リアルでからふるな美大の日常を。
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夢のいろ
新しい人が増えてる!!
なんか赤い文字が溢れてるだけで
さわやかな季節がやってきた、って感じですよね。
私も2年目生なのか〜。
みなさん、よろしくおねがいしMAU☆
最近、映像の勉強、って思って
映画をいっぱい見る、という計画を立てました。
目指せ年間100本!
映画通の人からしたら
100とかそうでもないのかもしれないけど
私なんて
ついこないだまで
一番最近映画館に行ったのが、
一昨年の夏休みのハリーポッターだったし、
イメラも2回しか使ったことなかったし
(しかもそのうち1回はソファー室で「もののけ姫」見ながら爆睡。。)
ツタヤにはいまだに行ったことありません。
地元にはマイナーなレンタルショップしかなくて
そこも浪人のときに数回行ったのを最後に
しばらく映画も借りてない。
そう考えると
今月はすでに9本なので
頑張ってるとおもいます。
テレビのロードショーも授業で見たのも入ってるけど☆
テレビあなどれないです。
というわけで
昨日は「おくりびと」をテレビで見ました。
授業の課題映画みたいなのに指定されてたので
ここ最近ずっとネットでDVDが安く出てないか探してたんですが
まさかテレビでやってくださるとは☆
実家でも録画してもらったので
今日はなんとなく見ました。
なので内容についてのことは書きません。
後半、火葬場の場面で
急に思い出したんですが
私、この前
火葬される夢を見ました。。
なんか台に寝かせられて
暗い部屋にいて、
足下で火がぼっと点いて
その火の方に台ごと向かっていき
「あつい!あついよー!」
「でももうちょっと我慢してみよう。夢だし」
って思ってたところでたしか夢は終わりました。
夢って
夢の中で気づいたこと初めてかもなんです。
ちなみに夢の中で死を迎えるのは3回目です。
小さい頃に一回、10台の終わり頃かなんかに一回。
死ぬ夢は「変わりたい願望」って聞くけど
疲れるよね。見るだけで。
ホットカーペットの上で
いつのまにか眠りについてしまう毎日なので
ほんとに毎日夢を見ます。
rapid eye moving な睡眠ってやつですよね。
レム睡眠。
ヒトが見る夢のほとんどが
気づいてないだけでモノクロだ、と聞きました。
私が見る夢は
ブルーグレーの曇天が多いけど
多分カラーだと思うんですよね。
なかなかどうやって確かめよう、って感じなんですが。
そしてかなりの確率で
何かに追われてる夢です。
天災か敵か時間か
その時によるんですけどね。
夢日記を書いて
ちゃんと占ってもらった方がいいんじゃ、ってくらい。
ちなみに今日は
予備校時代の「粘土返却」というイベント(一年間使った粘土をキレイにして返す)に
予備校時代の先生たちはもちろん、
ムサビの友達も出てきたりして
むしろお父さんとかも出てきたりして
あとから考えるとワケ分かんないです。
今年、誰が受かったのを気にしていました。
そういえば
私のみる夢には
けっこうな出現率で父が出てきます。
リアルでは丸2年会ってないんですが。
これでも家族の中では会ってる方。
仕事の都合でなかなか家に帰って来ないんです。
2年前に会った時も
大学に受かった、一人暮らしをするから、って
判子をもらいに高田馬場で待ち合わせ。
私のちょっと歪んだ性格も
父不在による影響が少なくはないと思うのですが
その分ステキな家族に憧れます。
朝ご飯とか夜ご飯とか
家族で人数分のおかずを前に団らんするようなやつ。
こちらは昨日見たカワイイ映画。
家族いいな〜ってなります。
公開した時から気になっててやっと借りて見たんですが
気に入りすぎてやっぱりDVDも「カートに入れる」笑。
インテリア、というか
画面のなかの色がとにかくかわいいです。
見るんだったらこんなかわいい夢を見たいんだけど
なかなか邦画ホラーのような色合いの夢しか見ません☆
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家事の出来ないお母さんにも共感するけど
どっちというと自分の研究に没頭のお父さんにも共感。
長女歴22年なので、お姉ちゃんの気持ちも分かるし。
ああ家族がほしい!
結婚式に行ってきました
わ〜、3年生になってしまった〜!
って書こうとしたら
昨日は4月1日仕様になってたので
今日になりました。笑。
先日は友人の結婚式に行ってきました。
結婚式、感動する箇所多すぎ!
ちょうどこの日だけちょっとあったかくて
桜の似合う一日でした。
披露宴で感動したのが、
その日一日のハイライトシーンを、
披露宴の最後に編集してスクリーンに写す、という
式場の編集チームの
影の努力がうかがえるサービス☆
いいシーンを探すだけでも時間かかるだろうに、
結婚式場のプロモーションビデオのようなクオリティー。
こんなお仕事もあるのね。
(タマビの友達と、ファイナルカットかな?プレミアかな?って言ってました。)
後日渡されるのもいいかもしれないけど、
リアルタイムの感動はものすごいよね。
epa!で私は記録部をやって、
やっぱり、最終日にいままでの写真をスラードショーにして流すんです。
でも前日徹夜で作るから、最終日のデータはほとんど入れられないくらい。
結婚式の場合は
ある程度のシナリオはおんなじなんだろうけど
プロってすげーや、って思った。
テレビ業界の編集とかになると
もっとすごいんだろーか。
と、
感動するとともに
とっても創作意欲を刺激してくる映像でした。
チャペルでのお父さんの表情、
バージンロードを歩く花嫁と父親、二人を固定で来賓越しに動かす映像とか
友人代表の方のお手紙の時の花嫁の表情とか
全然知らないけど、幸せそうに祝う来賓の方々とか。
一番ぐっときたのは
花婿さんの亡くなったお父様の写真。
はじっこの親族席のテーブルの上に写真立てで置いてあって
向こう側には披露宴会場が見える、という。
全然事情とか知らない花嫁側の友人ですが、
なんかものすごく泣けてきます。
いいBGMもかかってる。
(斉藤和義の「ウエディング・ソング」だったかな?このとき。)
でも実際は
この日初めて出会った、花嫁の短大の時のおともだちが
隣で超号泣だったもので
ボロボロは泣かず。笑。
映像って、
肉眼で見ることに似ているけど
内側と外側のあいだから見ているような感じで
映ってる本人の気持ちも
写してる(見てる)側の気持ちも
両方を伝える事ができるんだなあって思いました。
とにかくステキな会でした。
ああ私も結婚したい!
そしてこの映像サービスを利用したい!笑
花嫁の喜び
今週末、
私の友人が結婚式を挙げます。
ちょうど一年年前の同じ日に
「結婚を約束したひとがいる」と
久しぶりに会った彼女から聞きました。
(ここでは仮にMちゃんと呼びます。)
Mちゃんは、
私が初めて予備校というところを訪れた高2の夏、
同じ「初心者コース」で出会ったのでした。
大人っぽくてキレイな顔立ちで、すこしミステリアスなMちゃんだったけど
2学期が始まって曜日がバラバラのコースに進んでも
ときどき挨拶をしてくれる、優しい子でした。
のちのち分かったことだけど、
そしてちょっと天然な子でした。笑。
わたしは
いまよりもずっと
人見知りが過ぎる子だったので
その時は友達、と呼べるほど仲良くはなれませんでした。
それから3年に上がり、
私もMちゃんも同じデザイン科(受験科からちゃんとコースに分かれるのです)へ。
そこでも同じ先生のクラスに入り、
藝大を受験するコースまで一緒に進み、
でもそのときもまだ
私はずっとひとりで行動していました。
Mちゃんと
親しく話すようになったのは更に一年後、
1浪の4月でした。
他の予備校からやってきた
社交的なKちゃんに話しかけられ、
私たちはするすると
5人組のグループの一員になりました。
5人はいつもいっしょで
課題が嫌になった時は廊下で話し合ったり
放課後は一緒に東京のギャラリーに展示を観に行ったり
短い時間だけど外の階段でいっしょに昼ご飯を食べたり。
現役まではひとりだった私に
初めて出来た友達。
予備校で出来た友達なんて
いつかどうせライバルになっちゃうんだから、って思って
わざと孤立するようなことをやってたけど
友達が講評で褒められるのも嬉しかったし、
その友達が自分を褒めてくれるのも嬉しかった。
3月。
結果は下り、
Mちゃんは大学へ進学。
私はまだ浪人を続けた。
それから
5人はバラバラの学校や科へ進学。
バラバラの学年になってしまったけど
一昨年私がムサビへの進学を決め、
やっと全員が大学生になれた。
夢だった
「いつかみんなでグループ展」は
学年が違う故の就活のタイミングとかで忙しく、
叶わなかったけど。
最後まで受験してた私に
みんなは手作りのお守りを作って、
受験前にプレゼントしてくれた。
受験って苦しいけれど、
ひとりで戦わなくちゃいけないのだけれど
応援してくれる人がいるのはとても嬉しいんです。
私が最後だったから
歳は同じだったけど
みんなの応援を受ける事ができてとても幸せ者になってしまった。
そんなだった私たち。
最近では1年に何度も会えないけど、
まさかだれかの結婚式で再会する日が来ようとは。
Mちゃんに渡すプレゼントを残りのみんなで探して
先週は新宿を歩き回りました。
せっかくのお祝いだから
奮発して素敵なモノをあげたいのだけれど
なかなかちょうどいいものが見つからない。
なんか、
ありきたりなものばっかり。
結局行き当たったのは
ちょっと普段では届かないくらいの
アロマキャンドル。
無難だけど、って
どの香りのものにするか迷いに迷って
やっと決まった。
くんくんしすぎて鼻も頭も疲れちゃって、
フランズ語で書かれた香りの名前は忘れてしまったのだけれど
モチーフとなった花の、花言葉は
『花嫁の喜び』
香りから先に決めたから
意味を見た時は「これしかない!」って思った。
でもぱっと決まったかのような
ストレートなプレゼントになりました。
それにプラスして
それぞれ手作りのオプションを作って渡そう、ってことに決めました。
背伸びをするのもいいけど、
私たちはこうだよね、っていうプレゼントです。
ちゃんと結婚式に出席するのは初めてで
なんかいろいろ楽しみです。
ダイエットは間に合わなかったけど。(笑)
おめでとうを伝えに、
幸せオーラを分けてもらいに
いってきます。
でもその前に
徹夜で手作り!笑
乾燥時間、間に合うかしら。。
この一ヶ月
空白の一ヶ月、すみませんです、、、。
もう試験が近づいてきてるではありませんか。
私の友人も、入試バイトで
毎日学校に行ってます。
体力さえあったら私もやってみたいけど
絶対むりー
階段を上がるだけでしんどいです。最近。
最近の私といえば
1/25に二度目の年女バースデーを迎え、
ひとりで過ごすのはやだーと思い
かなり前から『実家に帰ろう企画』を考えていました。
大学生はテストが済んだらながーい春休み。
4月までほんとに休み。
普通なら実家でながく過ごせるんだけど
こっちでバイトなんてしちゃってると
帰るに帰れないんだって!
