リアルでからふるな美大の日常を。
カテゴリー:B:自己紹介
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まじめであるということ
「まじめ」って
一般的には褒め言葉かもしれないけど
クリエイティブの世界だと結構打ちのめされる言葉。
私はよく言われるのですが
今日は、会って数回の方に
写真を見てもらって
またそのようなことを言われました。
自分の枠の中だけでやろうとしてる。
こうすればうまくいった、っていうことだけをずっとやってる。
「こんなことやっちゃっていいのかな?」って思ったらやらない。
うまく、やろうとしすぎてる。
とまあこんなことを。
そのほか
やらないで後悔することが多そう
言いたいことを考えて飲み込んじゃう、とかも
ずばり言い当てられてしまいました。
いつも言われるんです。
高校の三者面談でも
高3の時の予備校の先生にも
浪人してからの予備校の先生にも
共通絵画の先生(1年の時も2年の時も)にも
選択必修でとった油絵の先生にも
造形総合ll類の映像学科の先生にも。
この数時間、
アドバイスもらったり自分で考えたりして
ちょっと思ったんですが
つまんねえのは、私の左脳なんでは、、、?
ということ。
人と話すのも苦手だしね笑(←笑ってる場合じゃない)
感覚的なコトは
褒められることも多かった気が。
色とか、石膏デッサンの印象取りとか。
たとえばepa!とかで
パフォーマンスの写真を撮ってた時も。
あれはほんとに追っかけて夢中でシャッターを切っていたので
「構図はこうしよう」なんて考えてる暇もなかったから
意図しないものが生まれて(失敗も多かったけど)
得るものが多かったと思ってる。
スナップ写真とか風景となると
先に考えすぎちゃって
知らないうちに自分の方程式に当てはめちゃうみたいで。
ということなので
うまいこと右脳を解放できたらなあ、と。
歌いながら、とか?笑
もっかい共通絵画やりたいな(3日間くらいでいいんですけど)。
まあ
私の左脳がつまんないのは
圧倒的にインプットが足りないせいと分かっています。
そんなこといいながら
ムサビ日記も3年目。
こんなブログにおつきあいくださり
ありがとうございます^^
2007年の夏〜21歳の思い出
今日は5時起きでバイトだったので
この時間でなんかくらくらしてます。
やー、今日はミスしなくてよかった。
夏休み中に今までの思い出を振り返る予定だったのが
気づいたら明日から学校。
あれれ。
まあいっか、ってことで
少々ずれ込みます。
2007年。
21歳。
いよいよ四浪の夏。
前年とは打って変わって
マジメに過ごしてました。
とはいえ急にガリ勉になった、っていうよりは
悩みすぎた年でした。
結局
なんの為に美術やってるんだろう、なんの為の人生だろう。
っていうところまで行って、
全部がよくわからなくなった。
でも、
前にも書いたような気がするけど、
問いが出たら答えはすぐです。
人を幸せにするのが私の幸せ。
ってことで、
その手段として美術を選んだ。
より多くのひとに、
より伝わりやすい手段で、っていうことで
工業デザインを志すわけです。
一回そう思ったら
今までのいろんなことが結びついてくる。
そんな感じで冬を迎え、
私はムサビ生になったわけです。
ちなみに
基礎デも結構迷いましたが、
自分の趣味に近い方を選んだ結果が工デ。
選択に間違いは無かったって信じてます。
明日から
さっそく専攻別授業。
ドキドキであります。
2006年の夏〜20歳の思い出
前期の成績が出ましたね。
偶然行かなかった日に限って出席を取ったり、
行った日には取らなかったりした授業に
不可がつきました。。
何回か出たレポートはちゃんと出したんだけどな〜。
たぶん、
試験で2問中1問しか答えられなかったのも原因。
後期は取らないことにします。
教科書買っちゃったけどしかたあるまい。
他にも
良に留まってしまった科目を
辞めるかどうか、もう少し迷うことにします。
自由選択枠合わせて
あと18単位で卒業できるので
このまま行けば余裕かと思われます。
予定だと
後期16単位。辞める予定のやつを辞めなければ+8単位。
迷うところです。
2006年。
20歳
三浪の夏。
なんだか
受験以外のことに夢中だった一年でした。
毎日のように寄り道しては
友達と何時間もお茶して帰る、という。
もちろん、
デッサンを見せ合ったり、
実技について意見を言い合ったりしてたけど、
ほとんどは恋バナだった気がします。笑。
恋愛、じゃなくて恋バナ、なところがミソですよ。
楽しいけど、受験時はだめよね。
あっさりと四浪目を迎えることになるのですが
この年も人間的成長は大きかった。
予備校の先生たちには申し訳ないことばかりだったけど、
私にとっては必要な日々でした。
というのも、
高校生の時とかは
学校が終わったらすぐに帰るのが日課で、
部活もバイトもしてなかったし、
同じ方向に帰る友達もいなかった。
ケータイも当時あまり普及してなくて
持ってない子が周りには多かったし。
そんなわけで
本来高校生あたりで楽しむべきことが
私は2.3浪あたりにきてるんです。
ぼーっとただ受験勉強だけして
ぼーっと大学生になってしまっていたら、、、
と考えると恐ろしいです。
その点、
現役で入ってきた人たちは
なんかすごく精神的に大人だったりするので
たかが大学受験とはいえ、なめちゃいかんなと思います。
2005年の夏〜19歳の思い出
最近HOLGAを購入しました。
トイカメラってやつです。
デジタル一直線だったのに、
ここへ来てフィルムへの興味がわき起こってしまいまして。
とりあえず
いろんな種類のフィルムを織り交ぜて
ネットで注文したのが先ほど届きました。
なんかすごくわくわくです。
いま一番欲しいものは
フィルムもスキャンできるスキャナ。
欲しいものは尽きませんね。
いいのが撮れたらアップしたいです☆
2005年。
19歳。
ニ浪の夏です。
もう、どれがニ浪だか
若干記憶があやふやなんですが。。
夏前の立体でちょっとしたヒットが生まれまして
それが初のパンフ掲載になったのが一番の思い出です。
いままできったない机の上でしか撮ったことなかった自分の作品の写真。
写真を通すと、ちょっとかっこ良く見えました。
それまで立体はニガテでした。
でも、
それは自分の中で曖昧だったのが原因。
ここはこうする、ってしっかり決めていけばいくほど
どうなるべきっていうのも見えてくる。
優柔不断なのはよくない癖です。
今もですけど。
それとこの年は
生まれて初めての接客業バイトに挑戦した年でもありました。
いわゆるウエイトレス。
『お前はもっと気を使えるようにならないとダメだ。』
って講評で毎日のように言われ、バイトを始めました。笑。
もともとかなりの人見知りだった私は
このバイトでかなり成長できた気がします。
まず、人に話しかけるのが嫌じゃなくなった。笑。
数ヶ月が過ぎ、
店長に『笑えるようになったね』って言われ、
笑えてなかったのかー!って
思ったりしました。
厳しかった社員さんも、
考えたら今のわたしより年下。
今頃どこの店舗にいらっしゃるんでしょうか。
会ってお礼が言いたいです。
このバイトが最初のバイトでよかったです。
