リアルでからふるな美大の日常を。
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2011年06月のアーカイブ
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プリンター
スキャナ単体じゃなくて
フィルムスキャンもできる複合機があることを今日知って
『欲しいなー』
とか言ってたら
急にうちの複合機ちゃんが動かなくなりました(TmT)
なんかごめん、、複合機ちゃん、、、
明日修理センターに電話してみます。
ああ、今度こそ有償修理になっちゃうのかなあ。。。
2011.06.22-2:55
大学生になって独り暮らしをして
知ったこと
夜は短い。
小さい頃は(高校くらいまでかな?)
徹夜っていうと
「無限の時間」みたなニュアンスで思っていたけど
そんなのは幻想でした。
ちょっとネット見てたら3時、
ちょっと作業してたら5時、
6時になったらもう完全に朝。
クーラー その後
そうだ、
クーラーやっと来ましたよ!
月曜日に!
1ヶ月続いてしまった「クーラー無し生活」とさようなら!
製造年はまだ調べていませんが
そこそこ新しいやつ。多分。
今までのは20年以上経ってるやつだったから、
運転音の静かさとか(特に室外機がとてもサイレント!)
点けてすぐに涼しくなるところとか
自動で温度調整、の感度とか
いろいろ感激。
逆に点いてるのに気づかなそうなので気をつけます^^
普通はついているであろう
「スイング機能」も
前のは無くて、新しいのにはついているので
もうスイングさせまくっています。笑。
でも一番うれしいのは
リモコンがついていること!
それこそ当たり前かもしれないけど
これは嬉しすぎる。
これでもう、
消すのがめんどくさくて点けっぱなし→電気代爆発
の生活とさようなら!!
リモコンをなくさないようにだけ
徹底的に気をつけて生活するとしよう☆
(実家ではよく無くして消せなくなる)
快適な部屋になってよかった^^
欲を言えば
もうそろそろ卒業だし最後の夏に新しいクーラーとか、
次に住む人がうらやましい。
(最初の夏に壊れてれば、、とか思ったり)
築年数が増して家賃は安くなってるし、いいなあ。
さぞかし
いままでは電気代も無駄に払っていたんだろうな。燃費の面で。
7月の電気代が楽しみ。
2011.06.21-18:54
その人がどんな人なのかな、って推測する時に
私は結構、その人が使う言葉を気にしちゃう。
たとえば
悪口とかを平気で言う人が苦手なのはもちろんのこと、
言葉が次々と流暢に出すぎる人も
若干信用ならない気がしてしまう。
早口の人へのちょっとした恐怖。
女の子が食べ物を「うまい」って言うのも
実は苦手。
「おいしい」よりもおいしいって意味で使ってるのかもしれないけど
なんかひいてしまうわたし。
文字だともっと「その人」が出るはず。
そういった意味で
メールをするような仲になって初めて
ちょっとその人のことが解る。
なんてことはあったけど
最近はtwitterがその役割になってる。
フォローはしないまま
探りを入れるわたし(笑)
丁寧に言葉を使う人が好きです。
(丁寧語って意味ではなく)
嫌いで言うと
「ら抜き言葉」も好きじゃないんだけど
最近はもうこの言葉自体が死語なんじゃないか、ってくらい
みんな当たり前にらを抜いてて
だれも問題視していない。
むしろ入れた方が伝わりにくいくらいで。
(受け身形にとられちゃって。)
だから話し言葉ではみんなに合わせて時々使う。
こうやって
言語って移り変わってゆくんだなあ。
私のおすすめ本
美大フェアのお題、ってことで。
私が紹介させていただいているのは2冊。
(まだ現地に行ってないので、ほんとにあるのかはどきどき、、)
ペツェッティーノ―じぶんをみつけたぶぶんひんのはなし レオ・レオニ 谷川 俊太郎 好学社 1978-04-01 売り上げランキング : 56165 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
まずはこれ。
レオ=レオニの絵本は小さい頃に
学校の図書館で借りまくっていて、
「本を紹介しよう」という宿題では
この頃もこの本を紹介していました。
まあ、
8歳くらいだったので
「絵がきれいだな〜」
「読みやすいな〜」
くらいにしか思ってなかったけど。
子供向けの絵本ですが
結構哲学的な本です。(レオ=レオ二の本はだいたい哲学的)
自分とはなんだろう、
他人と比較して悩む自分。
原語では読んだ事がないのでニュアンスがわかりませんが
日本で普通に売ってるのは
谷川俊太郎さんの訳したもの。
「言葉」と「画」と「哲学」と
今もそれぞれに興味の対象になっているのは
小さい頃にこの本に出会ったからかもしれないです。
お金が出来たら、他の本も揃えたいと思っています。
