忘れないうちに、何か書いておこうと思います。
FOR MUSABIなんて書き出しで始めるのがちょっと微妙な程度には、
いつにも増して日記っぽい動機なんだけれど。
もし、手段は問わないからなにかひとつ作品をつくってみて、と言われて、
その手段がずらっと目の前に並べられた時、あなたは何を選ぶでしょうか。
人によってそれは絵、漫画、文章、詩、音楽、歌、ダンス、立体、雑貨、その他etc...
表現手段は無数にあると思います。
なんだろうな、表現の思考パターンというか思考言語というか、なんかそういうのね。
わたしの場合はそれが文章でした。(某さんの日記から引用)
僕の場合は、これが「言葉」になります。
この日記をよく読んでくれてる人とか、普段の僕を知ってる人には「いまさら?」かもしれないですが、
まあ改めて見つめ直したいので聞いてください。
「言葉」を意識するようになったのは大学に入ってからのことです。
ただ、中学くらいから「自分の言葉で話す」ということに対してすごいプライドがあったのは覚えてます。
人前に立ってスピーチみたいなことをするのがすごい好きだったな。
当時は演劇部だったのだけれど、それで笑いをとったり「すごいねえ」と褒められるよりも、
生徒議会とかで勝手に空気を崩してスピーチしちゃったりするのが好きだったんです。
なんか、ああいう会議って「決まった受け答え」のようなものがあるじゃないですか。
そういう退屈な空気が嫌いだったんで、喧嘩を売るような答え方ばかりしてたんです。
それが意外にもうけて、ちょっとしたエンターテインメントみたいに楽しんでもらえてて。
その経験が僕の芯のようなものをつくってると今でも思うんですよね。
うん、このとき思った、
「人を感動させたい。それで自分も感動したい」
というのが僕の根っこなんだと思います。
そんな僕を二転三転させたのが高校生活です。
なんていうかほんと、「煮るなり焼くなり好きに」されたというか。わざわざ自分からされにいったというか。
高校の美術部は非常に活発でした。
文化祭で廊下や教室を2つ貸し切って、ピンクの綿でうめつくしたり、傘を天井からつるしたり。
高原の美術館でプールをつくったり。ワークショップをやったり。
全国各地の美術館を見に、旅行につれていってもらったり。
信じられないと思いますが、これは公立の高校の美術部の話です。
顧問の先生がほんとにアグレッシブで…僕はよく喧嘩しましたが良い先生でした…(余計な一言)
そんな中で、個人では油絵を描いたり、映像作品をつくったり、絵本つくったり。
いろいろやってく中で、「なんか、そこまでアートとか好きじゃないのかもなあ〜〜」とかも思うわけです。
「僕以上に絵が好きな子なんていっぱいいるんだな〜」みたいな、ありがちなこと思ったりするんですよね。
正直焦りました。アレッ、なんで美術がよかったんだっけ?と。
昔から本ばかり読んでいたし、文系の大学行ったほうがいいんじゃない?と。
でも、なんというか。
そうやって高校の部活に入って、なんだかんだで副部長になって、
なんやかんやで部長にもなって、あっという間に3年間も居てしまって、
とっくの昔に「美術」の虜になっていたんです。
僕が中学で変なスピーチをやるようになった原因は一言で言って「退屈」なんです。
毎日つまらん、行事もつまらん、こんなところ早く卒業したい、
いっそ誰かに嫌われてしまいたい、だから喧嘩を売ってやろう。
そういうくらあ〜〜い「不満」から生まれたものだったんです。
…と、着地点を見つけられないまま44分になってしまったので、
この話は明日に続けます。
オトギ
そう決めた
FOR STUDENT
ムサビの公募推薦も終わったねえ。
今日高校の先生に連絡を入れたら、
国立の美大の推薦が今週末にあるとか言われ。
ああ、そうか、みんなこの冬を闘ってるんだなあ。
とかしみじみ思って、たこ焼きを食べたりしている。
弟から連絡はこない。彼も闘ってるんだろう。
薄っぺらくても歴史もなくてもいいから、魂削ってものをつくりたいなあ。
昨年のクリスマスは徹夜で絵を仕上げたんだっけ。
年末までに何か書こう。
オトギ
おすそわけ
FOR MUSABI
と、まずは書かずにいられないでしょう!