バイトとか始める予定の人、
そこのとこ考慮で考えないとだめよ。
周りのみんなは2週間とか長期で帰ったり
旅行に行ったりしてるけど
休めて一週間です。わたし。
そんなわけで
3.4日帰って、一週間こっちで過ごし、
また5.6日帰る、、、的な
ここ一ヶ月を過ごしています。
電車代が泣けます。
気が済むまで実家で過ごしたい〜。
実家では
ずっとできなかった地元探索もちょっとできました。
知らない店がいっぱいに増えてるー
3月にまた
今度はちゃんと調べてから行きたいな〜
一眼持ってくのが怖かったので
(前にコンデジを砂で故障させたことがあって)
一眼を買ってから一年、やっと初太平洋です。
しかも初RAW。
これからは面倒でも現像してみよう〜。
夜中まで大きいテレビでFFやり放題だった&ご飯食べ放題の
楽しかった実家生活に別れ告げ、
これからは展示とかコンペとか宿題とか
いつもの仕事に戻らなくてはです。
もちろんバイトも忙しい。
私が住んでる所は
徒歩でムサビに来る時のルートにあるんですが
試験期間の朝は
ガラッガラガラッガラ
カートをひく音で迎えます。
みんな頑張ってね〜
って神聖な気持ちになるけど
時々『大丈夫か!?』っていう時間に聞こえることも。
近隣の人たちを心配させないように
時間には気をつけましょうね。
忘れ物関係で大事なのが
予備校に忘れ物をしてこないこと。
忘れやすいNo.1がバケツです。
ふだん持ち歩かないからね。
私の友人には
ペットボトルで乗り切って受かった、
なんてツワモノもいましたが
そんなことにならないようにね。
持ち物とか時間とかが書いてあるやつ(入試要項?)は
この時期持ち歩いていた方がいいのかもしれないです。
うんうん。
2010
あけましておめでとうございMAU!
おそくなりましたが新年おめでとうございます。
(まだ間に合うよね?)
年末年始は実家に帰ったものの
31日の5時まで働いてその足で帰り、
3日にはこっちに帰ってくる、
という忙しいスケジュールでした。
それでも去年は3日から働いてたので
ちょっと長く実家に居たんだけど、
ここ半年くらい電気を消さずに寝る生活が続いてるせいか、
(寝ないようにしてたのに寝ちゃったパターン)
実家では寝て食べて寝て、、、の繰り返しでした。
なにもしてないような気も。。
もっと休めたらいいんだけどね〜。
DVDの作業も残ってるし、
バイトもあるしでしょうがなく帰還。
バイトでは
九州とか東北とか
実家の遠い人は優先的に帰らせているので
実家から1時間半の『頑張れば通える』私は
出勤せねばならんのです。
来年は帰る時期、ずらそうかなあ。
とまあばたばたと12月を終えたわけですが
転科試験やらをあっさりスルーしてしまい
本当に良かったのかどうかは悩む次第。
来年度をどうしようか
ここの選択は大事な気がします。
もうすぐ出願期間ですね。
受験生のみなさん、
受けるか迷ったら、とりあえず出願しておくのも大事かも。
受験料はただじゃないから
親御さんとご相談だけども。
あとで後悔とか無いように
いろんな可能性(行くか行かないか関係なく)を
調べておくのは何事も大事ですね。
ぼーっとしてられない!
クリスマス
Merry X'mau !!
なんか久々にマウ言いました☆
なんかいつのまにかクリスマスですね。
はやい〜
クリスマスだからって
ウキウキしてられませんよ。
なぜなら私のバイト先はケーキ屋なんです。
今日が一年で一番忙しい日です。
どきどき!
クリスマスがちゃんと乗り切れるか心配で
学校が終わった事に気づかないほど。
そういえばもう2年生の課題って
全部終わっちゃったんだな〜。
最終課題のHandy Lightは
ばったばたの終わりを迎え、
結局今までの作品の中で
一番ばたばたしたできあがりになってしまいました。。。
うう、、こんなはずじゃ。。
冬休みは忙しいから無理だとして、
春はこれらを直そうかと思っています。
削るのは部屋がコナコナになるからあんまりやりたくないんだけど
でもやらなきゃしょうがないから我慢するとして、
問題は塗装です。
前回、案外ベランダでやれる
ってことが判明し、
クリップライトで照らしてやれば
あったかい気もするという発見もあり、
夜中に楽しくスプレーしていました。
が、
朝になって見てみると
けっこう飛び散ってる!
白っぽい色だったからそこまで気にならないものの、
赤とか青とかだとまずいかなー。
使うのがラッカー系の
取れない系なので
つけちゃうとやっかい。
そして
向かいが大屋さんという
デンジャー。
なんかよい方法を考えなくては。
せめて
塗装ブースだけでも
春休みに開放し放題してくれたらいのに。
ID工房。。
秋のはじまり
おひさしぶりです。
すごく長い間放置してしまった。。。
夏休みの思い出話もそこそこに秋が始まってしまいました。
っていうか学校が。
結局去年の夏はepa!とバイト探しに費やし、
今年はバイトに費やした感じです。
自転車の練習が出来なかったことと、
どこにも旅行に行けなかったことが悔やまれますが
まあ夏休みなんてこんなもんです。
後期の講義は
予定してたより3コマ減らしました。
なんか休んで落としちゃう気がしたものを。
特に、土曜日の午前中に入れていた英語を
2コマ分辞めました!
土曜日は午前中がフリー☆
これは我ながらいい思いつきだった気がする。
だって、たいていのプレゼンやら
課題の提出は土曜日。2年生だから午後。
今回もぎりっぎりで中間プレゼンに間に合いました。
徹夜明けで学校行って
歯医者に行く元気が残ってなくてキャンセル、
12時間寝て今に至る☆
寝なかった分、寝ないといけないみたいです。わたし。
この連休で
CGを直していかないといけないんです。
『背に腹はかえられないっ!』って意を決して
Shade(学校でつかってるCGソフト)を買ってしまったので。
この課題だけじゃなくて
自分の武器になるくらいまで使いこなしたいな〜
この課題、
スケッチ、手描きのレンダリング、CG、粘土でモデリング、石膏取り、塗装
と、いろいろが入門盛りだくさんなんです。
新しいことを覚えるのは楽しいけど、
一個遅れるとどんどん遅くなってしまいます。
ちなみに私は
CGの初日に風邪をひいて休んだことをキッカケに
どんどん遅くなって講義をいろいろ休んだりして、
ギリギリのプレゼンでした。
もともとShadeは苦手な方なのに。。
でもここ数日ですこしずつ出来るようになってきました!
やっぱり自分のソフトだとやる気が違いますね。
課題の詳しい話はまた書きます。
来週からはドキドキの粘土なので
CGがんばってやっていかないと。
粘土なら任せろ!
な、はずです。
世間はシルバーウィークらしいですね。
私は祖母にお茶のセット(抹茶カステラとちっちゃい花束がついてる)を送りました。
でもバイトを入れたりepa!だったりで
明日からは休みじゃないです。
今日は唯一の休み。
でももうすぐ半日終わりますが
どう過ごしましょう。
ほんとは造形の見に行きたかったけど
体力が!