厳しかったけど、いろいろ学べました。
日本語から動き方まで。
『今やってることだけじゃなくて、次のこと、その次のことを考えながら動く』
という店長の教えは、今も生きてます。
秋になり、受験モードに入る為
せっかく慣れてきたバイトも辞めることに。
店長も、イケメン店長(ケミストリーの堂珍さん似)が異動になったので
まあちょうどいい頃でもありました。笑。
でも自分としてもやっと楽しくなってきた頃で
ちょっと残念。
人に対する気遣いは
作品にもちょっと現れ始めました。
でもまだまだ。
かくして私は人間的に少しだけ成長し、
三浪が決定するのであります。
2004年の夏〜18歳の思い出
うっかりしてる間に数日が経ってしまいました。。
夏ももうすぐ終わりって感じですね。
でも明日はまた30度越えするらしいです。
8月31日といえば
高校生までは夏休み最終日でした。
でも、
浪人生はやっと夏期講習が終わって
少ない夏休みを堪能してるころでしょうか。
ムサビは9月の第2月曜日から学校なので
もう1週間休みであります。
この前、バイト先の普通大学の人たちが
まだまだ夏休みと聞いてビックリしました。
一番長い人で10/20から学校っていう人もいました。
ムサビの夏休みは短い。
とはいいますものの、
高校→予備校しか経験してないと
『まあ、そんなものか』と思います。
2004年。
18歳。
一浪の夏であります。
高校生の時に比べたら
ちょっとは実力がついてきた感がありましたが
まだまだ戦えるレベルではなく。。
夏休み最初の色彩構成で
なんだか急に閃いて出来た絵があって、
普段ライバルだと思ってたあまり仲良く無い子まで
『これ、いいよね〜』って言ってくれたことがありました。
デザインってこうゆうことか!って
その時はちょっと思ったけど、
それ以降はたいしたヒットがなく。。。笑
立体(粘土)も死ぬほど苦手だったけど
なんだか割り切って作ったコンクールの作品が
まさかの1位に選ばれ、
少しだけ立体に自信が持てました。
でもこちらもこれ以降たいしたヒットがなく。。。
結局1年のうちでこの時期から秋くらいまでがピークで
2浪することになってしまったのです。
この年には友達ができました。
現役のときは
『どうせみんな敵になるんだし!』
って思って友達を作らなかったけど、
作ってみるといいもんですね。
話してみると、
意外と同じようなことで悩んでたりとかするもんです。
一緒にGDPを見に行ったり
銀座のギャラリーに行ったり、
浪人生ならではの放課後の使い方もしてました。
結局5人組のうち
二人は女子美へ、
二人はタマビへ、
私はムサビへ来ました。
別々の道に行きましたが
いまでも時々会って、ギャラリーを巡ったりしてます。
逆に高校の時の友達とかの方が
卒業してから全然連絡取ってなかったり。
(まあ高校でも友達すくなかったけど、、、)
女子美に進んだ一人はこの春に就職し、
来年の夏には結婚する予定!
初結婚式にちゃんと出席(先生のにちょっとだけ、とかはあった)です☆
それまでにどうにかして痩せなきゃー。
とか言いながら
今年の夏は全然痩せられなかったからーずです。
あんなにバイトがんばったのに。。。
2003年の夏〜17歳の思い出
また雑誌を衝動買いしてしまいました。。
カメラ雑誌2冊とフツーの洋服の1冊。
カメラ雑誌とかデザインの雑誌って
高いから痛い出費です。
でも、
2.3冊まとめてぼーん!と買うのが好きなんです。
財布に3000円以上入ってたら注意です。
今日は3500円くらい使いました。
(実家でおばあちゃんにもらったお小遣いなのに、、、。)
昔から本が好きなんです。
でも、読むのはあんまり好きじゃないです。
なんだろう、
手に取って、ページをぴらぴらめくって、いろんなページがあって、、、
っていうのが好きです。
だから買う時は早いですよ〜
ぱ〜〜〜って
めくってすぐに
『これ買おう』
って決まります。
内容じゃなくて
ページの紙質と
文章の量とカタチ、配置のされ方
写真のレイアウトなどなど、
モノとしての本が好きなんです。
だから文章自体は何語だってかまわない。
(でも洋書は独特の匂いがするので日本産が好きです。)
そんなわけでうちには読んでない雑誌がいっぱいあるのです。
これ、平面系デザインを目指しそうでしょ?
2003年。
17歳。
高校も3年にあがり、
予備校も基礎科から受験科にあがりました。
私はデザイン科を選択。
本当は油画科とかも迷ったけど、
受験科体験授業のときの
デザイン科の先生が優しかった&少し評価されたから
デザイン科に進みました。
高校選び同様、テキトーでした。
さらに年度の初めの石膏デッサンを
その優しかった先生に1番に講評され、
その先生が芸大系で教えてる先生だからっていう理由で
私は東京芸大を目指すこととなります。
しょーもないっす。
評価されるところでやりたい。
っていうのは
昔からの私のスタンスでした。
浪人生に混ざっての夏期講習は
思ってた以上にしんどくて、
何度も嫌になりました。
まず、一日中絵を描くのがしんどかった。
朝早く、夜遅くまで。
しかもスーパー上手い浪人生より評価されるはずもなく、
自分下手ー!!って嫌になってました。
それでも
その優しい先生は
『講評されなくても必ず見せにおいで』って言ってくださって、
講評後に見せにいって、
講評されなかった絵にコメントをいただく
という活動をしていました。
何回も家で描き直して持って行ったり。
結局ご存知のとおり
私は浪人することとなり、
優しい先生は予備校を辞めることとなり。
でも
このあと何年もがんばれたのは
この夏にがんばったからだと思います。
思い込んだら一直線タイプなので
この年からずっと芸大1本。
ムサビは4浪目にして初受験で合格だったので
いま思えば
ムサビ向きだったのかも、
現役で受けていれば、、、
と
チラッと思うこともありますが、
多分ステキな未来は訪れなかったはず。
その人のタイミングで
その人に合った学校が
『おいで』って
言ってくれるような気がします。
そんな呼ばれるような人になれるように
日々がんばりましょうってことですね。
2002年の夏〜16歳の思い出
帰って参りました☆
実家から。
本当は
ガイドブックとか買って、
地元だけど観光気分を味わいにいったり、
久しぶりに海を観に行ったり、
家のピアノをひさしぶりに弾いたり、
早起きをして自転車の練習をしたり、
予備校に遊びにいったり、
荷物の整理したり。。。
5泊6日もあるし
有意義に過ごそう〜と
思ってたのは前日まで。
あっという間すぎる6日間でした。
上記のあれこれは
何一つ実現できぬまま今日に至る。
弟とゲームしすぎたのかも。。
次に帰るのは
どう考えても年末年始までないです。
これから年末までの数ヶ月は
怒濤の数ヶ月になる予感がします。
あっという間に来てしまうんでしょうか。
とりあえず
芸祭まではあと66日らしいです。
わお!
2002年。
16歳。
この年の夏、
まさに予備校に通い始めました。わたし。
キッカケは
毎月のように来る、『無料体験』のハガキ。
地元の駅にももう一個予備校があったんですけど、
そっちの体験授業に行ったら
小学校でいっしょだったYちゃんがすでにいまして。
なんだかいっしょのとこではやれない!
