2011.03.20-0:31

なにか世間で
悲しいことが起こったとき、

それがおめでたいことだったときでも、

自分がその完全なる当事者ではなかった場合、
そのことに対して
中途半端な言葉を送るのが

失礼、と感じてしまう。



それは無関心なのではなくて
当事者の気持ちの大きさにはどうせ勝てないから、と思うと
言葉を発せなくなってしまう。



それは
ボキャブラリーの乏しさも相まってなのだけど

かんたんに
言葉にしてはいけないような気がしてしまう。



普段から
感情を表に出すのは苦手な方で
「すごーい!」とか「きれい!」とかも
ほとんど言った試しがない。

たとえ思っていたとしても
その気持ちは言葉にならずに
心臓の奥に染み渡る、そんな感じ。



心から悲しい出来事には
25年生きてきて、
幸運なことにまだほとんど遭っていないのだが
悲しい思いを抱いたときもきっとそうだろう。



なんでかなーと思う。



やっぱり
言葉を始めとする「out put」の行為、「表現」の行為に
人一倍身構えてしまうからなのかな、と。

そして
じぶんのその外に出す行為は
まだまだ未熟で
かたちになるのも時間がかかってしまうからかな、

と、
そんな気がする。





写真を撮ることに惹かれたのは
言葉を発するよりも、思うよりもずっとはやくかたちになる、

一瞬での表現作業に、快楽を覚えたからなのかも、

と、思ったりして。



たとえば
この日記に色をつける作業も
それにちょっと似ているのかも。

ことばよりもはやく
ちょっかんてき な なにか。

投稿者:colours : 2011年03月20日 00:53

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コメント: 2011.03.20-0:31

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