そしていつか自分の子供に、、笑
もう一冊はこちら。
幸せの法則 | |
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こっちは4浪の秋〜冬、
結構切羽詰まってた時期に
予備校のある駅の構内にある本屋で
たまたま「元気になる本フェア」みたいなのをやってて
そこでパラパラ立ち読みしてすぐに買うと決めた本です。
この本は最近では流行ってるパターンというか
見開きページに1項目、
短めのわかりやすい文で書かれています。
大事なところは青で刷ってあって
1色刷りの本よりだいぶ読みやすいので
本屋で読み切っちゃえるレベル。
でも「買ってよかった」と思えるのは
自分はこの本で元気になったけど
この先「元気が無い人」を見つけたら
この本を貸してあげたい、と思ったからです。
実際に数人に貸してみたのですが
どうやらこの本、
本当に精神的に参ってる人にしか効果がないみたい笑。
基本ハッピーなくせして
「あ〜鬱だわあ〜」とか言ってる人とかには
全然効かないので注意。
私はこのとき
メンタルクリニックを検索して、
予約を取ろうか、の一歩手前くらいだったけど
この本を読んでから
なにかが ぽっ と
明るくなったような気がしました。
ムサビ受験を本気で考えだしたのもこの頃だったかな。
こういう系の本って
買う段階で「病んでるって思われるの嫌だな」とか思うけど
(特に実家暮らしとかだと)
表紙はかわいい詩集みたいでキレイなので
買いやすいと思います^^
「人を幸せにできる仕事をしたい」
というのがこの頃立てた目標で
手段として「デザイン」を選んだ。
この2冊が
いまここにいる私を作ったといっても過言ではないですね。
にしても
プロダクトデザインの本とかも紹介したいリストに入れてたのに
本屋さんの関係でこの2冊になったみたいで
みごとに哲学系キャラになっちゃってます、からーずです。
POPは完全に間に合わせで作ってしまったので
(この時期もあんまり精神状態がよくなくて、、笑)
皆さんのPOPとかきゅっきゅさんの看板とかが紹介されてるのを見て
穴があったら入りたくなりましたが
本は良い本なので
ぜひお手に取ってみてくださいな。
2冊とも厚さは薄いけど
中身は濃い本ですので◎
クーラー事情
部屋のクーラーが壊れて、もうすぐ1ヶ月。
不動屋さんづたいに頼んだ電機屋さんから放置されてたのもあり、
しあさってにやっと新しいクーラーがくる予定。
(「もし何かあって行けなくなったら連絡します」とか言ってたのは聞かなかったことに)
こちらも
毎日がヒマ!というわけではないので
連絡とったり、工事の日取りを決めたり、
一人暮らしってそうゆうのがめんどくさい。
勝手に入って直してってくれたらいいけど。
いや、よくないけど。
故障の確認に来た時には(まだ)キレイだった部屋も、
だいぶもさもさしてきたし。
でも暑くて片付ける気になんてなれない、、、!
特にパソコンの作業とかしてると地獄。
Macがものすごい発熱しますからね。
これはもう慰謝料レベル。
今日はどうしてもやらねばいけないタスクがあったので
久しぶりに学校の共用パソコン室で作業しました。
暑くないって素敵。
すごい効率いい!
パソコン自体は自分のの方がスペックがいいけど
環境でこんなにもちがうのか、と。
そのあと、
ラテン語の予習をせねばと図書館に向かうも閉館してて、
じゃあ食堂でやるか、、っておもってタカホ行くも
なんかまったりと暑い!
最近は節電だかなんだか知らないけど
電車もショッピングセンターとかも暑いし、
信じられないのは、
都心の本屋までむっしむしだったこと。
涼しくない本屋とか、ありえないでしょ。
(本にも良くないのでは?)
バイト先のショッピングセンターも
よくクレーム来ないな、、ってくらい暑い。
てか
クレームどうこうより、
暑さのせいでケーキも売れない。
(気がする)
暑すぎるとケーキって売れないものです。
だって暑いんだもん。
よく考えてください。
寒さは着るものでなんとかできるけど
(特に都心とかの温暖な地域の冬は)
暑さは個人ではどうにも解決できないんですよ、、、!
部屋だと全裸でも暑い勢いだし。(6月11日現在)
そして活動に支障がでる。
なにも考えられないし、動くと暑くてクラクラするし。
だから
暑い時のクーラーは何にも増して優先してほしいです。
そんなとこ我慢しなくても
ほかに節約するとこあるんじゃないの?って思う。
自分が特別暑がりなこともあるけど
これはそろそろ耐えられない。
とはいえ
終電で帰ることも多い最近、
電車が暑くて気持ち悪くなっても
途中で降りることもできないんだから
やっぱり我慢しかなくなっちゃう。
去年は2回ほど熱中症ぽい症状に襲われたことがあったので
(夜、クーラーを切ってた2時間ぐらいの間とかにもなったので)
すごく不安。
部屋で倒れてても誰にも気づかれないんだからね!