と思い、2駅となりの予備校に行ってみることにしました。
無料体験が5月。
6月はサッカーのワールドカップを見るのに一生懸命だったので
(意外とミーハーなのです)
7月に授業見学に行きました。
そこで描いた、
人生で1枚目の石膏デッサン(木炭)が結構褒められまして
そのまま夏期講習の申込書をもらい、
気づいたら初心者コースに申し込んでおりました。
小学校ではパットしなかったけど
中学で成績に5がつくようになり、
デザインコースに進学した高校でもそこそこいい成績で
美大受験の予備校でもそこそこ。
一番にはなれないけど
その環境の中でそこそこの位置を占めることができるらしいです。
夏に始めたばっかりだったのに
年末に行われる、高1の春からやってきたような人もいるコンクールで
なんと3位を取ってしまったのです!
そこからすこしずつ
調子に乗っていくのですが
あの時のトップ10は科さえバラバラなものの
ほとんどが芸大に進学してたりします。いま思うと。
学校の課題などを通して
この頃からグラフィックデザインに興味を持ち始めます。
というか、
おもしろそうだなーと思ってた分野が
社会でいう所の
広告とかグラフィックデザインだということを
知っていきました。
将来のヴィジョンが
一回かたまりかけました。
2001年の夏〜15歳の思い出
バイトしてきました!
他店ヘルプ初でしたが、
や〜テンパった。笑。
そのお店ならではのルールとかあるし、
何がどこにしまってあるのかも分からんしね。
他の店からヘルプに来た人も一緒だったのですが
彼女はベテランさんだったので、(でも4年生らしいので多分年下)
だいぶいろいろまかせてしまいました。
大人との会話を
スムーズにできる人になりたいです。
まだまだカタコト!
2001年。
15歳。
結局成績はたいしてよくなく、
水泳が本当にいやだったので
そこそこの成績(平均オール3無かった)で入れて、
プールがなくて、
治安がいい学校☆
で絞っていくと
たどり着いたのはデザインコースのある学校でした。
週休2日で(まだどこの学校も第2.4土曜日しか休みじゃなかった頃)
冷房もついてたし。
そう、たいした意味はなかったんです。
好きなことやってる、
と思わせれば
オバカな学校でも言い訳がつく、っていう魂胆です。
美術とデザインとコースがあるのですが
なんでデザインか、っていうと
なんとなく。笑。
美術の方がなんとなく汚そうで
なんとなく粘土とかやりそうだから。笑。
はい、粘土が心から嫌いでした。
(ちなみに弟も粘土嫌いで、家ではNGワードです)
とか言っときながら
数年後には受験で粘土ばっかり扱って、
ゆくゆくは得意になって好きになっていくんだから
人生って本当にわからない☆
あれれー
ですよね。
ちなみに、
その頃は大学に行く予定とか特になかったけど
英語とかフツーの授業の単位数が少ないせいで
むしろ普通大学を目指す方が厳しい。
という高校の弱点が後々わかりまして(デザイン科デザインコースだからなー!)
専門行くくらいなら大学がいいや、ってことで
大学を目指すことになります。
先生も新任の先生ばっかりがデザインコースを担当してるせいで
面白くないしわかんないし、進まないし。
ちなみに
同級生のほとんどは専門学校へ進学。
私はその他の勉強もしたかったので
大学進学を希望しました。
高校の授業で一番為になったいう意味でおもしろかったのは
特進コースの英語の先生が担当する特別講座(7時間目)で、
デザインコース唯一の参加者であった私は
結構がんばってた甲斐もあってかわいがっていただけました。
やっぱり全然ちがう。
分かりやすくておもしろい授業でした。
これキッカケで
私はまた英語が好きになります。
この頃の最高成績は
高2の夏に英検2級取得!
英語2だったとは思えないでしょ笑。
この頃に読み始めたハリーポッターの原書。
飛ばし飛ばしで今は6巻を読んでます。
長い趣味であります。
さてさて、
この時点で
ムサビはなぜか眼中にありませんでした。
美術以外のことも学びたい、っていう
やりたいこととはかなり合致してるのに
なんででしょうね。
まあ、単純に知らなかったんですけど。
正直、
タマグラ志望でした。笑。
高校に受かってすぐに、
近隣の予備校から毎月『無料体験』のハガキが送られてくるようになりました。
年初めの立派なパンフレットに感動してしまい、
私は予備校に通うこととなるのです。
それはまた次の年のハナシ。
ちなみに
無料体験よりも前に参加したのは、
予備校主催のムサビ説明会でした。
だれかムサビの先生のお話を聞いたはずなんですけど
今となっては全然思い出せないです。
誰だったか、すら。
2000年の夏〜14歳の思い出
今日のバイトは他店へヘルプに行きます。
チェーン店ですからね☆
初ヘルプなので
今からかなりドキドキです。
アウェーでありますからね。
ほんとはその足で実家に帰ろうと思ってましたが
バイトの制服一式持ってじゃあめんどくさいので
明日帰ることにしました。
日記更新できるかしら?
パスワードが思い出せないんですけどどこにあったっけ。
こういう時にノートパソコンだと便利ですよね。
やっぱり欲しいな〜。
2000年。
14歳。
この年の夏といえば、
人生初の『夏季講習』でした。
中3ですからね。
前述のとおり、
あまり成績が良くなかったので
試験の方だけでもがんばろうと思い、塾へ。
この時までは塾をバカにしてましたが
やー、なんと素晴らしいものなんだろう!と思ったものです。
とにかく教え方がわかりやすい!
学校の先生の比にならないような分かりやすさでした。
5科目とってましたが
全部好きになった!
国語の古文、
数学の確率、
英語の現在完了、
社会の三権分立、
理科のイオン、
この時に習った一部分だけ
理解が深まりました。
ここだけできてました笑。
特に理科と社会が好きになって、
法律の勉強とかしたいな〜と思ったり、
バイオテクノロジーとかたのしそうだ、と思ったり。
でも私がこの頃目指そうと思ってたのは
デザインコースのある私立。
理科も社会も必要ありません。
必然的に学校の授業に戻るとまた分からなくなり、
フェードアウトしていきましたが
もうちょっと早くに興味を持っていたら
今ムサビには居なかったかも。
この時ぐらいから
やりたいことがいっぱいになり始めました。
デザイナーは選択肢の一つで、
むしろ将来はデザインとかやらないかも、美大も行かないかも、
とも思ってました。
デザインの中にも
いろんな分野があるってことを
よく知らなかった
このころ。
1999年の夏〜13歳の思い出
北乃きいちゃんの『二十歳は一生物』のCMを見る度に
振り袖が着たくなります。
からーずです。
うちの学年は、
現役で入学した人たちが今年成人式なので
身の回りには『前撮りしてきた〜』とか
言ってるうらやましい子たちが多いです。
考えたらもう4年も前ですよ。
サッカーのワールドカップが来年ということを
今日知って、めっちゃビックリしました。
ついこないだやらなかった?
