リアルなムサビの日常を
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世界をトリミングする
FOR WORLD
溜まらずに流れていくものとは、何か。
塞き止める必要のないものとは、何か。
写真というものにふれていると疑問に思う。
テクスト研究という授業の一環で、
東京都写真美術館の展示を見に行った。
この構成がまた、先生の言わんとする事を見事に掬いとるような構成で感心した。
まず、3階の「光の造形〜操作された写真〜」では、
モノクロ写真を彩色したものや、コラージュしたもの、
トリミングしたもの を順々に見せられる。
2階の「川内倫子展 照度 あめつち 影をみる」では、
すっきりとまとまった川内さんの世界観にひたる。
床まで真っ白な空間に、正方形の写真が並ぶ。
その次の部屋に撮った状況の映像が流れ、
また次の部屋にはネガが飾られ、
そして最後には大きくひきのばされた写真が。
最後にB1階の「日本写真家協会展」には、
プロアマチュアの写真が「入選」というくくりで、
ひとつの壁にいくつもの人のいろんな写真が無造作に並べられる。
「うわあ、写真っていったいなんなんだ!」
最後にはそう思っていた。
写真というものを、【記録】だと捉えていたこともある。
誰かがおもしろい顔をしたふとした瞬間
山から日の出が見えるほんの一瞬
といったような。
そういう側面もあると思う。
最後の公募展みたいなのの多くは【記録】に分類されるように見えた。
誰かがその瞬間にたちあい、シャッターを切った というただそれだけが、
価値になる。
・・・そういうことだってあると思う。
でも、川内倫子さんを見てると また写真というものへの見方が変わってくる。
彩色写真なんかを見てると、どこまでが写真なのかが曖昧になる。
写真は取捨選択の世界だ、と考えてみた。
川内倫子さんの写真を見ていると、
世界というものはとても涼やかで儚く、美しいものに感じられる。
川内倫子さんによってトリミングされた世界を、
見せてもらっているような・・・・。
【記録】の写真にそういう感情はあまり起こらないんだよなあ。
量の問題なのかもしれないけれど。
何をもって「表現」とするのか、
何をもって人を「表現者」たらしめるのか。
きょうみぶかいなあ・・・・・
オトギ