2007年の夏〜21歳の思い出
今日は5時起きでバイトだったので
この時間でなんかくらくらしてます。
やー、今日はミスしなくてよかった。
夏休み中に今までの思い出を振り返る予定だったのが
気づいたら明日から学校。
あれれ。
まあいっか、ってことで
少々ずれ込みます。
2007年。
21歳。
いよいよ四浪の夏。
前年とは打って変わって
マジメに過ごしてました。
とはいえ急にガリ勉になった、っていうよりは
悩みすぎた年でした。
結局
なんの為に美術やってるんだろう、なんの為の人生だろう。
っていうところまで行って、
全部がよくわからなくなった。
でも、
前にも書いたような気がするけど、
問いが出たら答えはすぐです。
人を幸せにするのが私の幸せ。
ってことで、
その手段として美術を選んだ。
より多くのひとに、
より伝わりやすい手段で、っていうことで
工業デザインを志すわけです。
一回そう思ったら
今までのいろんなことが結びついてくる。
そんな感じで冬を迎え、
私はムサビ生になったわけです。
ちなみに
基礎デも結構迷いましたが、
自分の趣味に近い方を選んだ結果が工デ。
選択に間違いは無かったって信じてます。
明日から
さっそく専攻別授業。
ドキドキであります。
2006年の夏〜20歳の思い出
前期の成績が出ましたね。
偶然行かなかった日に限って出席を取ったり、
行った日には取らなかったりした授業に
不可がつきました。。
何回か出たレポートはちゃんと出したんだけどな〜。
たぶん、
試験で2問中1問しか答えられなかったのも原因。
後期は取らないことにします。
教科書買っちゃったけどしかたあるまい。
他にも
良に留まってしまった科目を
辞めるかどうか、もう少し迷うことにします。
自由選択枠合わせて
あと18単位で卒業できるので
このまま行けば余裕かと思われます。
予定だと
後期16単位。辞める予定のやつを辞めなければ+8単位。
迷うところです。
2006年。
20歳
三浪の夏。
なんだか
受験以外のことに夢中だった一年でした。
毎日のように寄り道しては
友達と何時間もお茶して帰る、という。
もちろん、
デッサンを見せ合ったり、
実技について意見を言い合ったりしてたけど、
ほとんどは恋バナだった気がします。笑。
恋愛、じゃなくて恋バナ、なところがミソですよ。
楽しいけど、受験時はだめよね。
あっさりと四浪目を迎えることになるのですが
この年も人間的成長は大きかった。
予備校の先生たちには申し訳ないことばかりだったけど、
私にとっては必要な日々でした。
というのも、
高校生の時とかは
学校が終わったらすぐに帰るのが日課で、
部活もバイトもしてなかったし、
同じ方向に帰る友達もいなかった。
ケータイも当時あまり普及してなくて
持ってない子が周りには多かったし。
そんなわけで
本来高校生あたりで楽しむべきことが
私は2.3浪あたりにきてるんです。
ぼーっとただ受験勉強だけして
ぼーっと大学生になってしまっていたら、、、
と考えると恐ろしいです。
その点、
現役で入ってきた人たちは
なんかすごく精神的に大人だったりするので
たかが大学受験とはいえ、なめちゃいかんなと思います。
2005年の夏〜19歳の思い出
最近HOLGAを購入しました。
トイカメラってやつです。
デジタル一直線だったのに、
ここへ来てフィルムへの興味がわき起こってしまいまして。
とりあえず
いろんな種類のフィルムを織り交ぜて
ネットで注文したのが先ほど届きました。
なんかすごくわくわくです。
いま一番欲しいものは
フィルムもスキャンできるスキャナ。
欲しいものは尽きませんね。
いいのが撮れたらアップしたいです☆
2005年。
19歳。
ニ浪の夏です。
もう、どれがニ浪だか
若干記憶があやふやなんですが。。
夏前の立体でちょっとしたヒットが生まれまして
それが初のパンフ掲載になったのが一番の思い出です。
いままできったない机の上でしか撮ったことなかった自分の作品の写真。
写真を通すと、ちょっとかっこ良く見えました。
それまで立体はニガテでした。
でも、
それは自分の中で曖昧だったのが原因。
ここはこうする、ってしっかり決めていけばいくほど
どうなるべきっていうのも見えてくる。
優柔不断なのはよくない癖です。
今もですけど。
それとこの年は
生まれて初めての接客業バイトに挑戦した年でもありました。
いわゆるウエイトレス。
『お前はもっと気を使えるようにならないとダメだ。』
って講評で毎日のように言われ、バイトを始めました。笑。
もともとかなりの人見知りだった私は
このバイトでかなり成長できた気がします。
まず、人に話しかけるのが嫌じゃなくなった。笑。
数ヶ月が過ぎ、
店長に『笑えるようになったね』って言われ、
笑えてなかったのかー!って
思ったりしました。
厳しかった社員さんも、
考えたら今のわたしより年下。
今頃どこの店舗にいらっしゃるんでしょうか。
会ってお礼が言いたいです。
このバイトが最初のバイトでよかったです。
厳しかったけど、いろいろ学べました。
日本語から動き方まで。
『今やってることだけじゃなくて、次のこと、その次のことを考えながら動く』
という店長の教えは、今も生きてます。
秋になり、受験モードに入る為
せっかく慣れてきたバイトも辞めることに。
店長も、イケメン店長(ケミストリーの堂珍さん似)が異動になったので
まあちょうどいい頃でもありました。笑。
でも自分としてもやっと楽しくなってきた頃で
ちょっと残念。
人に対する気遣いは
作品にもちょっと現れ始めました。
でもまだまだ。
かくして私は人間的に少しだけ成長し、
三浪が決定するのであります。
2004年の夏〜18歳の思い出
うっかりしてる間に数日が経ってしまいました。。
夏ももうすぐ終わりって感じですね。
でも明日はまた30度越えするらしいです。
8月31日といえば
高校生までは夏休み最終日でした。
でも、
浪人生はやっと夏期講習が終わって
少ない夏休みを堪能してるころでしょうか。
ムサビは9月の第2月曜日から学校なので
もう1週間休みであります。
この前、バイト先の普通大学の人たちが
まだまだ夏休みと聞いてビックリしました。
一番長い人で10/20から学校っていう人もいました。
ムサビの夏休みは短い。
とはいいますものの、
高校→予備校しか経験してないと
『まあ、そんなものか』と思います。
2004年。
18歳。
一浪の夏であります。
高校生の時に比べたら
ちょっとは実力がついてきた感がありましたが
まだまだ戦えるレベルではなく。。
夏休み最初の色彩構成で
なんだか急に閃いて出来た絵があって、
普段ライバルだと思ってたあまり仲良く無い子まで
『これ、いいよね〜』って言ってくれたことがありました。
デザインってこうゆうことか!って
その時はちょっと思ったけど、
それ以降はたいしたヒットがなく。。。笑
立体(粘土)も死ぬほど苦手だったけど
なんだか割り切って作ったコンクールの作品が
まさかの1位に選ばれ、
少しだけ立体に自信が持てました。
でもこちらもこれ以降たいしたヒットがなく。。。
結局1年のうちでこの時期から秋くらいまでがピークで
2浪することになってしまったのです。
この年には友達ができました。
現役のときは
『どうせみんな敵になるんだし!』
って思って友達を作らなかったけど、
作ってみるといいもんですね。
話してみると、
意外と同じようなことで悩んでたりとかするもんです。
一緒にGDPを見に行ったり
銀座のギャラリーに行ったり、
浪人生ならではの放課後の使い方もしてました。
結局5人組のうち
二人は女子美へ、
二人はタマビへ、
私はムサビへ来ました。
別々の道に行きましたが
いまでも時々会って、ギャラリーを巡ったりしてます。
逆に高校の時の友達とかの方が
卒業してから全然連絡取ってなかったり。
(まあ高校でも友達すくなかったけど、、、)
女子美に進んだ一人はこの春に就職し、
来年の夏には結婚する予定!
初結婚式にちゃんと出席(先生のにちょっとだけ、とかはあった)です☆
それまでにどうにかして痩せなきゃー。
とか言いながら
今年の夏は全然痩せられなかったからーずです。
あんなにバイトがんばったのに。。。
2002年の夏〜16歳の思い出
帰って参りました☆
実家から。
本当は
ガイドブックとか買って、
地元だけど観光気分を味わいにいったり、
久しぶりに海を観に行ったり、
家のピアノをひさしぶりに弾いたり、
早起きをして自転車の練習をしたり、
予備校に遊びにいったり、
荷物の整理したり。。。
5泊6日もあるし
有意義に過ごそう〜と
思ってたのは前日まで。
あっという間すぎる6日間でした。
上記のあれこれは
何一つ実現できぬまま今日に至る。
弟とゲームしすぎたのかも。。
次に帰るのは
どう考えても年末年始までないです。
これから年末までの数ヶ月は
怒濤の数ヶ月になる予感がします。
あっという間に来てしまうんでしょうか。
とりあえず
芸祭まではあと66日らしいです。
わお!
2002年。
16歳。
この年の夏、
まさに予備校に通い始めました。わたし。
キッカケは
毎月のように来る、『無料体験』のハガキ。
地元の駅にももう一個予備校があったんですけど、
そっちの体験授業に行ったら
小学校でいっしょだったYちゃんがすでにいまして。
なんだかいっしょのとこではやれない!
と思い、2駅となりの予備校に行ってみることにしました。
無料体験が5月。
6月はサッカーのワールドカップを見るのに一生懸命だったので
(意外とミーハーなのです)
7月に授業見学に行きました。
そこで描いた、
人生で1枚目の石膏デッサン(木炭)が結構褒められまして
そのまま夏期講習の申込書をもらい、
気づいたら初心者コースに申し込んでおりました。
小学校ではパットしなかったけど
中学で成績に5がつくようになり、
デザインコースに進学した高校でもそこそこいい成績で
美大受験の予備校でもそこそこ。
一番にはなれないけど
その環境の中でそこそこの位置を占めることができるらしいです。
夏に始めたばっかりだったのに
年末に行われる、高1の春からやってきたような人もいるコンクールで
なんと3位を取ってしまったのです!
そこからすこしずつ
調子に乗っていくのですが
あの時のトップ10は科さえバラバラなものの
ほとんどが芸大に進学してたりします。いま思うと。
学校の課題などを通して
この頃からグラフィックデザインに興味を持ち始めます。
というか、
おもしろそうだなーと思ってた分野が
社会でいう所の
広告とかグラフィックデザインだということを
知っていきました。
将来のヴィジョンが
一回かたまりかけました。
2001年の夏〜15歳の思い出
バイトしてきました!
他店ヘルプ初でしたが、
や〜テンパった。笑。
そのお店ならではのルールとかあるし、
何がどこにしまってあるのかも分からんしね。
他の店からヘルプに来た人も一緒だったのですが
彼女はベテランさんだったので、(でも4年生らしいので多分年下)
だいぶいろいろまかせてしまいました。
大人との会話を
スムーズにできる人になりたいです。
まだまだカタコト!
2001年。
15歳。
結局成績はたいしてよくなく、
水泳が本当にいやだったので
そこそこの成績(平均オール3無かった)で入れて、
プールがなくて、
治安がいい学校☆
で絞っていくと
たどり着いたのはデザインコースのある学校でした。
週休2日で(まだどこの学校も第2.4土曜日しか休みじゃなかった頃)
冷房もついてたし。
そう、たいした意味はなかったんです。
好きなことやってる、
と思わせれば
オバカな学校でも言い訳がつく、っていう魂胆です。
美術とデザインとコースがあるのですが
なんでデザインか、っていうと
なんとなく。笑。
美術の方がなんとなく汚そうで
なんとなく粘土とかやりそうだから。笑。
はい、粘土が心から嫌いでした。
(ちなみに弟も粘土嫌いで、家ではNGワードです)
とか言っときながら
数年後には受験で粘土ばっかり扱って、
ゆくゆくは得意になって好きになっていくんだから
人生って本当にわからない☆
あれれー
ですよね。
ちなみに、
その頃は大学に行く予定とか特になかったけど
英語とかフツーの授業の単位数が少ないせいで
むしろ普通大学を目指す方が厳しい。
という高校の弱点が後々わかりまして(デザイン科デザインコースだからなー!)