夏になっても
ムサビは結構どこにいっても暑いです。
食堂、図書館、webスペース、、、
共用スペースはだいたい暑い。
もはや自分で講義室とって
そこで涼もうか、ってくらい。
つまりはデッサン
ここで書いたか書いてないか分かんなくなったので改めて。
私はこの4月から
都内の写真学校の夜間の部に通っています。
カメラマンになるためのお勉強をしてて
ライティングとかを中心に
フォトショップでのレタッチも一緒にやっています。
ちょっとかけ離れた世界だとおもってたけど
どんどん「いままで培ってきたもの」が活かせるんじゃないか、って
思ってきました。
受験時代に鉛筆デッサンをしてて
難しいと思ってた「質感」を表現すること。
写真なら
見たものがそのまま写るんだから
質感もなにもなくてそのものそのままが「それらしく」写る、って思ってたけど
そんな写真でさえ
質感を表現するために
複雑にライティングしたり、パソコンで修正したり
「こうあってほしい」
というものを目指して画像作りをしていくことを知りました。
そう考えると何気なく取り組んでたデッサンって
めちゃめちゃ高度なことなんじゃないのか、、、?っていうこと。
(形を正確にとったり、空間を表現したりを鉛筆と手でやっていくわけなので。)
たとえば
その「こうあってほしい」が
『一般的にこうあるべき』とか『誰が見てもこうある方がいい』という理想と
目の前に提示されたモノをすりあわせていくのが
「デザイン科のデッサン」だと思うのです。
「素直なのはいいんだけど、、、」とか
「見てない」とか
いろいろ言われたけど、全部このことを言ってたんだわ。
素直→→ありのまますぎる。予備校の使い古されたモチーフのリアルな汚さだったり、しかたなくなってるライティングをそのまま書いちゃってる。
見てない→→「こうしよう」がそのものらしさからかけ離れてしまっている。
ということ。
自己表現ではなく
すでに広告とかの考え方に近かったのかも。
モノそのものをあるがまま、でなくて
そのモノがそのモノらしく在るためにはもっとこうあってほしいが大事だった。
そのことに
4年生の今になって気づいたんです。わたしは。
(4浪したのに。ということは現役のとき含め8年以上かかってる。)
そしてこのことこそが
デッサン以外にも言える、「デッサンを通して勉強するべきこと」なんではないかと。
それと
鉛筆と紙は使わないけど
デッサンで考えるようなことを考えてる
各分野のプロフェッショナルがいる、っていうことを
ここ数ヶ月で知りました。
逆に
こっちを知ってれば
もっと多角的にデッサンを早く上達させられたんじゃ、、、
って思ったり。
結局
デッサンってすごい大事だ、って
どこに行っても思うわけです。
今日は教養科目の講義の方で
ギリシャ思想についても勉強したのですが
それもまたデザイン科のデッサンに通じるんじゃないかとおもった。
(いまだにギリシャ彫刻をデッサンに使うのも関連してるのかしら、、、)
デザイン科のデッサンとイデア論。
関係ないと思われたいろいろが
ぐんぐんつながってきた瞬間です。
美大ってすごいや。
ただ今の現状だと
限られた「予備校」という狭いくくりで
決まった先生にしか教わらないので
まちがった認識をしてしまえば
何年かけてもたいして上達しないし
それどころか
「技巧にはしる」みたいなことになるのかも。
でもこれって
「(まちがった)技巧にはしる」っていう意味だったみたいです。
予備校の講師には
デッサンというものの捉え方が間違わないような
多角的な教育をしてもらいたいなあと思う。
そうじゃないと
美大の受験科目としてわざわざ時間をかけて取り組む意味も無いし。
卒制
前回の課題をなんとか乗り越え、
ついに卒業制作がはじまりつつあります。
ほんとに4年てあっという間なんだな。
2011.06.01-23:53
ここ何回かのエントリーで
「学校やだ」みたいなことを言ってる私ですが
決してムサビが「楽しくないとところ」という訳ではないのです。
1、2年の頃は私も毎日新しい事と可能性できらきらしてたし
身の回りにはその「きらきら」を増幅させた人もいっぱい。
いまの1、2年生とかを見ても
可能性に満ちてる感じがわかる。
ただそんな場所に居て
楽しくアグレッシブに暮らせない自分が嫌なだけで
多分そのギャップが大きければ大きいほど
「ああ、なんで自分は、、、」って
なってしまうのかと思う。
2年の前期までは
1ヶ月に課題がひとつで、毎回メンバーが入れ替わって
「課題いそがしいっ!でも楽しいっ!」っていう毎日だったけど
なんだろうか、迷う時間が増えてしまった?
まあうまくまとまりませんが
ムサビが楽しくて可能性に満ちた場所であるからこそ
もにゃもにゃしてしまうひとが出るということです。
(↑これも言葉にできず、、、!)
2011.06.01-23:43
こんなことは初めて
ほぼ先生になにも相談する事無く
数日後に講評を控えている。
ただただいろいろ案じて家にいても
留年まっしぐらなわけで
とにかくいまから出来るものを作って持ってゆきます。