僕はここのところ冴えない日々を送ってたのだけど、
この報せを聞いてふわ〜っとちょっと元気が出ました。
冴えない日々?
昨日がたまたま冴えてなかっただけで、日々は楽しいか!
なんだろうね〜〜幸せのおすそわけ??
哀しいことを書くと同じように哀しい人がちょっとでも癒えるように
おかしいことを書くと哀しい人がちょっとでも笑えるように
人の行動や言葉には力があるんだなあ、と、そんな風に当たり前のことをしみじみ思ってしまう夜でした。
できれば良い影響ばかり、与え合って生きていきたいよね。
それってよくばりなことだけど。
オトギ
反省文提出します
FOR
星とか月とか、なんか綺麗なものが見えたらちょっと気楽になる気がして、
空とか見上げながらフラフラ歩いてたけどそんなもの見えなくって、
そううまくはいかないか〜ってちょっと残念におもったりした。
今日の自分はあまり好きじゃない。
なんか、そろそろ区切りになるような大きいことをしなくちゃいけないんだと思うんだけど、
それがなんなのかまだ見つけられていない。
僕は、周りの子達が言うほど年末がくることも3年生になることも嫌じゃないけど、
でもこのもやもやを持ち越したまま生活するのは、すごく我慢ならないことだと思う。
あ〜〜どうしようかなあ
自分に余裕がなければ人にも優しくできないしね〜。
毎日人に会うっていうのに、人とうまく接せられないっていうのはなんてつらいことなんだろう!
いや、僕が悪いんですけどね…すべて僕のせいなんですけどね…ハハッ
もっとありふれた正しいことを、心からできるようになりたい。
約束を守るだとか、
人に笑顔で挨拶するだとか、
見知らぬ人の落としたものを拾ってあげるだとか。
そういうありふれた正しさに自分が救われるからそうしたい。
でもできてないなあ。
やってることと言えば文章を書くことくらいだな。
こうやって文章を書くことはもう、ほとんど意地のようなものなんだ。
60とか100とか、カウンターは毎日くるくると回っているけど、
誰に届いてるのかも、誰かが何を感じてるのかも、何を期待されているのかも、
ほとんど僕にはわからないけど、でも、
今日は、同じようにジレンマを抱えてる誰かに届くようにと、願って書いたよ。
年越しまでに、もうちょっと優しいことが書けるように頑張ります!
オトギ
まるでかくれんぼみたいな日々
FOR WORLD
友人に「お前は永遠に開けないブラックボックスみたいだ」と言われたことがあって、
「どういうこと」と聞いたら「開けても開けても箱がある」と言われたので、
マトリョーシカみたいで可愛いしイイなと思った。
人は人の隠された部分に惹かれるというけど、それなら僕は、
随分魅力的に見えてるということなんだろうか。
それならいいなと思うけど、これといって隠し立てしているつもりがないので、
おかしいなというのが先立つ。
「言わない」ってことは「嘘」に入るんだろうか。
「言わない」ってことは「なかったこと」になるんだろうか。
「言わない」ってことは「隠してる」ことになるんだろうか。
それなら誰しも心にブラックボックスを抱えていて、それに気づいてほしくて堪らないんだろうな。
隠すってことは「見つかる」ことが前提にある行為だから。
なんかそれって可愛いね。
美大生はそういう心の奥底にあるものを作品にぶつけるのかもしれないけど、
そうでない人々はどうやってそんな気持ちをやり過ごしているんだろう。
いつか隠したことすら忘れちゃうんじゃないだろうか。
オトギ
本は美しくなければいけない。
FOR MUSABI
文学フリマ終わった……!
僕は自分でつくったものを売る、っていうのが初めてだったので、
ずっとそわそわそわそわしてて…「本見にいってきたら?」「お菓子でもかってきたら?」って、
相方の子がやさしくしてくれた…
そして僕がいないときに限って僕の無料配布本がはけたり、
僕がいないときに限っていっきに何冊も売れたりして、
まるで僕が売り子にいるとものが売れないかのようで…
嘆いたりしてたけど(笑)つくったものを買ってもらえる、っていうのは本当に、
喜びだなあ…と、思った。
通販もするので、また告知するね!