むしろ
日韓開催がついこないだですよ。
考えたらもう7年も前ですよ。
某さんの日記で、『ミレニアム』という単語を久しぶりに思い出しました。
そういえば結構騒ぎましたよね。
2000年問題とか懐かしい。
’98、’99と来て
’00、’01…と続くのが変な気がしてましたけど
今となっては左にゼロが落ち着きます。
考えたらもう9年も前ですよ。
2000年になってから、
私の記憶はなにがいつなのか曖昧になってきてます。
1999年がいつになっても
4、5年前に感じてしまうのは
私だけなんでしょうか。
1999年。
13歳。
中学も2年になり、
どうやら私は美術が得意らしいことが分かってきました。
図工は前にも書いたようにそれほどでもなかったし、
小学校の成績はたいして厳密でもなかったので
5段階の超厳密な相対評価は
良くも悪くも、自分が正確に評価されているようで嬉しかった。
相対評価自体、いまとなっては懐かしいですよね。
何個か下の学年から絶対評価になりましたから。
この時の美術の先生が
いろいろやらせてくれたひとで、
それもまた良かった。
コラージュ、プラ版でエッヂング、銅版、石を彫ってはんこづくり、
石膏でマスクづくり、、、
ほかにも鉛筆デッサンやクロッキー、
物語から発想して抽象画を描いたり、と
美術っぽいこともしました。
ただなんとなく『好き』だったのから
文化祭で飾られたり、成績によって『評価される』のに変わると
もっと美術が好きになりました。
体育がニガテで、水泳も中学は全部欠席。体育1。
数学もニガテで、マイナスが出てきた時点で拒否反応。数学2。
ほかも全然たいしたことなく、
唯一ずっと5だった美術は
いつしか私の武器になっていったのでした。
でも今思うと
技術の授業も好きだった。
本棚作ったり、回路図書いてハンダ付けして懐中電灯みたいなのをつくったり、
パソコンを使った授業とか。
図面(簡単な図形クイズレベル)のテストも
ゲームみたいで楽しかったです。
工デですよね〜。
2、3年の選択授業では
実技系の科目から1個選ぶというのがあったのですが
私はもちろん美術。
鎌倉彫とか粘土でなにか作ったりした気がしますが
あまり記憶にない笑。
技術のクラスは
中庭に置くテーブルとベンチを作ったり
金属を彫ってキーホルダーを作ったりしていました。
うーん、いま思うと
それもやってみたかった。
技術家庭科はずーっと4でした。
なぜかというと
家庭科が苦手だったからです。
そしていまも家庭科が苦手です笑。
そんな私、
ついにハピコレを始めます☆笑
料理できるようになるぞ!!
1998年の夏〜12歳の思い出
昨日は帰ってきた店長との再会でした。
留守番の間のことは
なんとか大丈夫だったものの、
その安心感からかクレームが2件発生。。。
今回のは私では無い気がするんですが
連帯責任ってことで。
夏休みなのに
あんまり夏休みっぽくない毎日です。
フリーターのような日々。
もうすぐ8月も下旬です。
みなさん宿題は片付けましたか?
中学のころの私は
もちろんこのあとから取りかかってました。
1998年。
12歳。
中学生になると、
『授業なんてほとんどやらない学校』から
『授業から規則までがっちがちの学校』へ変貌しました。
一応国立の中学校だったので
外からがんばって受験して入ってくる子も入れば、
私のように何もしないまま
エスカレーターで来ちゃった子もいる、という。
授業らしい授業も、
宿題というものの存在すら初めての経験だったので
最初の夏休みは大変でした。
各教科から2課題くらい宿題がでてて、
終わらしたものといえば
美術の絵はがきくらい。
このあたりからの悪い癖は
いまだに治ってません。
締め切りギリギリになってからやりはじめます。
『あ〜やらなきゃ』って思いながら夏休みを過ごし、
最後の1日、2日で終わらすんだったら
7月中にやったらいいのにね。
夏休みの7月は
ほぼ無かったんじゃないかっていうくらい
あっという間に過ぎます。
楽しいのは8月の最初まで。
ですが今年は
今週の週末から実家に帰るっていうことを
一ヶ月以上前から企画していたので
これからやっと夏休みって感じです。
3月末から帰ってなくて
(しかも寝に帰っただけ)
3泊4日までしかしてなかったけど
今回は5泊6日を予定☆
なんとも楽しみであります。
帰ってきたらほんと、
もうすぐ学校だ!
1997年の夏〜11歳の思い出
いや〜、今日のバイトは大変でした。
まだ入ってぎりぎり1年経ってないのに、
今日は店長業務を任されました!
店長も、副店長も、ベテランのパートさんもいません。
なんかキンチョーやらなんやらで
普段はしないようなミスもしてしまいましたが
(おつりを返し忘れてしまったお客さんが。。。)
なんとか1日が終了しました。
明日は店長がバケーションから帰ってきて
答え合わせをしてくださいます。
この夜がどきどき!
帰り道、
アレはちゃんと入力したかしら、、、とか
アレは大丈夫、だよね???とか
いろいろ振り返って不安になってました。
今日は一日がとても長く感じましたが、
この頃も毎日がすごく長く感じていた気がします。
1997年。
11歳。
この頃はというと、
毎日がつまらなくて
学校が嫌いでした。笑。
担任の先生は体育の先生で(5.6年)
毎日のように体育があったので本当に嫌でした。
弟の先生は算数の先生で、
先生自身が体育が好きじゃない、とかで
ほとんど体育がなかったらしいです。
うらやましい。
弟的にはこっちがうらやましかったみたいだけど。
このころ、
学校にはパソコンが導入された記憶があります。
Windows95です。
キッドピクスっていうお絵描きソフトが好きでした。
あと、スーファミのマリオペイントがたまらなく好きでした。
(先日工デの友達にマリオペイントが伝わらず、ジェネレーションギャップを感じましたが。)
特にアニメーションをつくるのが好きでした。
最近フォトショとかやっててわけが分からなくなると
急に昔のソフトで遊びたくなります。
昨日Flashをいじり始めて思いました。
我が家にパソコンが来たのは
小6の冬だった気がします。
ソリティアばっかりやってました。
インターネットといえば
もちろん電話回線。
モールス信号みたいな通信作業(待つだけですが)を
10分くらい過ごすという
今ではとうてい考えられないようなことが
当たり前だったわけで。
びっくりですよね。
そんな電話回線のような
退屈な毎日だったような気がします。
好きなことといえば
プレステの人生ゲームをやることくらい。
学校も習い事もつまんなくて
毎日ヒマだった。
人生のMAXヒマです。この時期。
1996年の夏〜10歳の思い出
夏休みには本を読もう!今年こそは。
とおもってリストを作ったっきり
一冊も読んでません。
ドラクエちょっとだけ進んだくらいです。
最近はハリーポッター6巻の
原書を辞書ひきひき読んでます。
夏終わるまでに読み切りたいなー。
英語は好きです。
得意では全然ないんだけど。
そしてハリーポッターやらの影響で
イギリス英語に憧れています。
厳密な違いとか聞き取れないけど。
ちなみにからーずは
イギリス英語で『colours』です。
『colors』ではないのよ。
1996年。
10歳。
この年は、
私が英語に出逢った年です。
ECCジュニアに通い始めたんです。
家の近くのふつーのお宅で
レッスンは行われます。
ほんとに1,2分のおうち。
近所に住んでた幼なじみといっしょに通っていたのですが
中2まで通ったので結構長くやってましたね。
先生がクリスチャンだったからか、
無駄な電気は全くつけず、
昼間は薄暗い部屋の中でレッスン。
冬はぬるい掘りごたつでのレッスンでした。
母に言わせると、
更にお茶が薄かったり、座布団が薄かったりしたらしいです。
でも、ステキな先生なんです。
優しいし。
最初の頃は
自分が何を喋ってるのかもあいまいで、
とにかく聞こえた言葉を覚えて繰り返してた。
教科書には台詞が載ってるけど、読めないんで。
でも今考えると
言語の覚え始めってそうあるべきですよね。
中学1年の学校の授業から入っていたら、
英語は嫌いになっていた気がする。
いや、英語だけじゃないかも。
英語を勉強したら国語も面白くなってきたし、
いまはフランス語の勉強までしてる。
(ちなみに来年はラテン語を学びたい。)
This is a pen.から
言葉を学び始めるのって
きっと変。
だから文法ばっかり気になって
上手く喋れないんだ。
私は逆に
文法ってほとんどちゃんと勉強したことがなくて
(それこそ中2くらいまでの文法までしかやってなかった)
本を買ってちゃんと勉強したのが4浪のいまごろ笑。
センターは何度も受けてるけど、
最初の文法問題がどうしてもできず。
正答率2割弱!