専門行くくらいなら大学がいいや、ってことで
大学を目指すことになります。
先生も新任の先生ばっかりがデザインコースを担当してるせいで
面白くないしわかんないし、進まないし。
ちなみに
同級生のほとんどは専門学校へ進学。
私はその他の勉強もしたかったので
大学進学を希望しました。
高校の授業で一番為になったいう意味でおもしろかったのは
特進コースの英語の先生が担当する特別講座(7時間目)で、
デザインコース唯一の参加者であった私は
結構がんばってた甲斐もあってかわいがっていただけました。
やっぱり全然ちがう。
分かりやすくておもしろい授業でした。
これキッカケで
私はまた英語が好きになります。
この頃の最高成績は
高2の夏に英検2級取得!
英語2だったとは思えないでしょ笑。
この頃に読み始めたハリーポッターの原書。
飛ばし飛ばしで今は6巻を読んでます。
長い趣味であります。
さてさて、
この時点で
ムサビはなぜか眼中にありませんでした。
美術以外のことも学びたい、っていう
やりたいこととはかなり合致してるのに
なんででしょうね。
まあ、単純に知らなかったんですけど。
正直、
タマグラ志望でした。笑。
高校に受かってすぐに、
近隣の予備校から毎月『無料体験』のハガキが送られてくるようになりました。
年初めの立派なパンフレットに感動してしまい、
私は予備校に通うこととなるのです。
それはまた次の年のハナシ。
ちなみに
無料体験よりも前に参加したのは、
予備校主催のムサビ説明会でした。
だれかムサビの先生のお話を聞いたはずなんですけど
今となっては全然思い出せないです。
誰だったか、すら。
2000年の夏〜14歳の思い出
今日のバイトは他店へヘルプに行きます。
チェーン店ですからね☆
初ヘルプなので
今からかなりドキドキです。
アウェーでありますからね。
ほんとはその足で実家に帰ろうと思ってましたが
バイトの制服一式持ってじゃあめんどくさいので
明日帰ることにしました。
日記更新できるかしら?
パスワードが思い出せないんですけどどこにあったっけ。
こういう時にノートパソコンだと便利ですよね。
やっぱり欲しいな〜。
2000年。
14歳。
この年の夏といえば、
人生初の『夏季講習』でした。
中3ですからね。
前述のとおり、
あまり成績が良くなかったので
試験の方だけでもがんばろうと思い、塾へ。
この時までは塾をバカにしてましたが
やー、なんと素晴らしいものなんだろう!と思ったものです。
とにかく教え方がわかりやすい!
学校の先生の比にならないような分かりやすさでした。
5科目とってましたが
全部好きになった!
国語の古文、
数学の確率、
英語の現在完了、
社会の三権分立、
理科のイオン、
この時に習った一部分だけ
理解が深まりました。
ここだけできてました笑。
特に理科と社会が好きになって、
法律の勉強とかしたいな〜と思ったり、
バイオテクノロジーとかたのしそうだ、と思ったり。
でも私がこの頃目指そうと思ってたのは
デザインコースのある私立。
理科も社会も必要ありません。
必然的に学校の授業に戻るとまた分からなくなり、
フェードアウトしていきましたが
もうちょっと早くに興味を持っていたら
今ムサビには居なかったかも。
この時ぐらいから
やりたいことがいっぱいになり始めました。
デザイナーは選択肢の一つで、
むしろ将来はデザインとかやらないかも、美大も行かないかも、
とも思ってました。
デザインの中にも
いろんな分野があるってことを
よく知らなかった
このころ。
1999年の夏〜13歳の思い出
北乃きいちゃんの『二十歳は一生物』のCMを見る度に
振り袖が着たくなります。
からーずです。
うちの学年は、
現役で入学した人たちが今年成人式なので
身の回りには『前撮りしてきた〜』とか
言ってるうらやましい子たちが多いです。
考えたらもう4年も前ですよ。
サッカーのワールドカップが来年ということを
今日知って、めっちゃビックリしました。
ついこないだやらなかった?
むしろ
日韓開催がついこないだですよ。
考えたらもう7年も前ですよ。
某さんの日記で、『ミレニアム』という単語を久しぶりに思い出しました。
そういえば結構騒ぎましたよね。
2000年問題とか懐かしい。
’98、’99と来て
’00、’01…と続くのが変な気がしてましたけど
今となっては左にゼロが落ち着きます。
考えたらもう9年も前ですよ。
2000年になってから、
私の記憶はなにがいつなのか曖昧になってきてます。
1999年がいつになっても
4、5年前に感じてしまうのは
私だけなんでしょうか。
1999年。
13歳。
中学も2年になり、
どうやら私は美術が得意らしいことが分かってきました。
図工は前にも書いたようにそれほどでもなかったし、
小学校の成績はたいして厳密でもなかったので
5段階の超厳密な相対評価は
良くも悪くも、自分が正確に評価されているようで嬉しかった。
相対評価自体、いまとなっては懐かしいですよね。
何個か下の学年から絶対評価になりましたから。
この時の美術の先生が
いろいろやらせてくれたひとで、
それもまた良かった。
コラージュ、プラ版でエッヂング、銅版、石を彫ってはんこづくり、
石膏でマスクづくり、、、
ほかにも鉛筆デッサンやクロッキー、
物語から発想して抽象画を描いたり、と
美術っぽいこともしました。
ただなんとなく『好き』だったのから
文化祭で飾られたり、成績によって『評価される』のに変わると
もっと美術が好きになりました。
体育がニガテで、水泳も中学は全部欠席。体育1。
数学もニガテで、マイナスが出てきた時点で拒否反応。数学2。
ほかも全然たいしたことなく、
唯一ずっと5だった美術は
いつしか私の武器になっていったのでした。
でも今思うと
技術の授業も好きだった。
本棚作ったり、回路図書いてハンダ付けして懐中電灯みたいなのをつくったり、
パソコンを使った授業とか。
図面(簡単な図形クイズレベル)のテストも
ゲームみたいで楽しかったです。
工デですよね〜。
2、3年の選択授業では
実技系の科目から1個選ぶというのがあったのですが
私はもちろん美術。
鎌倉彫とか粘土でなにか作ったりした気がしますが
あまり記憶にない笑。
技術のクラスは
中庭に置くテーブルとベンチを作ったり
金属を彫ってキーホルダーを作ったりしていました。
うーん、いま思うと
それもやってみたかった。
技術家庭科はずーっと4でした。
なぜかというと
家庭科が苦手だったからです。
そしていまも家庭科が苦手です笑。
そんな私、
ついにハピコレを始めます☆笑
料理できるようになるぞ!!
1998年の夏〜12歳の思い出
昨日は帰ってきた店長との再会でした。
留守番の間のことは
なんとか大丈夫だったものの、
その安心感からかクレームが2件発生。。。
今回のは私では無い気がするんですが
連帯責任ってことで。
夏休みなのに
あんまり夏休みっぽくない毎日です。
フリーターのような日々。
もうすぐ8月も下旬です。
みなさん宿題は片付けましたか?
中学のころの私は
もちろんこのあとから取りかかってました。
1998年。
12歳。
中学生になると、
『授業なんてほとんどやらない学校』から
『授業から規則までがっちがちの学校』へ変貌しました。
一応国立の中学校だったので
外からがんばって受験して入ってくる子も入れば、
私のように何もしないまま
エスカレーターで来ちゃった子もいる、という。
授業らしい授業も、
宿題というものの存在すら初めての経験だったので
最初の夏休みは大変でした。
各教科から2課題くらい宿題がでてて、
終わらしたものといえば
美術の絵はがきくらい。
このあたりからの悪い癖は
いまだに治ってません。
締め切りギリギリになってからやりはじめます。
『あ〜やらなきゃ』って思いながら夏休みを過ごし、
最後の1日、2日で終わらすんだったら
7月中にやったらいいのにね。
夏休みの7月は
ほぼ無かったんじゃないかっていうくらい
あっという間に過ぎます。
楽しいのは8月の最初まで。
ですが今年は
今週の週末から実家に帰るっていうことを
一ヶ月以上前から企画していたので
これからやっと夏休みって感じです。
3月末から帰ってなくて
(しかも寝に帰っただけ)
3泊4日までしかしてなかったけど
今回は5泊6日を予定☆
なんとも楽しみであります。
帰ってきたらほんと、
もうすぐ学校だ!
1997年の夏〜11歳の思い出
いや〜、今日のバイトは大変でした。
まだ入ってぎりぎり1年経ってないのに、
今日は店長業務を任されました!
店長も、副店長も、ベテランのパートさんもいません。
なんかキンチョーやらなんやらで
普段はしないようなミスもしてしまいましたが
(おつりを返し忘れてしまったお客さんが。。。)
なんとか1日が終了しました。
明日は店長がバケーションから帰ってきて
答え合わせをしてくださいます。
この夜がどきどき!