そうだ、やっぱり「畑が違うなあ」とつくづく思った。
服装とか、髪型とか、人への接し方とか、ディスプレイとか…
男の人多いしっ!!しかも「ちゃんと男の人だ」って人が(しつれい)
いや、ムサビは、ほら、なんていうか、こう、儚い?印象の?人が多いから???
だからかもしれないけど、美大の人とか写真売ってる人を見るとちょっとほっとした。
ムサビ日記のちさちさんも来てておどろいたな!
で、このイベントのためにつくった「うんぬんかんぬん」ってサークルは、
今後も存続決定となりました〜〜わ〜パチパチ
とりあえず芸祭はこのサークルで出るかんじで打ち合わせてる。
本当に単純でありふれたことだけど、2人でものをつくれるっていいなあ、と、
今回つくづく思ったから。向こうもそう思ってくれてるといいんだけど。
さて…、話があっちこっちに飛んでしまうけど、ここからが一番書いておきたいこと。
今日一番の収穫は、「文章を読むということは本来、面倒なことである」ということがわかったことだ。
「言葉」とか「小説」とか「詩」とか、ただそれだけで癒されたりするってことはまずない。
重要なのはその言葉に引力があるか、ってことだけど、まず、文章を「読もう」と思ってもらう、
その壁は僕が思ってたよりずっと厚いものなんだ。
だから、人の目にとまって、手にとってもらえた、ということが、
見知らぬ誰かに読んでもらえた、ということが、本当に幸福なことのように思えて…。
今夜、もしかしたら僕たちがつくった本を開いてる人がいるのかもしれないなあ、と思うと、たまらない。
オトギ
その空気の温度は冷たいか
FOR MUSABI
今日エミュウの前で遅めの朝ご飯を食べていたら、
受験生に「写真とらせてください!」って言われて
「わ〜 そんな受験があるんだあ〜」ってびっくりした。
誰か、ムサビ日記の人が書いてたよね デ情だったかな?
あの子 どうだったんだろうな
僕はできればもう1回くらい受験したいなあ、とか時々思ったりする。
受験ってさあ、自分が生きたいように生きる為に努力することができるじゃない
すごいしんどかったけど、あのときの自分がすごく好きだったんだよね。
なんてダメなんだろう、って思い知りながら、
できるかぎり前進していく、あのひたむきな空気が。
ま、そればっかりじゃ早死にしそうだけどさ。
もうそろそろ、あの時の空気にまた戻らないといけないな。
オトギ
小説を売るよ!
FOR WORLD
大学に缶詰状態だから、最近ムサビ日記おろそかになってる
貴重な読者のみなさんこんにちは
もうすぐ受験だけど!!
芋子ちゃんとかカワダちゃんのリアルな日記がとてもイイので、
僕は心置きなく自主制作の宣伝をするね!!!(ゲス)
日時:11月18日(日)11:00〜17:00
場所:東京流通センター
というイベントに向けて、友人と合作で短編連作集をつくってるよ!!
サークル名:うんぬんかんぬん
スペース番号:ア-29
タイトル:「A面/B面」
ページ数:2冊セットで72P
お値段:400円(たぶん)
<音楽を聴くことで、わたしたちの中に流れる物語がある。
音がふくむ空気が、言葉の響きが、わたしたちのペンを走らせる。
ここに、数冊の本ではなく、ひとつのアルバムとして、あなたに聴いてほしい物語がある。>
ある16曲の音楽を発想の元に書きあった本だよ。
A面 story by オトギ
1、ボーイミーツガール 顔のない天使
2、まぼろしすらみえない
3、不実な群青
4、犬飼くんの神様
5、兄さんは透明人間
6、暁の海
7、午後2時10分
8、ボーイミーツガール 瑠璃の朝
B面 story by マキノ
1、いつかかえる
2、ひかりの夜に
3、白痴の宇宙
4、肺呼吸の魚
5、心中するにはもってこいの夜
6、謝辞
7、いたむ水底
8、幸福の肖像
急だけど、日曜日という休日をもてあましてる方はぜひ。
僕も初参加なのでわくわく!