ハリーポッターは高1の時から読んでいたので
長文は好きでした。
分からない単語とかあってもなんとなくわかるし。
高2で英検2級を取得したものの、
あれも単語力と長文読解だけでなんとかなる。
ので、文法はずっとやってませんでした。
予備校では学科の授業を取っていなければ、
高校まででも塾に通ったことなし。
勉強のやり方に関して素人なんです。
なので
一から(ほんとに5文型の意味から)勉強した時には
『なんだよ〜そんな決まりがあったんなら最初から言ってよ〜』って
思ったものです。
なににしても基礎は大事ですよ。
でも基礎から入るのが
必ずしも正しいとは思わないんです。
これは受験の実技に関してもそうでしたし、
さいきんやってる映像の編集なんかでも。
かならず基礎をすっ飛ばしちゃうんです。
だからかなりできるようでいて
肝心な所を分かってなかったり。
時間はかかりますが
もろいうわずみを何回も壊しては作り、壊しては作り、
ってやってる間に変な体力がついてくる。
そこへ基礎が入れば、
その先のやり方は分かってるわけだから強いんです。
家で例えるとドアのカタチとか
棚の位置とかばっかりこだわって
何度もぐちゃぐちゃに倒れちゃってたけど
基礎さえしっかり入れば
そのあとの組み方はバッチリ!
みたいな☆
結局なにが言いたいのかというと
勉強ってたのしい!
って今まで思って来られたのは
この周り道が好きだったからかもしれません。
中3で夏季講習だけ通った初めての塾も
『こんなんやってたら分からないことなんてなくなるじゃん!!!!』
っていうくらい革命的に
分かりやすいと思ったものでした。
1995年の夏〜9歳の思い出
ヤスタカさんの日記を読んで、
あ〜芸祭、とか思って
デスクトップのダッシュボードに『芸祭までのカウントダウンカレンダー』を
けっこう前(今年度はじめごろ)に設定してたことを思い出し、
久しぶりに開いてみたら
あと80日!!
なんかビックリですね。
すぐじゃん。
epa!も夏休み、着々とすすんでますよ。
1995年。
9歳。
芸祭で思い出したんですけど、
うちの小学校の文化祭は
いま考えると結構アートだった。
教室を丸ごと使って
お化け屋敷や迷路を作ったり、
水族館を作ったり、
ブラックライトで光る部屋を作ったり。
校庭に家を作ったときもあったな。
いまのいままで忘れてたけど。
運動会や音楽会より、
このイベントがたまらなく好きだった。
一日中その準備に時間を使い、
近隣のお店にダンボールを集めにいったり、
ガムテープの匂いで充満した教室とか
わくわくしてた。
期間は芸祭と同じ時期だった気がするし、
3日間やってたとおもう。
初めと終わりには
『オープニングセレモニー』と『エンディングセレモニー』があって、
扮装した校長先生が他の星から来た設定であいさつしたり、
キャンプファイヤーがあったり。
まだいまもやってるのか気になるところです。
準備はいつからやってたかしら。
夏休みはなにもやってなかった気がしますが。
まあ授業とかほとんど無い学校ですから
2学期の運動会が終わってからで間に合ってたかも。
ちなみに、
高校でも、アートな文化祭経験をします。
偶然とは思えないです。
1994年の夏〜8歳の思い出
地震、怖かったですね。
この辺は震度4とかでしたが、
だいぶ飛び起きてしまいました。
昨日バイトでお預かりした宅配便が、
まさに震度6弱の地域だったので
なんかドキドキしてます。大丈夫かなあ。
テレビ見てると土砂崩れが起きてたり、
大きな被害が出ているようですが
もし東海沖地震だったら、これの桁違いらしいです。
こわい。
救命病棟24時の再放送とか見てるだけで怖い。
数年後に大地震がくる。
と、言われ続けてはや十数年。
最初にその話を聞いたのが
この頃だった気がします。
1994年。
8歳。
小学校の校長先生に
考古学の教授が就いたこのころ。
朝礼のお話ではよく地震の話題が出ていました。
そんななか担任の先生は変わり、
図工の先生が私のクラスを担当していました。
(2年の時も別の図工の先生だったんですが)
ステンシルみたいなことをしたり、
電動糸のこでパズルをつくったり、
いろんなことをやったはずなんですけど
あんまり記憶なしです。笑。
クラスにYちゃんという子がいて、
入学して最初に仲良くなった子だったんですが
彼女はとても絵がうまかった。
お絵描き教室にも通ってて、
お母さんも美大卒。たしか。
もうひとりMちゃんという絵のうまい子もいて
私は彼女たちの真似をしたりしなかったり
このころの図工はあんまり面白くなくなってきた頃でした。
なんだかんだ、一番じゃなきゃいや。
絵を描くのが好きじゃなくなってきた。
とにかく、学校の『絵の具』が嫌いだった。
下書きが全部消えちゃうし。笑。
クラスでは
仲良しグループはみんなで同じ絵を描く
というのが流行っていて
だれが仲良しなのか絵で分かっちゃう感じでした。
今考えたら変な話だ。
結局、
Yちゃんは現役でタマビの日本画、
Mちゃんは1浪で芸大の油画、
というすばらしい感じで進学していきました。
二人とも絵を描く人になっていったわけです。
小学校の図工だと、
絵のうまい子がやっぱり優位に立つ。
上手いっていうか、すごく描くのが好きな子。
でもそれだけじゃないんだよ、っていうのを
教えてくれたらいいのに、と思います。
図工は好きだけど、絵を描くのはあんまり好きじゃない。
これってなんだろう。って思ってた、
小学生の頃。
1993年の夏〜7歳の思い出
いや〜暑いですね。
毎日クーラーフル稼働です。
点けっぱなしで寝ちゃったりするから
喉が乾燥の危機にさらされたりします。
きょうは
『かはっっっ!』ってなって
のどの渇きで目が覚めました。
こんなときに限って
冷蔵庫の中には牛乳と豆乳いちご味くらいしかない。
一気に飲めるなにか!