帰り道、
アレはちゃんと入力したかしら、、、とか
アレは大丈夫、だよね???とか
いろいろ振り返って不安になってました。
今日は一日がとても長く感じましたが、
この頃も毎日がすごく長く感じていた気がします。
1997年。
11歳。
この頃はというと、
毎日がつまらなくて
学校が嫌いでした。笑。
担任の先生は体育の先生で(5.6年)
毎日のように体育があったので本当に嫌でした。
弟の先生は算数の先生で、
先生自身が体育が好きじゃない、とかで
ほとんど体育がなかったらしいです。
うらやましい。
弟的にはこっちがうらやましかったみたいだけど。
このころ、
学校にはパソコンが導入された記憶があります。
Windows95です。
キッドピクスっていうお絵描きソフトが好きでした。
あと、スーファミのマリオペイントがたまらなく好きでした。
(先日工デの友達にマリオペイントが伝わらず、ジェネレーションギャップを感じましたが。)
特にアニメーションをつくるのが好きでした。
最近フォトショとかやっててわけが分からなくなると
急に昔のソフトで遊びたくなります。
昨日Flashをいじり始めて思いました。
我が家にパソコンが来たのは
小6の冬だった気がします。
ソリティアばっかりやってました。
インターネットといえば
もちろん電話回線。
モールス信号みたいな通信作業(待つだけですが)を
10分くらい過ごすという
今ではとうてい考えられないようなことが
当たり前だったわけで。
びっくりですよね。
そんな電話回線のような
退屈な毎日だったような気がします。
好きなことといえば
プレステの人生ゲームをやることくらい。
学校も習い事もつまんなくて
毎日ヒマだった。
人生のMAXヒマです。この時期。
1996年の夏〜10歳の思い出
夏休みには本を読もう!今年こそは。
とおもってリストを作ったっきり
一冊も読んでません。
ドラクエちょっとだけ進んだくらいです。
最近はハリーポッター6巻の
原書を辞書ひきひき読んでます。
夏終わるまでに読み切りたいなー。
英語は好きです。
得意では全然ないんだけど。
そしてハリーポッターやらの影響で
イギリス英語に憧れています。
厳密な違いとか聞き取れないけど。
ちなみにからーずは
イギリス英語で『colours』です。
『colors』ではないのよ。
1996年。
10歳。
この年は、
私が英語に出逢った年です。
ECCジュニアに通い始めたんです。
家の近くのふつーのお宅で
レッスンは行われます。
ほんとに1,2分のおうち。
近所に住んでた幼なじみといっしょに通っていたのですが
中2まで通ったので結構長くやってましたね。
先生がクリスチャンだったからか、
無駄な電気は全くつけず、
昼間は薄暗い部屋の中でレッスン。
冬はぬるい掘りごたつでのレッスンでした。
母に言わせると、
更にお茶が薄かったり、座布団が薄かったりしたらしいです。
でも、ステキな先生なんです。
優しいし。
最初の頃は
自分が何を喋ってるのかもあいまいで、
とにかく聞こえた言葉を覚えて繰り返してた。
教科書には台詞が載ってるけど、読めないんで。
でも今考えると
言語の覚え始めってそうあるべきですよね。
中学1年の学校の授業から入っていたら、
英語は嫌いになっていた気がする。
いや、英語だけじゃないかも。
英語を勉強したら国語も面白くなってきたし、
いまはフランス語の勉強までしてる。
(ちなみに来年はラテン語を学びたい。)
This is a pen.から
言葉を学び始めるのって
きっと変。
だから文法ばっかり気になって
上手く喋れないんだ。
私は逆に
文法ってほとんどちゃんと勉強したことがなくて
(それこそ中2くらいまでの文法までしかやってなかった)
本を買ってちゃんと勉強したのが4浪のいまごろ笑。
センターは何度も受けてるけど、
最初の文法問題がどうしてもできず。
正答率2割弱!
ハリーポッターは高1の時から読んでいたので
長文は好きでした。
分からない単語とかあってもなんとなくわかるし。
高2で英検2級を取得したものの、
あれも単語力と長文読解だけでなんとかなる。
ので、文法はずっとやってませんでした。
予備校では学科の授業を取っていなければ、
高校まででも塾に通ったことなし。
勉強のやり方に関して素人なんです。
なので
一から(ほんとに5文型の意味から)勉強した時には
『なんだよ〜そんな決まりがあったんなら最初から言ってよ〜』って
思ったものです。
なににしても基礎は大事ですよ。
でも基礎から入るのが
必ずしも正しいとは思わないんです。
これは受験の実技に関してもそうでしたし、
さいきんやってる映像の編集なんかでも。
かならず基礎をすっ飛ばしちゃうんです。
だからかなりできるようでいて
肝心な所を分かってなかったり。
時間はかかりますが
もろいうわずみを何回も壊しては作り、壊しては作り、
ってやってる間に変な体力がついてくる。
そこへ基礎が入れば、
その先のやり方は分かってるわけだから強いんです。
家で例えるとドアのカタチとか
棚の位置とかばっかりこだわって
何度もぐちゃぐちゃに倒れちゃってたけど
基礎さえしっかり入れば
そのあとの組み方はバッチリ!
みたいな☆
結局なにが言いたいのかというと
勉強ってたのしい!
って今まで思って来られたのは
この周り道が好きだったからかもしれません。
中3で夏季講習だけ通った初めての塾も
『こんなんやってたら分からないことなんてなくなるじゃん!!!!』
っていうくらい革命的に
分かりやすいと思ったものでした。
1995年の夏〜9歳の思い出
ヤスタカさんの日記を読んで、
あ〜芸祭、とか思って
デスクトップのダッシュボードに『芸祭までのカウントダウンカレンダー』を
けっこう前(今年度はじめごろ)に設定してたことを思い出し、
久しぶりに開いてみたら
あと80日!!
なんかビックリですね。
すぐじゃん。
epa!も夏休み、着々とすすんでますよ。
1995年。
9歳。
芸祭で思い出したんですけど、
うちの小学校の文化祭は
いま考えると結構アートだった。
教室を丸ごと使って
お化け屋敷や迷路を作ったり、
水族館を作ったり、
ブラックライトで光る部屋を作ったり。
校庭に家を作ったときもあったな。
いまのいままで忘れてたけど。
運動会や音楽会より、
このイベントがたまらなく好きだった。
一日中その準備に時間を使い、
近隣のお店にダンボールを集めにいったり、
ガムテープの匂いで充満した教室とか
わくわくしてた。
期間は芸祭と同じ時期だった気がするし、
3日間やってたとおもう。
初めと終わりには
『オープニングセレモニー』と『エンディングセレモニー』があって、
扮装した校長先生が他の星から来た設定であいさつしたり、
キャンプファイヤーがあったり。
まだいまもやってるのか気になるところです。
準備はいつからやってたかしら。
夏休みはなにもやってなかった気がしますが。
まあ授業とかほとんど無い学校ですから
2学期の運動会が終わってからで間に合ってたかも。
ちなみに、
高校でも、アートな文化祭経験をします。
偶然とは思えないです。
1994年の夏〜8歳の思い出
地震、怖かったですね。
この辺は震度4とかでしたが、
だいぶ飛び起きてしまいました。
昨日バイトでお預かりした宅配便が、
まさに震度6弱の地域だったので
なんかドキドキしてます。大丈夫かなあ。
テレビ見てると土砂崩れが起きてたり、
大きな被害が出ているようですが
もし東海沖地震だったら、これの桁違いらしいです。
こわい。
救命病棟24時の再放送とか見てるだけで怖い。
数年後に大地震がくる。
と、言われ続けてはや十数年。
最初にその話を聞いたのが
この頃だった気がします。
1994年。
8歳。
小学校の校長先生に
考古学の教授が就いたこのころ。
朝礼のお話ではよく地震の話題が出ていました。
そんななか担任の先生は変わり、
図工の先生が私のクラスを担当していました。
(2年の時も別の図工の先生だったんですが)
ステンシルみたいなことをしたり、
電動糸のこでパズルをつくったり、
いろんなことをやったはずなんですけど
あんまり記憶なしです。笑。
クラスにYちゃんという子がいて、
入学して最初に仲良くなった子だったんですが
彼女はとても絵がうまかった。
お絵描き教室にも通ってて、
お母さんも美大卒。たしか。
もうひとりMちゃんという絵のうまい子もいて
私は彼女たちの真似をしたりしなかったり
このころの図工はあんまり面白くなくなってきた頃でした。
なんだかんだ、一番じゃなきゃいや。
絵を描くのが好きじゃなくなってきた。
とにかく、学校の『絵の具』が嫌いだった。
下書きが全部消えちゃうし。笑。
クラスでは
仲良しグループはみんなで同じ絵を描く
というのが流行っていて
だれが仲良しなのか絵で分かっちゃう感じでした。
今考えたら変な話だ。
結局、
Yちゃんは現役でタマビの日本画、
Mちゃんは1浪で芸大の油画、
というすばらしい感じで進学していきました。
二人とも絵を描く人になっていったわけです。
小学校の図工だと、
絵のうまい子がやっぱり優位に立つ。
上手いっていうか、すごく描くのが好きな子。
でもそれだけじゃないんだよ、っていうのを
教えてくれたらいいのに、と思います。
図工は好きだけど、絵を描くのはあんまり好きじゃない。
これってなんだろう。って思ってた、
小学生の頃。
1993年の夏〜7歳の思い出
いや〜暑いですね。
毎日クーラーフル稼働です。
点けっぱなしで寝ちゃったりするから
喉が乾燥の危機にさらされたりします。
きょうは
『かはっっっ!』ってなって
のどの渇きで目が覚めました。
こんなときに限って
冷蔵庫の中には牛乳と豆乳いちご味くらいしかない。
一気に飲めるなにか!