オトギ
空の色なんて
FOR MUSABI
あ、なんて綺麗なオレンジ色だろうなあ、と思った。
それは夕日を反射した、大学の中庭の木々だった。
ああ、なんて嘘みたいな雲だろうなあ、と思った。
それは新海誠の描く背景みたいに幻想的なピンク色だった。
空とか植物とか。
前まではそんなことにばかり感動して、
それだけで胸がいっぱいになって、
身動きできないくらいだったのに。
いつの間にか違うところばかり見ているよ。あ〜あ。
オトギ
受験前の数日
FOR STUDENT
ツイッターで受験生さんが2人も話しかけてくれたので、
心を入れ替えて受験生向けの記事を書くよ!!!(いまさら!!!)
というか一般入試を受けてない僕が受験生の役に立てるのは、
このタイミングをもってもう来ないと言っても過言ではない…
>1次試験に合格してからどんな1週間を過ごしていたのか?
①シナリオづくり
まずは企画書に詰め込んだ大量の文章を制限時間内に言い切れるように、
書き直す。
プレゼン用に組み立て直す。
これが一番難しい……
僕の高校はパワーポイントを使うような授業が多かったので、
「もしパワーポイントが使えたらどんな画面をつくるのか?」
という想定でシナリオをつくった。
パワーポイントの1画面=2行以内のキーワード、である。
1画面にうつす文章は極力少なく!できれば3行以上書かない!
というのが、プレゼンの師匠のお言葉だったので、
まずキーワードを絞り出してから、喋り言葉を考えた。
で、実際に画面はこんなかんじ!というのをパソコンでつくって印刷して持って行った。
アドバイスなんだけど…
受験会場にカンペ持って行きたいなら、手書きのメモ(しかも授業ノートの切れ端みたいなの)だけはやめたほうがいいと思う…
実際にいたのね。
受験時の緊張した状態で、整理されてないメモを見ても、かえって混乱すると思うよ。
②実践あるのみ
プレゼンのポイントは
・いい表情
・いい声
・いい言葉
だと思う。マイクなしでも伝わるくらいハキハキと喋ること。
自分は絶対に噛まない!って自信をもって喋れるように、声がかすれるまで何回も何回も読み上げる。
そのたび言いやすい言い回しに変えたり。
もちろん、タイマーでちゃんと毎回はかってね。
③当日はなにしてましたか?
待合室では日記を書いてた…
これについてはまた今度!!
オトギ
バランス
FOR MUSABI
なんか先週からくすぶりつづけて何も出て来なくなったり
かと思ったら急に何もかも悔しくなって力任せにつくりたくなったり
と、ものすごい暗黒の1週間を迎えてるんだけど僕は元気です!
大学にもちゃんと行ってるし
まあなけなしの愛想が消えて、前よりも嫌な人になってるかもしれないな
書いて来たものを見てると自分の精神状態がよぉくわかって、
患者と医者を同時に演じているような気分になる。
はあ〜〜〜しかし思い通りにいかないなああ〜〜〜
いつの間にか急に「年末」という言葉が身近に感じられるようになってきて
でも2年生じゃなくなっちゃうことに不思議とさみしさのようなものはなくって、
年越し蕎麦食べた〜いとか
甘酒のみた〜いとか
そういういい加減なこと言って笑って済ませているような適当な日々だ
勢いのようなものが必要なんだ
とにかく前に前に流されていくのではなくて
きちんと重心をおける場所を知らなくてはいけないんだ
今それをもう一度みつめなおしている最中で、
まだ不安定に揺れていたい。
オトギ
もしももう一度逢えたら
FOR MUSABI
僕が自分史で【史上最悪のグループワーク】と題しているグループワークで一緒だった子に今日会った。
髪型も服装も雰囲気が全然違うから一瞬、誰だかわかんなかったけど…
…美大の子のイメチェンは容赦ないから!!和風美人がいきなりロックミュージシャンみたいになるから!!