前日に残してたミネラルウォーターでは全然足らず、
しょうがないから水道水一気飲み。
結局1リットルくらい飲んだ気がします。
水くらいは常備しておこうかな。
でも大量買いは重いんだよなー。
浄水石みたいなのが入った水入れ(1リットル)を
引っ越す時に持ってきたけど、
洗うのとかめんどくさくて半年で飽きてしまいました。
1993年。
7歳。
夏休みというものも板についてきた、
小学校2年生。
相変わらず宿題とかは無かったけど、
絵日記を描こうとして7月中に挫折したりはしてました。
夏休みに入って最初のイベントは
ピアノの発表会。
2年生のときが最初の発表会だった気がします。たしか。
あの頃は全然練習とか好きじゃなくて
どうにかして逃げる方法を考えていたけど
今思うともっと練習しとけばよかったー。
みんなが自分に注目してて、
聞きにきてくれる友達もいて、
っていうあの空気は
嫌いじゃなかった笑。
舞台裏の緊張感とか。
この頃、
習字も習っていたんですけど
こっちもそっちも
もっと表現を楽しめばよかった。
受験が終わる頃にも思ったことと共通です。
義務感でやってるとこから
自分で表現を楽しめるようになったら
なんとも楽しいはず。
きっとこれからもここが重要なんではないかと。
制約はどんどん増えますからね。
私は、小さい頃から絵が好きで、絵ばっかり描いて、、、
ってわけではなく
なんだかんだ的が定まらないまま今に至りますが
それはそれで良かったと思ってます。
でも経験は幅広い方がお得ですよね。
中高で部活がんばってた、とかいう人も
集中力とチームプレー力、体力などにおいて
中途半端は私よりも断然勝っているはず。
実際、元運動部は多いです。
そうじゃなかったら生粋の美術部。
っていうくらい。
1992年の夏〜6歳の思い出
昨日は『ハリーポッターと謎のプリンス』を観てきました。
第一作目を観たのがつい最近のことのようで
もう六作目なのかーと感慨深いです。
次の映画は2010年,11年らしく、
そのころの自分を想像すると
恐ろしいような楽しみのような。。
帰ってきて、
また読み返そうと
心に決めました。
1992年。
6歳。
インドアだったからーずちゃんは
小学校に入り、ますますインドアに笑。
カービィーとLEGOが好きな子でした。
自分で描いたイラストを
セロハンテープでラミネートして、
ドラマ仕立てのキャラクターごっこをしていた記憶があります。
学校はあまり好きじゃなかったから、
夏休みは楽しかったです。
宿題もなかったし。
というのも、私のいた小学校は
なんだか実験的な学校で、
授業はほとんとやらず、学級会ばっかりやってました。(6年間通して)
一般的な小学生が入学時にもらう、
さんすうセットがやたらとうらやましかったです。
この頃から
『文房具』というジャンルを知り、
学校の近くの文房具屋さんで
匂い付きの消しゴムとかメモ帳とか
買ってもらうのがすごく嬉しかった思い出があります。
この頃の将来の夢は
文房具屋さん。
作る方ね。
なにげなしに言ってたこれが
意外と今のやりたいことに結構近かったりして
思い出をひもとくとおもしろいです。
1991年の夏〜5歳の思い出
今日は学校に行っていたら二度のゲリラ豪雨!
こわいよ〜
ちょうど家に帰ってきてから
強く降り始めました。
みんな大丈夫だったかなー。
この時期の外出は気がきじゃないです。
明日は映画観にいくけど
大丈夫かなー。
あ、ちなみに私が傘を持って歩くと
たいてい雨は降りません。
1991年。
5歳。
この年の夏は
妹が生まれるか生まれないかで
(妹は11月生まれ)
私は弟と遊ぶ時間が増えたような思い出があります。
夏といえば
庭にプールを出して水遊び。
プールのあとはお風呂場で水風呂遊び。
初めて海に行って海につかった時には
大泣きした私。
お風呂も嫌いでしたが
家用のビニールプールだけは格別に好きでした。
今も昔も全然泳げないし、
今でもプールって好きじゃない。
でも家だとちがうんですよね〜。
特に水遊び用のおもちゃが好きだったような。
砂場も、砂より砂遊び用のおもちゃが好きでしたね。
うん。うん。
『かき氷パーティー』を自ら主催したりして
(かき氷機でかき氷するだけなんですけど)
いついつはかき氷パーティーだから、なんて楽しみにしてました。
『かき氷パーティーに呼んであげないよ?』って言うだけで
言うことをきく弟も、この頃はかわいかった。笑。
温暖化、温暖化とは言いつつも
調べてみると気温ってたいして変わってないんですね。
もうすぐ20年だ。早いな〜。
1990年代は
なんだかすごく最近のことのような気がします。
1995年とかは特に5.6年くらい前、
1999年は2.3年前みたいに思えて
私が30歳や40歳を迎えるのもすぐのような気がする
今日この頃であります。
1990年の夏〜4歳の思い出
今日もバイトでした。
バイトして家に帰って、
っていう学生を忘れるような毎日は
なんだかすごく不思議です。
最近は発注とかもさせてもらってて、
いくら入れたら良いんだろうとか考えるのは
社会の仕組みがかいまみえたような感じがして
ちょっとたのしいです。
そんななか、
店長の異動が決まりまして、
今の店長はあと一ヶ月です。
いままでいくつかバイトを経験してきましたが、
店長が変わるのをは3度目の経験。
チェーン店で働くのが好きなので。
今回は一年お世話になった店長だし、
複雑な心境です。
大きな企業って大変ですね。
1990年。
4歳。
からーずちゃんは4歳になり、
やっと幼稚園でも泣かないようになりました。
この頃ハマってたのは、
ダンボールの板に放射状に張り巡らしたタコ糸(たしかタコ糸)に
様々な毛糸を通していく、通称『くものす』。
簡単な織物みたいなかんじです。
中心から織っていって、円形に大きくなっていった織物を、
先生がクッションに縫い付けてくれたり、
小さいものは腕につけるアクセサリーにしてくれたり。
幼いながらも、
自分のした仕事が製品ぽく仕上がる、ということに
楽しみを見いだしていました。
工デ、ってかんじですよね☆
お絵描きも好きだったけど、
こっちの方が好きでした。
お菓子の空き箱を利用した工作も好きでした。
何かだったものが、カタチを変えて何かになる
みたいなことにも興味を持っていたのかも。
いうまでもなく、インドアっ子ですね。
1989年の夏〜3歳の思い出
最近、
ビデオカメラを買おうかどうか迷ってます。
どうせ今買うならフルハイビジョンがいいのだけど、
いかんせん一括で買うにはちょっと高い。
どうしても必要ってわけじゃないし。
でもほしいな〜。
子供が生まれたら、
きっと写真やらビデオやらがものすごい数になりそうです。
全然想像もできないのですが、
もうすぐ私は、
母が私を産んだ歳になろうとしています。
わお!