前日に残してたミネラルウォーターでは全然足らず、
しょうがないから水道水一気飲み。
結局1リットルくらい飲んだ気がします。
水くらいは常備しておこうかな。
でも大量買いは重いんだよなー。
浄水石みたいなのが入った水入れ(1リットル)を
引っ越す時に持ってきたけど、
洗うのとかめんどくさくて半年で飽きてしまいました。
1993年。
7歳。
夏休みというものも板についてきた、
小学校2年生。
相変わらず宿題とかは無かったけど、
絵日記を描こうとして7月中に挫折したりはしてました。
夏休みに入って最初のイベントは
ピアノの発表会。
2年生のときが最初の発表会だった気がします。たしか。
あの頃は全然練習とか好きじゃなくて
どうにかして逃げる方法を考えていたけど
今思うともっと練習しとけばよかったー。
みんなが自分に注目してて、
聞きにきてくれる友達もいて、
っていうあの空気は
嫌いじゃなかった笑。
舞台裏の緊張感とか。
この頃、
習字も習っていたんですけど
こっちもそっちも
もっと表現を楽しめばよかった。
受験が終わる頃にも思ったことと共通です。
義務感でやってるとこから
自分で表現を楽しめるようになったら
なんとも楽しいはず。
きっとこれからもここが重要なんではないかと。
制約はどんどん増えますからね。
私は、小さい頃から絵が好きで、絵ばっかり描いて、、、
ってわけではなく
なんだかんだ的が定まらないまま今に至りますが
それはそれで良かったと思ってます。
でも経験は幅広い方がお得ですよね。
中高で部活がんばってた、とかいう人も
集中力とチームプレー力、体力などにおいて
中途半端は私よりも断然勝っているはず。
実際、元運動部は多いです。
そうじゃなかったら生粋の美術部。
っていうくらい。
1992年の夏〜6歳の思い出
昨日は『ハリーポッターと謎のプリンス』を観てきました。
第一作目を観たのがつい最近のことのようで
もう六作目なのかーと感慨深いです。
次の映画は2010年,11年らしく、
そのころの自分を想像すると
恐ろしいような楽しみのような。。
帰ってきて、
また読み返そうと
心に決めました。
1992年。
6歳。
インドアだったからーずちゃんは
小学校に入り、ますますインドアに笑。
カービィーとLEGOが好きな子でした。
自分で描いたイラストを
セロハンテープでラミネートして、
ドラマ仕立てのキャラクターごっこをしていた記憶があります。
学校はあまり好きじゃなかったから、
夏休みは楽しかったです。
宿題もなかったし。
というのも、私のいた小学校は
なんだか実験的な学校で、
授業はほとんとやらず、学級会ばっかりやってました。(6年間通して)
一般的な小学生が入学時にもらう、
さんすうセットがやたらとうらやましかったです。
この頃から
『文房具』というジャンルを知り、
学校の近くの文房具屋さんで
匂い付きの消しゴムとかメモ帳とか
買ってもらうのがすごく嬉しかった思い出があります。
この頃の将来の夢は
文房具屋さん。
作る方ね。
なにげなしに言ってたこれが
意外と今のやりたいことに結構近かったりして
思い出をひもとくとおもしろいです。
1991年の夏〜5歳の思い出
今日は学校に行っていたら二度のゲリラ豪雨!
こわいよ〜
ちょうど家に帰ってきてから
強く降り始めました。
みんな大丈夫だったかなー。
この時期の外出は気がきじゃないです。
明日は映画観にいくけど
大丈夫かなー。
あ、ちなみに私が傘を持って歩くと
たいてい雨は降りません。
1991年。
5歳。
この年の夏は
妹が生まれるか生まれないかで
(妹は11月生まれ)
私は弟と遊ぶ時間が増えたような思い出があります。
夏といえば
庭にプールを出して水遊び。
プールのあとはお風呂場で水風呂遊び。
初めて海に行って海につかった時には
大泣きした私。
お風呂も嫌いでしたが
家用のビニールプールだけは格別に好きでした。
今も昔も全然泳げないし、
今でもプールって好きじゃない。
でも家だとちがうんですよね〜。
特に水遊び用のおもちゃが好きだったような。
砂場も、砂より砂遊び用のおもちゃが好きでしたね。
うん。うん。
『かき氷パーティー』を自ら主催したりして
(かき氷機でかき氷するだけなんですけど)
いついつはかき氷パーティーだから、なんて楽しみにしてました。
『かき氷パーティーに呼んであげないよ?』って言うだけで
言うことをきく弟も、この頃はかわいかった。笑。
温暖化、温暖化とは言いつつも
調べてみると気温ってたいして変わってないんですね。
もうすぐ20年だ。早いな〜。
1990年代は
なんだかすごく最近のことのような気がします。
1995年とかは特に5.6年くらい前、
1999年は2.3年前みたいに思えて
私が30歳や40歳を迎えるのもすぐのような気がする
今日この頃であります。
1990年の夏〜4歳の思い出
今日もバイトでした。
バイトして家に帰って、
っていう学生を忘れるような毎日は
なんだかすごく不思議です。
最近は発注とかもさせてもらってて、
いくら入れたら良いんだろうとか考えるのは
社会の仕組みがかいまみえたような感じがして
ちょっとたのしいです。
そんななか、
店長の異動が決まりまして、
今の店長はあと一ヶ月です。
いままでいくつかバイトを経験してきましたが、
店長が変わるのをは3度目の経験。
チェーン店で働くのが好きなので。
今回は一年お世話になった店長だし、
複雑な心境です。
大きな企業って大変ですね。
1990年。
4歳。
からーずちゃんは4歳になり、
やっと幼稚園でも泣かないようになりました。
この頃ハマってたのは、
ダンボールの板に放射状に張り巡らしたタコ糸(たしかタコ糸)に
様々な毛糸を通していく、通称『くものす』。
簡単な織物みたいなかんじです。
中心から織っていって、円形に大きくなっていった織物を、
先生がクッションに縫い付けてくれたり、
小さいものは腕につけるアクセサリーにしてくれたり。
幼いながらも、
自分のした仕事が製品ぽく仕上がる、ということに
楽しみを見いだしていました。
工デ、ってかんじですよね☆
お絵描きも好きだったけど、
こっちの方が好きでした。
お菓子の空き箱を利用した工作も好きでした。
何かだったものが、カタチを変えて何かになる
みたいなことにも興味を持っていたのかも。
いうまでもなく、インドアっ子ですね。
1989年の夏〜3歳の思い出
最近、
ビデオカメラを買おうかどうか迷ってます。
どうせ今買うならフルハイビジョンがいいのだけど、
いかんせん一括で買うにはちょっと高い。
どうしても必要ってわけじゃないし。
でもほしいな〜。
子供が生まれたら、
きっと写真やらビデオやらがものすごい数になりそうです。
全然想像もできないのですが、
もうすぐ私は、
母が私を産んだ歳になろうとしています。
わお!
1989年。
3歳。
きょうだいの中で唯一、
私は年少さんのときから幼稚園に通っていました。
幼稚園。
行くのがいやでいやでしかたなかった思い出があります。
最初の頃とか
母と別れる時に泣きじゃくって大変だったらしいです。
お遊戯もやらない子でした。笑。
ピアノを弾いてる先生のとなりに、
小さいイスを出してもらって一人だけすわってる、という
写真が、幼稚園アルバムに載ってました。
運動会もいやでした。
かけっこでは
スタートからゴールまで
歩き通すという荒技をみせました。
うん、なんだか徹底してたんです。
なんかもうこの頃から頑固でした。
そんな私は
いまではパフォーマンスショーの記録をやってる。
常に見る側でありたいのでしょうか。
1988年の夏〜2歳の思い出
今日で6連勤もおわり。
明日はバイトが休みで学校でepa!の幹部会です。
(大きな団体ゆえ、報告会が必要なのです)
今日は一般大の女の子が
体調不良ということで早退してしまい、
人数が少ない中、閉店業務がんばりました。
あれは体調不良っていうより、
絶対眠いからだった!
なんかいろいろミスって店長に帰りなさいって言われてたのですが
どうやらテストが大変なようです。
ムサビにいると
テストより課題の方が大変ですからね。
こっちでいう課題みたいな感じなんでしょうか。。
テストなんてちょびっとですから。
では今日も。
1988年。
2歳。
この年の夏には、
弟が生まれました。
命名の習字に
字を書けない私も参加してた記憶があります。
(てんてんだけの習字の前で撮った写真が残ってました。)
なんだかいろんなことが新鮮で
かなりかわいがっていたような気がします。
弟は生まれた時から
体も態度もおっきくて
お世話するのも大変でしたけどね。
そんなわけで私はお姉ちゃんになりました。
私が不器用なのは
きっと長女だからです。
今ではそんな弟も専門学校生3年生。
服飾の勉強をしています。
今年が就活らしく、そのもようも気になるこのごろ。
その下に妹もいるのですが
妹もヘアメイクを勉強してる専門生なので
なんと社会に出るのは私が最後なんです。
まさかこんなことになろうとは。
私が就活する頃には
不景気がどっかいってたらいいな。
それにしても
3きょうだいでなにかできそうな感じです。
全然そんな風な道に進む気配とか
下の二人にはなかったのに。
1987年の夏〜1歳の思い出
明日で6連勤も一段落。
そろそろ疲れてきたよー。
他にもやらなくちゃいけないことがいっぱいあるのに、
複数のことを同時にやっていくのがとても苦手な私。
今年の手帳は、予定だけじゃなくて
その日にやろうと思ってることを書こうと、
大きめのを使ってるのですが
なんだかごちゃごちゃしてきちゃった。最近のページ。
そして、
今月下旬にちょっとだけ実家に帰る予定を
やたら楽しみにしてます。笑
前回帰ったのは3月末。
地元での用事のついでにほんとに寝に帰っただけのような感じで
次の日の朝には渋谷で写真学校だったので
半年くらい前ですね。ちゃんと帰ったのは。
1987年。
1歳。
ハイハイのできなかったからーずちゃんは、
立てるようになったのも遅かったそうです。
1歳を過ぎてもなかなか立てず、
通ってた小児科の先生に『大きな病院で診てもらった方がいい』と言われたみたいです。
母はあんまり心配してなかったらしいのですが
歩けない子だったら、、、みたいな可能性もあったみたいで
私は大きな病院に連れて行かれました。
結果はなんてこともなく、
『すぐ歩けるようになるでしょ』とのこと。
足の裏を筆でコショコショして、
くすぐったがったから大丈夫☆ってすぐに返されたらしいです。
そしてその晩、
私はいきなり立ち上がったらしいです笑
空気を読んだんでしょうか笑
鹿とか馬とか、生まれてすぐに立ち上がる生き物って
ほんとすごいですよね。
このあとも今に至るまで
運動は苦手です。
1986年の夏〜0歳の思い出
今日は空を滑空している夢を見ました。
眠りが浅いせいで、よく夢を見るのですが
今日のはなんとなく感覚的にリアルでした。
両手に少し余るくらいのアクリルボックスを抱えて、
巨大下りエスカレーターみたいなところを滑り降りて行くのですが、
後ろにはメガネっ娘がナビゲート。
『もっと右!』『落ちるよ!気をつけて!』みたいに。
ボックスを抱えてるから、下も先も見えないんです。
ボックスの底面で手すりみたいなところを滑ってて
その反動で時々空を飛んだりします。
言葉にすると相当変です。
スピードもあまりなく、ふわっと飛んだりします。
最終的にはコツをつかんで、
回転しながら着地しました。
なに、この夢。
そろそろ夢辞典でも買おうかと思う今日このごろ。
だれか詳しいひと、診断してください。
今日からは生い立ちシリーズ。
私は1986年の1月生まれなので、
最初の夏は同年、0歳のときです。
私は生まれたころから
眠りが浅かったらしく、
ちょっとした音で目を覚ましては
母に迷惑をかけていたようです。
逆に弟は何が起こっても起きないような子でした。
運動神経はこの頃から悪く、
ハイハイができない子だったみたいです。
おしりあるきってやつですね。
結局ずっとハイハイはできなかったみたい。
我ながらなさけない笑
その代わりオシャベリの方は
達者だったみたいです。
ちっちゃいときからメリハリがあったというか、なんというか。
夏の思い出2009
今日はやらかしてしまいました。
バイトで両替をミスって、
100円の棒金(50枚束)を5000円分=つまり1本を
間違えて10円を10本作ってしまいました。。。
500枚の10円玉!