とまあそれはされおき、
今日会ったら「あ〜やっぱりこの子嫌いじゃないなあ〜」と思ってしまった。
グループワーク自体はほんとに、もうちょっとうまくできないのかな、とか、
もうちょっと一緒に頑張ってくれないのかな、とか、つらさの極みだったけれど。
その子自体は全然嫌いじゃない。
そういう人はいっぱいいる。
もし高校で逢えたら仲のイイ子の3本指には入るんだろうなあ、とか、
もっと違うタイミングで声をかければすんなり話が弾んだだろうなあ、とか。
美術大学っていう環境で、「誰とでも仲良くなれるから仲良くなろう」と思えば、
知り合いはあふれんばかりに増やせるけれど、
なんだかそういう気は全くしないんだ。
思う存分話せる子が3人もいれば心は賑やかだから。
でもふと、今日みたいなことがあったときに
きっと、違う形で出逢えたら、もっとちゃんとした友人になれたんだろう。
そう思う瞬間があって、それはちょっとした切なさを伴っている。
オトギ
ぼんやりとした幸せ
FOR MUSABI
心を打つ芸術というのは
厳しさの中から生まれるのか
それとも安心の内から湧き出るのか
ということについてよく考える。
修行みたいにしてひたすらに自分を追いつめていけば良いものができるのか
単純に手を動かす快楽に従ってものをつくればよいのか
「つくってるほうが楽しければ見る側も楽しい」という言葉は雑だ。
厳しさの中にある充実は楽しさではないのか
ただ自分を満足させるためにつくったものが人を満足させるなんて過信じゃないのか
制作を修行にしてしまいたい。
そうじゃなくっちゃ、ぼんやりとした幸せに包まれて、
いつのまにか作品なんてつくらなくなってしまいそうで怖い。
オトギ
もうすぐあの日
FOR STUDENT
やけに最近アクセス数が多いなあと思ったら、
そうかみんな公募推薦か!!
2年前の今頃は随分殺気立っていたのを思い出した。
と、すぐに役立ちそうなことが書ければいいのだけど、
ちょっと明日早起きする用事があるので、
今日は過去のエントリーでも貼っておくね…
しかし受験のプレゼンは最高に楽しかった。
全力で喋るっていうのは本当に気持ちいい。
しかもえらい人の前で。
受験会場はいったらとりあえず「ここにいる人たち全員落とす!!!!!」
って思ったな。
いきがってたな。
オトギ
情熱はホッカイロ
FOR MUSABI
わざわざ自分を急かして色んな事をさせるけど、
何か今ひとつ足りないような気がして、それでも、完成させてしまう。
課題が特にそれだ。
1週間という期限の中で自分が心から「やりたい」と思える瞬間なんて、
前日まで待ってもくるかどうかなんてわかんないのに、その「やりたい」を待ってしまう。
前日を迎えて、無理矢理完成させて「これがベストだ」なんて言ってしまう。
バカみたいだなあ。
(ただ、「やりたい」を待てば「やりたくない」時よりいいものが作れるなんて確証も本当はない。)
でもいつか持ってたはずの熱い確信のようなものがすり減ったまま物をつくることが不安すぎる。
自信とか夢とか、多分そういうありふれたプラスのエネルギーは使い捨てのホッカイロみたいなものなんだ。
僕はあの熱を失った紙みたいなものを必死にこすってるけど、その紙が温度を取り戻すことは永遠にないんだ。
燃やすか取り替えるかしかない。
でも近くにコンビニも無いし、手持ち無沙汰で思わずこすってしまう というような
そんな気持ち。
多分こんなの美大生ならよくある悩みで、それを自分のことだからさぞ思い深そうに書いてしまうんだろうってことにすら気づいている。
あ〜なんてつまんないことで悩んでるんだろう。って思いながら悩んでいる。
いやだなあ。
おもしろい日記を書くには僕がおもしろい人間になるしかないのだから仕方が無いのだけど。
嘘は書けない。
だからまだまだ使い捨てホッカイロくらいのあたたかさしか提供できていない気がする。
頑張ります、
燃焼。
オトギ
衝動のような病気のような
FOR MUSABI
自転車を漕いでいて急に止まりたくなる瞬間がある。
飽きた。
通学路も駅に行く道も飲食店へ行く道もなんかもう、
ぜんぶぜんぶ 飽きた!