1989年。
3歳。
きょうだいの中で唯一、
私は年少さんのときから幼稚園に通っていました。
幼稚園。
行くのがいやでいやでしかたなかった思い出があります。
最初の頃とか
母と別れる時に泣きじゃくって大変だったらしいです。
お遊戯もやらない子でした。笑。
ピアノを弾いてる先生のとなりに、
小さいイスを出してもらって一人だけすわってる、という
写真が、幼稚園アルバムに載ってました。
運動会もいやでした。
かけっこでは
スタートからゴールまで
歩き通すという荒技をみせました。
うん、なんだか徹底してたんです。
なんかもうこの頃から頑固でした。
そんな私は
いまではパフォーマンスショーの記録をやってる。
常に見る側でありたいのでしょうか。
1988年の夏〜2歳の思い出
今日で6連勤もおわり。
明日はバイトが休みで学校でepa!の幹部会です。
(大きな団体ゆえ、報告会が必要なのです)
今日は一般大の女の子が
体調不良ということで早退してしまい、
人数が少ない中、閉店業務がんばりました。
あれは体調不良っていうより、
絶対眠いからだった!
なんかいろいろミスって店長に帰りなさいって言われてたのですが
どうやらテストが大変なようです。
ムサビにいると
テストより課題の方が大変ですからね。
こっちでいう課題みたいな感じなんでしょうか。。
テストなんてちょびっとですから。
では今日も。
1988年。
2歳。
この年の夏には、
弟が生まれました。
命名の習字に
字を書けない私も参加してた記憶があります。
(てんてんだけの習字の前で撮った写真が残ってました。)
なんだかいろんなことが新鮮で
かなりかわいがっていたような気がします。
弟は生まれた時から
体も態度もおっきくて
お世話するのも大変でしたけどね。
そんなわけで私はお姉ちゃんになりました。
私が不器用なのは
きっと長女だからです。
今ではそんな弟も専門学校生3年生。
服飾の勉強をしています。
今年が就活らしく、そのもようも気になるこのごろ。
その下に妹もいるのですが
妹もヘアメイクを勉強してる専門生なので
なんと社会に出るのは私が最後なんです。
まさかこんなことになろうとは。
私が就活する頃には
不景気がどっかいってたらいいな。
それにしても
3きょうだいでなにかできそうな感じです。
全然そんな風な道に進む気配とか
下の二人にはなかったのに。
1987年の夏〜1歳の思い出
明日で6連勤も一段落。
そろそろ疲れてきたよー。
他にもやらなくちゃいけないことがいっぱいあるのに、
複数のことを同時にやっていくのがとても苦手な私。
今年の手帳は、予定だけじゃなくて
その日にやろうと思ってることを書こうと、
大きめのを使ってるのですが
なんだかごちゃごちゃしてきちゃった。最近のページ。
そして、
今月下旬にちょっとだけ実家に帰る予定を
やたら楽しみにしてます。笑
前回帰ったのは3月末。
地元での用事のついでにほんとに寝に帰っただけのような感じで
次の日の朝には渋谷で写真学校だったので
半年くらい前ですね。ちゃんと帰ったのは。
1987年。
1歳。
ハイハイのできなかったからーずちゃんは、
立てるようになったのも遅かったそうです。
1歳を過ぎてもなかなか立てず、
通ってた小児科の先生に『大きな病院で診てもらった方がいい』と言われたみたいです。
母はあんまり心配してなかったらしいのですが
歩けない子だったら、、、みたいな可能性もあったみたいで
私は大きな病院に連れて行かれました。
結果はなんてこともなく、
『すぐ歩けるようになるでしょ』とのこと。
足の裏を筆でコショコショして、
くすぐったがったから大丈夫☆ってすぐに返されたらしいです。
そしてその晩、
私はいきなり立ち上がったらしいです笑
空気を読んだんでしょうか笑
鹿とか馬とか、生まれてすぐに立ち上がる生き物って
ほんとすごいですよね。
このあとも今に至るまで
運動は苦手です。
1986年の夏〜0歳の思い出
今日は空を滑空している夢を見ました。
眠りが浅いせいで、よく夢を見るのですが
今日のはなんとなく感覚的にリアルでした。
両手に少し余るくらいのアクリルボックスを抱えて、
巨大下りエスカレーターみたいなところを滑り降りて行くのですが、
後ろにはメガネっ娘がナビゲート。
『もっと右!』『落ちるよ!気をつけて!』みたいに。
ボックスを抱えてるから、下も先も見えないんです。
ボックスの底面で手すりみたいなところを滑ってて
その反動で時々空を飛んだりします。
言葉にすると相当変です。
スピードもあまりなく、ふわっと飛んだりします。
最終的にはコツをつかんで、
回転しながら着地しました。
なに、この夢。
そろそろ夢辞典でも買おうかと思う今日このごろ。
だれか詳しいひと、診断してください。
今日からは生い立ちシリーズ。
私は1986年の1月生まれなので、
最初の夏は同年、0歳のときです。
私は生まれたころから
眠りが浅かったらしく、
ちょっとした音で目を覚ましては
母に迷惑をかけていたようです。
逆に弟は何が起こっても起きないような子でした。
運動神経はこの頃から悪く、
ハイハイができない子だったみたいです。
おしりあるきってやつですね。
結局ずっとハイハイはできなかったみたい。
我ながらなさけない笑
その代わりオシャベリの方は
達者だったみたいです。
ちっちゃいときからメリハリがあったというか、なんというか。
すきなもの、きらいなもの
ムサビ日記を書き始めてから一ヶ月以上が過ぎ、
ここいらでちょっと自分の生い立ちをひもといてみることにします。
自己紹介って、
出逢ったときにしただけだと忘れちゃうよね!
ってよく思います。
文章に残した自己紹介はなかなかはずかしいんだけれど。
1986年1月、長女として出生。
安産だったらしい。
すぐに目を覚ましては泣く、という
デリケートな乳児期を過ごし、家族を困らせていたらしい。
絵本が大好きで、祖父が買ってきてくれる絵本は
暗唱できるほど読み深めていたのだそうな。
そんなこともあって、おしゃべりが達者。
好きなおもちゃはあいうえおのパネルがボタンみたいになってるやつ。
(押し心地がとても楽しかったのを今でも覚えている。)
ハイハイはできなかった。
1歳を過ぎても歩く気配なし。
障害があるんじゃ、とかかりつけの小児科医に言われ、
でっかい病院まで行ったらしい。
その日の夜、急に立ち上がるからーず☆
運動は嫌いでした。
やれと言われてやるのも嫌いです。
運動嫌いはまだまだつづく。
運動会のかけっこではスタートからゴールまで歩き通し、
お遊戯は立ち尽くし続けてました。
幼稚園では室内で絵を描いたり、毛糸遊びをしたり。
特技は三つ編みです。
マーカーが好きで、インクがすぐなくなって2本目をもらうからーず。
クレヨンより断然マーカーが好き。
(今でもマッキーが好き)
空き箱工作の時間が、中でも至福のときでした。
小学校も地味な遊びが好き。
文房具収集にハマっていました。
絵がうまい=セーラームーンが上手い
みたいな図式に完全に挫折。
絵は、あんまり好きじゃなくなった。
(いまでもイラストは心からニガテ。)
家ではLEGOで、壮大なストーリーを楽しんでいました。
映画にできるんじゃないかってくらい、
その時はそんなふうに思ってました。
図工もそんなに好きではなかった。
写生みたいなのがとても苦手だった。
特に水性絵の具。
せっかく下書きしたのになんなの!って思い続けてた。
特に粘土が大嫌い。
野焼きの課題では、
もらった粘土の塊の端っこをちょっとだけ立てて
『いれもの』と言い張りました。
まさに少ない手数で言い切った!
