リアルでからふるな美大の日常を。
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つまりはデッサン
ここで書いたか書いてないか分かんなくなったので改めて。
私はこの4月から
都内の写真学校の夜間の部に通っています。
カメラマンになるためのお勉強をしてて
ライティングとかを中心に
フォトショップでのレタッチも一緒にやっています。
ちょっとかけ離れた世界だとおもってたけど
どんどん「いままで培ってきたもの」が活かせるんじゃないか、って
思ってきました。
受験時代に鉛筆デッサンをしてて
難しいと思ってた「質感」を表現すること。
写真なら
見たものがそのまま写るんだから
質感もなにもなくてそのものそのままが「それらしく」写る、って思ってたけど
そんな写真でさえ
質感を表現するために
複雑にライティングしたり、パソコンで修正したり
「こうあってほしい」
というものを目指して画像作りをしていくことを知りました。
そう考えると何気なく取り組んでたデッサンって
めちゃめちゃ高度なことなんじゃないのか、、、?っていうこと。
(形を正確にとったり、空間を表現したりを鉛筆と手でやっていくわけなので。)
たとえば
その「こうあってほしい」が
『一般的にこうあるべき』とか『誰が見てもこうある方がいい』という理想と
目の前に提示されたモノをすりあわせていくのが
「デザイン科のデッサン」だと思うのです。
「素直なのはいいんだけど、、、」とか
「見てない」とか
いろいろ言われたけど、全部このことを言ってたんだわ。
素直→→ありのまますぎる。予備校の使い古されたモチーフのリアルな汚さだったり、しかたなくなってるライティングをそのまま書いちゃってる。
見てない→→「こうしよう」がそのものらしさからかけ離れてしまっている。
ということ。
自己表現ではなく
すでに広告とかの考え方に近かったのかも。
モノそのものをあるがまま、でなくて
そのモノがそのモノらしく在るためにはもっとこうあってほしいが大事だった。
そのことに
4年生の今になって気づいたんです。わたしは。
(4浪したのに。ということは現役のとき含め8年以上かかってる。)
そしてこのことこそが
デッサン以外にも言える、「デッサンを通して勉強するべきこと」なんではないかと。
それと
鉛筆と紙は使わないけど
デッサンで考えるようなことを考えてる
各分野のプロフェッショナルがいる、っていうことを
ここ数ヶ月で知りました。
逆に
こっちを知ってれば
もっと多角的にデッサンを早く上達させられたんじゃ、、、
って思ったり。
結局
デッサンってすごい大事だ、って
どこに行っても思うわけです。
今日は教養科目の講義の方で
ギリシャ思想についても勉強したのですが
それもまたデザイン科のデッサンに通じるんじゃないかとおもった。
(いまだにギリシャ彫刻をデッサンに使うのも関連してるのかしら、、、)
デザイン科のデッサンとイデア論。
関係ないと思われたいろいろが
ぐんぐんつながってきた瞬間です。
美大ってすごいや。
ただ今の現状だと
限られた「予備校」という狭いくくりで
決まった先生にしか教わらないので
まちがった認識をしてしまえば
何年かけてもたいして上達しないし
それどころか
「技巧にはしる」みたいなことになるのかも。
でもこれって
「(まちがった)技巧にはしる」っていう意味だったみたいです。
予備校の講師には
デッサンというものの捉え方が間違わないような
多角的な教育をしてもらいたいなあと思う。
そうじゃないと
美大の受験科目としてわざわざ時間をかけて取り組む意味も無いし。