今朝から気づかないふりをしていたものがある。
勘違いだと思い込んでやり過ごせそうな程度の頭痛と喉の痛み。
きっと薬でも飲んで大人しくしてたほうがいい。
でもこのまま家に帰ったらなんだか、そのまま腐ってしまいそうな気がして、
僕は無理矢理駅まで自転車を漕いだ。
乗り物に乗りたい。
できればすっからかんの電車がいい。
ただそれだけの思いで、改札をくぐって、1時間くらい目的も無く電車に揺られて、
出口から一歩も出る事無く 帰って来た。
何か抗いようのない衝動がある。
読書でも甘いものでもおしゃべりでも発散できないものだ。
それをなんとかして外に出さないと生きていけない。
ああ、すごく山に登りたいなあ。長野の家の裏山。
そう思いながら青いシートに腰掛けた。
ひとりになりたいなあ。
本当のひとりになりたい。
喫茶店の「おひとり様」でもなく
キャンパス内の「一匹オオカミ」でもなく
ただの本当のひとり。
大勢の中の一人ではなくて、人から外れた独り。
そう思うのは、大学のざわめきに、通学路の雑音に、
慣れているせいだろうけど。
山なんかに登ることができない今となっては、
絵でも描こうかなあ。
どうせ描くなら、
できるだけ、ひとりよがりなものがいい。
オトギ
眠い人
FOR WORLD
昔からよく出会い頭に「ねむい?」って聞かれる。
事実眠いときもあるから「うん」とか「んー」とか適当に返しちゃうため、
小学校から中学校にかけて僕は「眠い人」と覚えられた。
いつも眠い眠い言ってた気がする。
そのときの「眠い」は「つまんない」とか「あー早く家帰りたい」って意味だった。
どっちにしろあんまり気合いの入ってない意味だな。
最近は、それでも、あのときほどそんな気持ちは起きないようになったけど。
でも、寝起きがいちばん幸せで、そのせいで朝はちょっとつらいくらいだ。
あったか〜い気持ちでそのままずうっと寝てられたらこんなに幸せなことはないのでは、
と一瞬思ってしまうけど、僕には大学があるし、更に言うなら大学の必修の講義を聞かないといけない。
でもねむい。
それは無理矢理朝ご飯を食べたり歩いたりしているうちに、
瞬く間に醒めてしまう程度の気持ちだけれど、
寝たいときに寝れないって、なんて残酷なことなんだろうなあとぼんやり思ってしまう程度には、
僕は眠いのだ。
オトギ
ことばの中身
FOR MUSABI
「すごい」とか「好き」とか「可愛い」とか、そういう単純な言葉でドキッとさせられる人が好きだ。
人のプレゼンを、ついつい研究みたいにして見てしまうことがある。
トークショーとかに行くと、
その人が舞台のどこからどこまでをどのタイミングで歩くのか、
何回も繰り返し言っているキーワードは何か、
ジェスチャーは何パターン有るか、
単語のイントネーションはどうやってつけているのか、
そんな風にして観察してしまう。
「話す」というただそれだけで、面白い。
人が笑ったり、うなったり、怒ったり、感動したりする。
それってすごい単純でイイと思うんだ。
今日、課題の講評があった。
「そこまで説明しない方が良い」と先生が何回も繰り返し言うのを聞いて、ちょっとムズッとしたんだよなあ。
たしかに、こじつけみたいな説明は聞き苦しい。
「すごい」とか「好き」とか「可愛い」とか、それだけで伝わることもある。
ありふれた言葉に説得力をもたせるために、僕等に足りないものってなんだろう。
オトギ
冬のせいさ。
FOR MUSABI
無性に課題以外のことがしたくなって、
わざわざ夜になってからコンビニまで歩いたり、
参加できそうなイベントを探してみたり、
新しい小説の書き出しを考えてみたり、
不毛なことしてる。
はあ。冬のせいだ。
こんなに寒いからちょっとセンチメンタルになってるんだ。
そうだ。冬のせいだ。
だからあったかいお風呂にでも入ろうか。
オトギ
遅ればせながら
FOR MUSABI
制作以外のことから手をぬく贅沢に慣れてしまった自分に気づいていた。