分厚すぎて釜で玉砕。
自分で作るより絵本が好き。
レオ=レオニがとても好き。
言葉も哲学も。
革命が起きたのは中学の美術。
雑誌とかを切り抜いて『色』を集めてくる
という課題にハマり、
必要以上に集めまくる。
色に対する執着。
そういえば
幼少時も『いろ』みたいな本がお気に入りだった。
でもそれより楽しかったのは
技術の授業だった。
いまになって思うと。
『技術』って変な教科名ですよね。
投影図をキャビネット図にする、みたいな課題は
クラスで一番早く解いてました。
本棚も一番に完成しました。
パソコンも楽しかった。(今思うとものすごく昔っぽい。)
回路図を書いてハンダ付けも、
理科が分からないなりに楽しかった。
ここ。
ここが工デの原点な気がする。
その後、
美術の成績だけしかいいのがなくてデザイン系の高校に入り、
『広告やりたいかも〜』と夢を抱いて美術予備校へ。
ながーーーい勘違いののちに
やっと今に至るわけです。
工デに行きたいと思い始めたのは
受験を始めてから何年も経ったあとだったけど
ふりかえると
最初から工デだった気がしてならない。
そんなことを急に思い出しました。
デザインってなんだろう。
すきなことと
いまやりたいことと
これからやっていきたいこと。
そんなことを考えさせられる一日でした。
ふたつ先の課題は
もう専攻に分かれてます。
まだまだーだと思ってたけど早いです。
入る前から決めてたけど、
一周まわって、二周まわって、
やっぱりおなじとこにたどり着きそうです。
とりあえず今のところ、
すきなことについては見え隠れし始めました。
すきなもののスクラップから
始めて行こうと思います。
これって受験生がやることだったりするよね。
でも、
具体的に見えたのが今だから
いまやるのです。
まずはファイルを買いに行こう。
カタチから入るタイプですので。
自己紹介-学科
これ、どのくらいの人が読んでるんだろう、、、とドキドキしながら
3回目のエントリーです。
春休みだと周りの反響とかわからないので気になります。
自己紹介は小出しにしていきます。今回は学科について。
○学科
工芸工業デザイン学科。2年生。
最近、成績が発表されまして、
無事に2年生に上がれていたので安心しています。
工芸工業デザイン、略して工デ。コウデ。
入ったばかりの頃は、工業工芸って書きそうになったり
(草かんむりぐらいまでならごまかせます!)
なかなかややこしい名前だと思ってました。
でも中身はいろんな人がいます。
ずっと工芸でやってきたひと
実は第二志望だったひと
多浪してるひと
平面系志望だったひと
ちっちゃい予備校からきたひと
転科してきたひと
社会人を経てきたひと
昨日自己紹介を終えた一年生は実感したかと思います。
140人もいるので
趣味が似ててよく授業がかぶるひともいれば
全然かぶらない人もいて
なかなか全員と知り合うのは難しいです。
1年生は次全員がそろうのは夏前の絵画ですね。
今年の私の目標は
工デの全員とお知り合いになることです。
勇気を出して、声かけていこうとおもいます。
半年後には専攻に分かれます。
それまでに仲良くなっておかないと。
今日、1年生と話す機会があり、
1年の基礎実習の選択が3個から4個に増えたことを知りました。
すーごくうらやましくてそばにいた工デ生に言いまくったけど
あとから実習期間が短くなってることを知りなんとなく納得。
私の場合、4月と5月はじっくり課題をやれてたので
それはそれで楽しかったし実りのある毎日でした。
自分にはこっちの方が合っていたのかも。
でも選ばなかった課題ほど気になるものです。
自己紹介-年齢
詳しい自己紹介をあとで書こうと思っていた矢先に、
ヤスタカ先輩にコメントで軽くバラされてしまったので正直に書きます!
○年齢
1986年1月生まれ。四浪。23歳。
↑ここ、フツーはさらっと通り過ぎる項目ですよね。
ここが最大の自己紹介になってしまうという。
某国立大学を受け続けていたこともあり、
近年では珍しい多浪かと思われます。
特に私大のデザイン系学科にはあんまりいません。
半分は現役合格生でしょう。
同じ学年の一番歳が離れている子で4歳違うわけです。
入学する前は、『やっていけるかな〜』『話についていけるかな〜』と心配していましたが
実際全然問題なかったです。
(小さい頃に見てた子供番組が違うくらいで。)
むしろ、現役で受かった子の方が精神年齢が高かったりして、教わることが多いです。
デザインの発想とかに関しても、『浪人生』は武器になりません。
ここは大学ならではのところだと思います。
いろんな年齢、経歴の人が混ざってますが
『時を同じくしてムサビに呼ばれた』ということにはきっと意味があります。
もっといろんな人と知り合いたい!友達になりたい!と私は日々思っています。
年下の先輩、年上の後輩、同い年の先輩、年上の同級生、、、
そういうことが気になっている新入生の方、
同じ予備校出身とかだと気になるけど、そのうちよくわからなくなるので大丈夫です。
(ちなみに私はもはやネタのようになってます。)
とっくに成人式を終わらせてしまった私から見る
リアルなムサビを綴っていきたいと思います。
似たような話題をヤスタカ先輩が書いていることに気づきました。
現役生側からの心配はよく聞きますが、その逆もあるってことです。
多浪した新入生のみなさん、実技もきっと余裕ではないです。
年齢のことは忘れてがんばってください。
英語とかの講義系の『授業』はしばらくついていけないかもしれません。
これについてはまた今度書きますね。
はじめまして
はじめまして!
4月から新しくムサビ日記のメンバーにならせてもらいました、
工芸工業デザイン2年の『からーず』と申します!
最初の日記、何を書こうか、、、と考えすぎて
スタートが遅れてしまいました。
こういうこと、よくあります。
スタートダッシュより、心の準備な私ですがよろしくおねがいします。
去年の募集の時は、気になったけど応募はしませんでした。
『ブログ』というものになじみがなかったのもありました。
去年一年で某SNSにて、文章を公開することにちょっと慣れたのと
一年間ほぼ毎日ムサビ日記を読み、
(入学式でムサビ日記の本を買い、)
ちょっとづつ準備してきました。
採用が決まって以来、まだドキドキしていますが。。。
次の日記あたりで詳しい自己紹介、書こうと思った経緯など
書いていこうかとおもいます。
あたたかい目で見守ってください。
それではあらためまして、
よろしくおねがいいたしMAU!
↑嬉し恥ずかしです。