逆両替はできない機械なので
お店に持って帰るしかありません。
はわはわ、、、ってなって
そのあとの仕事もあまり手につきませんでした。
手持ちの1000円札2枚と交換してもらおうと思ったけど
結局店長がもって帰ってくださいました。
だめなわたし。
バイト→疲れる→まともなものを食べない→床で寝ちゃう→急いでバイト
みたいな毎日なので、
ただでさえ暑いの苦手なのに体力がどんどんなくなってってます。
お肉が食べたい。
でも調理がめんどくさい。
生で食べられたらいいのに。。。
冬の6連勤とはわけがちがいますね。
それでも痩せないのが気に入らないわ〜。
今年は5日間ばかり実家に帰る期間を作りました。
去年は2泊3日しか帰れなかったので。
それ以外はバイトばっかりです。
旅行とか行きたいな〜。
期待していた奨学金が通らなかったくさいので
バイトも勉強も、本業の実技もがんばらなくてはです。
でもepa!もがんばる。
明日から8月ですね。
からーずは7月の日記書かなさを反省して、
8月は2000アクセスを目標にがんばります☆
(7月は1378でした)
夏休みの思い出を過去をひもといて振り返っていってみたいと思います☆
がんばるぞー
あつい=?
Macの輝度をどのくらいに設定したらよいのかわかりません。
眩しいと思ったので『最大』から3つくらい下げてみたけど
見るのに努力が要る感じがします。
く、暗い。。。
毎日暑いですね。
私の部屋は、
もうすでにクーラーフル回転になってます。
しかも、
スイッチが備え付き式でリモコンじゃないので
消しにいくのがめんどくさいんです。
じゃあ、ずっと消して我慢してれば?
と思うかもしれません。
それはそれで、
ベッドを乗り越えて点けに行った時に
反動でそのまま寝てしまうんです。。。
去年の夏もそうだったんですけど
夏が異様に眠い。
暑いのと眠いのを
錯覚してしまうんでしょうか。
すごく眠いんです。
常に。
授業とか無いからというのもあって、
変な時間に寝ちゃったりして
こんな時間に日記を書いちゃったりしてるんです。
今日は夕方に帰ってきて、
気づいたらAM2:00、ベッドの上で目覚めました。
その間の記憶が全然ない。
途中、任侠ヘルパーやってる、、、って
思った記憶がかすかにあるんですが
それが夢だったのかちょっと起きたのか
よくわかりません。
昨日もAM1:00に起きて、
昼まで寝ちゃったんだと思い込んでたし。
今はテスト期間ってことで(実際あんまりテスト無かった)
バイトを2週間近くお休みしてるんですが、
夏休みに突入したと同時に
バイトラッシュが始まります。
いきなり週5で働きます。
だいじょうぶかな。
助走がほしかったな。
あ、レポートは無事に出せました。
製図だけ最後まで残しちゃってたので、
12下で4席くらい占領しながら
昼過ぎまで描いていました。
MY一眼レフを製図☆
思いついたのはいいけど、
ビミョーな曲線とかが思ったより多すぎて
なかなか時間がかかってしまいました。
がんばったので、
提出前にコピーとっちゃいました!
機械好きだ〜
人体骨格を描くという、美術解剖学のレポートもあったのですが
私はやっぱり機械の方が好きだ、っておもった。
この夏は
いろいろ本を読んだり、
部屋を片付けたり、
自転車の練習をしたりして、
充電したいです。
近々、
去年の秋から続けてる作業が終わる予定。
一回リセットするぞ!
と、工デタイムにのっかってみました☆
デジタルと戦う日々。
わ〜〜〜〜!
長い間放置してごめんなさい!!!!
気にしてなかったわけではないんですよ。
時間があればパソコンの作業、、だった数週間なんです。
アナログな作業をしてると
その合間にちょっとパソコン、が息抜きになるんですけど
寝ても覚めてもパソコン、、、だと、ね(分かってください泣)。
いろんな授業を休んでしまってます。
このままだと『今年で卒業単位』計画が崩れるばかりか、
彫塑を再履修、、とかになったらどうしよう。
そろそろ心配になってきました。
何をやってるかというと
epa!なんです。
ドキュメンタリーDVDを作ってます。
もちろん去年度の。
こんな時期になってしまって本当に申し訳ない。
なんでこんなに時間がかかってるのかというと
完全な初心者であるからだと思う。
映像を編集するのとか初めてだったし。
分かりそうな友達もいないので
映像科の研究室に行ったこともありますが
なんかとてもアウェーだった。。。
ワタシたちが未熟すぎるのが原因です。
(あ、でも偶然詳しいひとにちょっと話きいてもらったけど!)
去年借りて撮ったDVテープのデータの中に
大事なデータが取り込み忘れているのを発見してしまいました。
どうすることもできない!
すぐに実家に電話して、
家の古いビデオカメラが使えるか確認。
もどかしい距離!
隣の部屋が
映像科の4年生とかだったらいいのにー、と
いつも思ってしまいます。
某音楽系マンガみたいなかんじで☆
今年度のepa!はと言いますと
制作も進んでます。
衣装も舞台もだんだん決まってきて
夏休みは忙しくなってくるかと思います。
そこを激写!
でもでも
まだまだ今なら参加は間に合います!
特にパフォーマンス部が狙い目みたい☆
あんな広い(9下大展示室)空間で表現者として舞台に立てるなんて
なかなか無い経験だとおもいますよ。
あの広さ、
ちゃんとお金払って4日間+準備片付けで1週間強、
借りるとしたらとんでもないことになるとおもいます。
それが場所代に関してはただなんだから
こんなにステキなことはないです。
春に外のホールを使ってのショーに参加して
20時間しか使ってないのに
レンタル料がとんでもなかった。
こりゃー
一人じゃ絶対できないな。
って金額。
芸祭でやりたいことって
みんないろいろあると思うんです。
展示とかフリマとか模擬店とか。。。
でも
『芸祭でしか出来ないコト』
となると意外と絞られてくるんじゃないでしょうか。
って
この前あらためて
epa!に参加してよかったーと思ったのでした。
あ。
なんかまたepa!の話になってしまってます。
もう毎日がepa!なんだからしょうがないや。
気になるひと、まだまだ間に合います!