だから今日はリハビリみたいに、ゆっくりと洗濯をしたり、夕飯をつくったりした。
ひとつのことにしか集中できないのになあ。
そんなことを言っていても、やるべきことは重なり合って目の前にやってくるし。
心地よく生活するために消化しなきゃいけないことは、毎日積まれては増えていくし。
明日からはまた、通常授業だし。
いよいよ夢から醒めちゃった気分だよね。
うわあ 芸祭最終日より、片付け期間より、今日が、今日こそ、寂しいかもしれない。
(それとも、課題が嫌なだけなのか。)
でも、そんな風に思えるってことは、昨年よりも上等な芸祭を送れたってことかもしれない。
オトギ
休み時間
FOR MUSABI
あの幻みたいに濃く固められた一週間が、いつの間にか過ぎて
まるで嘘みたいに数日ふわっと休み休み生きてるから
もう何ヶ月も休んでるみたいな錯覚をしてしまう。
できれば自由時間がもっとほしい
もっともっと好きなだけ好きなことをしていたい
でも大人が思っているよりも、僕たちの自由時間は少なく儚いのです。
オトギ
失われた故郷
FOR WORLD
冬は何もかも懐かしい。
肩から背へ伝っていくように容赦ない寒さも
ほんの少し尖って見える星の輝きも
東京にいるということを少し忘れさせられる。
きっとそれは僕が長野の生まれだからなのだろうけれど、
言い様の無いノスタルジーを感じてしまう。
ノスタルジーというのは、どこか帰りたい明確な場所があるとか、
そういう具体的なものとは遠いところにあると思う。
たとえばあなたにはあなたにしか帰れない場所があり、
僕には僕にしか帰れない場所がある。
1年のときの色彩論で、「郷土を感じる色」というテーマで透かしの勉強をした。
そのとき僕は夕暮れのサーモンピンクと稲穂のレモンイエローをメインに使った。
先生には「ちょっと弱すぎる」と言われたし
友人には「らしくてイイ」と言われた。
僕は「稲穂」というモチーフの間抜けさやダサさがとても身の丈に合っているように思えて、
わりと気に入っていた。
おそらく僕の見た稲穂の美しさを完璧に伝えることなどできていなかったろう。
稲穂を美しいと思ったのは小学校高学年のときだったか。
明日また同じ道を通って同じ学校へ行く耐えられない憂うつと、
とりあえず今日が終わったという安心感を胸に歩いていた。
たしかその日は幼なじみの男の子が欠席だったから、喋ることもなく。
顔をあげた瞬間にふく風の、甘く冷たい感触、稲穂の切っ先がつくるたおやかな波模様。
はーっと吐いた溜め息の熱さや白さ、どうしようもなく重いランドセル。
何もかも美しいはずの無いありふれた光景で、僕はそのとき完璧なものを手に入れた。
それは僕にしか帰ることのできない、失われた故郷である。
オトギ
歴史の天使
FOR MUSABI
こんな晴れた肌寒い秋の日には、美術館の整理された壁を背景にまどろんでいたい。
そう思ったから美術館に行った。
ワタリウム美術館の「歴史の天使」を見た。
インターネットでその言葉の並びを見る度にぞくっとしていた。
この前の草間彌生さんの展示が、ちょっと薄っぺらく感じられて肩すかしをくらったから、
ワタリウム美術館を敬遠してたんだ。けど。
なんだか素敵な展示だった。こんなに「言葉」と響き合う展示を久しぶりに見た。
写真と重なり合うようにして散りばめられていた多木浩二さんの文章が美しくて、
羽根がはえたように展示場をふわふわふわふわ歩いちゃった。
美術館全体が作品のようにデザインされていることが珍しく心地よかった。
透明なフィルムに白で印刷された文章の向こうに見える都会の喧噪
真っ白な壁の上、真っ赤な額に縁取られた小さな写真の群れ
最上階に響き渡る雪の音
そこにいるだけで心地よかった
美術館のソファでうっとりと浮かんでくる文字を並べているとき、
僕の体は浮いているかのようにふわふわと落ち着きが無かった。
いい展示だなあと思った。
カタログは買わなかった。
オトギ