連絡はこちらまで!お待ちしてます☆
めんどくさがってた彫塑が
昨日はなんだか新鮮で楽しかった。
やっぱり
手を動かすのが好きなんだな〜。
爽☆
ロッテのアイス、爽の
ソーダフロート味に
この夏ハマりそうです☆
正直、爽もソーダ味も
特に好きではなかったんですが、
これは本当においしかったです。
なんでわざわざここに書いてるのかというと
この『出逢ってしまった感』が
デザインな気がしたのです。
爽といいますと
シャリシャリしてるアイスです。
いままで何味がでていたのか
詳しくは存じ上げませんが
バニラとか抹茶とかが一般的な味だった気がします。
この規模のアイス、
途中でおなかいっぱいになってしまうことも少なくないのですが
この、ソーダフロート味はノンストップで食べてしまいました。
(こんな時間に笑)
『爽、見つけたね!』と
言ってあげたいくらい、
シャーベットめいたソーダ味のアイスと
爽独特のシャリシャリ感が
本当にマッチしてる。
渦巻き状に入っているから
最後まで二つの味を楽しめるし。
よくあるバニラアイス&ソーダとは
格段に違うおいしさでした☆
メロンソーダとかも出ないかなー。。。なんて。
あ、そうそう、爽、
勝利の方程式でしたね。
ずばりこうです。
a+x=b
x=b-a
ここに、ちょっとした言葉を代入します。
いまの自分+自分に足りないもの=なりたい自分
計算し直すと
自分に足りないもの=なりたい自分-いまの自分
あら、
こんなところにも数学って役に立つんですね。
要は
いまの自分についてちゃんと分かっていないと
答えは永遠に出ないし、
どうなりたいのか、も具体的に無い限り
何を勉強して、体験して、身につけなければならないのかもわからない。
逆に、
わかってしまえば
答えはすぐに出てしまうんです。
去年、哲学の授業でも
先生が似たようなことをおっしゃっていて
間違いではなかったことを確信しました。
先生曰く、
曖昧な問いには曖昧な答えしか出ず、
より具体的な問いには具体的な答えがついてくる。
というようなものでした。
数学もそうですもんね。
a+x=bは
それぞれが明らかにならないかぎり、
ずっと架空のアルファベットでしかないのです。
この式、いろんなことに代用できる気がします。
爽+x=ステキなしゃりしゃりするなにか
から考えられたのでしょうね☆
おやしらず
6時間ほど前、
親知らずを抜歯しました。
歯医者には小さい頃から通っていて、
虫歯治療の技術革新とともに成長してまいりました。
削る、埋める、という
ある意味アナログとも言えるこの行為は
ここ10年でもかなり時間も苦痛も伴わないものへと
進化してきているような気がします。
そんな、
自らの体をもって技術を体感してきたからーずですが
正直、抜歯は初めての経験。
小学校3年生の時
過剰歯が発覚し、
それを取り出す手術はしましたが
いわゆる抜歯っぽい抜歯は初めてでした。
過剰歯というのは普通のひとの32本にくらべて
余計な歯まで作られてしまうこと。
私の場合は
虫歯治療の時のレントゲンで発覚しました。
大人の歯が生えてるのに、前歯がもう一本中にある。
『手術』という言葉は
小3の私にとって
とてもおそろしく感じました。
医療ものドラマが好きだった私は
完全にテレビで見るようなエメラルドグリーンの手術着を着たたくさんのお医者さんに、
丸いライトを当てられている映像しか想像できませんでした。
実際は結構普通。
歯科大までわざわざ行きましたけどね。
(歯科大の学生には囲まれて、研究材料にされましたけどね。)
過剰歯は日本人だと3〜5%くらいらしいです。
しかも男の子に多いのだとか。
レアだ☆
逆に歯がもともと少ない人もいるみたいです。
この過剰歯の話をした高校の友達に
『わたし、一本すくないよ〜』と言われたくらいの確率。
どっちにしてもわりかしレアですね☆
20代前半にして
永久歯はほぼ処置済み。
全然触ってない歯あるのかしら。。
いまは良いとしても
40年、50年後が気になります。
いや、もっと前だったりして。。。
今日の歯は噛むのに使っていない親知らずで
虫歯も深かったから即抜歯。
『じゃー抜いちゃいますかー』って軽く言われて
え、そんなに簡単に抜いたりできるものなの!?
とどきどきするヒマもなく、
10分そこそこで完了しました。
一本少ない左上の奥歯は
まだまだ違和感きわまりないです。
右下奥歯も
レントゲン見たら完全にナナメ45度だったので
生えてきたら抜歯決定でしょうね。。
なんかのニュースで以前。
最新医療みたいな特集で
削らない虫歯治療についてやっていたのを見たことがあります。
虫歯になったからって
すぐに削ったり抜いたりする。
二度と再生することの無い体の大事なパーツなのに。
例えば骨折したから『じゃあ足の骨取っちゃいましょう!』とはならないのに。
みたいなことをおっしゃってた歯医者さんがいました。
うーん、確かに。
インプラントとかの技術はきっとどんどん進んで
なんとなくどうにかはなるんでしょうけど
だからってそれじゃあサイボーグと変わりませんもんね。
失ってはじめて気づく、大切さ。ってやつです。
過剰歯の時は『研究のために』とか言って
抜いた歯はもらえませんでしたが
今回はもらって帰ってきました☆
根っこがながーい!
わーい、日記にアップしよ〜って思ってもらったものの
冷静に考えたらあんまり気持ちの良いモノではないので
自重することにいたしました。
(そもそもかなりすすんだ虫歯だしね。)
そしてたまたまこっちに泊まりに来ていた母にも見せました。
親知らずなのに☆
暑い、、、。
本当に暑い!!
死ぬときはきっと夏だ。
と、毎年思うくらい
暑いのがニガテです。
体温調節っていうか
発汗っていうか
ぜんぜん上手くできてない気がする。
まあ、運動不足も理由なのかもしれませんが。
逆に、
寒いと言われる鷹の台の冬も
ヨユーでした。
北国出身とかじゃないけど
『見てて寒いよ!』って
よく言われます。
だって、冬は動けばあったかいじゃないですか。
暑いとなにもできないじゃないですか。
そのうち温暖化した日本の関東では
暮らせなくなるんじゃないかと
本気で毎年思います。
クーラー魔です。
ごめんなさい、地球。
ごめんなさい、おかあさん。
この調子だと、
今週あたりにでもつけ始めそうです。
マンションに最初からついてた
年代物のエアコンゆえ、
リモコンがありません。
これ、けっこう不便です。
つけっぱなし率急上昇。
更に、
スイングとかできない
一点豪華主義。
最近のエコなエアコンの方が
ずっと電気代とかもかからないんだろうな〜と思います。
これから一人暮らしするひと、
こーゆーとこもチェックですよ!
これから夏になってゆくにあたり、
教室の冷房を強くしてるのはからーずかもしれません。
つなぎがとても暑いのに
油絵で汚れるから上までしっかり着なきゃなんない。
暑ーい!
昨日とか更新してるのに
『ムサビ日記更新順』に表示されないからーずです。
なんで出ないんだろう。
今日はちゃんと出てるかな。。。どきどき。
ゴールデンウィーク最終日に
明日からもう学校。
GWに雨、ってなんかとてもいやですね。
冬用の布団を干そうと思ったのに。
GWなんてあったの?ってくらいあっという間でした。。
なんでだろ。
予備校生の頃はといえば、
毎年GWの課題には悩まされていました。
だって、
朝から夜まで、
月曜から土曜まで、
毎日課題やりに通ってるのに
なんで休みの期間まで課題!?
って思ってました。
まあ、今だから言えるんですが。
(最後の年とか半分しかやらなかったけど☆)
6月くらいに『宿題週間』みたいなのをつくって、
家でやってくることにする!とかの方が
メリハリがあって良くないですか?
って、考えてみたり。
小学校の時みたいに
家族で旅行に行ったりしたかったし、
フツーに家でゆっくりしたいし、
なにより、美術館とか巡ってたら全然時間無くない?
バイトもありますしね。
(今日もこれからバイトですよ)
人生初めての長期的なバイトも
GWに始めて、とてもハードだった覚えがあります。
レストランのホールなのに、
ずーーーーっと
洗い物してました。
つまりここ数年、
有意義な使い方ができてないです!
とりあえず来年は
某さんが紹介してたあれにいくか
旅行、、、は無理にしても
今から作戦を練りたいと思います。
とか言ってて来年は課題で忙しかったりして。
明日からあと8日間で
いま描いている油絵を完成させます。
若干気持ちが停滞気味。。
しかもなんか眠くなってしまうんですよね。。。
(モデルさんのいる授業だから、あったかくて静か。)
これが終わったらコンピューター演習です。
こう見えてもからーず、
課題ではパソコンを使ったことが無く、
プレゼンボードも作ったことがございません。
課題の選び方次第では
エキスパートになってる人もいれば
こういう人もいるってわけです。
わくわくしすぎるので予習でもしていこうかな☆
ぶた
一人暮らしをはじめてから、はや1年1ヶ月。
以前母に『からーずちゃんがいないから、最近とんかつを作ってないわぁ』と
言われたことをふと思い出しました。
うちの家族は
みんなあんまり好きじゃないとんかつ。
私だけが大好物で、
よく私のためだけに作ってもらってました。
うちは弟と妹と3きょうだいです。(漢字ではどう書けばいいんだろう)
弟も妹も実家暮らしなのに、
外食ばっかりで全然家でご飯を食べないようになってきたらしいです。
父も仕事でなかなか帰って来ず、
祖母も少食なってきて
『作りがいがないわ〜』と母はこぼしてました。
バイトばっかり入れてしまったり、
なんだかんだ予定がうまってしまって
家を出て以来、実家では3泊以上したことがありません。
今年の夏休みくらいは
ぜひ一週間くらいゆっくりしたいなぁ。
もう少しお金が貯まったら、
母にとんかつをごちそうしてあげたい。と
ふと思いました。
揚げ物はまだ作れないから、
外食で我慢してほしいのだけど。
もうすぐ母の日ですね。
からーずはお得意のネットショッピングで
実家にちょっとしたものを送ることにしました。
喜んでくれるかな〜。
世間ではぶたが話題ですね。
12下から『豚すき丼』がなくなってしまったのが
とっても寂しいです。
はやく帰ってきて〜
あれに
ごま醤油ドレッシング(あそこに置いてあるやつ)を
ふんだんにかけて食べるのが好きです。
復活のあかつきにはぜひお試しください☆
『豚インフルエンザ』
深刻な話題のはずなのに、
このネーミングはなんとなく面白おかしくて
本気で心配できません。
だから最近、『新型インフルエンザ』って
呼び始めたんでしょうか。
アフターアフターヌーン
バイトから帰宅!
5月、あんまりバイトを入れられないからって
GW休みの日を作っとくんだった。
遊びにいきたい。
いまの私のバイト、
20:30閉店の店ゆえ
必然と21:30までしか働けない。
2年になって4限(もしくは5限)まで
週6でがっつり授業があるので
学校がある日は
放課後に何の予定もなくても
18:00からとかしか働けない。
周りには
放課後6時間働く、とか
朝方まで働く、とかいう子もいて
金欠の私にはちょっとだけうらやましかったりするが
なんでこのバイトを選んだのかを思い出した。
どんなにバイトを入れても
夜中の時間を
自分のためにつかおうと思ったのだ。
課題しかり、趣味しかり。
まあ、
いくつか落ちたからってのもあるけど
落とされたバイトは全部24時間シフトだった。
これも運命かなっ
午後を過ぎて、
12時をまわり、
日付的には午前とはいえ
まだ午前、って気持ちでもない時間帯。
夜の0:30くらいから
朝の5時くらいまで。
私はこの時間帯に
アフターアフターヌーンと名付けたい。
ゆっくりまったりしながら
小さい音で流しっぱなしのテレビを背に
今宵もパソコンとにらめっこです。